引っ越しました
帰りの馬車では襲われなかった。
噂を聞いて、数時間後に決行は、さすがに無理があったようね。となると、後二日。計四回。
(撒いた餌に喰らいついてくれるかな。出来れば、喰らいついて欲しいけど)
そんな事を考えながらエントランスに入ると、出迎えてくれたのは執事長と数人の侍女だけだった。今日は早番だと聞いていたから、カイナル様は屋敷にいるはず。変更になったとは聞いていない。やっぱり感はあった。
(そっか……完全に怒らせたようね。それとも、飽きられたのかな。だとしても、私から絶対に謝らないし、折れないから)
ここに連れられて来て七年目になるけど、その中で一番の大喧嘩。始めての喧嘩がこんなに拗れるなんて。私も変に意固地になっているのは分かってはいるけど、素直になれない。
昨晩は、それでも……勇気を出して、少しだけ素直に自分の気持ちを吐露したけど、大撃沈。まぁでも、カイナル様の本音を聞けて良かった。
私を護りたいと想ってくれる気持は嬉しいよ。大事な人に大事にされてるって、幸せだよ。でも、それを維持するために籠の鳥になれって言われるのは、受け入れられない、どうしても。それは間違っていると思うから。
エントランスにカイナル様がいないという事は、考えを変える気がないって事だよね。今までどんなに忙しくても、疲れていても、必ず迎えに来てくれた。
そして、笑って出迎えてくれて抱っこしてくれた。
頭では理解していても、多少の希望はあったの。だから、出迎えてくれた執事長に訊いた。
「今日、カイナル様は急に仕事が入ったのかしら?」
「いいえ、屋敷にて実務におわれております」
執事長は答える。おわれているは、執事長の優しさね。
「そう、ありがとう」
私はそう答えると、自分の足で歩いて部屋に向かう。途中、窓から外の景色に目をやる。
(なんか……色褪せて見うるわね。そうか……カイナル様がいないだけで、こうも見え方が変わるのね)
「大丈夫ですか? ユリシア様」
急に立ち止まった私を心配して、リアが尋ねる。私は無理して、小さく微笑むとリアに告げた。
「大丈夫よ。リアに頼みたいことがあるのですが……義両親側の客間を一つ用意してくれないかしら。出来れば、私の部屋にある日用品も一緒に移して欲しいの」
「えっ!? 引っ越すのですか!?」
リアの驚いた声が廊下に響く。
「ええ、暫く距離をおいた方が、お互いのためにいいと思うから」
「今回の件が片付いたら、自室に戻りますよね?」
そう訊かれて、私は小さく首を横に振った。
「確かに、あの妄想女の件が引き金だけど、根本的な問題は別にあるの。それが解決しない限り戻らないわ」
沈んだ顔で力なく答えたら、リアはそれ以上何も言わずに「畏まりました」と答え、私から離れた。一人残された私は、部屋には戻らず図書室に向かった。読みたい魔法書があったのだけど、今は、カイナル様から離れたかった。図書室は執務室から一番離れた場所にあるから。
(嫌いな訳じゃないのに、ほんと……色々難しいよね)
ふと、思う。部屋を変えるって、軽率な事をしたかもしれない。でも、一人で考える時間が欲しかった。
噂好きな侍女たちには、もってこいの話のネタになるわね。新人の侍女の中には、私の事を疎ましく思っている人もいるからね。彼女たちに隙を作ったかも。でもいいや、そんな考えを抱く侍女は直ぐにいなくなるから。そんな事を考えていたら、人の気配がした。
「ユリシア様、用意が整いました」
引っ越し作業が終わったリアが、私を呼びに来てくれた。
「ありがとう」
私は広げていた本を本棚にしまい、リアの後ろを付いて歩く。
客室に向かう途中、向かいの廊下からカイナル様の執務室がチラッと見えた。歩調が自然と遅くなる。
(大きな背中。仕事、大変そうね)
「ユリシア様、後であのバ、いえ、カイナル様をのしておきます」
リアの心遣いに笑みが溢れた。
「ありがとう。でも、それを実行したら、リアが辞めさせられるからやらないでね。リアには、ずっとこの屋敷で働いていて欲しいから」
そう答えると、リアが嬉しそうに微笑んだ。カイナル様と一緒で、灰色の尻尾が左右に揺れていた。
「畏まりました。カイナル様には手を出しません」
「ありがとう、リア」
そんな事を話していると、客室に到着した。リアがドアを開けると、完璧なまでに、私の部屋が再現されていた。さすが、リア。武術にも長けていて、侍女の仕事も完璧なんて、超ハイスペックだわ。
但し、カイナル様が私に贈ったプレゼントの品々は、服と数点のアクセサリー以外は元の部屋に置いたままのようね。持って来るように言おうか悩んだけど止めた。一応、盗まれないように、リアにはそれとなく示唆しておいたわ。




