第9話 自覚
静かな水面に、激しい感情の奔流が流れ込む。
体育館で突如起きた“集団昏倒”の裏で、何かが目覚めようとしていた。
水の気配に導かれ、美琴はその中心へと向かう。
光と闇、祝詞と祈り。
そして、美しき“雷魚”の誕生──それは、彼女が自らの宿命に触れる第一歩だった。
「体育館で何かあったらしいよ。」
教室に戻ると、噂話でもちきりになっていた。
「どうしたの・・、何かあった。」
美琴は、先ほどの渡り廊下の件から言い知れない不安を感じていた。
それだけでない、意識していなかったため、先ほどまで気付かなったが、校内の水気がつよいきがする。
美琴は近くにいたクラスメイトを捕まえると話を聞いた。
クラスメイトの話によると、体育館で授業中生徒たちが急に倒れたとのことだ。
それもその場にいた教師以外全員が一斉に意識を失ったとのことらしい。
クラスは休み時間ということもあり色々な憶測で盛り上がっていた。
中には、倒れたクラスの教室に行ってみようと話している者たちもいる。
その喧騒を小耳にはさみながら美琴の意識は別のものを追っていた。
自分でも無意識のうちに人差し指と中指だけを交差させ印を結ぶと、口の中で声にならない祝詞を唱えていた。
「イザナミノミコトへかくもうす・・・いざないたまえ 清めたまえ 燐魂ありし御方 はこびたまえへ・・・。」
祝詞を読むにしたがって美琴の中の何かが開いていく、それが開くにしたがってまるでぼやけたピントが合うように、水木の流れがはっきり感じるようになってくる。
やはり水気の流れがおかしい。
美琴の体を通して水気の流れが伝わりその流れが奔流となって流れだしていく。
周りの時間が止まったようにゆっくりと感じられる。
クラスメイト達の会話が水の中のようにくぐもって間延びして聞こえる。それはやがて背景に溶け込んでいき、水気の流れだけがはっきり知覚されるようになる。
美琴は、その感覚に逆らわず、水流に押し流されるように流れに沿って走り出した。
「流れつく場所のイメージも流れ込んでくる・・体育館だ。
やはりそこに何かある。」
脳裏にイメージが流れ込んでくる。
「くぐもった沼の底の様な濁りが体育館に広がっていた。
そこに向かって全ての水気が流れ込んでいる——そんな感覚だった。」
体育館まで全力疾走しているのに不思議と息が切れない。
走っているというより、本当に水流に乗っている感覚だ。
体育館に着くまでに何人もすれ違ったが、まるで別世界を潜り抜けているようにその存在は希薄だった。
だれにも止められることなく体育館につくと、そこはすでに人払いがされ警察による規制線が張ってあった。
美琴は誰にも見咎められることなく、溶けるように体育館の中に滑り込んでいった。
そこは、むせかえるような水のにおいが充満していた。
泥沼の中にたまった様々な不純物が腐敗し、水に溶け異臭を放っている。
鼻を刺すような刺激臭、肌を通じてドロッとした重く冷たい感覚が伝わってくる。やがてそれは冷気となって美琴の全身を押し包んでくる。
美琴は、陽だまりの差す温かな清流をイメージした。
柔らかな苔が岩肌に生えている。その柔らかな質感は肌に心地よく朝露に濡れ光り輝いている。全てを洗い流すようなその清流は透き通っていてひんやりと心地よく、きらきらと輝いている。やがてその光が満ち溢れ、光の帯となって流れだす。
気が付くと美琴の体は淡い光に包まれ光り輝いている。そしてそれは水流のように美琴の体を通じて流れ出し沼へと注ぎ込んでいく。
やがて、美琴を中心に青藍色の空間がゆっくりと広がっていく。
その広がりは泥沼を優しく包み込む。
そして、溜まったしこりを優しくほぐしていく。
繭に包まれていた映像が口をほどけてそこ羽化したように美琴の中に流れ込んでくる。
バスケをする生徒たち、歓声と熱気、そして、激しい嫉妬・・・・。
その嫉妬がはがしくうねり爆発する。
「非常に大きな爆発。そのエネルギーの奔流をたどっていく・・・。
その中心にいるのは2人の生徒、小柄な生徒の方から激しい憤りと、嫉妬を感じる。
小柄な生徒の周りを伸びきった水草のように黒い触手が取り巻いている。
その根は遥か深いところから伸び張り巡らされている・・・・。
見つけた———。」
美琴は心の中でそう叫ぶと、大きく印を切った。
美琴の体に帯のように青白い印が浮かんでいく。
それはやがて白い光の触手となると青白い空間一体に広がっていく。
まるでサンゴのように揺らめきながらその触手が優しく泥沼を包んでいく。
その触手が幾重にも重なり大きな光の束となり、繭のように押し包んだ時、美琴は大きく印を刻むと祝詞を唱えた。
「イザナミノミコトにかしこみかしこみもうす。その宇美の御元にこの穢れお返したもうす。願わくばその力にて払いたまえ、清めたまえ——。」
その瞬間大きな光の繭が爛々と輝いた。
そして、繭に亀裂が走ると中から雷光の様な光が迸った。
激しい雷光はバリバリと音を立てているように繭を突き破ると一層輝きを増し、目を開けているのもやっとだった。そして、その繭の中より一匹の小ぶりな魚が中空に躍り出た。その鱗は天空に輝く星のように七色に輝き、その眼は金色に輝き、全てを写し取るような純粋な光をたたえていた。
「雷魚・・・・」
思わず美琴の中より口をついてそう言葉が紡ぎだされた。
そうこれは雷魚なのだ。
確信めいた思いが美琴を貫いた。
そしてその成り立ちの一端に触れた気がした。
その輝き、初々しい中空を飛び跳ねる姿を見守っていると、美琴の中から自然と笑みがついて出てきた。
「こんにちは、誕生おめでとう・・・」
美琴が口に出してそう言うと、生まれたばかりの雷魚は嬉しそうに美琴の周りを泳ぎまわった。やがて一瞬、美琴と目が合うと青白い空間へと潜って消えていった。
これは始まりに過ぎない。
まだ残されたことがある。
そう思うと、美琴はその姿を見えなくなるまでじっと眺めていた。