第6話 流れ
昼間はうだるような暑さだったのにも関わらず、社の空気はひんやりとしている。
寒気すら覚えるほどだ、どこからか烏の不気味な鳴き声が聞こえてくる。
しんと静まり返った社は時間まで凍り付いたようだった。
祖母に話があると切り出した時、
「そう」
と短くどこか寂し気に微笑んだだけだった。
その様子からはいつもの温和な感じは消え、燐とした強さを感じた。
「社で聞きましょう。」
そう返答した祖母に美琴は確信した。
「祖母は何が起きているのか知っている。」
それでも面と向かうとなかなか切り出すことができない。
いたずらに時間だけが過ぎていく。
言おうと決めたのに、いざ口にしようとすると口の中が乾き、言葉が胸で詰まってしまう。
言い切れない美琴をよそに、切り出したのは祖母の珠江の方からだった。
「見たのね・・・・・。どこまで見たのかしら、教えて頂戴。」
その声は優しく包み込むようだった。しかし、その芯には決意が見て取れた。
美琴は思い切って今までの経緯を話すことにした。
「あの、私不思議な夢を見るようになって……そしてね。」
美琴は、夢を見るようになった経緯、そしてその夢が現実ではないかと思える位、憔悴する事。だれか分からないが懐かしい声が呼ぶこと。
「祝詞の最中に感じた、あの世のものとは思えない感覚。そして、学校で起きたすべてのことを、正直に話した。」
その間、祖母はじっと真剣なまなざしで聞いているだけだった。
その瞳は澄み切っていて全てを見通すような、遥か彼方、魂まで射抜かれているようだった。
美琴は今までこんな祖母を見たことがない。
いつも温和に笑う祖母、そして冗談を言う祖父。
父親、母親のいない寂しさを感じさせないようにする為だろう。
どんな時も突き放すことはなく、美琴の味方になってくれた。
小学校の時だろうか、美琴がクラスの同級生のペンを盗んだと疑われたことがあった。
流行りのアニメのキャラクターの限定品。かわいらしくキラキラしていた。見せびらかす友達を羨ましく思ったのも事実だ。しかし、盗むなんてことはしていない。
たまたま体躯の授業で気分が悪くなり一人先に教室に帰っただけだ。
その子がなくなったと騒ぎだすと、ある子が言った。
「美琴ちゃん、教室に帰ったよね・・・・・何か知ってるでしょ。」
その時のクラスの同級生たちの視線は忘れない、まるで水の底の様な曇った目で私を見てきた。その視線が気持ち悪くて再びトイレに駆け込んだのを覚えている。
その後、祖母は学校に呼ばれ、私に認めさせるように、担任に詰め寄られたのだ。
その時の祖母は頑として引かなかった。
美琴がしていないという以上、それを信じると言い切ってくれた。
結局は、後日掃除の時間に教室の隅に転がっているのが見つかり疑いは解けた。
本当は誰かがとっていて教室の隅のころがしたのかも知れない。
今となってはどうでもいい話だ。
そんな祖母に私は隠し事をしてしまっていた。
それが悔しくて、話しながら途中から泣いてしまった。
嗚咽を漏らしながら話す私を祖母は最後まで何も言わず見つめ続けていた。
「よく話してくれましたね。」
そういうと祖母は少し間をおいて話し始めた。
いつの間にか外は真っ暗になっていて物音ひとつしなくなっていた。
その静寂が一層社の冷気を際立たせていた。
「これから話すことは水見家の者と一部の者しか知りません。
あなたも心して聞きなさい。」
そう祖母は前置きするとゆっくりと凛とした口調で話し始めた。
水見家の初マリは、遥か古墳時代。
時に権力者は太陽の神をあがめその力を祭りごとの礎とした。
太陽は実り、この世での命の芽吹きを司りその祈祷は国の行く末を決める力があった。
太陽が現世での命の芽吹きを表すのに対して、魂その物を祭り、魂の再生を司る神もいた
イザナミノミコトだ。
イザナミノミコトは日本神話で重要な神として語られている。イザナミノミコトは国造りに当たり、日本列島を産んだ後様々な神を産み、最後に火の神を産み、命を落としてしまう。
その後、黄泉の国の王となる。
もともと国を生み多くの神を生んだ神であるため、子孫繁栄、延命長寿、縁結びなど人にエネルギーを分け与える神として現在もまつられている。
しかし、現在ではその最たる力、すなわち命の根源たる魂の回帰と再生の力は忘れられつつある。
黄泉の国とは何か、そこは死した魂が、現世を払いきれず再生の間集まる世界の事だ。現世を払いきれない魂は断片となり吹き溜まりのようにたまっていく。
そのままでいるとやがてそれは現世の影響が入り混じった酷く不安定な魂魄になる。
再生もかなわず、幽世と現世を行き来するようになる。
国が出来、人が増えると人の大きな感情が生まれる。
それに合わせてあぶれた魂も影響を受け現世にさまよい出る。
現世にさまよい出たそれは様々な災いをもたらす。
そのため、それらを監視し、時には清め払い、魂の再生へと促す必要があった。
そこで、代々水見家はその役割を担ってきた。
こうして、今でもしかるべき筋とは気脈が通じており、様々な案件が持ち込まれそれを解決してきた。
これは、これは秘すべき事であり、美琴にも時期が来るまで黙っていたというのだ。
あまりの話に美琴の感情の針が降り切れてしまった。
今は頭の中で大きな鐘が鳴り響いているようだ。
私はただ座っているのに、心がどこか別の場所へ連れて行かれる。身体は冷えきっているのに、胸の奥は熱く波打っていた。
美琴は、頭の中で鳴り響く鐘の音が小さくなるまでじっと目を閉じ、湧き上がる感情を見つめ続けた。やがて沸き起こってくるそれはおさまり泉のように静かにたたずむのがわかった。
自分の気持ちを落ち着けると思い切って聞いてみた。
「おばあちゃん、あの中空に浮かぶ水面は、水鏡って何。
あの大きな魚は魂の集まりなの・・・・・。
あの魚が、すずの魂を吸ったの。
だから、すずは・・・・・・・」
「落ち着きなさい美琴。
すずちゃんは大丈夫。
いずれ元に戻ります。
魚が、雷魚が吸ったのはすずちゃんの魂ではありません。
水鏡の事もあれらが何なのか、今はまだ話す時ではありません。
教えたはずです。
自分の中に流れる力と向き合うのです。
そうすればおのずと答えが見えてきます。
全てを知るにはまだ早すぎます。」
そういうと祖母は美琴を残して社を後にした。
突然空間がぽっかり口を開いたような気がした。
受けた衝撃は美琴を別の世界に運んでいるかのようだった。
同じころ、学校の教室で、突然窓がガタガタと大きく揺れだした。
割れんばかりに揺れる窓に映ったのは大きく跳ねる魚の影だった。
学校に残った教師たちが驚いたように窓を見るが、その陰に気付いたものはだれもいなかった。
大きな影はあざ笑うようにひと跳ねするとすーとどこかに消えていった。