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亡き王女のためのパヴァーヌ  作者: 風まかせ三十郎


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6/8

「よく生き残れたと……。今でも不思議でなりませぬ」


 男は遠くを見るような眼差しで呟いた。


「母様は平和のために戦っていたのね」


 少女は男の眼差しを追ってため息をついた。まるで夢から醒めたように。


「王妃様は心の底より平和を望んでおいででした」


 この事実さえ少女に伝わればそれでいい。もし王が血を流すことを厭えば、より多くの血が大地を染めたはずだ。天下を掌握しようとする私欲に富んだ人間たちの手によって。


「わたしも母様のように生きてみたかった」


 希望は時として残酷に振る舞う。少女は自身に未来のないことを初めて呪った。沈黙が次第に色濃く寝屋の中を漂ってゆく。少女は想像の、男は思い出の囚われ人だった。少女が想起する母の姿は絵画に描かれたヴィーナスのごとく気高く美しかった。その姿は男の回想する女の姿と重なった。女の剣は時として男の剣をも上回った。男は知った。女は畏敬する王のために剣を振るっているのだと。王自身ではなく、王の理想を愛しているのだと。


 少女と男の目が互いを見つめて交差した。二人は共に話の先を急いだ。


「さあ、話の続きを。父様と母様の夢の理想の実現を」


 少女が先を急かした。男が目を見開いた。


「四度目の出会いは、そう、わたしが二十二歳の時でした」


 ■■■


 女は帷幕を出ると満足そうに夜景を睥睨した。クリシア軍を中心とした四万五千もの軍勢がパストーレ平原を無数の炬火で埋め尽くしていた。暗黒の川を挟んで対岸にも無数の炬火が見える。対峙するゴルギア軍二万五千。この地上最強と謳われた騎馬軍団を打ち破れば天下平定の道は一気に開ける。


 女は近づく蹄の音に気が付いた。


「お久しゅうございます。ご健勝で何より」


 夜風が懐かしい声を運んできた。振り向かずともわかる。あの吟遊詩人だ。


「しぶとい奴め。まだ生きていたか?」

「血を嫌う者に死神は寄り付きませぬ」

 

 男は下馬すると女の傍らに立った。わずか二年余りで女は名将に恥じない威厳を身に付けていた。男は軍神マルスの姿をそこに見た。


「ご出世なさいましたな。今ではラトビアとトルネシアの二か国を統治する身。あなたの御名は天下に轟いておりまする」

「おまえの予言が当たったという訳か。吟遊詩人から占い師に鞍替えしたらどうだ?」

「相変わらず、お口が悪うございますな」

「どうだ、わたしの部下にならぬか? おまえならラトビアかトルネシア、どちらか一国を任せてもよい」

「これはとんだ冗談を!」

「冗談ではない。真面目な話だ」


 男は夜空に白い吐息を吐いた。


「吟遊詩人は我が天職なれば辞めるわけにはいきませぬ」

「そんなに詩や歌が好きか?」

「わかりませぬ。ただ胸の奥から沸き上がるものを形にせよ、と何者かが命じるのです」

「惜しいぞ、おまえの剣と才知なら恩賞は思いのままだろうに」

「国はいずれ滅びるもの。ですが優れた詩歌は永遠に歌い継がれてゆくものなれば」

「国を取らずに名を取るか」

「吟遊詩人として一生を終えれば」

「欲のないやつだ」


 女の金髪が風に流れた。男はその横顔に憂いが浮かぶのを見た。その眼は地上を離れ天の星々へ注がれた。


「わたしは王に望まれた。この戦いが終わったら(きさき)になれと」


 一瞬、男の目に驚愕が走った。

 なぜ、動揺するのだ? こうなることは前からわかり切ったこと。

 男は努めて冷静を装った。


「なにを悩むことがございます? あなたと王が玉座にある限り、再び天下の乱れることはありますまい」

「わたしは剣を握ったときから女を捨てたのだ。そのわたしが后などと……」

「ならば剣を捨てなされ。美しい宝石もまたお似合いかと」

「いいのか、それで?」

「どういう意味にございます?」

「おまえはそれでいいのかと聞いておるのだ」


 男は黙して語らなかった。

 月影が雲に隠れた。女は闇に紛れて不意に笑い出した。


「ハハハッ、まさか、このわたしが王の后とはな」

「それも運命の導くところなれば」

「己が手で切り開いてこその運命であろう?」

「時の流れに身を委ねるのも、また運命かと」

「決して交わらぬな、わたしとおまえの運命は」


 女は自分の天幕に男を招き寄せた。既に軍議は終わり、配下の諸将は持ち場へ帰っていた。机上に一枚の地形図だけが取り残されていた。近習が酒を満たした杯を二つ用意した。


「飲め! トルネシア産の酒だ。美味いぞ。あそこは良質の葡萄が採れるからな」


 しばらくの間、沈黙が続いた。不意に女が呟いた。


「聞かせてはくれまいか? おまえが剣を捨てたわけを」

「あれはそう、わたしが八つの時でした」


 男が杯を片手に語り始めた。


「敗走するトルメキア軍の兵士が村に火を放ちました」

「敗走する兵はなりふり構わぬからな。人が獣と化すのだ」

「村人は武器を手に戦いました。農民なのに逃げようとしなかったのです」

「頼もしいではないか。農民とて自分の村は守らねば」

「村人で生き延びたのはわずか十名のみ。もし逃げていれば、村は焼かれても、命を失うことはなかったはず」


 男の瞳に憎悪の色が浮かび上がる。その双眼は拭い切れない過去を見つめていた。


 息子は立ち止まって振り返った。父は群がる敵兵と干戈(かんか)を交えながら絶叫した。逃げろ、逃げるのだ、と……。やがて戦火は収まり少年は村へ戻った。家の焼け跡には唖然と佇む母と、ズタズタに切り裂かれた父の遺体があった。少年は泣きながら鍬を振るって父の墓穴を掘った。戦った者すべてが殺されていた。抗戦を主張したのは父だった。村人の男たちは、かつて剣士であった父から戦いの手解きを受けていた。戦って勝てるという自信が、より多くの命を奪ったのだ。少年は生き残った村人の呪詛の言葉を聞いた。


「おわかりか? わたしが剣を捨てたわけを」


 女は立ち上がりざま男に背を向けた。酒気と興奮で上気した顔を見られたくなかったのだ。


「わたしの村も焼き払われた。村人は無抵抗だった。なのにほとんどの者が殺された。まるで狩りでも楽しむように殺されたのだ!」


 酒は剥き出しの感情を語らせる。女は顔を伏せると頬に涙を伝わらせた。


 娘は村の子と山で遊んでいた。平和な村だった。戦など他国の事と思っていた。徴兵された若者の多くが戦利品を手に帰村した。その口から語られたのは領主様の勇ましい戦いぶりと圧倒的な勝利だった。僻村とはいえ強国の村なので戦火に巻き込まれることはない。子供たちは疎か大人たちさえも、そう信じて疑わなかった。だが娘は見た。村から火の手が上がるのを。やがて村から逃れ出た大人が息も絶え絶えに語ったのだ。ゴルギア軍の兵が村を焼き払ったのだ、と。村の各所に黒こげの死体が転がっていた。両親の死体など見分けられるはずもない。娘は悟った。乱世が続く限り、この地上に平和な土地などありえない、と。


 女はいくら杯を重ねても酔うことができなかった。蘇った悪夢は容易に脳裏から去らなかった。女は涙を払うと男を睨んだ。


「わかったか! わたしが剣を取ったわけを」

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