4ロザリアの計画
父であるイールドより大金を手渡されたロザリアは、それを慣れた動きでハスターに押し付けた。
大量の金貨は、値段相応の重さがある。自称か弱い令嬢であるロザリアは、金貨がパンパンに詰まった革袋を自分で担ぐことをよしとしなかった。
「それじゃあ行くわよ!」
「学園に行かれるのですか?」
てっきりもっとごねるものだと思った――そんな副音声が聞こえてきそうなハスターのセリフに、ロザリアはまなじりを釣り上げて怒りを表現する。
「当り前よ。このわたしがどうして学園なんぞから逃げないといけないのよ」
「昨日あれだけ学園に行きたくないと駄々をこねていらしたのはどなたでしたか?」
「……覚えがないわね」
すっと視線を逸らすロザリアだが、事実、昨日の記憶などほとんどなかった。何しろ、今のロザリアは約二年先の未来から帰ってきた存在だったから。ハスターたちにとっての昨日は、ロザリアにとっての二年前。詳細な記憶があるわけがなかった。
もっとも、学園に行きたくないとごねる黒歴史は、ロザリアの脳裏に確かに刻まれていたが。
恥ずかしい過去の記憶から必死で目をそらして、ロザリアは豪華絢爛な――趣味の悪い金ぴかな馬車に乗って学園へと向かった。
「……学園でよろしいのですか?」
学園に行く間に何かを購入するものだと思っていたハスターは、横の席に重い革袋を置きながら尋ねた。大量の金貨が詰まった袋のせいで柔らかな赤い座面が無惨にへこんでいるが、二人がそれを気にすることはなかった。
「そうよ。だからさっさと学園に行くわよ」
馬車が進みだすが、二人が乗る馬車は魔法具でもあるため、内部にほとんど振動を伝わらせない。快適な空間に、ロザリアは座面に体を預けて息を吐いた。
「……何を購入なさるのか、そろそろ聞いてもよろしいでしょうか?」
父イールドの言及から逃れてまで何を企んでいるのかと、鋭いハスターの視線がロザリアへと突き刺さる。それに対して、ロザリアはあくまで不敵な笑みを絶やさない。
「決まっているでしょう?買収よ、買収」
「……買収、ですか?まさか性懲りもなく学長に出席日数の操作を依頼するおつもりでしょうか?それは旦那様に防がれたと記憶しておりますが?」
「……そうよ。お父様ったらよくも邪魔してくれたわ。だから今度は黙ってやるのよ」
「はぁ。それで、何をなさるのですか?」
「入学式を買収するのよ!」
握ったこぶしをハスターに突き出して、ロザリアは意気揚々と告げる。それに対して、ハスターは完全に思考を停止していた。反応のないハスターの目の前でロザリアが手を振る。無視されているようで我慢ならなくなったロザリアに頬をつねられることで、ようやくハスターの意識は現実に帰還を果たした。
「お嬢様の突拍子もない行動に慣れたつもりではいましたが、久しぶりに意識が飛びました。やはりまだまだ精進が必要ですね」
「……わたくしは別におかしなことは言っていないわよ?」
「この世のどこに入学式を買収しようと考える方がいるのでしょうか?」
「ここにいるじゃない」
「そうですね、言葉が適切ではありませんでした。入学式を買収するような輩が存在するなど、どうして一執事に過ぎない私に予測できましょうか」
「わたしの執事なのだから、それくらいやってもらわないと困るわよ」
相変わらずの無茶ぶりに、ハスターは嫌そうな顔をする。けれどそんな顔をしつつ、あるいはロザリアに言い返したりしつつ、それでもハスターが自分から離れていかないことをロザリアは知っている。
ロザリアにとって、ハスターは家族以外で唯一完全に心を許せる存在だった。決して自分のことを全肯定してくれるわけではないけれど、打てば響くような遠慮のない発言に、けれど自分のことを気遣ってくれるような気配も十分に感じられて、それだけでロザリアは心が満たされた。
これを求めていたのだ――そう、ロザリアは思い出した。
「……どうかなさいましたか?」
これまでにない不思議な視線で見つめられて、ハスターは不思議そうに尋ねる。
「……わたしは盲目になっていたのね」
「盲目、ですか。お嬢様はいつだって前しか見えていない方だと記憶しておりますが」
「そういう意味じゃないわよ……」
窓枠にだらしなく肘をついて、ロザリアはガラス窓の向こうに広がる街並みを眺めた。活気のあふれる光景は、現国王の治世が安定している証拠だった。
ありふれた日常。それがどれほど尊いものかと、ロザリアは少しだけしんみりとした感傷に浸った。二年後。すべてを失った自分のことを思い出しながら、もう二度と同じ道は歩まないと誓って。
「……お嬢様、ごまかしはもう十分ですので、そろそろ買収とやらの詳細をお聞かせ願えませんか?」
ぱちりと瞬きしてから、ロザリアは思い出したようにハスターと向き合った。
「そういえば話していなかったわね」
「はい。別に、新入生代表挨拶をなさりたいというわけではないのですよね?」
「ヴィルヘルム殿下の舞台を奪うつもりなんてないわよ。……そうね。わたくしは、入学式をつぶしたいのよ」
「…………はい?」
「だから、入学式をつぶしたいのよ」
「あ、いえ。言葉自体は理解しております。それで、どうしてそのようなことをなさろうと決断されたのでしょうか?」
「決まっているでしょう。目の上のたんこぶに出しゃばらせないためよ」
「……第一王子殿下のことではないのですよね?」
「さすがに殿下を目の上のたんこぶとは言わないわよ」
「尊大、自意識過剰、脳筋、俺様野郎、チビなど、多くの表現をなされていたと記憶しておりますが?」
「過去のことは忘れたわ」
はぁ、とため息ともつかない声をもらしてから、ハスターは真正面からロザリアの顔をしげしげと眺めた。勝気なつり上がったまなじりに、燃えるように赤いウェーブのかかった髪と眼光鋭い瞳。長いまつげ、日焼けもくすみもない雪のように白い滑らかな肌に、薄いつややかな唇。
今日も絶好調なロザリアだったが、けれどハスターにはいつもとどこか違うように見えた。それは窓枠に肘をつくだらしない姿であり、その瞳に混じる弱い光であり、どこか自信なさげな背筋であったりした。
「……何かございましたか?怖い夢でも見られたとか」
「わたしが悪夢に負けるようなたまにみえるわけ?」
「いえ、今日はいつもと様子が違うように見受けられましたので」
「そう、かしら?そうかもしれないわね」
目を閉じて、かみしめるように呟いたロザリアはハスターとまっすぐ目を合わせ、はかなく微笑んだ。
「ありがとね、ハスター」
甘い空気が漂って――
「うぐっ!?」
胸を押さえたハスターが前のめりになる。
「……どうしたのよ?まさか馬車酔い?」
「いえ……少々刺激が強かったものですから」
「…………まさかこの私の礼を受け取れなかったということ?」
「いえ、決してそのようなことはありません!本当に、まったく!」
「そ、そう?」
今日はやけにテンションが高いなと、そんなことを思いながらロザリアはハスターを見つめる。夜空のような輝きを帯びた黒髪に、月のような金色の瞳。意外と長いまつげが、か細く揺れる。男らしい尖ったのどぼとけがこくりと動き、熱い吐息が漏れる。その肌はやや汗ばんで艶めいていて――そのすべてが、ロザリアの好みだった。何より、学園の制服が、ハスターのスラっとした四肢を包み、その銀糸の装飾によって得も言われぬ色気を生み出していた。
「はぁ」
「……どうかなさいましたか?」
いいえ、なんでもと告げながら、ロザリアは自分の頭に浮かんだ言葉を消し飛ばすように勢いよく首を振った。
ハスターが高位貴族だったら――生まれた言葉は、なかなか消えてはくれなかった。心配そうに自分を見つめるハスターから視線をそらして、ロザリアは近づいてきた巨大な建造物群をにらんだ。




