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3ヴァンプス侯爵一家

 しわが寄った制服のまま、ロザリアは悩んだ末に一直線に食堂へと向かった。勢いそのまま、扉の前に立っていた使用人が取手に手を伸ばすのも無視して、ロザリアはバアーンと勢いよく扉を自らの両手で開いた。

 部屋の先は、成金趣味と表される豪華絢爛とした黄金の宮殿のごとき部屋。そこで食事をとっていた小太りの男性が、目を見開いてロザリアを見た。ロザリアと同じ、赤い髪に赤い瞳。威圧的な色合いのはずが、彼は陽だまりのような温かい雰囲気をまとっていた。

 その男、ロザリアの父であるイールド・ヴァンプスは、ロザリアの姿を目に留めた瞬間、天に上るような幸福な顔をした。

「おや、どうしたんだい?僕の天使よ」

「お父様!」

 歌うような声は、ロザリアの強い言葉にかき消された。立ち上がって愛しいロザリアを抱きしめたいと思う反面、食事中に立つマナー違反と天秤にかけてイールドは悩む。

「そうだ!僕の隣に来ればいいよ、ロザリー」

 自分の隣の席を指し示すイールドを見て、ロザリアは少しだけ顔を青くして首を振る。あそこに近づけば、イールドがロザリアを全力で抱きしめ、猫にするようにかわいがるのが目に見えていた。顎に蓄えた赤髭のぞりぞりとした感触が苦手で、ロザリアはイールドのハグから逃げていた。

 ほかのどんな頼みでもたいていはロザリアの願いを無条件でy受け入れるイールドだが、どれだけロザリアにハグを拒絶されても、嫌いな童顔を隠すための髭を剃ることはなかった。あるいはそれは、生えかけの無精髭をこすりつけるようにロザリアに抱き着いたとき、過去にない悲鳴と拒絶を受けたトラウマのせいかもしれなかった。

「いいえ、わたしはお母様の隣に行きますわ」

 そう言って、ロザリアは長いテーブルの反対、イールドの体面に座る女性のほうへと向かった。長い銀髪が美しい、ロザリアという子どもがいるとは思えない女性。母のジャスミンが、ナイフを止めて微笑みながらロザリアを見て、ほう、と熱い吐息を漏らした。

「おはよう、ロザリア。制服がとてもよく似合っていますね」

「おはよう、お母様。お母様も、今日のドレスも似合っているわ」

「少々若々しすぎるのではないかと思っていたのですけれど、ロザリアにそう言ってもらえると安心しますね」

 瞳と同じ水色のドレスに身を包むジャスミンはふにゃりと笑う。若々しい母から視線をそらしたロザリアは、どう猛な笑みを浮かべて父を見る。続くその言葉は、もはやその場にいる誰もが予想できた。そして、その答えも。

「お父様、お金をください」

「いいぞ」

 席に着くなり金を要求するロザリアに、イールドは二つ返事で答えた。このやり取りももはやこの場にいる誰もが慣れたもので、何も言うことなく食事、あるいは業務に臨んでいた。普段朝食を摂らないロザリアが食堂にやってくるのは、決まって金の無心だから。

 ロザリアの食事準備をするハスターは、内心でやれやれと首を振った。

「それで、いくらくらいかな?」

「んー、ざっと二億フェルくらい?」

 並みの男爵家の年収ほどの額を要求されても、イールドは嫌な顔一つしなかった。ちなみに、貨幣は石貨、鉄貨、銅貨、銀貨、聖銀貨と一フェルから十進法で上がっていき、金貨一枚が十万フェルである。つまり二億フェルで金貨二千枚である。

 平民が一日過ごすのに銅貨数枚もあれば十分におつりがくる。その数百万倍の金額を要求しているロザリアも、それを当り前のように受け入れているイールドも、完全に金銭感覚がおかしかった。

「急ぎかい?」

「急ぎよ。あまり時間がないのよ」

「珍しいね。今日はずいぶんと慌てて買い物に行くんだね。ひょっとして、学園に行く前にお買い物かい?学園に遅刻しないのならいいけれど……帰りに必要ならハスター君に一度取りに戻ってきてもらう方法もあるんだよ?」

「今すぐに必要なのよ、今すぐ!だから早く食べて!」

「う、分かったよ。ちょっと待っていてね」

 そう言いながら、イールドはベーコンをナイフで切ってちまちまと口に運ぶ。一口食べるたびに味わうように目を閉じて濃厚な肉汁や旨味を確かめるイールドを見て、ロザリアは貧乏ゆすりを始める。

「……お嬢様?」

「な、何よ!急いでいるんだから仕方がないでしょ!?」

「……ハスターくん。もっと言ってあげてください。ロザリアはハスターくんの言葉なら比較的素直に聞いてくれますので」

「一使用人としての礼儀はわきまえているつもりですが……」

「この場で私に話しかける時点で礼儀がなってないわよ!」

「仕えるお方が良く見られるためのサポートにすぎません」

「ほう!いい心がけだハスター君!ぜひともそうやってロザリーを立派な淑女に育てて――」

「お父様はさっさと食べなさい!」

「……む、むぅ。わかったよ」

 すねたふりをして見せるイールドだが、ロザリアが自分を気にすることなくハスターと言い合いを初めるのを見て、完全にふてくされながら食事を食べていく。ふと視線を感じて顔を上げれば、ジャスミンがニコニコと笑みを浮かべながらイールドを見ていた。

「どうかしたのかい?」

「いえ、ハスターくんを拾ってきたロザリアはご慧眼でしたね、と」

「そうだろう!ハスター君のおかげでロザリーはこれほど元気に――」

「お・と・う・さ・ま?」

「食べるよ。食べるからその目はやめて、ね?」

 ロザリアの鋭い眼光に射抜かれたイールドは肩を小さくして食事に戻った。

 再び言い合い――というよりは一方的にロザリアがハスターに文句を言う光景を見ながら、ジャスミンは優しく目じりを下げて微笑んでいた。

「……二人は仲良しですね」

「お母様、何か言ったかしら?」

「いいえ、何も言っていませんよ」

 これ以上は勘弁ですというハスターのすがるような眼を受けて、ジャスミンはふふ、と小さく笑ってロザリアの詰問から逃れた。

 しばらくじっとジャスミンを見つめていたロザリアは、やがて「ああ!」と大きな声を上げた。またかと、ハスターが心の中でため息を吐いた。

「お母様もあるのね!?」

「……何があるのかしら?」

 ロザリアは不思議そうに首をかしげるジャスミンの頭上を指さす。ハスターはその人差し指の先を目で追うも、やっぱり何もありはしなかった。

「先ほどおっしゃっていた、私の頭上に見えるというものと同じですか?」

「同じは同じだけれど、少し違うわね。赤色は同じだけれど、ハスターの方は9999で、お母様は115、お父様が132ね」

 あらあらと頬に手を当ててジャスミンは首をひねる。

「何の数字でしょうか?」

「わからないわ。今日の朝から突然見えているのだけれど」

「心当たりは……なさそうですね?」

 そうよ、告げるロザリアの嘘を確認するも、ハスターの目にはロザリアの本気の顔しか映らなかった。

「ロザリー、数字が見えるといったかい?」

「あらお父様。お金はまだかしら?」

「今ようやく食べ終わったところだよ……それよりロザリー、それはひょっとしたら魔法かもしれないよ?」

「ハスターの空間魔法みたいな?」

「ハスター君の魔法よりは、僕の魔法の方が近いかな?僕の鑑定魔法も、同じような感じで数字が見えるんだよ」

「ああ、お父様の価値鑑定魔法ですか」

「……別に価値以外も見えるんだよ?ただ、職業柄価値をよく気にしているってだけで」

 金にがめついとロザリアに言われたと思ったのか、イールドはやや焦った様子で訂正した。

 イールドの魔法は「鑑定魔法」。目に映るものの詳細を見抜く魔法であり、対象は生命・非生命を問わない。そうして見えるものの中には、名前やその人の過去、植物であれば効能や用途などといった様々な情報があり、その一つに対称の「価値」が数値化されたデータがあった。魔法によって見た情報によって、イールドは魔法具という道具を発展させ、今やヴァンプス侯爵家は国で一番、そしておそらくは世界で一番といってもいいかもしれない大富豪へと成長していた。

 その莫大な金は、一人娘のロザリアに相続させることが決まっていた。爵位は男性が継ぐしかないため、婿養子となったロザリアの夫が、実質的に巨額の富と、ロザリアという高圧的かつ変人だが美人な嫁と、侯爵位を手に入れる。そのため、ロザリアの周囲には多数の男性が侍っていたのだった。もっとも、それもこのままでは今日で終わることになるのだが。

「魔法……これが?」

 回帰あるいは死に戻りを果たしたこのタイミングで魔法に覚醒したという事実。それにどこか引っ掛かりを覚えて首をひねるロザリアへと、イールドは鑑定魔法を発動する際の意識の仕方などを教授していた。ロザリアは全く聞いていなかったが。

「とにかく、今日は鑑定の儀式があるわけだしそこでの楽しみに――」

「ああ!」

 突然大きな叫び声をあげたロザリアに、イールドはぎょっと目をむいた。

「ロ、ロザリー?どうしたんだい?」

「え……と、うん、なんでもないわ」

 そう言いながら右の頬を撫でるロザリアは、やや恥ずかし気に顔に赤みを帯びさせていた。怒った様子ながら、その顔には照れと幸福感があって、イールドは目を白黒させた。

「ま、まさか……好きな男性でもできたのかな?」

「違うわよ」

 否定するロザリアの頭の中は、美少年神様でいっぱいになっていた。そして、神の前から消える最後の時の感触と言葉を、ロザリアは思い出していた。キスの感触と、そして。

「贈り物って言っていたかしら……」

「お、贈り物!?どこの誰だい!?僕の天使の心を奪ったやつは!?せっかくロザリーがハスター君のことばかり見ているせいで、他の男がちり芥のように見えるようになりつつあるというのに!」

「……ん?ハスターが、何かしら?」

「ロザリー、ハスター君は格好いいだろう?」

 イールドに問われて、ロザリアは思索をやめてハスターの顔をまじまじと見た。

 ぐっとハスターが強くこぶしを握る。何かをこらえるように。

「……そうね。そうだわ。それがどうかしたのかしら?」

 さも当たり前のように告げて、ロザリアがふいと視線を逸らす。その瞬間、ハスターは膝から崩れ落ちた。周囲の使用人たちから、同情の視線がハスターに集まる。

「そう!ハスター君がいるおかげで、ロザリーはたいていの美男子に対する耐性を獲得したのだよ!それによってロザリアを守るというわけだ!どうだい、完璧な作戦だろう?」

「……それはつまり、わたくしに恋をできなくしたということよね?」

「ち、違うぞ?僕はただ、ロザリーを美人局から守るつもりで……」

 鬼のような形相になったロザリアを見て、ハスターはロザリアの色気を中和して再起動した。ぽん、とその肩に手を置いてロザリアの凶行を食い止めれば、イールドから神を見るような目が向けられた。

 というか、イールドはハスターを崇め始めていた。

「え、ちょ、旦那様!?」

「もっと困りなさい!そしてわたくしを止めたことを反省しなさい!」

 ロザリアの高笑いが食堂に響いて――ふと、ロザリアは突然笑い声をひっこめた。

「……お父様。これだけ時間があったのだから、もうお金の用意はできているのよね?」

「僕はずっとここにいたんだよ?どうやって僕たちしか開けられない金庫からお金を取ってくるというんだい?」

「…………」

 冷え冷えとしたロザリアの視線を受けて、イールドは力強い動きで敬礼をして、きびきびと、しているようなしていないような動きで食堂を出て行った。

「……何よ?」

 どこか困ったような視線を向けるハスターをロザリアは睨み返す。

 無言のまま首を振られ、ロザリアは胸の内にわだかまる色々な思いをため息に変えて吐き出した。

「なんでもありませんよ」

「何でもない人はそんな顔をしないのよ。話しなさい。これは主人からの命令よ」

「……私の主人はヴァンプス侯爵ですので」

 ロザリアはキーッとハンカチを噛みしめて怒りを表現する。けれどロザリアが本気では怒っていないことを、ハスターは長年の経験から学んでいた。

 胸にくすぶる多くの思いを飲み込んで、ハスターはくしゃりと笑った。

「……ほんと、何なのよ」

 胸に手を当てながら、ロザリアは小さくつぶやいた。


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