2目覚め
「――ま、お嬢様。朝でございます」
扉の先から聞こえてくる声を目覚ましに、ロザリアはゆっくりと目を開いた。
最高級の羽毛布団はロザリアの体を柔らかく受け止めていた。優しく体を支えるそれは雲のようで、ロザリアは夢心地に転がる。ひどく、懐かしい思いがした。
『さぁ、思う存分に二度目の人生をやり直してくればいいよ』
夢うつつなロザリアの耳の奥で、少年神の言葉が響いた。
目を見開いたロザリアは、勢いよく起き上がって周囲を見回し、そこが自分の部屋であることを確認して、それから胸元に手を当てた。
「……傷が、ない?」
やっぱり、というつぶやきは、扉の向こうから聞こえてきた声にかき消された。
「お嬢様。いかがなさいましたか?」
「なんでもないわ。入ってもいいわよ」
「失礼いたします。おはようございます、お嬢様……どうして着替えていらっしゃらないのですか」
「だって面倒なのよ。だるくてだるくて」
やっぱり生きてる――声に出さずにそう口を動かしてから、ロザリアはだらけた体勢で、部屋に入ってきた青年に聞こえるように話す。それから、ロザリアは両手を広げて、近づいてきた青年を上目遣いで見る。うぐ、と青年は言葉を詰まらせ、視線をさまよわせる。
透ける布を重ね合わせた、天使の羽衣のようなネグリジェ姿の上目遣いは、青年の心にクリーンヒットした。浅黒い肌が、目に見えるほどに赤く染まる。青年は慌ててロザリアから顔をそらす。
にやり、とロザリアが片頬を吊り上げる。
「ほら、照れたわね。わたしの勝ちよ。だからさっさとわたくしを着替えさせなさい」
ロザリアの専属執事として仕える青年ハスターは、ロザリアとある勝負をしていた。それは、ハスターが仕えるべき主であるロザリアに照れを見せたら、罰として一つなんでも命令を聞くというもの。
ため息をこぼしたハスターは、負けを認めてロザリアに向かって人差し指を伸ばす。
【ドレスアップ】
その言葉とともに、ロザリアの体を柔らかな純白の光が包む。それは、魔法。
すべての人々に神が課すその者の人生の「命題」。それを達成することで手にすることができる不思議な力である魔法を、ハスターはすでに手に入れていた。空間魔法という貴重な力を、ハスターはまるで手足のように器用に扱う。
次の瞬間、ロザリアはネグリジェから学園の制服へと変化していた。自分の服装を見て、ロザリアが大きく口を引きつらせる。
紺色のブレザーに、同じ色のプリーツスカート。中に着るシャツこそ自由なものの、その二つに限っては一切の改造不可ということで、その安っぽさがロザリアは気に食わなかった。
そう言っても、銀糸で襟部分に蔓模様が縫われているなど、貴族が通う学園の制服だけはある高価なものなのだが。金こそ正義とする父に育てられたロザリアにとってそれは安っぽい服に過ぎなかった。
せめて金糸であればまだ許せたものを、などと心の中で呟きながら、ロザリアはハスターをにらむ。吊り上がった目は肉食獣のようで。強烈な輝きを帯びたロザリアの髪と同じ赤い瞳を向けられても、ハスターは平然とした様子だった。
「……ちょっと、どうして制服なのよ」
「旦那様曰く、本日くらいはちゃんと行くように、とのことです。ご不満でしたら、このような些事に私の罰を使わなければよろしいのです」
既視感を覚える会話に、ロザリアは首をかしげる。そのおかげで怒りはすっかり吹き飛んだ。
「……今日って、何か特別な用事があったかしら?」
「覚えていらっしゃらないのですか?今日は絶対に学園に行くものかと、昨日あれほど豪語されていたのにですか?」
「え、ええ?」
そんなことをしただろうかと、ロザリアは混乱した頭で考えて、ぽんと手を打った。
「始業式!」
「ええ。正確には入学式でございますが」
「……は?」
ハスターの修正を受けて、ロザリアは動きを止めた。ロザリアの驚愕の顔を見て、ハスターは小さく首をかしげる。今日の主人はどこか変だな、などと思いながら。
そんなハスターの思いなどつゆ知らず、ロザリアは頭を抱えていた。ぶつぶつと何かをつぶやくロザリアに慄きながらも、ハスターはさすが使用人というべきか、その内心を少しも見せずに、ぴんと背筋を伸ばしてロザリアの言葉を待っていた。
「今日っていつかしら?」
「……神聖歴364年の1月10日になりますが?」
声にならない悲鳴が、ロザリアの口から洩れた。今度こそハスターは取り繕いきれず、困惑を露わに何度も目を瞬かせて、ベッドにダイブしたロザリアの姿を見ていた。
「どういうことよ!?二年前!?」
「……お嬢様?二年前とは、どういうことでしょうか?」
行儀悪くもバタバタと天蓋付きベッドの上で足をばたつかせるロザリアに、ハスターは質問を投げかける。その瞬間、ロザリアはぴたりと動きを止め、ベッドに仰向けに寝転がった。
「やってられないわ……あの駄神め」
自称神様の美少年の姿を思い出しながらロザリアはぼやいた。
ハスターの言葉が正しければ、今は神聖歴364年の始まり。ロザリアが死んだ二年前であり、そして巫女という少女がこの世界にやってきた10日後だった。
今日、ロザリアは巫女と初めて会うことになるのだ。あの憎らしい黒髪の少女は、これからロザリアの取り巻きすべてを一瞬にして奪うことになる。何しろ、巫女は入学式にて挨拶をした際、その場にいた大半の貴族令息を魅了することになるのだから。
そこまで考えたところで、こうしてはいられないとロザリアは勢いよく起き上がった。
「……今日は奇行が目立ちますね」
「ちょっとハスター!?……って、あなた、何よそれ?」
驚愕の顔で指をさされて、ハスターはその先を視線で追う。位置は、ハスターの頭上、十センチほど上。だがどれだけ凝らしても、ハスターの目には何も映らない。
「……何もありませんが?お嬢様、もしかして寝ぼけていらっしゃいますか?場合によってはすぐに旦那様をお呼び致しますが」
「ちょっと、そこでどうしてお父様が出てくるのよ!?ただでさえ憂鬱な朝なのにあの髭攻撃を受けたら――って違うわよ!」
「旦那様ではなく奥様をお呼びするのがよろしかったでしょうか?」
「そうじゃない、そうじゃないわよ」
「……寝ぼけているのではなく、まだ眠っていらっしゃるのですか?」
「……もうそれでいいわよ」
まじめな顔で首をひねるハスターの言葉にがっくりと肩を落としたロザリアは、ベッドから降りながら再びハスターの頭上を見た。
そこには、赤い文字で「9999」という数字が並んでいた。