18ハスターへのお礼
「さて、ハスター。わたくしに頼み事はないかしら?」
いきなり使用人棟のハスターの自室にやってきたロザリアは、我が物顔で椅子に座ると同時に、ハスターの方を見てそんなことを聞いてきた。
「頼み事……ですか」
困ったように眉尻を下げるハスターが、どういう成り行きでしょうかと視線で問う。
「決まっているでしょう?わたくしの失態を予想して財布を持ってきてくれたこと、さらにはわたくしに財布を忘れさせることでストレス発散の場を与えてくれたお礼よ」
「前者はともかく、ストレス発散の場を作ったというのは偶然……というかそこに私の貢献はないと愚考しますが?」
「あら、前者はいいのね?明らかにわたくしの失態を予想したような動きだったのだけれど……昔から、あなたはまるで未来が見えているようにわたくしが危機的な状況にやってきたわよね。まあ今回は別に危機ではなかったけれど」
「幼いころからお嬢様とともにおりますから。このくらいは当然ですよ」
「あら、今度はわたくしの行動を予測できないとは言わないのね……まあいいわ。わたくしに感謝させなさい。さぁ、要求を言いなさい。お金?やっぱりお金よね?」
「どうしてそうお金を推すのですか?」
「だってお金があればたいていのことは何とかなるのよ?今回だってお金の力があったから諜報部隊を作ることができていて、影狼を動員して商店の実態を探らせることができて、商店を買収できたのよ?ほら、お金があれば何とかなるのよ」
「……本当にそうですか?」
「お金にはできないことがあると言いたげね。何かしら、言ってみなさいよ。わたくしがお金でできないことはないと証明してあげるわ」
完全に話の趣旨が変わっている中、ロザリアはぐいぐいと前のめりになってハスターの言葉を求める。甘い匂いがする、などと余計なことを考えて頬が熱くなるのを自覚しながら、ハスターは謝罪とともにロザリアの肩を推してソファに座らせた。
「そう、ですね……爵位、とかですか?」
「爵位!なるほど、なかなか大きなものを言うのね。良いわ、見ていなさい!わたくしがお金の偉大さを証明してあげるわ!」
鼻息荒く告げると、ロザリアは勢いよく立ち上がって部屋を飛び出していった。
「お嬢様、少しは落ち着いてください……」
背中に投げかけられた言葉は届くことはなく、ロザリアが廊下を走り抜ける足音だけが響いていた。
「お父様、爵位よ!」
「ロザリー!?突然どうしたんだい?」
部下と打ち合わせの真っ最中だったヴァンプス侯爵イールドは困惑の声を上げた。通常であればはしたないロザリアの振る舞いを責めるところだが、娘にダダ甘なイールドは「仕方ないなぁ」とノックもなしに部屋に入ってきたロザリアの行動を許した。
「爵位よ!ハスターが、爵位はお金で手に入らないだろうって、わたくしを挑発してきたのよ!」
「ハスター君がロザリーを挑発だって!?それは許せん!」
怒りをあらわにしたイールドが立ち上がる。イールドの対面に座る壮年の錬金魔法使いは目を白黒させるばかりだった。それからややあって、イールドの言葉を理解してぎょっと目を剥いた。まさか、娘可愛さにハスターという優秀な人材に再起不能な罰を与えるつもりかと。
そんな彼の考えは、けれど杞憂に過ぎなかった。
「やるぞロザリー!お金の偉大さをハスター君に見せつけてあげよう!」
「さすがはお父様!」
がし、と握手を交わす親子を見て、ああこういう家庭だったと錬金魔法使いの男は遠い目をしたのだった。
恐るべき速度で打ち合わせを終わらせて錬金魔法使いを退出させてから、ロザリアとイールドは顔を突き合わせて話し合いを始めた。
「そもそも、どういう流れでそんな話になったのか聞いてもいいかな?」
とりあえずことの詳細を訪ねておこうかと思ったイールドに、ロザリアは首をひねって話の始まりを探って、ぽんと手を打った。
「ハスターに何か欲しいものはないかって聞いたのよ!」
「それでハスター君は爵位が欲しいと……なるほど?これは罰が必要かな?」
娘はやらん、とイールドは心の中で叫んだ。
「罰?何を言っているのよ?」
「んん、なんでもないよ。それで、ハスター君が爵位を欲して、それをお金で買ってあげると言ったら不可能だと言われたってところだね?」
「違うわよ?」
きょとんと首を傾げたロザリアの言葉に、「あれぇ?」とイールドもまた首を傾げた。
「違うの?」
「そうよ。ほしいものはやっぱりお金よね、ってわたくしが話したら、どうしてそんなにお金を主張するんだってハスターが言って……で、お金はなんでも可能にするのよっていう話になったところで、じゃあ爵位はどうなんだっていうことになったのよ。これはハスターからわたくしへ、ひいてはお金への挑戦なのよ!」
「……うん、ハスター君は無実だったね」
「さっきからお父様は何を言っているのよ?」
「何でもないよ……うん。爵位だね……お金に困っている貴族はあったかな?」
「旦那様、ラズライト男爵が洪水による打撃を受けて基本となる農耕が壊滅的な被害を受けております」
ゆらりとイールドのさ側に歩み寄った初老の家令が告げる。
「子どもはいたかな?」
「此度の洪水によって亡くなっております。男爵は今年で35歳で、そろそろ跡を継がせようかと考えているところだったといいます。意気消沈して、現在ではもはや寝たきりの生活になりつつあるということです。近い親族もおらず、このままいけばラズライト男爵家は取りつぶしが決まるでしょう」
「ラズライト男爵……ねぇ、その家の領地ってずいぶん昔に技術的に発掘が困難だって言って放置してた銀山がなかったかな?」
「……そのような記録自体はございますね。信憑性はありませんが」
「まあうまくいったら棚ぼただってわかっただけで十分だよ。……さて、ロザリー」
「わかってるわ。買うのね?」
「そうだよ。イールド君本人に爵位……はやめておこうか。ここは誰かにラズライト家の養子になってもらって、イールド君にはさらにその養子になってもらえばいいね。誰か爵位を与えたい子はいるかい?」
「……そういえばシトリンにお礼をしようと思ってすっかり忘れていたわ。お金でもいいけれど、どうせなら驚かせるのもいいわね」
ガストロハウスに同行させたメイドのことを思い出し、ロザリアは彼女の名前を挙げた。
「シトリン?……ああ、最近新しく雇ったメイドだね。確か彼女は25歳だったかな。ハスター君とは十歳差か。いいんじゃないかな」
にやりと怪しく笑った二人が握手を交わす。それから一週間後、事の元凶といえなくもないハスターの転移によってラズライト男爵領へと足を運んだイールドは、そこで床に伏したラズライト男爵と契約を交わし、領民の生活を保障する代わりにシトリンがラズライト家の養子になることになった。
それからすぐ、魔法具を駆使した開拓や灌漑整備が進められ、さらには銀山の発掘が行われるようになる。これによって、ラズライト男爵領は生まれ変わったような活気に包まれることとなった。
月末。給金が入った紙袋を渡される中、シトリンはメイド長から手渡されたA4サイズの書類が入りそうな封筒を見ながら、自分だけどうしてこのサイズなのだろうかと首をひねった。
「お嬢様からのご褒美だそうよ?」
いぶかし気なシトリンに気づいたメイド長は、どこかあきらめを含んだ声音で告げるとともに、ぽんとシトリンの肩を叩いた。
恐る恐る震える手で紙封筒を開いて出てきたのは、美しい装飾の施された、ロイド王国の国章が刻まれた厚紙。震える手で、二つ折りのそれを開いて。
シトリン・ラズライトという名前と家紋を見て、シトリンは頭が真っ白になった。
「おめでとう。今日からあなたは貴族の仲間入りよ?」
全く祝っているように聞こえないメイド長と、驚愕に目を見開く同僚たちの視線をどこか遠くのことに感じながら、シトリンは大きく息を吸って。
「どういうことですか、お嬢様~~!?」
屋敷中に響くかという悲鳴がシトリンの口からほとばしった。
「そんなわけでハスターは男爵令息になったのだけれど、あまりうれしそうじゃないのよね」
ロザリアはその日、久しぶりに王国に帰還したという昔馴染みに会いに街に出ていた。海のように深い青色の髪と瞳を持つマリリン・ルフゼンブルグとの話題は、シトリンおよびハスターの爵位獲得だった。
「なるほどね……私がいない間に随分とはっちゃけたのね?」
「そうかしら?……そんな気がしなくもないような……?」
どこか懐かしそうに目を細めてマリリンを見ながら、ロザリアは首を傾げた。ロザリアとマリリンの再会は、ロザリアの意識の上では実に二年ぶりのものだった。マリリンは王立学園に通う代わりにロイド王国の隣に位置する、小国ながら薬学が盛んでその名をとどろかせているグリザイユ王国へと留学していた。
けれどそれもつい先日までの話。ロザリアが引き起こしたガストロハウスの一件で、ロイド王国とグリザイユ王国の間には大きな亀裂が走ったのだ。それこそ、留学者を追い返すほどの。
「全く、よくも両国の関係を悪化させてくれたわね。せっかく留学のチャンスをつかんだっていうのに……」
「でももう四か月近くになるでしょ。マリリンなら十分な時間だったんじゃない?」
「だからマリリンじゃくなてマリーって呼んでって言ってるのに……はぁ、まあ十分に知識は得てきたわよ。それに向こうの書物も買い集めたわ。どうせそう遠くないうちにつぶれるような国だったし、少し帰国が早くなっただけだと思えば許せるけれど……はぁ」
ため息を吐くマリリンはウェーブのかかった長い髪をかき上げる。そうしてあらわになった顔は、ロザリアそっくりだった。色を抜きにすれば鏡に映したようによく似ている二人は、それもそのはず、血の繋がった従姉妹だった。ロザリアの母ジャスミンの妹が、ロザリアの母だった。そのために二人は幼いころから顔を合わせる腐れ縁だった。
誰の性格を受け継いだのか、二人とも高圧的な振る舞いや貴族から片足を踏み外したどこか型破りな性格はそっくりで、同族嫌悪ゆえかあまり二人で顔を合わせることはなかった。だからどこか毒の抜けた様子のロザリアを目の前にして、私たちはこんなん仲だったかしら、とマリリンは内心で首をひねるばかりだった。
「まあ王位継承権争いで麻薬をばらまくような王子がいる国は勝手に自滅させておくとして、よ。マリリンはハスターのことをどう思う?」
「さぁ?もっと高い爵位が欲しかったとかじゃないかしら?」
「ああ、その線も高そうね。後は冗談のつもりだったとか、そういうのじゃないかなと思うのだけど……」
そう話しながら、ロザリアはちらりと遠くに座っているハスターの方へと視線を向けた。今日は女子だけの秘密の話だと言って、ロザリアはハスターを遠ざけていた。もっとも、ロザリアの護衛でもあるハスターは店内への同行を求めて、このような形になっていた。
「私は絶対、釣り合わない爵位をもらったせいだと思うわ」
「そうよね。平民がいきなり明日から貴族になりますなんて言われても、釣り合わないとか肩身が狭くなるとか、そんな思いばかりよね」
「……どうして一歩も進んでいないのよ?」
がっくりと肩を落としたマリリンがちょいちょいとロザリアを手招きする。不思議そうに眼を瞬かせたロザリアが机に身を取り出してマリリンに顔を近づける。
青い瞳を見ながら「きれいよね」とぼんやり思っているうちにマリリンの吐息が耳にかかって、ロザリアは小さく悲鳴を上げた。
「……デートにでも付き合ってあげなさい」
「……どうしてよ?」
「わかったわ。命令するわ。私から留学期間を奪った罰として、あなたはデートを実行しなさい。期限は来週。会ったときに何をしたか聞かせてもらうわよ。せいぜい私の娯楽になりなさい?」
勢いよく紅茶を飲みほしたマリリンは、「じゃあこれで」と一方的に告げると、ロザリアの返事を待たずに走るように去っていった。
去り際に、ハスターにウインクを一つ残して。
「……お嬢様、マリリン様は何か急用でも入ったのでしょか?」
尋ねても返事がなくて、そこでようやくハスターはぐるぐると目を回すロザリアに気づいた。
「お嬢様?」
ハッを我に返った様子のロザリアは周囲を見回し、やがて苦々しい表情をした。それから探るような目でハスターを見上げて、ためらうように口を開閉させる。
それから突然両手で頬を張り、頬を赤くしながらロザリアはびしっとハスターに指を突き付けた。
「デートをするわよ!」
瞬間、ハスターは世界が凍り付いたような衝撃に襲われた。
ハスターが息を吹き返すまで、実に一分近く。周囲からの視線を感じながら、ロザリアはハスターに人差し指を突き付けた体勢で、顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。