17ロザリア、あるいはヴァンプス家の本領
「キグナス、いるかしら?」
屋敷の一角、不自然に人気がない廊下を進んだ先の部屋へとロザリアは顔をのぞかせた。
「ようこそ、お嬢様」
部屋の奥にいたのは、白髪の老人。髪色にこそ老いを感じさせるが、体から立ち上る強烈な気配とその身を包む筋肉からは、一切の衰えが感じられない。鋭い眼光がロザリアを射抜いた。
ヴァンプス家が抱える世界最高を誇る隠密・諜報部隊「影狼」。それはヴァンプス家が開発した魔法具を使う恐るべき隠密能力を持った組織であり、ヴァンプス家が多くの貴族たちからの嫉妬を一身に浴びながら存在し続けられている理由でもあった。ヴァンプス家の陰の矛にして盾。そのリーダーを務めるキグナスは、ゆっくりと立ち上がって部屋の中央にあるテーブルへと進み出た。
「お待ちしておりましたぞ」
「それじゃあもう情報はそろっているのね?」
ロザリアが楽しそうに笑えば、キグナスもまた凄みのある笑みを浮かべて見せた。ギラリと輝く銀色の瞳は、テーブルに並べられるいくつもの書類を視線で指し示す。
「叩けば叩くほど埃が出ますな。恐喝、麻薬売買、禁制品の所持、違法な金利の金貸し……おそらくは隣国の暗部ともつながりがあるでしょうな」
「この国を内側から破壊する害悪ってことね。で、これだけ証拠を集めながら動いていないってことは?」
「ええ、お嬢様がお望みでしたら、ここは一発どでかい花火でも上げようかと思いまして」
「いいわね。最高よ。ヴァンプス家に喧嘩を売るべきではないと他者に知らしめないといけないわね。それで、どうするのかしら。せっかくだからこちらはできるだけ合法な手段がいいわね」
すっと差し出された一枚の計画書を見て、ロザリアはにやりと口の端を釣り上げた。それからロザリアとキグナスはがっしりと固い握手を交わした。
二人の笑みが悪魔じみたものだったのは、語るまでもないことだった。
「どうなっているんだ!?」
ウルティマ・フーリーデン、ガストロハウスという飲食店を手掛ける男は、部下がもたらした報告に目を通すなり唾を飛ばした。
「なぜだ!どうしてすべての仕入れ先が突然販売を拒否するような事態になるのだ!?」
報告書には、これまで仕入れ契約を結んでいたすべての農家や組合から契約を破棄されたと記載されていた。かつてない危機を前に、男は目の前で体を小さくする部下をにらんだ。
部下の男は男のでっぷりと太った腹部を見下ろして視線を合わせるのを避けながら、ぽつりぽつりとつぶやくように話し始めた。
曰く、店主の悪評が広まっている。それを耳にした者たちが一斉に手のひら返しをしていて、違約金の支払いも辞さず、さらには後任のあても見つからない状況であると。
「悪評とはなんだ!?」
「それが、その……訪れた貴族令嬢を罵倒して愚弄したこと、その令嬢がヴァンプス侯爵令嬢であったこと、さらには店主様が業務以上のことなど一切やらないと告げたことが反響を呼んでいるようでして……」
脳裏をよぎった赤髪の勝気な令嬢。ロザリアの冷え冷えとした目を思い出して、男は苛立ちに任せてテーブルを強くたたいた。
「どういうことだ。あの傲慢な貴族令嬢を貶めることなど些細なことだろう?むしろ民衆は無駄飯ぐらいな令嬢が恥をかく話をして歓喜するのが普通だろうが!それに最後の私の言葉の一体どこが問題なのだ!?」
「まず、ヴァンプス侯爵ですが、一家でこの国の最大派閥と呼ばれるほどの力を有した貴族家ですね。そしてヴァンプス侯爵令嬢は、そのただ一人のご令嬢だとか」
「……その程度は知っている。莫大な金を持った権力者ということだろう?早速崩しがいのある太った豚が引っ掛かったわけだ」
「いえ、それが、ヴァンプス家は魔法具によって成り上がった家らしく、有する騎士団はロイド王国内最強、その隠密部隊はこの国の中の秘め事を余すことなく暴き、さらには押し寄せる悪意をはねのける最高の集団だということで」
「……ふん、だがたかが一貴族だ。いくらでも切り崩せる。それよりも私の言葉の方だ。一体どうあって仕入れが滞ったというのだ」
「それは、商会が仕入れの際に行う礼儀のなっていない振る舞いがあまりにも目について、とのことです」
「…………何の話だ?」
「ガストロハウスに商品を運搬することを強要すること、運搬から数日経ってから傷んでいたからと小さな傷がついているような商品の取り換えを求めること、金は崩してほしいという言葉を無視して聖銀貨や銀貨などでまとめて支払いをすることなどでしょうか。そのほか細かい苦情も届いているのですが」
「それのどこが問題なのだ……?」
心からわからないと言いたげな顔で、店主は首をかしげる。部下の男の口元が引きつる。唇を戦慄かせる男の目には怒りが宿っていた。
「本当に、わかっていないのですか?これでは店主様がおっしゃったことを私たち自身が行っているのですよ!?仕事以外は何もせず、業務の一部すら取引相手に押し付ける屑商店って、陰でそう罵倒されているのですよ!?……厚顔無恥にもほどがありますよ!」
おい、と低い声で告げた店主の言葉に合わせて、扉の奥から屈強な男たちが現れた。
「そいつを地下へ連れていけ」
歯向かうものはいらない――そう告げられた男は、屈強な護衛たちに拘束された扉の奥へと姿を消した。
「……始まったわね」
ガストロハウスの対面にある喫茶店にて、ロザリアは紅茶片手に窓ガラスの向こうで起こった騒動を見つめていた。
満身創痍の状態で地下牢から脱出した男――脱出にはもちろんヴァンプス家の隠密部隊「影狼」が手を貸している――が、ガストロハウスおよびその店主の悪行を民衆に語って聞かせていた。その傷と、ガストロハウスの従業員の服装、さらには彼を黙らせようとやってきた屈強な男たちが有無を言わせずに男を取り押さえたことが、男の話に説得力を持たせた。
そのうちに衛兵がやってきて、暴力の現行犯で男たちを捕まえる。今にも倒れてしまいそうな男は、けれどこの場から移動して衛兵の詰所で証言をすることをよしとしなかった。彼は、ガストロハウスの力を知っていたから。このまま人気のないところまでいけば証拠を隠蔽されるかもしれないと、彼はふらつく体で集めてきたいくつもの証拠を手にもってその場で掲げて見せた。
麻薬に、禁制品、奴隷契約のごとき契約書に、利子10割の契約書、同業他社に圧力をかけることを目的とする裏社会との取引の証文。次々と鞄から取り出されるそれらは、最後には男の手によって周囲へとぶちまけられることになる。慌てる衛兵の一人をよそに、善良な通行人はそのひどい書類を見て息をのみ、今すぐに店主をとらえるように叫ぶ。
正義感に突き動かされた者たちは一人また一人とガストロハウスの前で叫びだし、やがて更なる衛兵が動員され、ついにはガストロハウス内に踏み入ることを決めた。
そうして無数の悪行の証拠――こちらも侵入した影狼によって発見しやすい場所へと移動済みだった――が発見され、わめき散らす店主や絶望の顔をした従業員はとらえられて詰所に引きずられていった。
それから数日後、荒れ果てたガストロハウスにそれでも残っていた無実の料理人たちは、暴行を受けた男がとりなした契約によって、ヴァンプス家という資金源かつ後ろ盾を手に入れて再起を図ることになった。
この作戦のミソは、一般の民には自浄作用によって商店が健全化したというように見せることだった。けれど貴族たちは、つぶれかけの商店に資金を投入したヴァンプス家へと視線を向けることになる。ヴァンプス家が何らかの工作をして喧嘩を売ってきた店を乗っ取った――貴族たちにそう思われることが手に取るようにわかって、ロザリアは目の前の包み焼きを切り裂きながらにやりと笑って見せた。
場所はガストロハウス。ヴァンプス家の力によってあっという間に再建されたそこで、ロザリアは開店記念式典の主賓として料理に舌鼓を打っていた。
切り刻まれた料理は、元ガストロハウスの末路を表しているようだった。
「お嬢様、はしたないですよ」
「あなたも楽しかったでしょう?すごかったわね、あの男。自分には金がある、グリサイユ王国の公爵が黙っていないぞ、だそうよ。落ち目の王国……敵国の名前を王都で叫ぶなんてすごいわよね。きっと素晴らしい尋問が行われるわね」
そう告げて、ロザリアはずたずたに切り裂かれた料理を一つずつ口に運んでいく。
「……全く、ただ財布を忘れただけで本当にこのような大事になさるとは思いませんでした。せっかく財布を忘れないようにとご忠告申し上げたのですが」
「そうね、ハスターが忠告してくれたおかげで、確認して取り出したまま机の上に忘れていったものね。おかげで楽しかったわ……って、ちょっと待ちなさい。今、元から私がこのようなことをすると思っていた、みたいなことを言わなかったかしら?」
「気のせいではないですか?いくらお嬢様のことならおよそ何でも知っている私とて、お嬢様が未来にどのような行動をなさるかを見抜くことはできませんよ」
「私の目を見て言いなさいよ」
振り返ったロザリアは、相変わらず視線をあらぬ方向にそらしたままのハスターを見て、まあいいわと呟く。
「おかげでストレス発散になったわ。それに、これでしばらくはヴァンプス家に余計なちょっかいを出してくる家もなくなったでしょ。あと、私に面と向かって暴言を吐く子もいなくなったわ」
「代わりにひどく怯えたまなざしを向けられるようになっておりますが、よろしいのですか?」
震える子猫の視線なんてそよ風みたいなものよ――そう言って、ロザリアは最後にやってきた杏仁豆腐を口にして顔をほころばせる。
「他家を抑えて、この料理のレシピも手に入れて、分不相応にわめき散らす者たちを黙らせる……完璧だったわね」
怪しく笑うロザリアを見て、ハスターは深くため息を吐いた。
「ああ、もう一つ収穫があったわね」
近づいてくる新店主を見ながら、ロザリアは目に意識を集中させた。
元店主の命令で暴行を受け、そしてガストロハウスの実態を暴露した男は、新たな店主として収まっていた。
そんな彼の頭上には、246という好感度が示されていた。
ハスターを覗いて過去最高数値に――両親よりも高いという点に思うところがないわけではないが――ロザリアは満足げに頷いた。
「今後の活躍を期待しているわ」
恭しく頭を下げる男を見ながら、さてどう活用しようかと、ロザリアはうすらと笑いながら思いを馳せた。