不惑に惑いまくり ~奴隷乙、40になるってよ~
史実のエピソードに関してはうろ覚えなので、細かく突っ込まれると出てきません(笑)
歴史は好きな方ですが、詳しくはないので、間違いなどあればご指摘くださいm(_ _)m
Google様からお知らせが来まして
ピローン「もうすぐ誕生日ですね。待ち遠しいですね。」
はい、スマホ片手に数秒、時が止まった私です。
そのまま時間渡航出来たらいいのに(つд;*)
もうね、30過ぎ処か20後半くらいから自分の誕生日に嫌悪感しか無いんですよ。それが、ついに40ですよ。高校生のころ、真面目に友達に不摂生を心配されたときに。
「俺は30で死ぬから問題なし、そもそも、それ以上おっさんになった俺なんて考えられん」
なんて言ってたのに(^-^;
さてはて、ホントに考えられんですよ(笑)
さて、タイトルですが、私は孔子は嫌いなんですが(笑) まあ、でも論語は読んだりしてみたり、流し読みだったり(笑) で、世間一般でもわりかし知られているんだと思うのが、この不惑の元ネタですよね。
まあ、元ネタは知らないけど不惑=40歳は知ってる、または不惑って言葉じたい初見って方も多いかとは思います。
子曰、
「吾十有五而志于学。
三十而立。
四十而不惑。
五十而知天命。
六十而耳順。
七十而従心所欲、不踰矩」。
はい、唐突ですが、これが元ネタですね。
孔子が自身の人生を振り返って年齢に応じてどんな心境になったかを述べたものです。
15歳で学に志を立てて
30歳で己の道に立って
40歳になると惑うことが無くなり
50歳で自分が生まれた天命を知って
60歳になると批判にも素直に従えるようになり
70歳には欲望のまま行動しても、規範をはずれなくなった
うん、素晴らしい言葉ですね、言葉だけなら(笑)
実際の孔子は承認欲求と自己顕示欲が強く、批判には頑なで、頑固者でしたからね。
孔子のダメダメエピソードは一杯ありますが、それでも支配階層に都合の良い儒教思想が取り込まれる中で、孔子も持ち上げられて後世に名を残した。
徳治を説いて、下克上の時代に徹底した階級の秩序を説いた孔子自身が庶民階級出身というのも、不思議な話ですよね。
三城の壁を崩したり、暗殺を阻止したのに「ハレンチな格好はいかん」って理由だけのラッキーで、その上に遣えてた当主は暗殺者のハレンチな格好に鼻の下伸ばしてたから、そのあと覚えが悪くなるとか、炊き出しのために弟子が作った鍋をわざわざひっくり返して「こういう徳の高い行いはしもじものものがやっちゃいかん」とか言ったり。
色々と面白いですよね、孔子。
暗殺を阻止したときも、普段は階段を一段づつ両足を揃えながら昇るんですね、孔子は、それが作法だからって。 だけど、その時は女性の扇情的な服装に「なんだ、あのけしからん服装は」
って怒って、階段を一段一歩で昇ったって書かれてるんです(笑) 当たり前だよ(笑)
同じ時代の晏嬰には、孔子が斉に仕官を望んで来たさいに冷たくあしらわれてますよね。
「雇えば階段の昇降から礼の仕方までいちいち口うるさく指示されるだけだ」
そうバカにされてます。
まあ、孔子はこの事を恨むと同時に彼への尊敬の念から見返してやろうと頑張ったんですよね。
無事、斉に仕官して晏嬰の鼻をあかしたと喜んだ時には故人になっていて、悔しがったようですし。
因みに晏嬰は中国史で私が好きな人物の2番目です。前線に出ずに逃げようとした主君の袖を掴んで破ってしまい、切り殺されそうになったときに
「私は切り殺されても構わない。臣を切る勇気を持って前線に立ち、兵を鼓舞してくだされ」
そういって刃の前に身を晒したエピソードとか最強です。
残念なのが「お前を切る勇気もないから、このまま逃げる」と返されてしまったことですかね(^-^;
孔子さんは40で惑いが無くなったなんてカッコいいこと言ってますが、本当は誘惑が多くて
「いや、惑っちゃいかん、いかんったらいかん」
って、自戒した言葉なんじゃと邪推する、ダメなおっさんです(笑)
まあ、とても惑わずなんて言えませんが、一本、筋の通った話をしていけるように精進してまいります。
はー、歳とりたくない(笑)