023:分からない
「おはよう、しぃくん」
教室に入ってくるなり、凛音は俺の机までやってきた。
この学校に入学してから、女の子から俺に挨拶をしに机までやって来るのは初めてのことだった。
その光景は、クラスメイトからはとても異質に見えたのだろう。
しかも、「しぃくん」なんて呼ぶもんだから、周りがこちらを見ながらザワザワとし始めた。
さらに詩庵に話し掛けたその相手が、昨日久しぶりに登校してきた凛音だったのだから、事情を知らない人たちの目からしたら、いつの間にそんな仲になったのか不思議がることは当たり前の事だろう。
「あ、あぁ。おはよ」
俺が挨拶を返すと安心したのか、自分の席には行かずにそのまま話をし始める。
「昨日しぃくんが帰ったあと、お母さんが『あの子は彼氏なの?』って聞いてきて大変だったんだよ?」
「お母さんには勘違いさせちゃって申し訳ないな」
「別にそれは良いんだよ。ちなみに私はどう返したと思う?」
ニヤリと笑いながら、弓削さんは「ほらほら」という感じで回答を促してくる。
物静かで、1人で読書をしていた弓削さんが、まさかこんなにも意地悪キャラだったとは想定外だ。
つか、なんでこんなに恥ずかしい質問を朝イチの教室でしてくるんだよ!
痛い! 周りの視線が痛いから!
「――うーん。分からないなぁ」
こんな無難な返事しか出来ないわ!
こちとら教室で女の子と会話するなんて、中学時代に美湖とした以来なんだからスマートな返事なんて出来るわけないだろ!
「じゃあ、お昼のときにでも、詳しく説明してあげるね。さて、そろそろSHRが始まりそうだし、自分の席に戻ります。じゃあ、今日も一日頑張りましょう」
凛音は笑顔のまま手をひらひらと振って、自分の席まで戻っていった。
すると、すぐに不破柳さんが凛音の元へ向かって、「ねぇ、どういうことなの?」と色々と質問をしていた。
他のクラスメイトも気になっていたのか、そちらへ意識を集中させているらしい。
意外だったのが、美湖も凛音と不破柳さんの会話が気になっているようだったことだ。
自分の嫌いな人間が、小柄で可愛らしく、大人しいクラスメイトの女の子と話していて心配でもしたってところかな。
あぁ〜あ、本当なら美湖ともまた仲良く話がしたいんだけどな。
何を隠そう俺は未だに美湖のことが好きなのだ。
確かに俺は嫌われているのだろう。
だけど、子供の頃から中学までの美湖のことを忘れることが出来ないのだ。
自分でも女々しいのは分かってる。
それくらい分かってるけどさ、そんなに簡単に想いを消すことなんて出来ねぇんだよ。
―
その日の昼休みに、俺と黒衣は旧校舎の屋上に来ていた。
しかし、今日はいつもと違って凛音も一緒にお昼ご飯を食べることになった。
「不破柳さんたちと食べなくても良かったのか?」
「大丈夫だよ。いつも6人くらいで食べてるし、私が一人いなくても全然問題はないと思うよ」
「俺と一緒にいることで、凛音の学校生活に影を落とすようなことがあったら、ちょっと申し訳なさすぎるんだよな……」
「えぇ、詩庵様と仲良くしてくださるのは嬉しいのですが、私もそこが心配です」
「ありがとう、2人とも。だけど大丈夫だよ。この程度のことで、私と距離を置くような人たちはお友達とは言えないし」
会話するほど、今まで抱いていた弓削凛音像が崩れていくのが分かった。
こんなにも自分の意見をハッキリと言える子だったんだな。
「凛音が大丈夫なら俺は問題ないよ。まぁ、俺たちと一緒にご飯食べてくれてありがとな」
「変なしぃくんだね。別に感謝されるようなことはしてないよ。私が一緒にご飯を食べたいと思っただけなんだから」
「おけ。じゃあ取り敢えずご飯でも食べようか」
凛音の真っ直ぐな言葉を聞いてしまい、俺の顔は恐らく真っ赤になっていたことだろう。
俺はそれを誤魔化すためにも、お弁当を広げるや否や大口を開けてお米を頬張った。
その姿を見た、凛音と黒衣は顔を見合わせて、「くすくす」と微笑んでいる。
そして、その後は何気ない日常会話をしたのだが、クラスメイトとこういう何気ないやり取りは高校に入って初めてだったので、思ったよりも楽しんでいる自分がいたのだった。
「そういえば、しぃくんと久遠さんってどんなご関係なの?」
「ゴフォッ! ゲフンゲフン」
「うわぁ、詩庵様! お茶を、お茶をお飲みください!」
急に美湖の話を振られた俺は、口に含んだお米を喉に詰まらせて、盛大に撒き散らしてしまった。
黒衣にもらったお茶を急いで飲んで、やっと落ち着くと「なんだって?」と改めて聞き直す。
「えっとぉ……。しぃくんと久遠さんってどういう関係なのかと思ってさ」
「いや、関係も何も、俺は久遠さんと学校で話をしたこともないんだけど」
「確かに久遠さんはいつも真田さんや秋篠くん、北条くんと一緒にいるよね」
真田万歌那さんは、中学生の頃の同級生で、美湖の親友だ。
俺とは中学で知り合ったんだけど、どうやら美湖とは古くからの友人だったらしい。
そして、秋篠雄馬と北条陽春は、美湖や真田さんとといつも一緒に楽しそうに話している、イケメン2人組である。
男の俺から見ても、かっこいいなって思うくらいなので、異性からしたらもうメロメロになってしまうのも頷ける話だ。
しかし、俺は美湖が別の男と仲良さそうに話している姿を見るのが苦しくなるので、極力その光景を見ないように努力をしている。
「だろ? だから、俺と久遠さんの関係を聞かれても回答に困るんだよな」
「うーん。だけど、久遠さんは結構しぃくんの方を見てるんだよね。――なんか気にかけているような感じがするというか」
美湖が俺のことを気にかけている?
そんなことがあり得るのか?
だって、俺が話し掛けようとしたら無視して秋篠たちの方へ行ってたし、未だに俺が送ったNINEも既読にならないんだぞ?
つか、絶対にブロックかなんかされてるだろ。
そんな俺のことを気にかけてるってことがある訳ないだろ。
どちらかというと、俺のことを見て憐れんでるか、嘲笑っているって感じの方が今となってはしっくり来るのだが。
はぁ、こんな対応されてるのに、俺はなんで美湖のことがまだ好きなんだろうか……。
「あっ、でも私の勘違いだったのかも知れないかな。だから気にしないで」
よほど落ち込んでいたのだろうか、俺の態度から絶対に何かあっただろって思っているにも関わらず、勘違いだったかもとフォローをしてきた。
俺の隣では、ずっと俺のことを見てきた黒衣が、心配そうな顔をして俺のことを見つめている。
黒衣のことを安心させるために、俺は黒衣の頭を撫でて「大丈夫だから」と伝えた。
「正直に言うけど、美湖――久遠さんとは小学生からの幼馴染だったんだよ。だけど、高校に入ってからは疎遠になってるって感じかな。だから、今の関係を聞かれたら、無関係って言うのが一番しっくり来るかもな」
「そうなんだ……。急に変なことを聞いてしまって、本当にごめんなさい」
「本当に気にしないでくれ。それより、なんでそんなことが気になったんだ?」
普通に気になったので、聞いてみると「内緒です」と答えて、頬を染めながら軽く舌を出す。
その姿が可愛らしくて、俺はちょっとドキリとしてしまった。
―
帰りのSHRも終わったので、俺はいつも通りさっさと帰宅しようと席を立つと「しぃくん一緒に帰ろう?」と凛音が俺の席まで近付いてくる。
そして、俺は見てしまった。
凛音の後ろにいた美湖が俺のことを見ているところを。
俺が視線を向けると、すぐに顔を逸らして真田さんの方へ行ってしまったが、恐らく勘違いではないはずだ。
凛音が言ってたのは勘違いとかじゃなかったのか?
俺には美湖が何を考えているのか何も分からない。
しかし、美湖のあの表情は何かを我慢している時の表情と同じだった。
子供の頃から変わってないんだな。
今思い返すと、中学の卒業式の日もそんな表情を浮かべていた気がする。
俺はあいつが苦しんでるなら、今すぐにでも助けてやりたいと思っている。
何か俺にできることがあるなら、全力で手助けをするだろう。
だけどな、お前が俺のことを拒絶する限り俺には何もできないんだよ。
「しぃくんどうしたの?」
凛音に話し掛けられていたのをすっかり忘れていた。
「あぁ、なんでもない。じゃあ、途中まで帰ろうか?」
「うん!」
俺は美湖に複雑な感情を抱きながらも、何もできない現実にモヤモヤしながらも、凛音と一緒に家路に向かうのであった。




