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黒の皇后  作者: 小松しま
9/21

 翌日目が覚めた時、希望はあまりの眩しさに一瞬、事態の把握が出来なかった。

(……ああ……)

 しばしもせず、噛み締めるように実感する。

「よろしゅうございました、ようやくお目覚めですのねっ」

 いつもの女官が、案じ顔で覗き込んで来た。

「……あ、お、……早う、ございます……」

 女官と後ろに控える侍女たち一同が、ドレスの裾を持ち上げて、一礼する。

「昨日は、お夕食も召し上がっておいででございません……。ずっと……お休みのままで……。案じておりました」

「……申し訳ありません……」

 希望は、苦笑しながらゆっくり起き上がった。

 案の定、少しふらつくが、女官が手慣れた様子でクッションを並べて、楽な姿勢を作ってくれる。

「随分、寝たんですね……。でも、まだ……何だか、寝足りないような感じがします……」

「……御存分にお休みくださいませ。お疲れがたまっていて当然でございましょう」

 労る言葉に、希望は目を細める。

 地下牢にあった時と比べて、彼女の口調にも、柔らかな安堵が滲んでいた。

 幽閉生活の中では、いつもいつも、切なく切羽詰まった気負いが漂っていたものである。

 無論、それは彼女だけでなく希望も同様だったのだろう。

 女官は、もう一度休む前に、少しでも食事をするようにと、湯気を立てるスープや、オートミール粥に果物と言った病人食を並べてくれたが、空腹なはずなのに、希望はそのほとんどを食べられなかった。

 ただただ睡魔に襲われて、食事が下げられたことすら認識しない内に、彼は眠りの園へ心を漂わせたのだった。



 昼近くになって、ようやく二度寝から目覚めた希望は、アルビオレとテレイシス、そしてイレーネの訪問を受けた。

 イレーネは、巫女姫に相応しい典雅な装束を纏っているが、特使たちは昨日とは比べものにならない身軽な服装で現れる。

 テレイシスなど、長い髪……何でも、ストレートのそれをただ背に降ろすのは、「かんなぎ」か、極めて高位の聖職者にのみ許される特権だそうだ。希望の髪が移動の際に、延びていたのも、そうした慣例へのローディアナ神の配慮だったのかもしれない……を一つに束ねており、一層の親しみやすさを感じさせていた。

 意外にも、訪れたのはこの三人のみだ。

 さすがに、明後日が正式な婚礼とあって、宰相以下の重鎮たちはてんてこ舞いであるらしい。

 などと、当の主役である希望が、呑気に受け止めるような問題でもないだろうが、それでも、特別準備しなければならないこともない身だ。

 儀式の作法等を学ぶ必要はあるだろうが、まあ、それぐらいは、周囲が配慮してくれるだろうと、高をくくっている。

 幽閉中にも、式典のための仕度は着々と進められていたと言う。

 あれだけ希望を嫌うスウェイワナ王だが、「かんなぎ」を伴侶に迎えるためのメリットを享受するつもりは充分あるのだろう。

 何とも複雑な気持ちがあるが、勿論、希望にも否を告げるつもりはない。

 そもそも、そのために、故郷を後にしたのだから……。

 後は、当日までに何とか復調するだけだ。

 ただ、さすがに衣装合わせの必要があるため、午後に時間を割かなければならないらしい。

 そんなことを話題に、アルビオレたちと、楽しいひとときを過ごす。

 彼らとの語らいは、本当に心が浮き立って、気鬱の全てが消え失せてしまうようだ。

 すると現金なもので、空腹感まで覚える。

 はしたなくも胃袋が孤独にむせび鳴けば、一同より注目を受けた。

 ここですかさず、アルビオレが思いがけない無心をする。

 何と彼は、テレイシスの手料理を所望したのだ。

 無論、イレーネが飛び上がって、「尊き「水晶の御使い」さまにとんでもないっ!」と意見したのだが、僅かなやりとりで彼女は矛先を納め、すっかりやる気になっているテレイシスの供をして調理場へと向かったのである。

 部屋には、希望とアルビオレそして、戸口に控える女官だけが残された。

 不意に落ちた沈黙の中、希望は考えるより先に口を開く。

「あなた方は、未来からいらしたのですね?」

 問いではなく確認だった。語らいの最中に読み取ったことである。

 それでも敢えて、女官に内容を聞き取られないように声を潜めた。

 すると、アルビオレはあっさり肯定する。

「仰せの通り……」

 彼は、希望がこう尋ねるのを察していたらしい。

「さすが……と申し上げたき気持ちですな」

 そして、言外に、何故それを理解したのか……と、質問する。

 希望は、得心に胸を撫で下ろした。

「衣装の様式の推移……変遷ですね。それが、簡単に予想出来るデザインでしたから。何より、この時代の行く末を御存知なのだろうな……と、察せられました。大局を見据えている俯瞰的な視点を有していれば、自ずと可能性が狭まります」

 異世界トリップを果たした自分と、

 タイムスリップを果たした特使たち。

 単なる偶然とはとても思えない。

「これは感服仕った……!」

 腹のさぐり合い以外の何物でもないやりとりの最中だと言うのに、アルビオレは寛容さを見せ付ける。

 つくづく、度量の大きい傑物なのだろう。

「タイムスリップや異世界トリップの概念は、一般に定着していました。それを自在にするまでには至っていませんでしたが」

 希望は、推理の根拠を語る。

 服飾史はあまり詳しくないが、それでも時代の違いぐらいは、簡単に看破出来るのだ。

 そして、希望自身の言葉通り、アルビオレはあまりにも広い視野を有していた。これは、舞台の登場人物に叶う域とは到底思えない。

 あくまでも観客だからこその心境も伺える。

 アルビオレは不意に真顔になった。

「御帰国、頂けるかもしれません」

 思いがけない、申し出なのだろうか? だが、深く考えるより先に、希望は否を告げた。

「僕は、覚悟を抱いて、この国に来たのです」

 まだ、後にして、たった二ヶ月しか経ていない故郷。

 けれど、そこを懐かしいと思う心は真実だ。

 帰りたくないと言ったら嘘になる。

 それでも、自分の意志で生き方を定めた希望である。

「なれど、御身を王がどこまでも拒絶されたら?」

 聡明なアルビオレは、痛いところをついてくれた。

「そ、それは……」

 希望に返す言葉など、あるはずもない。

 スウェイワナに、希望を受け入れるつもりがないのは、明らかすぎる事実だ。

 彼の協力なしに、これからの日々をどのように過ごすのか、考えるだけで気鬱になる。

「王と王妃の不仲は、民への規範には到底なり得ますまい」

 アルビオレは、更に畳み掛けた。

 屈してしまいそうな心を奮い立たせて、希望は真っ直ぐに彼を見詰め返す。

「けれど王は、僕を王妃として迎えた事実があります」

 これもまた、真理だ。スウェイワナは間違いなく、希望を王妃の座に据えたのである。

「無論、見初めてもらった……などと、思い違いをしてはいません。僕の持つ知識……いえ、そこまで具体的でなくとも、ローディアナ神の恩寵を利用しようとしたからでしょう? ですから、普通の夫婦ではなく、戦友……あるいは同志として、共に国の発展のため、尽力することは出来ないでしょうか? そもそも、僕の身体では、子供を望むことは難しいので、そうした意味で伴侶になる必要もありません」

 つらつらと並べ立てるそれらはアルビオレを説得しようとしてのものではない。

 自分自身に言い聞かせるための虚しい提案の羅列だ。

 それを充分承知しているらしいアルビオレは、痛ましげに目を細めた。

「難しいとは思うが……妃殿下の決意がそれほど固いのなら、我はもう何も申すまい」

 全てを理解した上で、彼はそう話しを締めくくってくれた。

 希望は、哀しい笑みを浮かべる。

 アルビオレの気持ちが嬉しく……そして、切なかった。

「……御苦労なされるぞ」

 精一杯の思いやりの言葉だ。

「覚悟しています」

 故に、こう応じる以外にない。

「王の拒絶も?」

「ええ。勿論です」

 この先の苦難の道のりを案じるが故の言葉が、嬉しく……哀しい。

 未来から到来したと言う彼には、この時代の行く末が見えているに違いない。

 これらの助言に、一体どれほどの意味が込められているのだろうか。

「…………。なれど、他の誰かの涙は?」

「え?」

 何のことかと希望は顔を上げる。


「申し上げます。「水晶の御使い」さま方、お帰り遊ばされました」


 扉の向こうから、侍女が奏上する。

 アルビオレの最後の問いに、どれほどの警告が込められていたのか、希望は知ることなく、大切なカードを手放してしまった。

 彼がそれを身を以て理解するのは、まだ先の話しである。



 テレイシスは大変な料理名人で、供された皿のいずれも素晴らしい逸品ばかりだった。

 けれど、彼としてはかなり不満があるらしい。

 曰く、材料が違いすぎるのだそうだ。

 野菜の大きさや味わいが、慣れ親しんだ品々と異なっている他、食材が随分不足していると言う。

 アルビオレとの会話を経て、彼らが未来からの旅人であると承知している希望なので、それら全てに得心出来た。

 果たして、どれほどの時代の違いがあるのかは定かでないが、品種改良や、他の地方……あるいは大陸から、時を経て多くの品種が到来するものである。

 また、調理場まで同行したイレーネが言うには、テレイシスの駆使する手法の数々に、調理人たちは驚きの連続だったらしい。

 そちらについても、格段の進歩があるのだろう。

 ただ、テレイシス本人は、何とも思っていないようだが。

 「水晶の御使い」などと言う、とんでもない高貴な立場にありながら、彼には全く驕り高ぶった様子がない。

 そしてそれを、アルビオレは心から愛しく思っているようだ。

 互いを大切に想い合い、労り合う姿に、希望は、切なさに似た憧憬を覚える。

 羨むよりも、微笑ましい。

 なのに、何故胸が痛むのかなど、追求しようとは思わなかった。

 いざ食事がはじまれば、彼らの作法は、この国の現状より遙かに洗練されたものである。

 ただ、いつものように希望が両手を合わせて「頂きます」をしたのに、驚かせてしまったようだが。

 ともあれ、口に運ぶ品のいずれもが、とてもおいしく、希望もすっかり満足する。

 申し訳ないが、これまでの日々に供されたどの皿よりも舌に馴染む優しい味わいだ。

 それを楽しめば、一層会話も弾む。

 特にアルビオレの探求心の強さと、理解力の高さが、更なる高揚を誘い、希望は熱心なレクチャーを続けた。

 時折意見を挟むイレーネの賢しさも感服ものだ。

 テレイシス一人に蚊帳の外を強いてしまい、申し訳なく思ったのだが、ところが彼は、それを全く苦にしておらず、むしろ幸せそうに、伴侶の熱心さを眺めている。

 本当に素晴らしい夫婦だと、希望は心の底から思った。

 うっとり心を漂わせそうになるが、そうすると、またもアルビオレが鋭い問いを発する。

 政治や経済に関する多くの知識を、彼は恐ろしい勢いで吸収しようとしていた。

 その視点は、明らかに施政者としてのものである。

 やはり、未来の故郷にて、彼は頂点に位置する存在に相違ない。

 希望は、いつしか教える立場でなく、共に考え、より良い形での世界を追求するに至っていた。



 白熱した議論の後、お針子たちが明日の儀式に用いる衣装の最終確認のため訪れると、「異性」の身のアルビオレは、周辺の散策をしたいと言って、席を辞した。

 テレイシスとイレーネはしばし留まり、今度はハーブの効能についてに話題が移る。

 かつての欧州で、ハーブは食卓を楽しませるだけでなく、民間療法に用いられる薬品の代わりであり、また、聖職者たちの施しの源でもあったと言う。

 この地でも役割に大差はないようで、「かんなぎ」たる二人にとって親しい植物であるらしい。

 特にテレイシスの知識は素晴らしいもので、イレーネは聞き出した全てを脳裏に蓄える。

 試着を重ねる希望も、知る限りを伝授した。

 その後、イレーネは神殿に戻る所用があるとのことで退出し、テレイシスは迎えに訪れたアルビオレと共にここで希望と夕食のテーブル(申し訳ないが、テレイシスの手料理と比べるとかなり落ちる味わいだった)を囲んでから、明日、儀式の前にまた一緒に朝食を食べる約束をして引き上げた。

 やはり、まだ疲れの残る希望を案じてくれたのだ。




 そして翌日。

 案の定と言えるのだろうか?

 成婚を明日に控えて床払いをしたものの、希望は、その朝食のテーブルにて、突如不快を患い、そのまま意識を失ってしまう。




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