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黒の皇后  作者: 小松しま
8/21

「お待たせ申したな」

 腹立ちなのか否か、希望を案じる気持ちや不快さ、様々な感情が渦を巻く中、到達した目的地でスウェイワナは、開口一番そう告げる。

 不遜な物言いであると承知していたが、あくまでも「一応の尊重」を見せる姿勢に徹したのだ。

 しかし、そうした繕いもあっさりと雲散してしまう。

「……こ、これはっ……!」

 重い扉の奥の独房は、予想に反する姿を見せていた。

 不快極まりない階段から回廊に至る道すがら、希望の不調への自責を抱いていた彼だが、いざ室内の様子はどうだろう?

 さすがに陽の光が差し込まないので王妃の間に遜色ないとは言えないが、懸命に設えた有り様だった。

 華美ではない。

 けれど、叶う限りの尽力で居心地良さを追求した室内にあって、規則通りの女囚服を纏う希望は、寝台に上体を起こした姿勢で一礼する。

「勝手に模様替えをしてしまいました。御不快でしたら、申し訳ございません」

 その顔色は、一別より遙かに悪い。面影が失われる……まで行かないが、かなり窶れた様子があった。

「このお部屋の現状は、面会に来てくださる方々が僕の生活を案じて持ち寄り、……整えてくださった結果。陛下は、そうした行為を禁じられなかったとのことで、ありがたく御厚意に甘えさせて頂いておりました。一切の責任は受け取った僕にありますので、どうか、皆さんを咎めるようなことはなさらないでください」

 そうであっても、毅然とした姿勢を崩さない希望に、スウェイワナの苛立ちが煽られる。

 「かんなぎ」たる高貴な身の上のなせる技なのだろうか?

 何よりもこの部屋!

 これは、あのように狭く急な階段や回廊を、訪れる人々が多くの品を抱えてやって来た結果である。

 王妃を慕うが上に。

 それを蔑ろにした王への反感を抱いて。

「お越し痛み入る」

 言葉を失うスウェイワナに向かって、王妃の傍らに正使と供に控える副使が不遜な奏上をした。

 言葉ばかりを謙った形で用いるこの男に対し、当然ながらスウェイワナは良い感情を持っていない。

 敢えて無視して彼は室内を見渡した。

 特使たちの反対隣に、イレーネが王妃を守るように控えている。

 その表情には、スウェイワナを敵と認識し、いざとなったら王妃の盾になろうとする決死の覚悟があった。

 それを読み取った途端、スウェイワナの心の傷が疼く。

 何故、ここまで彼女に蔑ろにされなければならないのかと、自嘲にも似た切なさを覚えた。

 この少女を、彼は十年以上もの長きに渡って、未来の花嫁と遇し、叶う限りの配慮をして来たのだ。

 なのに、あっさりとスウェイワナを捨て、面目を潰し、今はこうして王妃に与している。

 「かんなぎ」と言うのは、恩義だの贖罪など、そうした「人としての大事」を全く欠片にも尊重しない存在であるらしい。

 そう思った途端、スウェイワナの中で、「何か」が軋んだ。

「我らが神より使わされし御一同の、何と酔狂なことよ。かような場へ、一国の王をお呼び立てなさるとはな」

 侮蔑を承知で、そう言い放つ。

「ほう? その「かような場」へ、妃殿下を収監なされた御方の仰せとは思われぬな」

 案の定、矢面に立って応戦するのは、副使アルビオレである。

 一国の主の前にあって、僅かにも気後れしないのは、たいしたものだろう。

「……いかような仔細があっての御沙汰か、是非、妃殿下の御前にて、お教え頂きたい」

「……」

 あくまでも謙る態度にて、問いの形を取る戦法も見事と言って構うまい。

 スウェイワナは、敢えてそれを所作であしらった。

 これが虚勢に過ぎないとは、誰よりも自分が一番理解している。

 ここに彼の味方は、たった一人として、存在しないのだから。

 けれど、決して萎縮など出来るものでない。

 「かんなぎ」の勝手に振り回された身だ。

 王として、男として、もうこれ以上の傲慢を許すつもりはなかった。

「それこそ、余の尋ねたきことよ。……余の評価を失墜させ、民の同情を招くため、わざわざ地下牢を住処となされるとは」

 希望にそのようなつもりがないのを百も承知の上で、それでもそう告げる。

「陛下!」

「何を仰せにございますかっ!」

 臣下たちの憤る様子が、むしろ滑稽だった。

 いつから彼らは、自分を軽んじ、王妃に心酔するようになったのやら。

 もの悲しさすら覚える。

「……「かんなぎ」殿は、神の寵児。国の至宝であろう? 伴侶となるべく……大切にお育て申しあげた婚約者からすら、路傍の石扱いにて背かれるような余より、遙かに御身分が高かろうて。いつなりとて、何なりとて、意のままになされるのが信条であろうに。わざわざここへ留まったは、余への当てこすり以外の何ものでもあるまい」

 怒りの矛先は、イレーネへと向けられた。

 そもそも、彼女が諸悪の根元だ。

 未来の王妃として育てられた者にも関わらず、身勝手極まりない行動によって、現状への道筋を開いたのである。

「わ、わた、くし……は……」

 さすがに身に覚えのあるらしきイレーネは、たじろいだ。

 少しは罪悪感と言うものを、持ち合わせているのかもしれないと、スウェイワナも溜飲を下げる。

「……ほう? まあ、確かに、「かんなぎ」殿の御意向に従うが、全ての者の大事であるのは確か」

 更に追求を強めようかどうするかと、スウェイワナが逡巡していた隙を縫って、またもアルビオレが主導権を握る。

 それも、「あくまでもこの大陸に住まうローディアナ神の信徒にとっての前提」を押し出す強かさは、スウェイワナ自身がはかった「論旨のすり替え」をあっさり逆転させてしまう見事さだった。

「では、妃殿下に、お住まいをお移し頂いて構いませぬな?」

 ここで一気に攻勢に出るかと思いきや、アルビオレは意外な申し出をする。

 ぎりぎりのところで王権を尊重する手管は、腹立ちすら覚える巧妙なものだ。

 当然、スウェイワナに否など告げられるものでなかった。

 何より、希望を案じているのは、本心である。

「お好きになさればよかろう。……なれど、「かんなぎ」殿は、臣下一同が、懸命に設えた部屋に不服を仰せであった。どのような絢爛豪華なお住まいなら、御満足頂けるのであろうな? 姫巫女御同様、イブリンの王城がお好みやもしれぬ」

 それでも、ただ引き下がるのが我慢ならず、「かんなぎ」の傲慢さを嘲笑した。

 だが、それに否を告げる声が上がる。

「贅を凝らした部屋は無用です。国民が汗水流して納めた税金で暮らす身なら、質素倹約を身を以て示す義務があると……あの時も、そう申しました」

 希望が、きっぱりとそう告げたのだ。

 スウェイワナのみならず、室内の全員が息を呑む。

(なっ……)

 スウェイワナの中の時が止まった。

 直後、凄まじい感情の逆巻きが起こる。

 この王妃は一体、何を言っているのだろうか。

 不快だった。

 たまらなく気分が悪い。

 初夜の床での記憶を振り返りかけたスウェイワナは、即座にそれを封印する。

 希望は、神への誓いを踏みにじり、王として男としてのスウェイワナの存在を否定し、あまつさえ、人々の心尽くしを拒否した、不遜この上ない「かんなぎ」なのだ。

 それ以外の、何者でもない。

 全て、思い出すのすら疎ましい思い出だった。

「話しがそれだけなら、これにて失礼させて頂く」

 耐えられない憤りに、スウェイワナは会談の打ち切りを宣告する。

「余は、「かんなぎ」殿と違うて俗物故な。かような場で、健康を損なってまで、余人への意趣返しのために、長く過ごしたいとは思えぬわ」

 苛立ちのまま、醜悪な捨て台詞を言い放った。

「なっ……」

「へ、い……か……」

 案の定、臣下たちは蒼白になる。

 これに応じるのは、またもやアルビオレの役目だろう。

 しかし……。

「わざわざの御足労、御礼申し上げる」

 意外にも、神の副使は礼に叶う感謝を告げたのだった。

 そうすることに、僅かな屈辱も覚えていない姿は、スウェイワナの遙か高みに存在している証拠のようにすら思える。

(……!)

 たまらない惨めさを覚え、それでもスウェイワナは、懸命に反論を堪えた。

 この上で何を発言しても、自らの卑小さを際立たせるだけだと、理解してしまったのである。

 彼は重い塊を呑み込んで、一人歩き出した。

 供をする者は誰もいない。

 いずれもが、彼を、この場における頂点の存在だと、認めなかったのである。

 口惜しかった。

 ……情け、なかった……。



「御一同。王命は下された。疾く、妃殿下を清潔で過ごしやすい部屋へ御案内あれ」

 スウェイワナが退出すると、アルビオレは即座にそう告げる。

 希望は、安堵を噛み締めた。

 ようやく、ここから出られるのだ。だが、いざ立ち上がろうとして、ふらついてしまう。

「ノゾミさまっ!」

 テレイシスがそれを支えてくれた。

「あ、……申し訳ありません……」

 叶う限りの運動をしていても、それでも筋肉の衰えは大きかったらしい。

 これでは、とてもでないが、歩いて地上へ出ることなど叶うまい。

 だが、思案するまでもなく、テレイシスが夫へ懇願し、希望はアルビオレに抱かれて移動することになった。



 一同に案じられ、守られながら、希望は二ヶ月前に通った回廊や階段を、今度はアルビオレの腕に抱かれて逆行する。

 様々な想いが胸に甦った。

 この日々を長かったと言って良いのか、短かったとするべきか、彼自身にも、まだわからない。

 けれど、決して無駄ではなかったはずだ。

 幽閉生活であったからこそ得られた教えが多くある。

 それをこの後の生活で役立て、人々のために尽力しなければ、意味を失ってしまう。

 だが、王との連携は、もう絶望的かもしれない。

(何故……ここまで、嫌われるのか……)

 スウェイワナが疎んじているのが「かんなぎ」の存在そのものであるとは、理解した。

 けれど、希望の存在意義は「かんなぎ」であることが全てでは断じてないのだ。

 なのに、スウェイワナは、それ以外の何もかもを否定する。

 ひどく、胸が痛んだ。



 ややして、一行は地上へ出た。

 中庭に面した出入り口には、陽光が煌めいている。

 それは、テレイシスの宝冠に反射して、七色の輝きを放った。

「おおっ……」

「何と言う……」

「……正に……「水晶の御使い」さまであられる……」

 一同が、歓喜する。

 これまでの語らいから、アルビオレとテレイシスが神から使わされた特使であり、正使たるテレイシスは「水晶の御使い」の称号を有している旨を把握していたが、こうして神々しい姿を目の当たりにすると、希望も胸に込み上げるものを覚える。

「……きれい……。水晶の反射ですね……。ああ、……こんなふうに太陽の光を浴びるのは、久しぶりです……」

 アルビオレに抱かれたまま、彼は目を細め、周囲を見渡した。生きていることを実感する。

 もっとずっと、この光りの温もりを味わっていたいと切望するが、ひどい怠さに首を動かすのすらままならない。

 その疲労を読み取ったアルビオレは、部屋への移動を優先させたのだった。



 結局、連れて行かれたのは、王妃の間ではなく、客間の一つだった。

 王との会話での華美云々のみならず、あの部屋に身を置いて、無体の記憶が心身に良い影響を与えないだろうことを、重臣たちが配慮してくれたらしい。

 何より、隣室にスウェイワナがいるとあっては、心も安まらないだろうから、とてもありがたい気遣いである。

 ベッドに降ろされた希望は深い息を吐いた。

「王妃さまっ」

 即座に上掛けを整えてくれるのは、部屋の入り口で彼を迎えてくれた、あの夜の女官である。

 牢へも、ほぼ日参してくれていた忠義の人物だ。

「どうぞ、もう……御安堵くださいませっ」

 涙ながらに言われ、希望も小さく頷いた。

 彼女は一旦喉を鳴らすと、我が身を盾に、一同に向き直る。

「とにもかくにも……王妃さまには、充分お休み頂きとうございます」

「是非もない」

 応じたのは、アルビオレだ。

 一同は、希望に暇乞いをして、寝室を後にしたのである。



 配慮に感謝してそのまま就寝すれば良かったのだろうが、希望は、どうしても風呂に入りたい欲求を堪えられなかった。

 躊躇する女官に無理を言って、急遽準備してもらった浴槽に浸かれば、案の定、ひどい目眩を起こしてしまう。

 それでも久しぶりに入浴した幸いに、心から安堵した。

(やっぱり日本人だよな……)

 くらくらと天井が回っているのに苦笑しながら、女官と侍女たちの四人がかりで寝台へ移動した希望は、口元を綻ばせる。

 典医を呼ぶべきかどうか思い悩む彼女たちを制して、彼は水だけを喉に送り、そのまま昏倒するように意識を手放した。


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