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黒の皇后  作者: 小松しま
7/21

 アルビオレが発した命がスウェイワナ王の元へ到達するまでさほどの時を要しなかった。

 希望の知る由もないことだが、彼らは、つい先程、城の少し先にある、ラジアナ王国創立以来の聖域とされる広場にて、顔合わせを終えたばかりなのである。

 神の導きによって、希望の折と近しい形で降臨した二人は、帰国の途にあったイレーネに迎えられ、この大地に足を降ろした。そこへ、スウェイワナ王もまた、城から駆け付けたのである。

 調度イレーネの行列がいるだろうあたりに目映い光りが生じたとの報告を受け、出迎えかたがた無事を確認に出向き、邂逅となった。

 希望の折と近しい形と言うのは即ち、同一でなく、明確な違いがあったからの表現だ。

 「ローディアナ神からの特使」たる二人は、それは美しい装束を纏い、現れている。

 身一つでラジアナに降り立った希望との差は、一体、何を原因に生じたのだろうか?

 ともあれ、「かんなぎ」嫌いのスウェイワナなので、またも新たな「かんなぎ」……それも、イレーネの曰く遙かに尊い「水晶の御使い」とやらの到来を、歓迎出来るはずもない。

 口先だけの敬意を示して早々に城へ帰参した次第である。

 そしてその後、特使たち一行が、よりにもよって地下牢へ直行しているとも知らず、自室にて、「秘密の愛人」を抱き締め、時を過ごしていた。

 ライノス伯爵令嬢テルサ。

 スウェイワナ王の直属女官でもある彼女は、同い年の幼なじみで、淡い金の髪と、鮮やかな蒼を宿す伏し目がちの清楚な貴婦人である。

 感情の起伏の激しい王を唯一宥められる人材として重宝される一方、出過ぎた振る舞いを嫌い、常に慎ましく控え目であることから、宮廷内でも好意的に受け入れられていた。

 ただ、名門貴族の令嬢としては、既に婚期を越えているのが、唯一の支障と言えるだろうか? 王との密かな関係を守り続ける彼女なので、数多ある縁談に首を振り続けているのだが、その理由を知る者は当然いない。

 神の教えである一夫一婦を順守する社会にあって、不倫がいかに罪深い行為とされているかなど言明するまでもなかった。

 故に二人は世を憚って密かに愛を育んでいるのである。

 そうした貴重なひとときを打ち破るようにして、私室へ訪れた宰相以下の面々を、スウェイワナは睥睨した。

 彼らは、アルビオレの招聘を告げ、地下牢へ案内かたがた供をするためにおとなったのである。

 身の処し方に長けたテルサは、その入室の直前に、戸口に下がって、腹心の女官に相応しい弁えで控えた。

 愛しい女にこうした身の振りを強いていることに、スウェイワナはたまらない口惜しさを覚える。

 「かんなぎ」さえいなければ、彼女を正式な王妃として遇せるものをと、憤りが深まるばかりだ。

 この大陸では、「かんなぎ」をこの上なく尊重する。君主の伴侶に迎えられれば、国の繁栄は間違いないとされ、歴史の真実ともなっていた。

 近いところでは、ほんの十数年前のこと。

 ラジアナ王国全土に疫病が流行り、多くの人々が儚くなる中、神の寵児、「かんなぎ」が誕生した。

 イレーネである。

 すると、たちまちのうちに病魔はなりを潜め、国は安寧を取り戻したのだ。

 ただ、それまでの間の被害は凄まじいもので、王室さえ例外でなく、直系の中で生き延びたのは、スウェイワナただ一人。

 よって、まだ少年だった彼の伴侶に迎えるべく、イレーネは大切に育てられるに至った。

 ところが、である。

 よりにもよって彼女は、いきなり婚約者であるスウェイワナに背を向けて、聖職者として生きたいと言い出した。

 つまり、スウェイワナの妃になるのを拒んだ訳だ。

 これは、一国の王にとって、凄まじいまでの屈辱である。

 諸国より笑い者にされ、国体を損なうに至る大事だ。

 だと言うのに、ローディアナ神殿はあっさりとその意向を支持した。

 大切に慈しみ育て上げた婚約者に背かれたため、スウェイワナの面目は丸潰れになったのだが、それに頓着もしない身勝手さが、彼にはどうにも許せなかった。

 であっても懸命に宥め、怒りを和らげようと尽力してくれたテルサを愛するようになって、ようやくスウェイワナの心は落ち着きを取り戻したのだが、公にするより先に、新たな「かんなぎ」・希望が神より使わされ……今に至る。

 スウェイワナほど「かんなぎ」に翻弄された男もいないだろう。

 故に、「かんなぎ」そのものを忌み嫌うようになったのだ。

 そして、心ならずも日陰者にしてしまったテルサを哀れみ、一層の情を注ぐようになっている。

 スウェイワナは座したまま、入室した一同を睨み付ける。

 テルサとの大切な時間を邪魔されて、ようやくくつろいだ気分も台無しだ。

 それでなくとも、臣下たちは揃いも揃って「かんなぎ」贔屓で、仮祝言を終えてからと言うもの、何があると王妃の話題を口に出そうとする。疎ましい限りだ。

 ただ、幸いにももう二ヶ月もの間、彼は心底嫌う王妃の顔を見ずに過ごしていた。

 ありがたいとは思うが、よくもまあ仮にも王妃の座に就きながら、一切の公務を蔑ろにし、夫たる王を無視しているものよと、憤りを感じないでもない。

 そう……。

 彼は、自らの仕打ちを完全に忘れていたのだ。

「何用だ?」

 不機嫌を隠そうともせずに、スウェイワナは一同に尋ねる。

 彼らは、深く頭を下げた。

「特使さまの御命令にございます。陛下には、大至急、地下牢へお出ましくださいますよう」

 宰相たちにしてみれば、ようやく王妃を獄から自由の身にするための機会が得られた訳である。

 それぞれの胸に、強い覚悟があった。

「地下牢?」

 そのような気負いを知る由もないスウェイワナは、眉間に力を込めるばかりだ。

 控えるテルサは、無論二ヶ月前の沙汰を覚えているために、身を引きつらせる。

 不倫の罪を犯している身。正妻の存在を意識せずになど、いられるはずもなかった。

 ただ、王が一切を忘却の彼方へ押しやった事実に乗じて、ひたすら目を背け続けていたのだ。

「何故、そのようなところに行かねばならぬ?」

 何の罪の意識もないスウェイワナは、当然ながら僅かにも狼狽える様子などない。

 噛み合わないやりとりに、宰相は憤りに身を震わせる。

「特使さま方は、巫女姫と御一緒に、王妃さまと、御謁見中なのでございます」

 王が命じた収監が撤回されない故に、王妃は不遇を託っているのに、何たる言い草か! と罵りたい心を必死に堪えている一同だった。

「王妃?」

 生憎、その怒りをスウェイワナは知る由もない。

 ただ、何を好きこのんで、そのような場を会談に用いるのかと、疑問を覚えるばかりだ。

「だから、何故、そのような場所へ、余が赴かねばならぬ?」

 素直な疑問に、果たして罪はあるのか否か。

 しかしそれは、重臣たちにより一層の怒りを招くばかりだった。

「なっ!」

「王妃さまが、お過ごしでいらっしゃるからでございましょう!」

 慟哭である。

「……何?」

 スウェイワナは、それでも尚、訳のわからない混乱の中で、訝るばかりだ。

「……どう言うことなのだ? ……王妃が、そこに……地下牢にいるとでも、そなたらは言いたいのか?」

 彼からすれば、とても信じられない言いようである。

 まさかとの思いからの、いっそ冗談ですらあった。

 だが、そんなもので済まされるような問題では、断じてない。

「何を仰せにございまするっ!」

「陛下が、そうお命じになられたのではございませぬか!」

 重臣たちの怒りが爆発した。

「余が? ……まさか、……」

 スウェイワナは、ここに至って、尚呑気なものである。

 自覚のない者の強さ……いや、愚かさだろうか?

 だが、臣下たちの必死の様子を見れば、もはや冗談事の範疇でないのは明らかだ。

 考えを巡らせ、彼は一つの仮定を得る。

「いや! そうか……。あの王妃は、余への当て付けに……」

 出した推論は、あまりにも希望の存在を愚弄するものだ。

 スウェイワナの名を汚すため、王妃が自ら牢へ入ったと決め付けたのである。

 とんでもない言いがかりだが、スウェイワナの中では、瞬く間に確固たる真実へと変化する。

 浅ましい思考の変遷だ。

 自らが相手を疎んじているからと言って、必ずしも先方が想像通りに卑劣な行為を働くなどと言う所以は断じてない。

 しかし、先入観に凝り固まったスウェイワナの思考回路は、もはやそれ以外の判断を完全に排除していた。

 当然ながら、宰相たちは反論する。

「何と言う!」

「陛下が、妃殿下を地下牢へ収監せよと、確かにお命じになられたのですよ!」

「よもや、お忘れではございますまいな!」

「我らが、どれほど懇願申し上げても、撤回してくださらなかったことを、お忘れか!」

 突き付けられる怒声に、スウェイワナは勿論、テルサまでがたじろいでしまう。

「…………。あっ…………」

 不意に、スウェイワナの中にひらめくものがあった。

 初夜の床を後にする際、憤りに任せて苛立ちを吐き出すついで、そのような叫びを口にしたような……そんな記憶が掠める。

 だが無論、そのようなこと。本気で思った訳ではない。

 大体、相手は「かんなぎ」だ。

 王の命など、簡単に退けようものである。

 つまり、何もかも、王の名誉を失墜させるための王妃による自作自演の作文であり、人々の同情を取り付ける方策に過ぎないと、結論付けたのだった。

「何と言う当てつけがましさよっ……!」

 あまりにもやり方が汚い。神の恩寵を宿す身であるなら、何をしても良いのかと、スウェイワナは腹立たしさに身を震わせた。

「「かんなぎ」は、神の寵児。そのような命を承諾する謂われなどないものを、……余への嫌がらせにもほどがある!」

 全く以て、これらは全て、スウェイワナの勝手極まりない解釈である。

「なっ……」

「へ、陛下っ……」

「い、嫌がらせなどで、どうして王命に従いましょうや!」

「王妃さまは、下向された御身の弁えを以て、最高権力者へ恭順なさったのでございますぞ!」

「……背けば、国の秩序が乱れ、我ら臣下に害が及ぶと、案じてくだった故のこと!」

「苛酷な幽閉生活にて、この頃は、体調さえ崩しがちでいらっしゃいますと言うのに……あんまりな仰せにございます」

 臣下たちが懸命に言い募れば言い募るほどに、スウェイワナは意固地になる。完璧な悪循環だ。

「黙れいっ!」

 彼は、叫んだ。

「そなたらも同罪かっ? そもそも、余には伴侶を選ぶ自由さえも与えぬくせして、かようなことばかり、迅速に命を執行するとはなっ!」

 自らの臣下であるはずの一同の誰一人として、スウェイワナをおもんばかる者がいない事実が、許し難い。

「……と、言うてもせんかたなきことやもな! 先程からの言い分を聞いておれば、いずれもが王妃大事な様子。……飾り物の王など不要と言いたい本音が透けて見えるわ!」

 いつから彼らは、「かんなぎ」を主君にすげ替えたのかと、声を大にして訴えてやった。

「王!」

 無論、諫言などに耳を貸す謂われもない。

「そうまで王妃に心酔しておるのなら、早々に君主替えでもしたらどうだ?」

 この言葉は、スウェイワナにとっての切り札だ。

 王権は神の授けたる侵されることなき大事。

 それが、社会の大前提である以上、容易に叶うものでは断じてない。

 まして、もはや王室の直系は彼ただ一人なのだから。

「っ……!」

 この言葉が出されてしまえば、臣下たちに反論の術はない。

 いずれもが懸命に感情の波立ちを抑え、深々と頭を下げた。

「特使さまの御下命にございまする。疾く、お出向きくださいませ」

 とにもかくにも、彼らはそれを伝え、地下牢へ王の供として参じるために集ったのだ。

 これ以上の意見に意味などない。

 すると、そんな一同の心境を読み取ったスウェイワナは、嘲笑を浮かべる。

「……はっ……! やはり、それがそなたらの本音か! 王、王、などと持ち上げておいても、所詮は「かんなぎ」や特使の前では、何の価値もない、ただの置物にすぎんようだな」

「お言葉が過ぎますぞ」

「我らは、陛下の臣下。……ですが、それであるのと同様に、ローディアナ神の下僕にございます」

「神の沙汰を蔑ろには、断じて叶いませぬ」

 毅然とした言いようだった。

 さすがにスウェイワナにも、神の意志によって王位を安堵されている身に過ぎないため、反論しようがない。

 また、王妃が籠もっている以上、出向かなければならないだろう。

(……どこまで……余を蔑ろにすれば気が済むのか!)

 疎ましくてならない王妃の姿を胸に描き、スウェイワナは怒りを滾らせる。

 それでも、希望が体調を崩しがちであるとの報には、心が動かされるものがあった。

 初夜の床で無体を働いたことへの言い訳がましさは、一応ならずある。

 とは言え、彼の暴言を許せるかとの答えは、断じて否だ。

 希望は、厚顔にも、神へ捧げる誓いを違え、偽りの夫婦として過ごすことを提案したのだ。

 そのような侮辱は、到底受け入れられるものでない。

 常識とそして価値観の相違が生んだ齟齬の歪みを、彼らは互いに理解出来ていなかった。

 更に、あの部屋に対する苦言についてもだ。

 スウェイワナとしては、正直気に入らない王妃ではあっても、神の恩賜。テルサへの申し訳なさを押し殺して、それなりに丁重な扱いをするつもりがあったのだ。

 ……あれでも。

 だと言うのに、希望はことごとく、彼の配慮を踏みにじった。

 だから、許せない。

 けれど、部屋についてぐらいは寛恕してやっても良かったかもしれないと、僅かばかりの後悔を覚えた。

 組み敷いた肌を通して、希望が細くたおやかな身であったとスウェイワナは知っている。

 男女の違いなどを凌駕した、筋肉の付き方が、全く異なる肉体だったのだ。

 そんな彼が苛酷な地下牢暮らしなどすれば、体調を崩すのも無理ないどころか当然である。

 様々な考えに心を悩ませつつ、スウェイワナは地下牢へ向かうことになったのだった。



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