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黒の皇后  作者: 小松しま
6/21

「ご、御正使さま……、あの?」

「一体?」

 後方の重鎮たちは、困惑するばかりだ。

 傍観の青年が、肩を上下させた。

 希望は、不思議な心地で瞬く。何をどう説明して良いのか、正直、見当も付かなかった。

 少年が「かんなぎ」であると誰もが承知している様子なので、恐らく事情のわからない……けれど、それなりに賢しい者ならば、自分たちが「神の園」における知己だったのではと、推察するはずだ。

 実際、イレーネはそう受け止めている様子である。

 しかし、そうではない。

 希望は、この少年の名前すら知らない。

「……ありがとう、ございます……」

 とにかく希望は手を解いて、涙を拭った。

「僕は……ノゾミと言います。希望……と、言う意味がある名前です。どうぞ、そう……呼んでください」

 まずは彼らの名を尋ねるために、先に名乗った。

「……ノゾミさま……。きれいなお名前……」

 少年は、口元を綻ばせる。

 何とも素直で好ましい性質の主のようだが、言外の問いを察して、即座に応じる賢しさは、どうやら期待出来ないらしい。

「ありがとうございます。あなたは?」

「僕は、テレイシス……。ティレイって、呼んでください」

 連れの青年が口にしたティレイとは、本名の愛称であるらしい。

「ティレイ……」

 希望は、噛み締めるようにして繰り返した。

「はい。……それと……」

 テレイシスは、背後の青年へ手を差し出す。

 促しに応じて、彼は一つ頷いてから歩み寄ると、テレイシスの傍らに片膝を着いて恭しく一礼した。

「……ティレイの伴侶であるアルビオレと申します。尊き御方さま……」

「……え、じゃあ……」

 「かんなぎ」の伴侶……とは、どう言うことなのかと、疑問を越えた理解が、希望の胸に浸透した。

 ともあれ、このアルビオレがテレイシスを熱愛し、この上なく大切に思っていることは、手に取るように理解出来る。

 問いを重ねようとしたのだが、アルビオレが小さく顎を引くのを見て、希望は言葉を呑み込んだ。何か仔細があるらしい。

 ここで追求するのは、彼らにとって不都合だと瞬時に察した。

 咄嗟に希望が下した判断を読み取った様子のアルビオレは、この場の主導権を握ろうとするかのように口を開く。

「して、妃殿下。何故……御身は、このような場へおいで遊ばしますのか?」

 希望を大層尊重する姿勢を見せ付けながらも、実に単刀直入な質問を突き付けてくれた。

 こちらは、テレイシスと比較にならないほどに鋭い人間のようだ。

 しかし、希望には答えようもない。

「僕にも、よくわかりません。仮祝言が終わり、ようやく陛下と二人きりになったのですが……」

 故に、正直なところを告げた。

「……勿論、まともにお話ししたのは、その時がはじめてです。お城へ移動してすぐ、着替えをさせて頂き、その後は広間での儀式……と言うのか、宮中の方々との顔合わせに臨みました。その最中は、私語など出来るものではありませんでしたから……。けれど、晩餐の席ではもう……陛下が、大変僕を嫌っておいでなのだと、理解出来ました」

 叶う限り淡々と告げる傍らで、周囲の面々が痛ましげに顔を背ける。

「二人きりの部屋の中で、御一緒に過ごした時間は、ほんの僅かです。まともな会話も……ありませんでした」

 初夜の床での、あの惨い仕打ちについては、敢えて言葉を呑み込んだ。

 このような説明では、肉体関係を持たないまま地下牢へ追いやられたものと受け取られかねないとは承知していたが、別に秘密にしようと思った訳でない。ただ、口にしたくなかったのだ。

 過去を否定出来るなどと考えもしないが、それでももう、終わったことだと、自分に言い聞かせているこの頃だった。

 どうしても表情が歪んでしまうが……。

「しばらくもせずに陛下は部屋を飛び出して、何やら大声で叫んでいらして……それから、大臣方がお出でになって、……皆さんが、涙ながらに地下牢にお移りくださいと……」

「何と……」

「……ひどい……」

 アルビオレもテレイシスも眉を顰める。彼らは、素直な憤りを感じてくれているらしい。

「……よくもまあ……妃殿下は、それにお従いになられた……」

 いっそ呆れたような言葉が、アルビオレから出される。

 言外に、「尊い「かんなぎ」ともあろう者が、何故、そのような無体に従う謂われがあるのか」と、告げていた。

 つまり、彼らも「かんなぎ」に関して、同じ価値基準を有しているのだろう。

「僕は、この国に身を委ねたのです。……最高権力者の命令に背いては、国の秩序を乱してしまいます」

 常識の異なる世界から来た異邦人としては、どのような判断が正しかったのか、正直なところわかってはいない。

 けれど、国の改革に秩序が大きな意味を持つのは理解出来るため、いたずらに乱す訳にはいかなかったのだ。

「何より、それを拒んでは、大臣方が、どれほど大変な思いをされるか……」

 そして、これが最大の要因だ。

 途端、重鎮たちは啜り泣く。

 アルビオレもそれを見て、理解を深めたらしい。

 王権を至上とする世界で、スウェイワナに逆らえる者など、いるものではない。それこそ神の恩賜である「かんなぎ」以外には。

 その「かんなぎ」であるからこそ、希望は一層王権を尊重しなければならないのだ。

「僕は……ええと……。あなた方の仰るところのローディアナ神の示唆を受けた身です。この国の王妃となって、尽くすことを了承し……全てを捨てて、やって来ました」

 何をどう説明して良いのか悩みながら、希望は語り出す。アルビオレの様子から、それぞれの認識があやふやであることに気付いたのだ。

 まず、それを徹底させる必要を痛感した。

「神の御下命を受けられたのですか?」

 素晴らしく聡明なアルビオレは、即座に的を射た問いを返す。

 ノゾミはしっかりと頷いた。

 さすがとしか言いようのない理解力だ。

 だが、その彼もまた、ローディアナ神の信仰下にある様子である。

 となると、やはり前提となる基準に多くの齟齬があるはずだろう。

 そもそも希望は、標準的日本人であり、宗教に対する真摯さに欠けているはずだ。

 それを「いい加減」と捕らえられてしまえば、意思の疎通など出来るものでない。

「……ただ……直接の言葉ではありませんでしたが……」

「ほう……? それは?」

 アルビオレは、先を促す。

「僕が用いている言葉は、どうも、あなた方が使っているのとは、違うようなのです。文字も全く別なものです。……何故か、読めるのですが……。声は……その、副音声って……わかりますか? 同時通訳と、表現して理解して頂ければよろしいのですが……ともあれ、そうした形で、補足されるようにして、耳に入って来ています。……僕の言葉も、エコーがかかって聞こえているのではありませんか?」

「エコー……?」

 不思議そうな復唱に、意味が通じていないことを希望は理解した。

 けれど、テレイシスは心得顔だ。

「はい。二つの音が響いていて、その内の一つがはっきりと意味がわかって聞き取れます。……ノゾミさまだけでなくって、他の方々も、ノゾミさまほどじゃないけれど、やっぱりそう言うふうに……」

 彼は無邪気にあっさり言い切った。

 希望と同じ感覚を体験している人間の、理解に裏打ちされた言葉は、さすが含蓄がある。

 希望は、安堵の胸を撫で下ろした。

 日本人に過ぎない希望も、ここでは同じ恩寵を有するのか、それとも特別な計らいなのかは定かでないが、どうやら、これは「かんなぎ」の特殊能力であるらしい。

 英語等が同様だった訳でないので、この世界でのみ……あるいは、ローディアナ神の恩恵を条件に通用するものの可能性が高いが。

「そうですか……。やはり……。ともあれ、ここへ来てほしいとの申し出は、そうした二重に響く言葉ですらなくて、僕が、心に感じたことでしたが、……ローディアナ神の示唆を受けたと表現して、支障がないと思います。無理強いされた訳でなく、僕は自分の意志で新たな人生を受け入れました」

 希望はゆっくりと丁寧に、自分の立場を説明した。

 決して、否応なしに重い役目を押し付けられた被害者ではなく、自らの意志を以てこちらへ赴いていると告げる。

 案の定、彼らはひどく驚いていた。

 重鎮たちやイレーネも、同様だ。

 いずれもが全てを神の命だと、信じて疑っていなかったのである。

 しばし呆然としていた一同の中、誰よりも早く気持ちの切り替えを果たしたアルビオレが更に口を開く。

「……率爾ながら、妃殿下の類い希な英明さに痛み入っております身……。恐らくは、生国にて、大変な勉学を修められた御方と拝し奉ります。……つまりは、それほどの教育が叶うほどに進んだ環境でお過ごしだったのでしょう。何故、そのような御身が、下向を了承されたのでしょうか?」

 これまた、恐ろしいほどに鋭い質問だ。

 しかも言葉の中で、はっきりと、この地が、希望の故郷よりも様々な面で後れを取っていることを告げている。

 あまりにも率直な言いように、いっそ楽しさすら覚えて、希望は笑みを浮かべた。

「……びっくりするぐらい、明け透けな質問をなさいますね?」

「……」

 駆け引きに長けているらしいアルビオレは、無言で一礼する。こうしたやりとりの場合、余計な言葉を添えるのは、下も下の戦法に相違ない。

 彼は、それを理解しているのだろう。

 それにしても、驚くべき推察力だ。

 希望は、あっさりと白旗を掲げた。役者はアルビオレの方がきっと上に違いない。

 希望が彼に優る部分は、多分、習い覚えた学問の知識だけだ。

「……そうですね……。僕は、この世界の人々とは比べものにならないほど、高度な教育を受けました……。と、言うよりも、僕の故郷では、全ての子供たちに、それを受ける義務があったのです」

「……妃殿下と、同じだけの学識を?」

 アルビオレは、ひどく驚く。

 僅かなやりとりだけで、彼は希望の持っている叡智のほどまでを測りきっている様子だ。

 これは相当広い視野と、柔軟な精神を持つ傑物だろう。希望はそう認識した上で、更に具体的な説明を続ける。

「政治、経済、科学、医学、建築、測量、言語、歴史……。僕の故郷では、馬がいなくとも動く車に、空を飛ぶ船。遠く隔てられた彼方の人と、まるで隣り合わせにいるかのように会話する道具、あるいは、目に映る風景をそのまま紙に再現する道具などが、とても身近に……誰でも自由に使える状態で存在していましたから」

 こうして改めて言葉に尽くしてみれば、故郷は何と文明の進んだ地だったのだろうかと思う。車に飛行機、電話、写真などのハードウェア面のみならず、ユビキタスネットワークによるソフトウェアの恩恵を、希望は存分に受けていたのだ。

 当然、この地で叶うはずもない。

「何と言う……」

「お伽噺のようじゃ……」

 科学の知識に遠い人々にとっては、魔法そのものだろう。

 情けないことに、希望もまた「ブラックボックス」の構築は不可能だ。

(……「アーサー王と会った男」は、偉大だったよな……)

 真顔の奥で、世界初のタイムトラベル小説と呼ばれるマーク・トウェインの傑作を思い出し、希望は苦笑を堪える。

 二十世紀初頭・アメリカの機械工ハンク・マーティンが、伝説のキャメロットへ赴き、持ち前の技術を駆使して活躍する物語だ。

 彼のようなプロフェッショナルであれば、無線を作り出すぐらいはお手の物だが、希望には到底叶うまい。

 幸いなことに、一同は車や電話などの再現を希うまでに至らなかった。 

「あらゆる意味で……進歩していたのでしょうね。けれど……一つだけ、僕にとって、暮らし辛い部分がありました」

 希望は、そう言ってから、少しだけ喉を詰まらせる。だが、先を促すアルビオレの視線に、極力何でもないように口を開いた。

「故郷では、両性具有の者は……蔑まれるまで行かなくても、あまり歓迎されない存在でした。目に見えない差別が厳然と存在し、それから免れるために、多くの場合、ひた隠しに生きることになります。……僕も、例外ではありませんでした」

 何でもないのだ。実際には。

 けれど、やはり、辛かった。

「医学が……大変発達しておりましたので、外科手術によって、男女のどちらかに……その、身体を変えることも不可能でなかったのですが、僕には、……そうした勇気もなく、あるがまま、過ごしていたのです」

 亡き両親は、出生届の性別を留保してくれたと言う。

 本当なら、早い内に外科処置をしてしまった方が、生きるのには楽だったかもしれない。

 けれど、二人は、本人の意志で決めるべきだと、その意志を尊重してくれたのである。

「何と……」

「凄まじいことを……」

 人々は、圧倒されるばかりで、希望の苦悩にまで思い至ってはいないようだ。

 唯一、アルビオレを例外にだが。

「別に、それを不幸だと思ったことはありません。補って余りあるほど、家族は僕を愛してくれましたから。……ですから、あのまま、ひっそりと生涯を終えたとしても……不満はなかったのです……」

 希望は、うっすらと目を細める。

 そう……。

 不幸では、断じてなかった。

 だから同情はいらないと、瞳でそう告げる。

 英明なアルビオレは、即座にそれを読み取ってくれたようだ。

「ただ……僕は、その……普通の人と比べて、知識欲が旺盛で……、何でも調べずには気が済まない性分でした。それが高じて、司書と言う職業に就いていたぐらいに……」

「シショ?」

 切ない話題であるため、希望は敢えて方向転換をする。

 すると、アルビオレは不思議そうに繰り返した。彼らの知識にはない職業なのだろう。

「……図書館……ええと、沢山の本を収集して、一般に開放している施設です。僕は、それを管理する役職にありました」

「……ほう……」

 途端、アルビオレは感心してみせる。

 そしてすぐ、配慮の表情を浮かべた。

「しかし……妃殿下は、その役職をも……」

「とても、大切にしていた仕事です。未練がなかったと言えば、嘘になります。けれど……挑戦、したかったのです」

 偽っても意味がないので、希望は軽く頷いて肯定する。そして、気負いなく笑った。

「挑戦?」

「はい。……ローディアナ神より、打診を受けた時に、正直、迷いました。けれど、……僕の知識を必要としている世界があるとの説得に、心を動かされたのです」

 これは紛れもない本音だ。

「それに……身体のことを隠して生きて行くのも……辛くない訳でありませんでした。……僕を愛してくれる家族に、迷惑をかけていたこともわかっていて……」

 そう言った途端、残して来た兄夫婦の姿が脳裏に甦る。彼らがどれほど自分を愛してくれているか、わ かっていた。

 わかっているから、辛かった。

「多分……僕がいなくなれば、家族は哀しむでしょう。けれど、苦労が減るのも事実なんです」

 これは、哀しい事実だ。

 自分がいなくなれば、今度こそ、兄たちは「夫婦」としての生活をはじめられるだろう。

 ずっと自分に気兼ねをして、設けずにいた実子を産み、育てることだろう……。

 そして、いつかの未来……消息の絶えた家族がいたことを痛みとしてでなく、懐かしさで慈しんでくれる日が来るかもしれない……。

「それに……この僕を必要としてくれる世界があるのなら、より良い未来を築くために、蓄えた知識を実践させ、役立てたい……」

 希望は、夢見る心地で、願いを語った。

「多分……ずっと、こう言う欲求を持っていたのでしょうね。示唆を受けたのも、そんな自分の本当の願いに気付いたからです」

 言い方は悪いが、自己顕示欲の現れであるのかもしれない。

 それでも、奇縁に導かれて受け入れた生き方に、希望は全力で挑戦する覚悟だった。

「お、王妃さまは……本当に、素晴らしいお知恵を、多く、お授けくださいまする」

 そこへ、重鎮たちが、おずおずと口を開く。

「いかにも……。我が孫の病を……直接お目にもかからない状態で診察くださりまして、適切な処置を御指示頂き……それに従いましたところ、幾人もの医師たちもが匙を投げていたのが、まるで悪夢だったかのように回復したのでございます」

 例の孫の人物だ。

「わ、わたくしの領地でも、小麦の収穫が極端に落ち込んでいるのは、小麦の病気だと御推察されまして、来年よりは仰せに従い、石灰を散布し、小麦以外にも、根菜の栽培を奨励するつもりでございます」

 もう一人も言葉を重ねた。

「……ほう?」

 アルビオレは、興味をそそられたらしい。

 希望は顎を引いた。

「急場凌ぎですが……。実際、その地へ赴いてみなければはっきりしませんが、どうやら元々、あまり小麦の栽培に適した地ではないようです。一昨年にあったと言う水害で、かなり土地自体も、痩せて粘土層が多くなったようですから、環境を確認した上、気候の合う他の作物との二毛作にして、少しずつ様子を見る必要があるでしょう」

 自画自賛もはしたないとは思うが、必要以上に謙るのは、むしろ嫌味にしかならない。

 自分の持っている知識から推察した一連を、希望は包み隠さずに言い連ねた。直に視察し、様々な実験を行えば、より確かなことがわかるだろう。

 彼らの話しを聞いていると、どうやら国土の多くで、小麦栽培を行っているようだが、それぞれの領地に異なる特徴があるらしく、適した作物を栽培させる必要性を感じていた。

 また、食生活にも大きな偏りがあり、特に庶民の間で動物性タンパク質の摂取量が足りていないことも察せられた。

 肉食の普及は、脳を発達させると言う説もある。偶然かもしれないが、実際、それによって、西洋で科学が急激に進歩した例もあるのだから、善処する価値は大いにあるだろう。

 それにしても、衛生観念のお粗末さは、様々な感染症の温床を、わざわざ作っているような状況だ。

 そして、治水、度量衡の徹底……。

 本当に、するべきこと、しなければならないことが、山積している現状である。

「なるほど……。妃殿下の素晴らしき叡智を、国の礎にするとなれば、ラジアナ王国がいかに繁栄するであろうか……」

 アルビオレは感心した様子で相槌を打つが、それにどこか皮肉めいた色を感じるのは、希望の気のせいだろうか?

 周囲の一同のいずれもが、ただ感服の同意をするばかりである。

「……仰せの通りにございまする」

「……王妃、さま……」

 と、そこでイレーネが顔を上げた。

 それまでずっと沈黙を守っていた彼女が、真っ直ぐな瞳で希望を見詰める。

「あ、あなたは……」

 勿論、忘れもしなかった人物だ。

「お久しゅうございます、王妃さま」

 イレーネは、恭しく一礼した。

 かつて、ほんの僅かな邂逅を果たした折と同様、少女は最上の敬意を示してくれる。そして、口元を抑えて嗚咽を堪える仕草を見せた。

「まさか……まさか、このようなことになっていようとは……」

 その瞳から、涙が零れ落ちる。

「泣かないでください。あなたのせいではありません」

 たまらずに、希望は宥める言葉をかけた。

 この少女に対してテレイシスへのそれと同じ、不思議な慕わしさがあるのだ。多分それは、「かんなぎ」と言う同胞だからなのだろう。

「……一体、陛下は……どうして、……あんまりな仕打ちにございますっ」

 イレーネは、切なげに口惜しさを吐き出す。

「全くだ……。理解に苦しむ……。スウェイワナ王は、何故、こうした理不尽な沙汰を出したものやら……」

 アルビオレもそれに同意した。

 一同がこぞって、困り顔をする。

 誰一人として、スウェイワナ王の胸の内を読み切ることが出来ていないからなのだろう。

 無論、希望にも全く理解出来ない。

 と、アルビオレは真顔を作った。

「妃殿下……。聞けば、最近はお身体にも支障が出ておいでとのこと」

「あ……はい。……そんなことまで……」

 些かならず驚いて、希望は重鎮たちに視線を動かした。

 彼らが訴えてくれたに相違ない。

 ここに至って、ようやく希望は、アルビオレとテレイシスが何者なのかと、根本の疑問に向き直った。

 一同とは、明らかに着ている装束が異なる。

 何より、テレイシスの戴く宝冠の見事さは、現時点のラジアナ王国の文化では叶わない域のものに相違ない。

 そして、テレイシスの「格」。

 更には、アルビオレの傑物ぶり。彼らを尊重する姿勢を見せる一同の様子からも、尋常ならない立場に身を置く人物たちのはずだ。

「……お、王妃さま御自身の仰せによりますれば、太陽の光を久しく浴びていない故の、め、め、めん……」

 そんな希望の胸中も知らず、重鎮の一人がそう解説をはじめる。が、理解に及ばない言葉を用いるのは容易でないのだろう。

 希望は柔らかな表情で、言い添えた。

「免疫力の低下です。一定量の日光を浴びることによって、肉体は様々な恩恵を受けるのです。体内時計……つまり、時間の感覚ですね? そうしたものも保たれます。それが狂えば、様々な支障が出てしまうのです」

「なるほど……。陽の光から遠離っておれば、不都合が多々生じる訳か」

 またしてもアルビオレは、見事な受け答えをする。

「……はい」

 頭の回転の良さに関しては、希望よりも彼の方が遙かに上回っているに違いない。

「なれば、妃殿下も、日の本でお暮らし頂けば、復調される可能性が強いと……」

「……」

 思索の道筋も確かだった。彼は僅かな説明で、今の希望に何が必要なのか、導き出してしまう。

 だが、容易に叶うものでないため、希望は困り顔を作る。

 解決策は最初からわかっていたのだ。けれど、王の許しがない以上、勝手な行動が出来るはずもない。

「我としては、牢よりお出まし願いたいが?」

「……それは、大変嬉しいお言葉ですが、王の許しもなく勝手をしたら……沢山の方が、職務を全うしなかったことになります」

 伺う言葉を選んでくれたアルビオレの配慮に感謝しながら、希望は返答を避ける。

「……うむ……。確かに……」

 これまたアルビオレは、即座に一同の苦しい胸の内を読み取ってくれた。

 王権を尊重する方針が揺らがない以上、希望には何の決定権もありはしないのだ。

 と、そこで、アルビオレは断を下す。

「特使の権を以て命ずる。即刻スウェイワナ王をこの場へ招聘せよ」

 威厳に満ちた命令だった。

 誰もが畏まってそれに従う。

「……特使?」

 希望は目を丸くした。

「お二方さまは、ローディアナ神より使わされた御身でいらっしゃいます。「水晶の御使い」さまが御正使さま。そして、御夫君が御副使さまであらせられるそうにございます」

 イレーネの説明に、希望は二人を凝視する。

「水晶の御使い」とは、言うまでもなくテレイシスを差すのだろう。そして、伴侶だと自己紹介があった通り、アルビオレはその夫にて、仕える者、だと言うのだろうか?

(違うっ……)

 故などわからない。

 けれど、希望の中で、否を訴える声がある。

 この男は、人の頂点に立つ存在だ。

 理屈を越えた確信だった。


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