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黒の皇后  作者: 小松しま
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 希望の部屋には、日々、多くの人々が訪れる。

 いずれもが王の翻意が叶わないことに謝罪し、少しでも希望が過ごしやすいように尽力し、そして国の現状を教えてくれるのだ。

 そんな中、ある日訪れた重鎮の一人が憂い顔のまま、講義を行う。

 一体どうしたのかと尋ねれば、孫が重篤に至っているとのことだ。

 希望は仰天した。

「そんなっ……! 僕にかまけているような場合ではありませんっ! 早く帰って、お孫さんに付いていて差し上げてくださいっ!」

 彼としては、当然の言いようだった。

 すると、重鎮はひどく感激し、そして項垂れた様子で首を振る。

「ありがたい仰せなれど……。もう、やつがれが側にいても、どうなるものでは……」

「馬鹿なことを言わないでください。そんな時こそ、お身内の労りが必要なんですよ! やはり、僕が病気になった時、家族は、付きっきりで看病してくれました!」

 もはや遠い麻疹や水疱瘡、おたふく風邪など、それらで苦しむ希望を力付けてくれたのは、亡き母の優しさだった。

 その後も、体調を崩すたびに、どれほど仕事が忙しくても、朝子が休みを取って、付きっきりで世話をしてくれた。

 兄はさすがに出勤したものの、残業を放り投げて、希望の好物をあれこれ買い込み、走って帰って来てくれたものである。

「ところで、どんな病気なんですか?」

 相当な重病なのだろうと、希望は尋ねた。

 召喚を受けるか否か考えあぐねていた時分、故郷で彼は、多くの疾病についての知識を詰め込んでいた。元々医療に関しては興味があり、それなりの下地があった身だ。

 結局のところ、ここへ出向くための準備をしていた訳である。

 「意志」が見せてくれた映像から、疫病が定期的に猛威を奮ったことも把握出来ている。

 この地に来て学んだ知識からも裏打ちは完了していた。

 果たして、聞き出した症状から、大体のところを察して、対処療法を伝授する。

(抗生剤があればっ……)

 一つ一つ丁寧に指示しながら、希望は悔しさを噛み殺す。

 それなりの知識を詰め込んだところで、彼は決して医療関係者ではない。

 いや、例えそちらの心得があったにしても、活用出来る薬剤がなければ、叶う処置は限られているだろう。

 この世界で猛威を奮っているらしい病気に対する調査は向こうでしていたが、対処療法が専らでしかない。

 ただ、天然痘がほとんど定期的に流行しているらしいため、種痘の必要性を実感する。

(医学の奨励をしないと。ジェンナーのような専門家を育成して、予防を徹底すれば、退けられる病気なんだから!)

 種痘だけではない。ペニシリンなどがあれば、一層、助かる生命が増えるはずだ。

 さすがにいきなり実用化は難しいだろうが、その効能を、希望は知っている。

 助かるはずの者を救えないようでは、国を治める資格などあるはずもなかった。

 希望は、悲痛な叫びを胸に閉じ込める。

 二ヶ月後には、自由の身になれると予想出来ても、たまらなく切ない。しなければならないことは、限りなくあるのだから!



 数日後、再び姿を見せた重鎮は、抱えきれないほどの贈り物を持参した。希望の指示に従ったところ、孫はみるみる回復して、今や早く起き上がりたいとまで言っていると言う。

 それを聞いて、希望は心から安堵した。



 直後から、噂が広がったのだろう。希望の元に、徐々に相談を持ち込む者が増えて行く。

 最初は、身の回りの世話をする者たちや重鎮ばかりだったのだが、少しずつ……けれど確実に顔触れが増え、裾野が広がった。

 相談の内容も多岐に渡るが、希望は丁寧な聞き取りを行い、自らの知識を探って、懸命に解決策を捜す。

 その多くが彼らに、幸いをもたらした。



 そんな日々がどれほど続いただろうか……。

 人々の配慮によって、随分過ごしやすい生活をしているとは思うが、やはりここは地下牢。日も差さない陰気な場所が、身体に良い影響を与えるはずもない。

 筋肉の衰えを案じて、希望は毎日必ず部屋の中を歩き、屈伸運動やラジオ体操をするなどの努力はしていても、このところ体調を崩しがちになっている。

 やはり、牢生活が堪えないはずはなかった。

 けれどついに待望の日、救いの手が差し伸べられたのである。

 しかしそれは、予想に反する形で現れた。


「……お客さまがおいでですか?」


 余人の到来を告げられた希望は、そう尋ねる。

「お、王妃さまっ! お喜びくださいまし」

「つ、ついに、神さまが、救いの御手を、差し伸べてくだすったようですっ」

 すっかり親しくなった牢番たちが、上ずった声で告げた。彼らの顔は、紅潮している。

「……救いの、御手?」

 希望は首を傾げた。

 恐らく、ついに巫女姫が帰参したのだろうが、何故、彼らはイレーネを名指しせずに仰々しい物言いをするのかと、訝ったのだ。

 そこへ、聞き慣れた声が響いた。

「王妃さま。……御入室を、お許し頂けましょうや?」

 扉の影から申し出たそれは、例の孫の件があった重鎮の声である。気配から察するに、かなりの数の同行者がいるようだ。

 相談を兼ねた面会人が重なるのは珍しくないが、ここ数日は希望の体力の衰えを案じて、皆自重してくれているようで、多くの人が同時に訪れるのも久しぶりである。

 ともあれ希望が了承を告げれば、彼らは順に中に足を踏み入れた。

「……?」

 希望はまたもや首を傾げる。見知った面は、重鎮の二名のみ。だが、巫女姫イレーネとその従者たちにそして、奇妙な二人連れがいた。

「っ……!」

 順に一同を眺めていた希望は、その二人連れ……正確には更に、内の一人を目にして、硬直する。

 焦げ茶の髪と黒い瞳をした、いかにも闊達そうな二十代の青年と、癖のない真っ直ぐな、くすんだ琥珀色の髪と、同じ色の瞳を有する十代後半の少年。

 煌びやかこの上ない美しい装束を纏う二人である。

 しかもそれらの様式は、明らかに、この国の人々と異なってる。

 例えて言うのなら、時代の新旧を思わせる変遷が伺えるのだ。

 更に希望の目が吸い寄せられた少年の方は、いっそ仰々しいほどに見事な、幾つもの美しい水晶片を巧みに組み合わせた、目映い冠を戴いていた。

「……あなた方は……。あ、あなたはっ……」

 だが、希望が驚愕したのは、麗しい装束でも装飾品でもない。

 この、容貌だけならばいっそ凡庸に見える少年の、ただならない気配に圧倒されたのだ。

 瞬時に希望は理解した。

 彼は「かんなぎ」だ。それも、希望よりも、遙かな高みにある存在だ。

 イレーネに対しては、ただ「同胞だ」と感じたに過ぎないが、この少年は違う。圧倒的な「格」を有する、正に神の寵児である。

「……おう、ひ……さま……」

 青年に抱き締められ、守られる形でいた少年は、よろよろと歩み寄る。

 その瞳から、涙が溢れ出た。

「……ティレイ……」

 青年が、少年の名らしきそれを口にする。

 手を差し伸べた男はしかし、即座にそれを握り込んで、ひとまずの沈黙を選んだ。

「……お、いたわしい……」

 水晶の少年は、希望が上体を起こす寝台の前に到達すると、彼が差し伸べた手を取って強く握り締める。そして、そのままそこへ崩れ落ちるようにて膝を着いた。

「同じ……なん、ですね? あなたは……僕と……」

 考えるより先に、希望はそう尋ねていた。

「はい!」

 ティレイと呼ばれた少年はしっかりと頷く。

(……ああ……)

 理屈を凌駕した納得が、同じ「かんなぎ」たちの間に広がった。

 侍女たちを引き連れて控えるイレーネにしても、それを等しく感じているようだ。

「……嬉しいです。……来て、くださったのですね……」

 希望は、涙を流しながら少年を見詰めた。

 わからない。けれど、確信がある。

 この少年は、自分を救うために、遙か遠いところから、やって来てくれたのだと。

「はいっ……。はいっ……」

 果たして少年は、しっかりと握り合う手に力を込めて頷いた


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