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黒の皇后  作者: 小松しま
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 希望が意識を取り戻した時、既に身繕いは終えられたようだった。

 寝台を取り囲む女官や侍女たちが啜り泣いている。

「あっ……」

 身じろぎをするだけで鈍痛が全身に走った。

「王妃さまっ」

「お目覚めにっ……」

 希望は、ゆっくりと瞬く。無体を強いられた身体は、怠く辛い限りだが、纏う夜着は真新しい清潔なものに取り替えられている。

 シーツも同様だ。汚れていた身体も丁寧な処置を受けたらしい。

「あんまりでございますっ」

「ひどうございますっ」

 彼女たちは、我がことのように希望が強いられた仕打ちを嘆いてくれた。それがひどく嬉しくて、心細い想いが和らぐような気がする。無意識の涙が零れ落ちた。

「王妃さまっ……」

 女官がハンカチを希望の目許に当ててくれる。

「……ありがとう、ございます……」

 感謝を告げれば、室内の啜り泣きが一層大きくなった。女官も同様だったのだが、ややもせずに意を決して顔を上げる。

「宰相さまをはじめ……大臣の皆さま方が隣室にて控えております。……どうか、御謁見をお許しくださいませ」

「……重鎮の方々が?」

 希望は瞬いた。宮廷作法に通じている訳でないが、それでも初夜の床の王妃の元へ、首脳陣たちが揃い踏みで伺候するのが尋常なこととは思えない。

 何より、常識的に考えて、一応なりとも君主の伴侶の私室へ赴くような時間ではないだろう。しかし、どうやら否を告げる訳にはいかないようだった。

 希望は頷いて立ち上がろうとしたが、身体がままならない。

「不作法なことかもしれませんが……、皆さんに、こちらまで足を運んで頂けますか?」

 無論、女官たちは即座に了承を示した。


 寝室内におとなったのは、昼の式典や晩餐で顔を合わせた面々ばかりだ。彼らは一様に疲れ果てた顔をして、深々と頭を下げる。

「夜分……非礼この上なき訪問を……お許しください」

 希望は反応を堪えた。頷くべきか、首を振るべきか、咄嗟の判断が出来なかったのだ。

 けれど、この到来が、彼ら自身の意志によるものでないぐらいは、簡単に推察出来る。

 果たして……。

「陛下よりの……御沙汰にございまする」

 先頭に立つ宰相が、ひどく苦しげにそう告げた。

「……御命令、ですか?」

 足音も荒く、夫が「ことの後」に出て行ったのは、希望も覚えている。

 その際に、何か大声で叫んでいたこともだ。

 宰相は、顔を歪め、懸命に言葉を繋ぐ。

「……王妃さまには……地下牢へ、お移り願いたく……」

 途端、誰もが嗚咽を漏らす。

 希望は、一瞬、その意味を……単語を、理解することが出来なかった。

 ……しばしを経て、ようやく得心する。

「……何故?」

 と、尋ねてすぐ、項垂れる。

 王の逆鱗に触れてしまったのだ。

 その罰として投獄を命じられたのだろう。

 一国の王妃が収監されると言うのは、一体どれほどの罪になのか。

 察するところ、ここに集う一同の本意でないらしい。それでも彼らは、指示に従わなければならないのだろう。

 希望としても受け入れ難い気持ちは強いが、勅命に逆らっては、周囲の人々に類が及ぶ。

「……わかり、ました……」

 唯々諾々と了承すれば、侍女たちが激しく首を振る。

「あんまりですわっ」

「王妃さまは、我らが神恩賜の「かんなぎ」さまであらせられますっ」

「そうですとも! このような理不尽な命に従う謂われなどあられませんっ!」

 彼女たちの気持ちが、希望には、本当に嬉しかった。視線を重鎮たちに向ければ、彼らもまた、口惜しそうに……けれど、同調出来ない苦しみに苛まれ、表情を歪めるばかりだ。

希望は、そっ……と肩を落とした。

 これ以上、彼らに辛い思いを強いる訳には、いかないだろう。

「けれど……逆らっては、皆さんがどのような処罰を受けるか、わからないのですね?」

 賢しい言葉に、一同は息を呑む。

「王妃さまっ」

「妃殿下」

 希望の告げるところは真実だ。

 彼は、柔らかな笑みを浮かべた。

「御命令に従います……」

 途端、侍女たちが号泣する。

 重鎮たちは、一層深く頭を下げた。

「必ず、必ず、陛下をお諫め申し上げますっ」

「どうか、しばしの御辛抱をっ」

 力の及ばない自分たちを責める言葉が、希望には哀れでならない。彼らが悪い訳ではないのだ。そして、多分、自分も……。

 だからと言って、王の沙汰を拒んでは、国の秩序が揺らぐ。

 王妃となった以上、国の安寧のため、君主との争いは断じて避けなければならない。

 そう、自分に言い聞かせて希望は起き上がろうとした。しかし、少し身体に力を入れるだけで、安定を失ってしまう。

「王妃さまっ!」

 傍らに控えていた女官が、すぐさま背を支えてくれた。

「陛下は、大層な無理強いをなされたのですっ。とても……御々足で地下までなど、移動出来ませんっ」

 庇ってくれる優しさに甘えるのも心苦しいが、強引な性交の後で、歩くのも辛いのは事実だ。重鎮たちも困り顔をする中、宰相の付き人たる青年が前に出た。

「下賤の者の、……過ぎたる無礼は、重々承知致しております。なれど、この状態の妃殿下に、尚一層のお苦しみを強いるのは、あまりにも忍びのうございます。憚りながら、この身を、足代わりと思し召しくださいますようっ!」

 言いながら彼は跪く。多分、本来ならこれは、凄まじく恐れ多い……そして、身の程知らずの訴えなのだろう。けれど、今の希望にとって、たまらなくありがたい申し出だった。

「ありがとうございます。……お言葉に、甘えさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

 彼に応じながら、希望は一同を見渡す。

 誰もが涙ながらに頷いてくれたのだった。



 重鎮や女官、侍女たちを連ねた行列を作り、希望は地下牢へと移動する。

 一旦中庭へ出てから、狭い階段を下りるようだった。

 覚悟はしていたが、一段を踏み降ろすごとに空気は不快なものになって行く。

 湿気とかび臭さ。そして何より、たまらない気配。

 急ごしらえなのが一目瞭然の篝火が途中途中で焚かれる中、ついに最下層へと到達する。

 これまた凄まじい圧迫感をもたらす狭い回廊に、等間隔で篝火が用意されていた。

 新しい火の匂いだ。常から灯されているものでないと、瞬時に察せられた。自分の収監に際して、精一杯の配慮で仕度してくれたのだろう。

 ありがたくは思うが、連なる鉄格子の部屋を眺める希望は、心細さと恐ろしさに必死で涙を堪えた。

 抱き上げてくれる青年の、温もりを通して感じる労りが尚も惨めさを募らせるのは、どうしてなのだろう。

 同行の女官や侍女たちは途中から、もう非難めいた言葉もなく、ただ泣くばかりだった。

 ただ、救いなのは、ここに「別の気配」がないことだ。

 どうやら牢として機能していたのは、随分昔のことのようで、現在は放置されているらしい。

 凶悪犯と呼ばれる者たちに取り囲まれるのでないのは、まだ幸いだ。

 しかし、孤独に苛まれるのと果たしてどちらがましなのか……。

 ややして、回廊は突き当たりに到達する。

 分厚い鉄の扉の左右に、牢番らしき兵士たちが構えていた。

「お、王妃さまっ」

「何てえ……おいたわしいっ」

 あまりどころでなく低い身分の者らしき中年の男たちは、到来した希望に、心からの同情を示してくれる。

「お……入りくだせえませっ」

「大急ぎで、その……何とか、掃除だけは、致しておりやすっ」

 彼らは、不遇の王妃のために、精一杯の配慮をしてくれたようだ。

「ありがとうございます。……これから、お世話になります」

「も、もったいねえ!」

 二人は、這い蹲るように平伏した。

 青年に抱かれたまま独房の中に入った希望は、取り敢えず息を吐く。

 てっきり鉄格子に囲まれた暮らしをするかと思っていたが、四方をしっかりとした壁で遮られた空間を用意されていたことに安堵する。

 広さは、八畳程度だろうか? 石造りの堅固な設えは、簡素この上ないが、牢番たちの言葉通り少々のほこりっぽさは歪めないが、湿気が籠もっていない分、眉を顰めるような不衛生な場所でもない。

 粗末な寝台と小さなテーブル。椅子すらない。王妃の間の絢爛豪華さとは大変な違いだ。これからの生活がどれほど苛酷なものになるのだろうかと案じて、希望は胴震いをした。

「妃殿下?」

「いえ……。運んで頂いて、ありがとうございました。……そちらの寝台へ、降ろして頂けますか?」

 青年は、叶う限り丁寧に希望を寝台へ座らせた。固く粗末なそれは、当然快い感触などでないが、ともあれ希望は身体の力を抜く。

 やはり、ひどく疲れているようだった。

「このような場所にて、……本当に申し訳ございませぬっ」

 宰相以下が平伏して詫びる。

「……」

 希望は、返答を避けた。正直、自分でも顔が青ざめて行くのがわかる。

 それでも、甘んじるしかないのだろう。

 そこへ、駆け付ける者があった。

「妃殿下! こちらを御用立てくださいませっ」

 使用人、あるいは部下だろうか? 十名ほどを引き連れた、大臣の一人だ。

 彼らは、手に手に、絨毯やクッション、毛布に蝋燭……と、この部屋に必要だろう品々を持参していた。

「おおっ……!」

 一同の口からどよめきが起こる。

 希望としても、願ってもいない幸いだ。

 けれど、躊躇がある。

「でも、このようなことをして頂いては……」

 虜囚に、こうした厚遇が許されるはずもないと案じるのは当然だろう。

 しかし、大臣は胸を張った。

「陛下は、差し入れを禁じられてはおられませぬ」

 きっぱり言い切るそれに、誰もが表情を明るくする。

「おお、そうじゃ!」

「無論、面会も!」

「拙めも、何ぞ、お持ち致しますっ」

 口々にそう訴えた。詭弁を弄しているだけであっても、確かな事実でもあるのだ。

 希望は、泣きそうな顔で唇を噛んだ。

「王妃さまっ! わたくしも、日参して、お世話させて頂きますっ」

「わたくしもっ!」

 女官や侍女たちまで続く。

「さ、そうと決まれば、早速模様替えを致しましょう。仮とは言え、王妃さまのお住まいとなる場所です」

「ええ。わたくし共の本領発揮ですわ!」

「少しでも、お過ごしやすくなりますよう、力を尽くしましょうとも!」

 彼女たちは、腕捲りをする。

「何とも心強いことよ!」

「必要な品があらば、何なりと申し付けられよ」

「うむ。即座に仕度致そうからな!」

 誰もが、僅かな光りに未来を託すかのようだった。

 宰相が、再度希望に向き直る。

「妃殿下には、何か、御希望がおありでございましょうか?」

「……」

 希望は泣き笑いの表情を浮かべた。ここで嘆き悲しんでいても仕方がない。そう決めると、彼は頷いた。

「僕は、この国のこと……世界のことを学びたく思っています」

「では、書物をっ」

 健気な言葉に、早速周囲が動き出す。

 幸い、言葉は通じるが、果たして文字まで 読めるかどうか案じられるが……それでも、通ってくれると言う女官たちや牢番に師事することは叶うだろう。

「やつがれめでよろしゅうございますれば、講義のお役に立てるやもしれませぬ」

「おお、学者たちも、馳せ参じましょうや」

 そう考えた途端、こうして嬉しい申し出が続く。

「本当にありがとうございます」

 寝台に座したまま、希望は心からの感謝を告げたのだった。



 さすがに最初の夜に、あまりにも多くの出入りがあっては、希望も休まらないだろうとの配慮をしてくれ、女官たちの取り急ぎの設えが終わると、一同は、牢を後にした。

 規則だから……と、牢番たちが心底申し訳なさそうに扉に鍵をかけるのが、心細くないと言ったら嘘になる。

 けれど、ひどく疲れた身体は、打ちひしがれて涙する余力すらなかったようだ。

 どうにか寝心地を整えた寝台に横たわった後の記憶は、ないも同然だった。

 多分、そのまま熟睡したのだろう。

 そして、恐らくは翌朝。

 暗がりの中で時間の感覚も定かでないが、女官に侍女、重鎮たちの訪れで、希望は新しい生活がはじまったのを実感した。

 あの狭く急な階段や回廊を、大きな荷を抱え、何往復もしてくれた人々の尽力の甲斐あって、その日の内には、相当居心地の良い空間が整った。

 供される食事や菓子、酒なども、この世界において、かなり上等なものばかりのようだ。

 幸い、差し出された本の字も読め……る訳でないのだが、ローディアナ神の恩恵か、ありがたいことに理解が叶った。

 夜のみは孤独を強いられるが、際立った不自由はない。

 強いて言えば入浴が出来ないことが惜しまれるが、さすがに大量の湯を運んで欲しいとなど、言えるはずもなかった。

 女官たちの到来時に、ようよう運び込んだ湯で清拭してもらえるだけでも充分と思うべきだろう。

 しばらくもせずに落ち着きを得て、希望はこの世界のことを知るための学習に、多くの時間を費やす日々を過ごすようになった。


(むしろ……こうなって良かったのかもしれない……)


 ふとした時に、そう思う。

 強がりでも何でもなく、本心で、だ。

 安寧とした場所で、時を過ごしていたら、初心を忘れてしまう危惧がある。

 こうした日々を過ごしていれば、自分が何のために故郷を捨て、はるばるやって来たのか、決して忘れることはないだろう。

 多くの教えを授けてくれる指南役たちとのやりとりを経て、希望は確実にこの国の現状を把握し続けた。

 その際、彼らが決まり文句のようにして言うのが、「巫女姫さまがお帰りにさえなられれば、必ず、全ては正されます」だ。

 巫女姫とは、あの金の髪の少女イレーネのことである。

 「かんなぎ」が聖職者となる場合の称号で、彼女はその修行のために、先達のいる隣国へ留学した身だ。

 イレーネの出立の際に、希望は降臨し……そして仮祝言を行った次第だった。

 それから二ヶ月後に、正式な婚儀が執り行われるのだ。

 さすがに公的行事には、王も希望を牢に押し込めたままにはしておかないだろうと、彼らはそう口にする。

 希望を慰めるため……と言うより、彼ら自身が、そう信じて、縋る思いで過ごしているのは間違いない。

 スウェイワナ王は、希望の処遇に関して、一切の言明を避けているそうだ。

 どのように機嫌の良い時であっても、「王妃」の名が出されるだけで俄に感情を波立たせ、憤怒を隠さないのだと言う。

(よくもまあ、そうまで嫌われたものだよな……)

 我がことながら不思議な思いで、希望は「あの夜」を思い返す。

 一体何が、ああもスウェイワナ王の怒りを買ったのだろうか。色々考えるが、勿論、確かなことなどわかるはずもない。

 ただ、あの王が、最初から自分を嫌っていたのだけは、間違いなかった。

(そんなに我慢出来ないのなら……何故、結婚に同意なんてしたのか……)

 苦笑の心地でそう考え、そのたび引き裂かれた痛みと苦しみを思い出さずにいられない。

 自問自答が無意味だと理解しながら、繰り返し……繰り返し……。


 辛かった。

 苦しかった。

 哀しかった。


 けれど、スウェイワナ王を責めてどうなると言うのだろう?

(今度こそ、ちゃんと話し合おう。僕たちは、この国のために協力し合わなければいけないのだから……)

 あれをレイプと言って良いのかどうか、希望にはわからない。

 わからないが、王を糾弾しようとは思えなかった。

 ただ、この国のために尽くしたいと言う想いが募るばかりだ。


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