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黒の皇后  作者: 小松しま
19/21

19

 翌日、夕食の席で、二人は兄夫婦に決意を延べた。


「駄目よっ! 駄目っ! 絶対駄目!」

 

 案の定、朝子は半狂乱になって反対する。

「はいそうですか、なんてあたしたちが言うとでも思っているの?」

 とは言え、予想を遙かに越える強硬さには、スウェイワナも希望も言葉を失ってしまう。

「向こうに行ったりしたら、今度こそ、ノゾちゃん、殺されるかもしれないのよっ! レイプなんかじゃすまないわ!」

 血走った目で、朝子は訴える。

 レイプと言うそれに、場が凍り付いた。

「お前……、どうして、それを……?」

 呆然と、真実が零す。

 あくまでも二人の肉体関係は、合意の上で結ばれたものと、説明を受けているはずなのに、何故、こうもきっぱり朝子は断定しているのだろうか。

「ああ……。やーっぱりね」

 彼女は夫の様子に、「了解事項」を読み取った。

「男同士の秘密ってヤツ? まあ……それは仕方ないのかしら?」

 同性の相手だからこそ出来る会話があるぐらい、朝子も理解している。

 自分のいないところで、彼らが秘密の共有に至ったとしても、意見はなかった。

 だが、容認など、断じて出来ない。

「あたしが何にも気が付かないとでも思ってた? ノゾちゃんの様子を見れば、わかるわよ。スウェイ! あなた……レイプをしたんでしょう?」

「朝子さんっ!」

 突き付ける付加疑問に悲鳴めいた声を上げたのは、希望の方である。

 しかし、彼女は問いを撤回せず、強い瞳でスウェイワナを凝視し続けた。

「どうして……」

 何故、彼女がそれを推理したのか。

 そして、いつの間に、兄が告白を受けていたのか。

 希望には、全く理解出来ない。

「女の勘を馬鹿にしないで! スウェイがノゾちゃんに、ひっどい仕打ちしてたんだろうって、……それぐらい、わかってたんだから。でも、ノゾちゃんが触れられたくないようだったから、今まで気付かないふり、してたのよ。スウェイが、すっごく後悔してることもわかってたし」

 ……彼女なりの葛藤が、あったのである。

 我が子同然に愛しく思う希望の願いであるために、朝子は全てを呑み込んで、沈黙を守っていたのだ。

「でも、それって、ここにいるからのことでしかないわ。国に帰れば、きっとまた、馬鹿やるわよ!」

 こうした洞察もまた、間違いだと断言は出来ないだろう。

 人を評価する最も重要な材料は、結局「過去の行い」なのである。

「アサコさん」

 スウェイワナは、またもやその場に跪いた。

 そして、最上級の敬意を払い、尊ぶべき義姉へ謝罪と誓いを延べる。

「あなたの仰る通り、私はノゾミに惨い仕打ちをしてしまいました。それを心から悔い、ノゾミとあなた方御夫妻に、心よりお詫び申し上げます。けれど……もう二度と、そのようなことは致しません。心からノゾミを愛しています。全てから守りきります。必ず!」

「なっ……」

 真摯な訴えに、朝子は身じろいだ。

「朝子……」

 ぽんぽん……と、その肩を夫が叩いた。

「あ、あなたっ」

 返す言葉を懸命に探す妻に、真実は軽く首を振る。

 そして、希望を見詰めれば、その瞳には強い覚悟が、宿っていた。

「後悔しないかい?」

 かの地へ行くのを前提とした問いだ。

「多分、すると思う」

 希望は、素直に返答する。

 もう恐らく、ここへ帰ることも叶わないだろう。

 今度こそ、かの地へ骨を埋める以外ないはずだ。

「でも、行きたいんだ」

 充分わかった上で、希望は再度の希求を告げる。

「……ノゾ、ちゃん……」

 朝子は、涙ぐんだ。

 彼女にも全ての言葉が無為でしかないとは、理解出来ていた。

 それでも、引き留めずにはいられないのだ。

 希望を、心から愛しているが故に。

「すぐに……って訳じゃないんだ。ラジアナは、ここと比べものにならないぐらい、その……衛生的に恐いところだから……未来に、出来る限り、予防接種、させてやりたいし……。まだまだ、病院通いが必要だろうし……」

 希望は、ぽつりぽつりと、説明する。

 即断決行はしない。

 けれどもはや、決意が揺らがないことを……。

「……そうか……」

 嗚咽を漏らす妻を抱き寄せて、真実が最終確認した。

「行くんだな」

「うん」

 希望は、しっかりと頷く。

「……スウェイね……。向こうに、奥さん、いるんだ……。赤ちゃんも……。多分、もう、生まれている」

「なっ!」

 まさかスウェイワナがそれほどの不実を働いていたとまでは想像出来ていなかったため、朝子は憤る。 既に承知していた真実は、何も言わず瞬くだけだ。

「……でも、今、僕を愛してくれている。……僕、だけを……」

「……だからってっ!」

 朝子の悲嘆は尤もだろう。

 希望もこれが他人事だったら、到底受け入れることではない。

 けれど、愛してしまったから、理屈を凌駕する想いで、全てに立ち向かうと決めたのだ。

「スウェイと、ちゃんと結婚するためには、奥さんと、離婚してもらわないと、けじめ、つかないし……。未来のためにも、そう言うこと、いい加減にしたくないんだ」

「狡いわよ……。そんな風に言われたら反対出来ないじゃないの」

 朝子は泣きじゃくる。

 彼女もまた、希望を育てただけあって、そうした「人の道」を順守する人間である。

 未来のためにも、両親が筋を通すのを、拒むなど出来なかった。

 よって、精一杯の妥協を見出す。

 朝子は、スウェイワナを睨み付けた。

「いい? スウェイ! お腹、痛めた訳じゃなくても、ノゾちゃんは、あたしの……大事な、大事な子なの。粗末に扱ったら、承知しないんだから!」

 彼女に出来る、これが、せめてもの許しであり祝福だった。

「我らが神の御名に誓って……」

 スウェイワナは恭しく一礼する。

 朝子は、夫の胸に取り縋った。

「何一つ持たせてやれないなんて……」

 希望が、この世界の品物を一切持たずかの地へ向かったこと。

 そして、全裸で帰って来たこと。

 これら前例から、今回も同様だろうと、容易に推察出来る。

 それが、悔しくてならない。

 真実は妻をしっかりと抱き締めて、弟たちに仕草で退出を促した。



 二人きりになった叶夫婦は、ソファーに並んで腰掛け、深い息を吐く。

「希望は……もうとっくに……巣立っていたのかもしれないな……」

 悔恨を噛み締めて、真実はそう呟いた。

「あの子可愛さに独立を許さず……結局ずっと縛り付けていた……」

「なんだかんだ言い訳して、あたしたちって、夫婦揃って、ノゾちゃん離れが出来なかったのよね。結局」

 ようやく気持ちに落ち着きを取り戻した朝子も、そう自嘲する。

 彼女は、ある意味で、真実以上に希望を愛している。

 我が子を設けるのを避けたのも、朝子の意向がより強かったほどだ。

 紛うことなく、「我が子」として慈しみ、「特別な肉体」を持った彼が、少しでも寂しい想いをしないで済むように、愛情の分散を避け、叶う限りの配慮をして来たのだ。

「……あたし、本当に、ノゾちゃんが、大事で大事で……たまらないから……」

「ああ……」

 感謝を込めて、真実は同意する。

 いざ、結婚が現実味を帯びて来た時、彼は朝子に、希望の性を明かしたものだ。

 さすがに驚いた彼女だったが、次に出た台詞は、「だから何?」だった。

 希望を慈しむ想いに、何の支障もなかったのである。

「知ってた? あなたと結婚したのだって、半分……ううん。もしかしたらそれ以上に、ノゾちゃんの姉になれるって、……そう、考えたから、なのよ」

「……知ってたさ。勿論……」

 朝子は息で笑った。

 二人の中に、結婚を強行した遠い日の記憶が甦る。

 全親族に反対された中、朝子は縁切り状態で実家を後にし、新たな家族の元に走ったのだ。

 愛しくてならない伴侶と、そして慈しみの対象たる希望は、両手を広げて彼女を迎えてくれた。

「……ありがとう、奥さん……」

「……あなた……」

 二人は、しっかりと抱き締め合う。

 希望は、彼らにとって何よりのかすがいだった。

「なあ、奥さん。そろそろ弟を身代わりにするんじゃなくて、自分たちの子供を、作らないかい?」

「今更ぁ? 何か、高齢出産もしんどそう……」

 やや戯けた夫からの提案に、朝子は拍子抜けの顔を作る。

 けれど、すぐに表情を引き締めた。

「まあ、ノゾちゃんのすっごい頑張りを聞いちゃ、そんなこと、とても言えないわね」

 海外にいたため、その場に立ち合えなかったが、いかに大変な出産だったかは、朝子も聞いている。  側にいてやれなかったことを、どれほど悔やんだかしれない。

 朝子は、多分、子供を産むのに支障のない肉体を有しているはずだ。

 検査をしたことはないが、恐らく、妊娠や出産に、希望ほどの困難は待ち構えていないだろう。

 それに、夫が、もう一つの本心として、自分たちの実の子供を欲していることもまた、気付いていない訳でない。

 朝子は、肩の力を抜いた。

「そうね……。頑張ってみましょう。出来たら、ノゾちゃんに、名付け親になってもらいたいもの」

 そのように考えれば、夫の提案も悪いものでないと、思う。

「ああ……それは、良い」

 真実も、その意向を歓迎した。

 愛しい弟に我が子の名を残して貰えれば、どれほど嬉しいだろう。

 そして、いつか……その子が成長した時に、自分を愛してくれていた叔父がいることを……遠い彼方で成長しているだろう従姉がいることを……教えてやりたい……。



 寂しさの中に、夫婦は僅かな慰めを見出したのだった。


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