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黒の皇后  作者: 小松しま
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「あなた方に感謝される謂われなど、本当は私にはありません」

 むしろ糾弾され、罵倒される立場にある者だ。

 見知らぬ世界。頼るべきよすがもない地で、自分は、一体、希望に何と言う仕打ちをしてしまったことか!

 いざ逆の立場になってみれば、彼の寛容さに縋り、こうして永らえているスウェイワナである。

 本当なら、いい気味だと放逐され、のたれ死ぬべき罪を犯した身だ。

「私は、ノゾミを……力尽くで犯しました」

 ようやくの告白である。

「!」

 途端、真実は硬直した。

 しかし、理性的な彼は、脊髄反射の怒りを口にせず、しっかりと拳を握り締めて、続く言葉を待つ。

 愛する弟が、目の前の男を「合意の上で性交をした相手」だと告げている事実を思い返したのだ。

 本人が納得の上で受け入れた行為ならば、余人がそれを非難するのは無意味である。

 真実のそうした瞬時の判断をかたじけなくも申し訳なく思い、スウェイワナは更に口を開いた。

「……私たちの国では、両性の人間は、神に祝福された神聖な存在だとされているのです。そうした者は、滅多に生まれず……とても、少ないため、大切に育てられて、ほとんど例外なく生まれた国の王の妃に迎えられます」

 もはや遠い祖国の光景が脳裏に浮かぶ。

 この地とは全く異なる意識によって成り立つ社会では、当然ながら常識や習慣、価値観……多くに齟齬がある。

 特に、「特別な肉体」に対する姿勢の違いには、スウェイワナも大いに驚かされた。

「王位にあった私には、そうした婚約者がいて、年の離れた彼女の成長を見守り、大切に育てて来たのです」

 今、イレーネを思っても、不思議なぐらい腹立ちはない。

 むしろ、あのような子供じみた癇癪を抱いた自分を、愚かだったと悔恨するばかりだ。

「ところが、長じた後、彼女は私に背を向け、婚約を解消しました。それは……王としてこの上なく名誉を損なう行為だったのですが、彼女は私の面目など全く意に介そうととしなかったのです」

 これまた、この上なく一方的な見解である。

 今なら、わかる。

 イレーネは王妃となるより遙かに重要な役目を背負っており、スウェイワナにかまけていられるような心の余裕などなかったのだろう。

 そして何より、神はイレーネの代理どころでなくもっと大いなる存在である希望を使わすため、全てを差配してくださっていたのだろうとも……。

 けれど当時の自分は、卑小にも、目先に捕らわれた怒りの全てを、まだいとけなさの残る健気な「かんなぎ」へ押し付けていたのだ。

「そんな怒り狂った私を……宥めてくれる女官がいました」

 自らの愚かしさと向き合う時、否が応でも、巻き込んでしまった幼なじみを思い出さずにいられない。

 ライノス伯爵令嬢テルサ。

 彼女には、いくら詫びても許されない罪を犯してしまった。

 心底、偽りない贖罪の念を抱いている。

「彼女は、同い年の幼なじみでもありました。いじらしいほどに私を慕ってくれ、その優しい愛情に癒やされて……ようやく苛立ちも和らぎ……私は、彼女を大切に思うようになり……王妃に迎えると誓ったのです」

 伏し目がちな清楚な貴婦人である専属女官は、身を捨て、スウェイワナへ愛を捧げてくれた。

 それに、応じることに迷いはなかった。

 だが、真実、彼はテルサを愛していたのか、今となってはわからない。

 希望の存在を知って以来、スウェイワナの中には、彼が住み着いてしまったのだから。

 必死に希望を無視しようとし、憎み、恨んでいたのも、紛れもない愛情の裏返しだった。

 降臨の瞬間から、スウェイワナの魂は、彼に縛り付けられていたに相違ない。

 テルサの気持ちなど、全く考えてなどいなかった。

 イレーネの仕打ちを恨むどころの筋合いでないだろう。

 けれど、蒙昧だった愚か者は、自分だけが正しいと、何も見ず、何も知ろうとせず、ただただ身勝手な思い込みの中にあったのだ。

「その女性と君は、……その、肉体関係を持ったんだね?」

 不作法を承知の上で、真実は直裁に尋ねる。

 スウェイワナは、苦渋の表情で肯定した。

「その時は、本気で、彼女と結婚するつもりでした。ただ、婚約者に背かれたばかりでは時期が悪すぎたため、機会を待ってそれを公表すると約束し、取り敢えず、誰にも明かすことなく、二人きりで秘密結婚をしたのです」

 ローディアナ神への宣誓を、テルサは歓喜で告げた。

 あの時の彼女は、この上なく輝き、幸せだと心から呟いたものだった。

 そして、スウェイワナもしかり。

 当時、外聞など憚らず、彼女との婚姻を公にしていたら、後の展開は、全く異なるものとなっていただろう。

 それでも、希望を愛することを止められたかどうか自信はないが。

「ですが、……その後、神の導きによってノゾミが現れました」

 光り輝く降臨の一幕は、スウェイワナの心に刻み付けられている。

「神より与えられた神聖な王妃の到来に、臣下たちは、大変喜び、そしてまたノゾミも、私の妃となって、国政に尽くすことを了承してくれました。よって、その場で即座に仮の婚礼を執り行ったのです」

 あの場には、無論、テルサも臨席していた。

 彼女がどのような想いをするかなどと、当時のスウェイワナは労りもしなかったのである。

 ひどい仕打ちをしてしまった。

 ただ、今だから思うことだが、あの時点で、もはやスウェイワナの心はテルサの元を離れていたのではないか?

 至上の存在である希望に魂を奪われていたに違いないのだから……。

「私も、神の権威を利用するために自分の意志で婚礼を承諾し、誓いを交わしたと言うのに、理不尽にも、ノゾミに怒りを持ちました。ノゾミのせいで、テルサとの結婚を妨害されたのだと。神聖な存在に、どこまで私は翻弄されれば良いのかとまで……」

 神の寵児「かんなぎ」。

 スウェイワナの人生は、その存在に左右され続けた。

 けれど、勿論、真実はそうでない。

 神の威光を笠に着ようとしなければ、幾らでも自由な判断は出来ていたのである。

 結局は、自分の身勝手な狡さによって、全てを引き起こしたに過ぎない。

「その腹いせのように、私は……婚礼の夜に、ノゾミを力尽くで……陵辱したのです」

「……っ」

 さすがに真実の表情が凍り付いた。

 それでも彼は口を開かず、スウェイワナに先を促す。

「更に、その後……ノゾミを……地下牢へ送り込んでしまいました……」

「なっ……?」

「けれど、それは、決して本意ではなかったのです」

 ここで尚、言い訳するのは見苦しい限りだが、どうしても告げずにはいられなかった。

 本当にそこまで非道な仕打ちをするつもりは、断じてなかったのだ。

「苛立ち紛れの捨て台詞にすぎませんでした。しかし……紛れもない王命であったため、臣下たちはそれを遂行し、ノゾミもまた……王権の秩序を守るために……逆らうことなく、理不尽な命に従ってくれたのです」

「そんな……こと、が……」

 真実は、小刻みに震え出した。

 「あの夜」の希望の尋常ならない衰弱ぶりの理由を、ようやく理解したのである。

 地下牢などと言う場が、快適であるはずもない。

 苛酷な環境で、心身を損なって当然だ。

 まして、子を宿していたのなら、尚更!

「二ヶ月後、正式な婚儀とノゾミの王妃としての戴冠が行われることになっておりました。その折、神から特使である新たな神聖な存在が送られて来たのですが、その時に至って、ようやく私はノゾミを地下牢へ送っていたと知り……と言うか、忘れていた事実を教えられた有り様です。式の……三日前のことでした……」

「なんて……」

 心底辛そうに告白するスウェイワナに対して、真実は罵ったら良いのか、泣きわめいたら良いのかすらわからず、呟きを呑み込んでしまう。

「そして当日。儀式の最中にその女官……テルサが、ノゾミの戴冠の妨害をしたのです」

 あの時の彼女は、一体どのような心境にあったのだろうか? 

 無理矢理暇を取らせて王宮を去らせてから、ほぼ一日。テルサはその間に、様々を考え、苦しみ……そして、行動に出る決意をしたはずだ。

 それでも、彼女のことだ。

 子を宿していなければ、全てを呑み込み、またしてもひっそり涙していたに違いない。

「……君の……本当の奥さん、だね?」

 真実の確認の言葉は、スウェイワナにとって、鋭いナイフのようだ。

 苦渋を噛み締め、彼は頷いた。

 そう……。

 テルサは、妻だ。

 そして、希望は偽りの妻でしかない。

「彼女は、妊娠していました。私の子です」

「……っ」

 真実は、言葉もなく首を振った。

 妻子のある男に、希望は一体、どのような態度を取れば良かったのだろうか?

 愛しい弟がどれほど苦しんだのかと思うだけで辛かった。

「その際、乱心に至った彼女が剣を振り回し……ノゾミは、私を庇って、傷を負ったのです……」

「……っ」

 真実は天を仰ぎ、片手で目を覆う。

 彼には、弟の心が理解出来てしまったのだ。

 希望は、スウェイワナを、愛している。

 だから、瞬時の判断で、我が身を盾にした。

 それ以外、考えられない。

「傷を負ったノゾミは、家族の元へ帰りたいと訴え、特使が御尽力くださいました。そして、その帰還の瞬間、たまらず……私は飛び付いて、同行したのです」

 偽っても仕方のない事実を、スウェイワナは告げる。

 その表情は、悔恨に満ちていた。

 スウェイワナは、この上ない卑怯者だ。

 けれど……それでも、希望を愛している。

「……そう、か……」

 真実は、がっくりと脱力した。

 そして、気怠そうに顔をほんの少しだけ上げる。

「一つ、聞かせてもらえるかな? 君の国では奥さんは、何人も迎えられるのだろうか? 側室……愛人などを抱える制限は?」

 混乱の中でも、真実は事実確認を欠かさない。

 一夫一婦のシステムが絶対でないことは、広い世界や長い歴史を見ればわかる。

 朝子ただ一人を唯一無二の伴侶としている彼には受け入れ難い事実だが、世の中には、幾人もの「愛情の対象」あるいは「欲望の対象」を抱えている者もいれば、それが許される環境もあるのだ。

 事実、この日本ですら、お妾さん、あるいは二号などと呼ばれる女性の存在は、未だ過去のものでないと言う。

 不倫さえも、公然と認められているふしがある。

「いいえ」

 しかし、スウェイワナはきっぱりと否を唱えた。

「我らが神は、そうした行いを許しておりません。伴侶はただ一人のみ。故に、テルサにも息を潜めるように、周囲を憚らせてしまいました」

「……それ、は……」

 筋違いの申し訳なさとわかっていても、見知らぬその女性を、真実は哀れまずにいられない。

 深い息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。

「僕たちの国にも、後宮や大奥なんて言う、世界に顔向け出来ない恥ずべき過去があるからね。あまり、大きなことを言う資格はないだろう。ただ、それは一応ならず、世間に認知された、公的なシステムだった。けれど……君の場合は違ったのだよね?」

 スウェイワナは、頷いた。

「そのテルサさんと言うお嬢さんにも、お身内はいたのだろう? もし、君がその立場だったら、大切に育てた娘さんや姉妹が、そのような扱いを受けるのを、どのように感じただろうね?」

「……それ、は……」

 想像すら、スウェイワナはしたことがない。

 だが、たった今、希望が産み落とそうとしている我が子が娘であり、無事に長じた後、妻子ある男の慰み者にされたと思えば……許し難い憤りを覚えるはずだ。

 つまり、テルサの実家の面々も、同様の想いを抱くのが道理である。

 そして、筋としては、そうでなかった。

 曲がりなりにも、先に婚姻の誓いを交わしたテルサを日陰者ながらも本妻とするなら、希望が正にそうした存在だったのである。

 愚かこの上ないことに、これまでスウェイワナは、逃れられないその重大な事実に、思い至りもしなかった。

 その表情から、彼の胸中さえも読み取った真実は、切なげにスウェイワナを見詰める。

「……言いたいことは、山のようにある。けれど……多分、それを感情のままに口にしてしまったら、僕の人間性は損なわれるし、自らの尊厳を失うことにもなるだろう」

「マサミさん……」

 どこまでも、彼は理性的だった。

 それがむしろ、スウェイワナには針の筵よりも辛い。

「救われるのは……君が、今、それを悔いでくれているのが、わかることだろうか……」

 彼は再び俯き、肩を落とした。

「ただ……二ヶ月もの間、希望を庇護してくれたことに、感謝したい」

「マサミさん!」

 感謝されるような謂われなど、断じてないのだ。

 希望は、神の恩寵として降臨した。

 スウェイワナでなくとも、いや、彼でさえなければ、この上なく丁重に扱われ、大切にされていたはずである。

「……っ」

 そう、告白しようとしてスウェイワナは唇を噛み締めた。

 真実が、凄まじい憤りを懸命に堪えていることに気付いたのだ。

(……くっ……)

 途轍もなく、口惜しい。

 何故自分は、敬愛する義兄に、このような想いをさせてしまうような愚行を働いたのだろうか?

 子供じみた癇癪の制御も出来ず、周囲に当たり散らし、罪もない希望に、惨い仕打ちを強いてしまったのか!

 申し訳なくて仕方がない。

 叶うものならば、過去の自分を斬り殺してしまいたいほどだった。今更、どのような言葉を口にして も、許されるはずなどない。

 スウェイワナは深い悔恨に項垂れ、ただただ、こうべを垂れるしかなかった。


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