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黒の皇后  作者: 小松しま
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 翌日。

 正式なる婚儀が執り行われる本日は、ラジアナ王国の歴史はじまって以来の、誉れ高き一日になるはずだった。

 恩賜の王妃を祝福するかのように天に瑞光が溢れ、更にそれを寿ぐために到来した特使「水晶の御使い」の戴く宝冠に太陽の煌めきが反射して、七色の目映い輝きが地に散らばる。

 「かんなぎ」たる存在のその高貴さが、無言の内に讃えられているかのようだった。

 事実、「かんなぎ」の価値は国体を押し上げるほどに尊い。

 元より大陸で十指に数えられるラジアナ王国であるので、恩賜の王妃を授かったことにより、王は君主の筆頭となると、不文律で決定されたようなものだ。

 正に、世紀の祝典なのである。

 希望が降臨したあの広場が、婚儀の会場となる。

 ここは、王国の創立を遡る太古より聖域とされている地なのだ。

 遠い昔から、断じて建物を築くことを許されていない。

 そして、歴代の国王とその後継者の戴冠や成婚を執り行う場とされて来た。

 今回もまた、例外ではない。

 素晴らしい晴天に恵まれ、巫女姫イレーネが司る儀式が粛々と進む。

 聖域を取り囲むのは、賓客に廷臣。

 更にその周囲に、果たしてどこまで続いているのかわからないほどに、群衆たちが詰めかけ、大地を埋め尽くしている。

 世紀の瞬間に立ち合おうと、遙か遠方より出向いた者も多々あるはずだ。

 そんな中、婚姻の誓いが終わり、イレーネが一歩引く。

 正式な夫婦となった王と王妃に、大いなる祝福が降り注ぐ。

 そして、式次第は、王妃の戴冠へと移ろうとしていた。

 これを執り行うのは、夫である王の役目である。

 見守るイレーネと特使夫妻らの前で、指示のまま希望は絨毯に跪き、冠を授ける夫に対峙し、手を合わせて目を閉じ、時を待つ……。


「お待ちくださいませ!」


 そこへ、予期せぬ声が上がった。


「ライノス女官か?」

「テルサ殿!」

「ライノス伯爵の御令嬢ではないか!」


 美しく着飾った列席者を掻き分けて、訴えと共に飛び出して来たのは、テルサである。

 彼女は、忍びの貴婦人が用いる装束を纏い、乱れ髪に目を血走らせた尋常ならない姿で現れた。

 胸に当てた両手には、どう見ても剣でしかない包みを抱えている。

「……テ、ルサ……」

 王妃冠を手にするスウェイワナは、目を見開いて硬直した。

 テルサは真っ直ぐに顔を上げ、夫妻の前に歩み寄る。

 全身が凄まじい気迫に漲っていた。

 故に、誰一人、彼女をとめだて出来なかったのだろう。

 実際、伯爵令嬢にて国王直属女官の彼女なら、この場をおとない儀式の中央へ至ったところで、誰からも咎められる筋合いなどない。


「その……冠を頂戴致しますのは、わたくしにございますっ」


 テルサは、王でなく、王妃を凝視して言い切った。

 ほぼ丸一日。王妃の懐妊を知ってからの時間が、彼女の中に甦っていた。

 王に言い含められて、取り敢えず城を後にしたものの、どう考えても、このままでは自分の存在ごと、我が子を無視されるとの結論に至ったのだ。

 そして、恋する女でなく、子を愛する母として現実を見返せば、スウェイワナに、王として男として、更には父としての誠意を求めるのが難しいと気付かない訳に行かなかった。

 よって、テルサは立ち上がったのだ。

 全てを、真実の光りの元に明らかなものとするために!


「ぶ、無礼であるっ。下がらせよっ!」


 案に違わずだろうか。スウェイワナは、絶望的なまでに愚かな命を発した。

 テルサの心は引き裂かれんばかりの痛みに見舞われるが、泣き崩れている場合ではない。

「お下がりなさい! 正式なる王位継承者を宿す王妃への無礼は許しません!」

 そう……。

 彼女は、王妃なのだ。

 次代のラジアナを担う王の母なのだ。

 その誇りを以て、理不尽な仕打ちに立ち向かわなければならない。

 果たしてその強い覚悟は、取り抑えようとした兵をはじめ、居並ぶ面々を絶句させ、畏怖を与えた。

 神の特使であるアルビオレとテレイシスですら、硬直する。

 彼らは、儀式のおいての「飾り物」(上座を作るための道具扱いにて実際には使わないと言う意味で)である移動用の玉座の傍らに場を与えられていた。

 世紀の瞬間を、神に近しい立場に身を置き、見届けるためにだ。

 そして、その反対側に、今、イレーネは下がり、控えている。

「なっ……」

「い、……ったい……」

 テレイシスの混乱を示すように宝冠に反射する七色の光りが小刻みに揺れ、大地を走った。

「我らがローディアナ神への宣誓を経て、わたくしは既に王の伴侶となった身です。そして……このお腹には、王の御子を宿しております」

 ついに明かされた真実に、広場中の誰もが動揺する。

「アルっ!」

 驚愕のあまり、テレイシスはアルビオレに抱き付いた。

 アルビオレもまた、そんな「水晶の御使い」の身を、しっかりと包み込む。

「な、な、……」

「陛下……」

 テルサは、及び腰で狼狽えるスウェイワナに向かって、歩みを進める。

「……どうぞ、正当なる王妃に、正当なる処遇をお与えくださいませ。わたくしのみが、陛下の真実の妻にございます」

「テ、テ、テル……」

 スウェイワナは、応える言葉もない。

「陛下! これは、誠にございまするか?」

 そこへ、ようやく気を取り直した宰相が詰問の叫びをあげる。

「うっ……」

「陛下っ! お答えくださいませっ!」

 イレーネもまた同様だった。

 凄まじい緊張が場を支配する。

 それに煽られたのか、テルサが手の中の包みを解き、剣を取り出した。

 恐慌に陥ったスウェイワナは、王妃冠を投げ出して叫ぶ。

「ひ、引っ立てよっ!」


「止めいっ!」


 即座に、王命を撤回する声が上がった。

 ローディアナ神の副使、アルビオレである。

 その威厳ある命に、広場は静まりかえった。

 アルビオレは、正使にて伴侶のテレイシスを抱き締めたまま、ゆっくりと玉座の脇から離れ、絨毯の上を歩き出す。

「そちらの御婦人の仰せが真実なれば、紛れもないラジアナ王妃であらせられる。無礼は許さぬ」

 神の特使と言う立場にあって、いっそ不思議になるほど公正なもの言いだった。

「……特使、さま……」

 剣を抱えるテルサですら、呆気に取られてしまう。

 彼らは王妃の……希望の同胞であり、味方であったのではないか? と、その表情が告げていた。

「王よ。我らが神の御名において尋ねる。これなる御婦人の言に、偽りありやなきや?」

 アルビオレは、何の表情も見せず、冷静に……しかし、鋭い問いを投げかける。

「……」

 返答しようもないスウェイワナは、ただただ喉を上下させて腰を引かせるばかりだ。

「神への誓いを捧げし伴侶であらせられるか、否か!」

 続く問いを投げかけながら、アルビオレは、かっ! と、目を見開いた。

 あまりにも、役者が違いすぎる。

 スウェイワナは、たじろぎながら、必死に言葉を捜した。

 重婚が、神の教えに背く大罪であるとは、無論承知している。

 しかし、決して本意でなかったのだ。

「か、神への……誓い、などではない……」

 何より、神はこちらの都合を無視して、一方的に希望を送り込んで来たのだから、どのように対処すれば良かったのかなど、わかるはずもなかった。

「か、神より、王妃が贈られる前のことだ! 神の御采配を前に、どれほどの意味があろうか!」

 苦し紛れに叫べば、案の定、アルビオレは嫌悪も顕わに、表情を歪める。

「へ、陛下っ……」

 テルサの嘆きが耳に届くが、スウェイワナは勤めて無視した。

 本当に自分を愛しているのなら、決してこのような行いはしない。

 つまり、彼女の想いなど、その程度のものだったのだと、いっそ筋違いの苛立ちすら覚えた。

「そ……そ、ん……な……」

 がくがくと震える彼女を、哀れとすら思えない。

「神への誓いも、人への誓いも、その重みに違いはありません!」

 思いがけない言葉は、イレーネが発したものだった。

「人への誓いは、即ち神への誓いであり、神への誓いもまた……人への誓いとなる。等しく神聖なるもの……」

 彼女もまた、玉座の脇から歩み寄る。

「わたくしは、そう……イブリンの巫女姫ロウィーナさまより学びました。それは、神の教えにございます」

 ロウィーナとは、彼女の遊学先である隣国イブリンが誇る老巫女姫のことだ。

 偉大な「かんなぎ」として、その名が高い。

 イレーネは、その先達より教えを受けるために、故国を後にしたのである。

 スウェイワナが更なる窮地に追い込まれ、喘ぐ言葉もないその中、一人、静かに動き出す者があった。

 希望である。

 彼はゆっくりと立ち上がり、無表情のまま瞬いた。

「お、王妃……」

「僕は……王妃なんて名前じゃありません」

 希望は、つれなくそう返す。

 この期に及んでようやく理解するが、夫だと思っていた男は、希望の名前すら、知らずにいたのだ。

 何と滑稽な、笑い話しではないか。

「それに……あなたには、もうちゃんと……お妃さまが、いらっしゃるようではありませんか……」

 笑う気力すらないまま、彼はそう返す。

 希望の中には、たまらない虚脱感があった。

「……何のために……僕は、ここにいるのでしょう?」

 全てを捨ててラジアナ王国へ降り立った二ヶ月前の光り輝く光景が、脳裏に甦る。

 あの時、希望の中には、漲るばかりの展望があった。

 そしてそれが、自分に出来ると、思い上がっていた。

 けれど現実はこうだ。

 彼は、伴侶たるべき男からすら、必要とされない、虚しい存在に過ぎなかったのである。

「ノゾミさま……」

 優しいテレイシスの労りの言葉すら、今は切ない。

 同情が重く感じる時もあるのだ。

 叶うものなら、何の哀れみも受けたくなかった。


「全てを正すために、その……売女を……成敗して差し上げます!」


 全ての気力を失う心地でいる希望に、突進する者があった。

 テルサである。

 愛する夫からの惨い裏切りに打ちのめされた彼女は、理路整然とした思考を封じ、乱れる感情のままに、筋道など立つ由もない結論に至ったのだ。

「乱心かっ!」

 アルビオレの咄嗟の判断は、秀逸なものだろう。

 そう……。

 テルサの心は、この瞬間に、限界を越えてしまったのだ。

 構えた剣を、彼女は振り下ろす。

 その瞬間、何故かスウェイワナは、希望を抱き込み、我が身を盾にした。

 しかし、希望は、その彼を突き飛ばす。考えるより先に両手を広げ、テルサに対峙したのだ。

 胸の上を、刃が走る。

 焼け付くような熱を感じた。

 恐らく、たいした傷ではないのだろう。

 テルサは、どう見ても、剣に習熟しているとは思えない。

 素人が心得もなく振り下げた武器。

 まして、女の細腕だ。

 しかし……。


「きゃあああぁぁーっ!」


 凄まじい狂乱が場を支配する。

「お、王妃っ!」

 縋り付くようにして、スウェイワナが彼を抱き寄せた。

 それを、流血の希望は他人事のように眺める。

(ああ……これが……)


──…………。なれど、他の誰かの涙は?──


 今更ながら、アルビオレが告げてくれた問いの形を取った警告の意味を理解した。


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