62. 番外編 お兄様はやってられない
変化が無いことはつまんないですよね。
クラウスお兄様にも変化が欲しくて
番外編で登場です。
妹が結婚した。結婚話が出てからあっという間のスピード婚だ。
「それでは、クラウスお兄様こちらをお渡しして下さいな」
これから登城するため、家の馬車に乗り込もうとしたところで声を掛けられた。良く通る可愛らしい声に思わず振り返った。
「はい。お願いしますわ」
バスケットを両手で差し出すと、ニッコリと微笑んでいる。
「リリ、これは?」
何をお願いされたのだと怪訝そうに妹の顔を見た。
「聞いていらっしゃなかったのですか?昨夜お願いしたでしょう?今日はシリウス様が王宮内の執務室でずっとお仕事なのですって。だから、昼食のお弁当をお渡しして頂きたいのですわ」
そう言って、バスケットをズイっと胸元に押し付けてきた。
妹のリリは、親友で宮廷近衛騎士の副団長であるシリウスと結婚した。結婚証明書は受理されているし、陛下の承認も頂いているが、如何せん婚約期間も無くいきなり結婚をしたものだから、結婚式の予定も未定だし、シリウスの実家である公爵家での準備も追いついていない。つまり、同居はしておらず、通い婚?のような状況だ。我が国の筆頭公爵家であるスタンフォード家の、公爵夫人教育もようやくひと月前から始まったばかりだ。
二年前のデビュタントの夜に起こった ≪誘拐事件≫ について決着が着いたのは3ヶ月前。
真相は隣国のトウレンブルク王国のクーデターが発端となっていたが、メルト王国一面倒な御仁が絡んだことで、より一層ややこしくなった。
が、今になってみれば直接被害を被った妹とシリウスは、お互い最高の伴侶と巡り合い結婚した。ルシェール殿は身分とお父上の復権が叶い、本人は医術大学の理事兼第一期生総代になることが決まった。
そして、カルバーン殿も再び日の当たる本業の舞台へと返り咲くことになった。隣国との交渉を任されたアレッド王太子は、オーキッド辺境伯に新たな劇場を造らせることができて、国庫に負担を掛けることなく新たな観光産業を計画できることになった。オーキッド殿は、建築費などの負担は多いが、特使となった隣国との太いパイプを利用できるし、彼の領地経営能力を考えれば劇場経営やその周辺の観光産業も発展できるはずだ。彼はメルト王国側の運営統括責任者となったのだから。
リリの判断はそこに関係した人物にメリットをもたらした。
現在は、セーヴルとオーキッド殿、カルバーン殿は王都で学術都市計画と劇場、その他の観光産業について指揮を執っている。実はセーヴルとオーキッド殿は意外と気が合うことが判ったのだ。
しかし、オーキッド殿にはパルマン領の管理もあるはずだが、そこは先代からの信用厚い管理人や侍従等がいることから、領地と王都の通信環境を整えて何とか間に合わせているらしい。さすがに優秀だ。
「クラウスお兄様?大丈夫ですの?ボーっとしていらっしゃいますけど?」
ああ、何だか周りは急激に変化しているのに、自分が取り残されているような感覚が・・・
「お兄様?どこかお身体の調子でも悪いのですか?」
心配した妹が、下から覗き込むように顔を見てきた。
「いいや。大丈夫だ。何もない・・・」
「そうですか?それではこれをお願いしますわね?シリウス様にも宜しくお伝えくださいな。夕食はいつも通り、公爵家でお待ちしていますのでご一緒にと」
「ああ。判った」
「お兄様の分も入っていますから、ご一緒にランチをお楽しみくださいな」
「・・・・ああ。ありがとう。それではもう行くよ」
「ええ。行ってらっしゃい。お兄様、シリウス様に宜しくね」
花が綻ぶというのはこういうことか、と思うような笑顔だ。明るい朝の陽ざしにキラキラとした瞳の輝きが本当に美しい。我が妹ながら、≪妖精姫≫ とはよく言ったものだ。馬車の窓を開けると、手を振って見送っている。この風景ももう少しで見られなくなると思うと、胸の奥がチリっと傷んだ。
「シリウス!入るぞ!」
宮廷近衛騎士の詰所は王宮の西側にあるが、副団長であるシリウスの執務室は、アレッド王太子の執務室からはそう離れていない。
「ああ、クラウス。もうそんな時間になるか?」
机で書類にサインをしていたシリウスが顔を上げた。正午を告げる鐘が鳴ってからしばらく経っているが、それにも気づかず仕事をしていたらしい。
「リリから預かってきた。ランチだそうだ」
「そうか。ありがとう。お前の分もあるのだろう?一緒に昼食にしよう。今、お茶を用意する」
シリウスの執務室は一階にあり、幾つかに分かれた鍛錬場を望む場所にある。鍛錬場までの道の両脇は芝が青々と生え、樹々が木陰を造っている。いい天気だ。王宮に勤める者が数人外で昼食を摂っているようだ。
「いい天気だな。外は気持ち良さそうだな」
「確かに。日差しが気持ちい季節だからな。外で食べるか?すぐそこにベンチとテーブルがあるぞ?」
何気なく呟いたつもりだったが、シリウスには聞こえていたらしい。シリウスがすぐに従者に言って外で食べられるように準備をしてくれた。
執務室から直接外に出てみると、すぐ側の木の下にベンチとテーブルがあった。従者によってそこには白いクロスとランチョンマット、お茶の用意がされていた。
「さあ、頂こうか」
シリウスが笑顔で席に着いた。
バスケットの中には、肉と野菜を挟んだサンドイッチ、ハムと野菜を挟んだサンドイッチ、チーズと野菜のロールサンド、卵と彩野菜のキッシュ、鶏肉の香草揚げ、燻製した香りの高いソーセージとグリル野菜のサラダなど色とりどりの料理が美しく詰められていた。デザートには数種類の新鮮なフルーツがカッティングされたオレンジの皮の器に入っていた。甘い物が苦手なシリウスの為のデザートだ。
「これは美味しそうだ。このカップには何が入っているのだ?」
シリウスが小さな蓋つきのカップを見つけた。バスケットの一番下で倒れないように置かれていたそれは、冷たい水滴に濡れていた。
「これは、冷製スープか?少し冷たいような感じがするが」
そう言って、クラウスの前に蓋を取ってからそっと置いてくれた。
「ああ。これは、未成熟の豆のスープだ。我が家の料理人の得意料理で、この時期しか食べられない珍しい物だ。昼に冷たく食べられるよう、器ごと凍らせていたのではないか?」
「そうか。それでは冷たいうちに頂こう」
にっこりと微笑むシリウスは、本当に幸せそうに見える。優雅な手つきで、冷えた季節のスープを口に運んでいる。冷たくて口当たりの良い、爽やかな豆の味が食欲をそそる。妻が自分の好物を考えてメニューを決めているのを判っているのだ。季節の物を美味しく食べて貰いたい。食事を楽しんで貰いたい。心配りが溢れんばかりのランチなのだ。
「幸せそうで・・・・何よりだ・・・」
思わずため息と共に口から出てしまった。
正面に座っているシリウスが、おやっ?と怪訝そうな目で見ている。
「どうしたんだ?調子でも悪いのか?」
ここでも言われた。今日の自分はどことなく冴えないのだ。
周囲が幸せで色々な物や事が進んでいるのに自分が停滞しているような・・・・そう。置いてけぼりを喰っているような焦りも感じている。
「いや・・・調子は悪くないのだが・・・」
「そうには見えんが。本当に変わったことは無いのか?」
「変わったことが無さ過ぎるんだ」
「はっ?」
「お前たちは人生が変わることがあったのに、私には何も無いのだ!?皆、今までの生活から大きく変わったというのに、私は何も変わらない」
クラウスが、モノクルを外して視線を遠くに向けた。シリウスは珍しい物でも見るように、クラウスを見詰めると彼の手をギュッと握った。
「そんなことは無い。元気を出せ。お前にしか出来ないことが沢山あるし、何よりお前にはアレッド王太子というとんでもないお荷物・・イヤ!支えるべき次代の王がいるだろう!!お前なくして、この国は無いのだぞ!!」
「そうか?でも、アレッド殿下は謂わば仕事上の上司になるだけだ。私の人生の潤いには程遠い」
「クラウス。お前、もしかして結婚したくなったのか?私とリリの影響なら・・・」
「そんなバカップルにはなりたくないが」
「バカップル?」
「いや、気にするな。リリも嫁に行ってしまえば我が家は寂しくなるからな」
もう一度溜息を吐いてクラウスは昼食を続けた。じっと見つめるシリウスの視線が細められているのには気付いていない。そう。このクラウスという男は頭脳は優秀であるが、案外抜けている所があるのだった。
「あれぇ!?クラウス君も一緒だったの?」
従者の困り顔を振り切って、オーキッド殿が近寄ってきた。この方には宮廷の常識もいや、それ以前に一般常識も関係ないようだ。
「あっ!美味しそうだね?もしかしてリリちゃんからのお弁当?」
テーブルの上の籠や皿を見ながら楽しそうに話すオーキッド殿。今日は・・・ドレス姿だ。
「オーキッド殿、今日は何の御用でしょうか?毎日毎日いらっしゃいますが、今はクラウスとのランチですので少しあちらでお待ちいただけませんか?」
「ううん。今日はね紹介に来ただけだから。以前言ったでしょう?私には優秀な従者がいるって。領地に伝令をさせていたんだけど、正式にタウンハウス在勤にしたからね。クラウス君も一緒なら丁度良かった」
聞き逃しそうだったけど、オーキッド殿は毎日シリウスの所に来ているのか。まあ、美しい物好きと評判のオーキッド殿だから大人しくしている訳は無いと思っていたが。少し気の毒にも思える。だが仕方がない。シリウスが受け止めなければ他に大きな悪影響が出そうだから。
「じゃあ、紹介するよ?ロゼリン・タルハイド。元男爵家の出身だよ」
長い濃茶の髪を頭の高い位置で一つに結わえている。白い顔に明るい茶色の大きな瞳。髪色と同じ色の長い睫毛が縁どるように影を落としている。健康的な頬は上気したようにほんのりと赤い。
小柄で、しなやかな身体は、白いシャツに黒の革のベスト、黒いズボンに同じく黒の皮のブーツだ。腰に巻かれた縞のストールが良いアクセントになっている。
「ロゼリンです。よろしくお願いします。以後、お見知りおきを」
明るくはきはきした声は、少女の様に少し高い声だった。若枝のような清々しいその姿は新鮮に見えた。
「じゃあねぇ。シリウス君、クラウス君、これからはロゼリンをよろしく頼むよ?じゃあ、行こうか」
オーキッド殿がそう言って、ロゼリンに声を掛けた。彼は私達ににっこりと微笑むと、それではまた。と踵を返した。背中で長い髪が馬のしっぽのようにピョンピョンと跳ねる。
「クラウス?」
「・・・」
「クラウス?どうしたのだ?」
「(かっ、可愛い!・・・。)でも、男だろう・・!?」
変化を望んでいた男、クラウスの苦悩が始まったのはこの時からだった。
ロゼリンが女で、あろうことかカルバーンの妹であることを知るのは、もう少し先のお話。
カーンとロゼリンの苗字が違うのは
カーンが芸名であることと、異母兄妹という
設定がありまして・・・
楽しんでいただけたら幸いです。




