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東北にて

作者: よっしー

 僕は芹沢信行45歳、介護歴9年の中堅だ。神戸にある小規模多機能型居宅介護施設「ディオーサ愛の丘」というところで常勤として勤めている。


 ところで僕は今仙台にやって来ている。たまたま勤務が夜勤明けから3連休になっていたので、1人旅をすることにしたのだ。5年程前に妻と付き合い出してからは、1人旅をすることがなかったのだけど、それ以前には月1ペースで1人旅をしたものだ。


 そして僕が久々の1人旅に選んだのは東北だ。なぜこの2月の寒い時期に、よりによって寒そうな場所を選んだのかって言うと、単純に東北が好きだからだ。東北には良い旅の思い出しかないし――まあ、そう言っても2回しか行ったことがないけど――僕は東北の人が日本で1番良い人な気がしている。さらに神戸空港から仙台空港迄80分と交通の便が良く、しかも片道6700円と料金も安かった。これはもう完全に東北だ。


 さてその東北であるが、1人旅で僕が一体なにをするのかと言うと、その所々の土地を散策し、名物を食らい、温泉に入り、そして酒を飲むという、割とありきたりな感じだ。今日の昼は仙台で有名な「利久」と言う店の牛タンランチを食べた。分厚い牛タンには、程よい感じの塩コショウで味付けが成されており、驚くべき美味さだった。仙台に来て良かった。仙台に来なければ1500円もする牛タンランチを食べることはなかっただろう。こういった出会いこそが、まさに旅の醍醐味だ。

 

 それから僕は仙台駅周辺のアーケード商店街をぶらついてから、駅のすぐ近くの31階建てのビルの展望スペースに行くことにした。次の目的地、山形県かみのやま温泉行きのバス迄にはまだ時間があったのだ。


 僕はエレベーターに乗る。だけど、向かい合って2台ずつあったエレベーターのうち、僕が乗った方は30階までしか行かないことが、乗ってから判明した。仕方ないので、とりあえず30階まで行ってから向かい側の方に乗り換えようと思い、やむなく30階で降りた。そしてなにがあんねやろと思って、僕は辺りを見渡した。左側には大きな窓があり、仙台の景色が見える。では、右側はどうだろう?


 3メートル程通路があり、そこから左右に通路が伸びているようだ。そして正面にはドアがあり、その横には紙が貼ってあった。


「東海大学試験会場」


 なんだって?東海大学?受験会場?もしかして、僕はマズいところに来てしまったのか?するとその部屋の前で向こう向きに座っている女の人が、振り向いて僕を見て来た。オバさんだ。オアシズの大久保さんを一回り年取らせたような感じで、不思議そうな表情を浮かべている。そりゃあそうだろう。リュックとワンショルダーバッグの2つを背負っている40半ばの僕は、誰がどう見たって東海大学受験者ではない。


 どないしょ?――少し、僕は考えた。


 けど、どないしょたって、まさかオバさんがいる方に向かう訳には行かず、エレベーターが来るのを待つ以外方法はない。エレベーターの前に立つ僕を、オバさんが再び見て来る。分かってる。怪しいんだろ?僕だってここにはいたくない。いたくないけど、エレベーターが来ないんだ。だってこのビルは31階もあるからね。


 それにしても東海大学は、なんだってこんな訳の分からないビルの30階なんかで試験をするのだろう?東海大学の試験は東海大学ですれば良いじゃないか。そもそもここは東北だ。どうして東海大学の試験をしているんだ?日本大学の試験をモンゴルのゲルでするようなもんじゃないか。


 僕は東海大学への疑問を頭に巡らせながら、エレベーターの上がって来る数字を見つめていた。頼むから早く来てくれ。オバさんはその間も何度も何度も振り返って僕を見て来る――。


 ――そうやって苦労してたどり着いた展望スペースであったのだけど、思ったより狭いし寒いしですぐに立ち去ることにし、僕はかみのやま温泉行きのバスに乗るために停留所に向かった。東海大学受験会場にほど近い仙台駅前から乗れば良かったんだけど、事前にネットで調べたら満員だったら乗れないと書いてあったので、僕は恐れを成し――それにまだ時間もあったし――始発である仙台市役所前まで20分程歩いて、そこから乗った。


 市役所前からかみのやま温泉まで1時間30分、乗客は10人ちょっとくらいで、思ったより若者が多い。そして僕は地図と照らし合わせながら景色を見る。アーケド街を往復したから場所の把握はバッチリだ。市街地でバスは2つ停留所で停まった。それからいよいよ山形に向けて入った長いトンネルを抜けると雪景色が広がった。まさに川端康成のアレだ。


『おおっ』


 僕は心の中で少し歓声をあげた。仙台では所々にしか雪が無かったので、こんなもんかと思っていたのだけど、仙台からちょっと離れただけで雪国になった。それからバスが山形に近付くに連れどんどん雪が深くなって行った。そしてその雪景色は、僕に大学時代何度か行ったスキー旅行のことを思い出させ、その当時のことが、特別なキラメキとたまらない切なさややりきれなさを持って胸に溢れてきた。でもその要因はスキー旅行と言うより、当時好きな女の子がいたのだけど、その女の子に対する想いが大きいだろう。ただその好きとやらは、半分自分の夢の中にズッポリ浸かっていたような身勝手極まりない代物で、当然の結果として完全に失恋して泣いた訳だけど、今もってこんなたまらない気持ちになれるのだから――その子には迷惑だったろうけど――かけがえのない経験だったと言う他ない。

 

 それからバスはいよいよ山形県に入り、停留所で人がポツポツ降りて行った。そしてほどなくして若者が多い理由が分かった。それは東北芸術工科大学と言う大学の停留所があるからで、そこで若者はみんな降りて行った。東北芸術工科大学はさすが芸大と言うだけあって、平べったい二等辺三角形の特徴的な建物が印象的で、僕はIPODで写真を撮った。


 さて若者が誰もいなくなり、停留所を2つ過ぎると、ついにJRかみのやま温泉駅が近付いて来た。そしてバスの前に表示されている停留所の表を見てみると、JRかみのやま温泉駅の次はかみのやま温泉となっている。僕はついさっきまで、JRかみのやま温泉駅で降りて、コンビニに寄ってから予約しているあずま屋という旅館に電話して迎えに来てもらうつもりでいた。だけど、かみのやま温泉で降りたらあずま屋はすぐそこちゃうのん?という想いが芽生えて来た。


 ところで、僕がバスの停留所をいまいち把握していなくて、あずま屋の場所をなんとなくにしか分かっていないのには事情がある。


 実は、僕が1ヶ月前にじゃらんで予約したのは、あずま屋ではなくて、あずま屋から2キロ程離れた姉妹館のふじや旅館だったのだ。だからふじや旅館の場所はきちんと把握していて、道中にコンビニがあることも把握していた。しかし3日前にあずま屋から電話があり、ふじた旅館は改修工事をしているので、あずま屋に泊まって欲しいと頼まれたのだ。そしてJRかみのやま温泉に着いて電話してくれたら迎えに行きますと言われていたので、JRかみのやま温泉駅で降りる以外のことを想定していなかった。だからバス停にかみのやま温泉という停留所があることを把握していなかった訳だけど、送迎なんか頼むより、歩いて行けるならそれに越したことはない。さすがにあずま屋のだいたいの場所くらいは調べていたので、明らかにかみのやま温泉の停留所の近くだという確信はある。ただ、ここで問題となるのがコンビニの存在だ。僕はどうしても酒を買わなくてはいけないのだ。その日飲むビール6本と焼酎を割る烏龍茶は必須アイテムで、もしかみのやま温泉にコンビニがなければ、僕はJRかみのやま温泉駅まで歩いて行かなくてはならなくなるだろう。いろいろ考えているうちにJRかみのやま温泉駅が目前に迫る。ついに決断の時は来た。


『ノー!』


 僕は威勢良く心の中で叫び、JRかみのやま温泉を見送った。迎えに来てもらうなんて、そんな七面倒くさいことはやめだ。天下にその名を轟かすかみのやま温泉に、たかがコンビニくらいあるだろう。


 それからすぐに、バスはかみのやま温泉の停留所に着いた。道路には所々に雪があるだけだけど、道路の脇には1メートルくらいか?冗談みたいに雪が積もっている。僕は普通にプーマのスニーカーを履いているのだけど、果たしてこんなので雪道は歩けるのだろうか?そしてコンビニは?そもそもあずま屋は見つかるのか?しかしここまで来てはもう仕方ない。こうなりゃ賭けだ。鬼が出るか蛇が出るか――。


 しかしすぐに出たのは、鬼でも蛇でもなくあずま屋だった。僕がバスを降り停留所の辺りを見渡すと、すぐ近くにあずま屋の看板が見えた。とりあえず一安心だ。僕は道路を渡り、一路あずま屋を目指す。凍っているためか歩くとザクザク音がしている。でも意外と雪でも僕のプーマは滑らなかった。これまた一安心、後はコンビニを探すだけだ。だけど、あずま屋はあまりに近く、コンビニを探す間もなくあっという間に到着してしまった。仕方ない、旅館の人にコンビニの場所を聞こう。僕がチェックインを済ませると、案内係の人が部屋まで案内してくれた。さて部屋に着き、何か説明でもあるのかと思いきや、案内係りの人がすぐに立ち去ろうとするので、僕は慌てて聞いた。


「すいません。コンビニって近くにありますか?」


「駅まで行かないとないですね。失礼します」


 案内係りの人はそう愛想なく答えると、あっという間に行ってしまった。別にええけど、お茶も入れへんのやね。僕はそう思った。けど、お茶なんてどうでも良い。そう。コンビ二がないというこのショッキングな事実。僕のJRかみのやま駅行きが決定してしまったのだ。


 まあ、しゃあない。観光がてら歩くのも悪くないだろう。僕はそう思い直すと、そそくさと部屋を後にした。


 改めて外に出てみると、空気がヒンヤリとして、まあ見事な雪景色だ。考えてみると、こういう見慣れない風景の中を散歩するのはなかなかワクワクするじゃないか。僕のテンションは俄かに上がる。そうして僕はかみのやま駅に向かって歩き始めたのだけど、5分も歩かないうちに酒屋が現れた。おっ、別にコンビニにこだわらんでも、酒屋でええんちゃうん?僕はそう思った。だって目的はビール6本と烏龍茶なのだから。見た感じみすぼらしいまさに田舎の酒屋って感じだけど、ビールと烏龍茶くらい売っているだろう。僕は早速酒屋の横開きのドアを開けた。


「いらっしゃい。お酒ですか?」


 すると、レジカウンターにいた60代後半くらいの初老のおじさんがにこやかに迎えてくれた。


「はい」


 そう応えた僕は、酒屋に用言うたらそりゃ酒やろと思いつつ、ビールはどこにあるか、店内を見渡した。薄暗い店内はこれぞ田舎の酒屋という感じで、飾り気なく整然と酒が並んでいた。種類や数はそんなに多くない。そしてビールはどうやら奥の冷蔵庫にがありそうだったので、そちらに行ってみると、僕の目当ての発泡酒は、金麦とのどこし生の2種類しかなかったので、まあ別にこれでいいかと、金麦350mℓの6本パックと烏龍茶2ℓを買うことにした。ところが烏龍茶2ℓは250円と冷蔵庫で表示されていたのだけど、金麦の値段は表示されておらず、一応値段を確かめないと不安なので、どこかに値段が表示されてないか探すとそれはすぐ見つかった。冷蔵庫横の柱にビール値段表が貼ってあったのだ。それを見ると金麦350mℓが1缶131円、別に普通の値段だ。納得した僕はそれらを持ってレジカウンターに置いた。


「ありがとうございます」おじさんは相変わらずにこやかで、古いレジを打ち、そして言った。「1228円です」


 え?あれ?なんか高ないか?僕は即座に思った。だって131円×6缶+250円で、すぐに計算は出来ないけど、そこまだはしないだろう。なので僕は言った。


「え?高くないですか?」


「そうですか?」


 そう言っておじさんは奥に向かう。きっと値段を確かめる為だろう。僕も付いて行った。例のビール値段表の前に着くと、おじさんは僕の方を振り向いて言った。


「ビール500の缶ですよね?」


 え?何を言ってるんだ?そんな区別が付かないなんて、この人は大丈夫なのか?


「いや違います。350です」


「あっそうですか。えーと金麦350はと――えーと、えーと」


 それからおじさんは右手の指でを値段表をなぞり始めたのだけど、なかなか見つけられないようだ。本当にどうなってるんだ?


「ほらここです。131円と書いてますね」


 僕には、はっきりと金麦350mℓの横に131円と書かれてるのが分かるので、その部分を指差して言った。


「なるほどなるほど。最近目が悪くなっちゃてねえ」


 おじさんは笑顔で言った。なるほど、目が悪いのか、そうかそうか。それからおじさんが再びレジに戻って行ったので、僕も付いて行った。そしておじさんはレジを打つ。でも何度打ってもまったく上手くいかない。


「どうも見えにくいなあ」


 おじさんが言った。圧倒的目の悪さだ。するとおじさんはレジを諦めて、今度はカウンターの上に置いてあった電卓を使い始めた。電卓の字の方が小さいように思われるけど、大丈夫なのか?


 そしたら案の定、電卓を一所懸命叩けどまったく上手くいかず、おじさんはちょっと乱暴に電卓を左手で払って言った。


「いやあ、見えにくいなあ」


 でしょうね――。


 さて、次はどないすんの?と思って見ていたら、おじさんはボールペンで紙に書いて計算を始めた。僕は合計金額を知っておきたかったこともあり、おじさんが手で払った計算機で計算することにした。131×6=786、ビール6缶は786円で、烏龍茶の250円を足すと全部で1036円、答えはすぐに出たのだけど、おじさんはまだ必死で計算をしている。僕はその計算を見てみたのだけど、131×6の計算がまるで上手くいっていない。それでようやく僕は気付いた。もしかして、このおじさんは認知症じゃないのだろうか?


 だとしたら僕はどうすれば良いのか?酒屋の店主のプライドが客に値段を聞くことを許さないのだろうか、おじさんは必死で131×6の掛け算をしている。だったら介護職のはしくれとして、計算が出来るのを待つ他ないだろう。幸い時間はたっぷりある。僕の推測通り、おじさんが認知症だとしたら、計算が出来るとは到底思えないけど、なんらかの答えが出るのを待ってみよう。


「ほんと見えにくいなあ。目が悪くなっちゃったなあ」


 おじさんは計算に悪戦苦闘しながらも、やはり目が悪いこと言い訳にしている。悪いのは、目やなくて頭やろと思ったけど、そんなことを思ってはいけない。旅行中とは言え、介護職のはしくれなのだから。


 しかししばらくすると、意外なことにおじさんは131×6の計算を成し遂げた。やるじゃないか。後は烏龍茶の250円を足すだけだ。掛け算が出来たのだから、そんな足し算は楽勝だろう。


 思ったとおり、おじさんは難なく足し算を終え、そして満面の笑顔を浮かべて言った。


「811円です」


 え?なんでそないに安いねん。僕は思って、おじさんが計算した紙を見てみた。すると250が右に1桁ずれてしまっており、結果として25しか足されていない。


「それで、合ってますか?」


 なので僕は聞いた。しかしおじさんは自信に溢れた笑顔を浮かべ、僕に計算した紙を見せて言った。


「ほら、786足す250で811です」


 間違ってる。間違ってるけど、説明するのも面倒臭いし、もうええかと思い、得することにした。そして200円お釣りをもらおうと思って1011円をカウンターに置いた。


「ありがとうございました」


 するとおじさんは、お釣りをくれる素振りひとつなく満面の笑顔で言った。どうやら今度はお釣りを渡すことを完全に忘れているようだ。しかし僕はお釣りをくれとは言わずに店を出ることにした。だっておじさんがお釣りをくれないことで、ほぼ正解の値段になるのだから。だったらお釣りをくれとはさすがに言えないだろう。


 外の空気は透き通っていて、相変わらずヒンヤリしている。僕は空を見上げ寒空にひとつ白い息を吐き、そして思った。なるほど、認知症の人が店主でも、いろいろな間違いを繰り返した結果上手く行くようになってんねや、と。とても危ういバランスではあるけれど、あれはあれで成立しているのかもしれない。笑みがこぼれてくる。なんか得した気分だ。まさにこういう出会いこそが旅の醍醐味だ。


 それから僕は旅館に戻り、温泉に入ってからビール6本を飲み、食事会場で晩飯を食べた。その後部屋に戻った時に気付いたことがあった。それは他の人の部屋の前には○○様歓迎という紙が貼られているのに、僕の部屋の前にはその紙がないということだ。そうか、元々5000円程安いふじた旅館で予約したいたような貧乏タレで下賤の者を歓迎する気にはなれないということなんだな。さらに部屋に入ってみるとふとんが敷かれていなかったので、あれ?と思った。これくらいの旅館なら、食事中に敷いてあるはずなのだ。まぁしかし、なんと言っても僕は貧乏タレの下賤の者で、歓迎されていない身であり、ふとんくらい自分で敷きやがれってなもんなのだろう。仕方ない、自分でやろうじゃないか。


「ええわいええわい、わいわいわーい」


 酔っ払っているので、僕は「わいわい」言いながら、押入れからふとんとシーツを取り出して、ふとんをセットした。それから僕は焼酎の烏龍茶割りを飲みながら、iPodでネットを見るなどしていた。するとしばらくして、コンコンとドアをノックする音がしたのでドアを開けると、ポロシャツにチノパン姿の初老のおじさんがいて、そして言った。


「遅くなりまして誠に申し訳ございません。おふとんを敷きに参りました」


 やっぱりふとんをちゃんと敷いてくれる段取りだったみたいだ。でも、もう遅い。僕が敷いてしまった。


「あ。すいません。もう敷いてしまいました」


 なのでそう言ったのだけど、おじさんは「失礼します」と言って、慌てるように部屋に入って行くではないか。一体なにをするつもりなんだろう?僕が付いて行くと、おじさんは俊敏な動きで土下座し、額を畳に擦り付けて言った。


「しゅいませんでした!」


 え?僕は一瞬我が目を疑った。まさかそんな物凄い勢いで謝罪されるとは思わなかった。一体どうしたって言うんだ?ふとんを敷くのが遅れたくらい、大したことじゃないじゃないか。


「しゅいません!なにとぞ!なにとぞお許しを!」


 しかしおじさんはまだ額を擦りつけている。一体なにが彼をそうさせるのか?僕は全然怒ってないんだけど――。


「いや、全然大丈夫ですよ。はい」


 だからそのように伝えた。するとおじさんは立ち上がり「しゅいませんでした!」と深々とお辞儀してから、「しちゅれいします!」と言って出て行った。


 一体なんだったんだ?とんでもなく恐ろしい上司でもいるのか?


 それにしてもかみのやま温泉という所は、次から次へとインパクトある人物が現れる。僕の思っていた東北の良いイメージとはだいぶ異なるものの、こういうのも旅の醍醐味と言って良いだろう。


 そして次の日の朝も、9時30分にまだ僕が寝てると言うのに「ガチャ」とノックもせずに清掃係と思わしき者が入って来ようとする事件があり、なにかと粗相の多い宿ではあったけど、まあいろいろと今回の旅は楽しかった。後は仙台に戻って、おみやげを買って帰ることにしよう。


 ――衝撃は仙台駅で走った。


 「あっ」


 僕は前から歩いて来る人物に見覚えがあり、だから思わず声に出してしまった。

 

 そう! 忘れるもんかその面構え!昨日の東海大学の試験会場で、何度も僕を見て来た大久保さん似のオバさんだ!


 大久保さん似のオバさんは、一心不乱に歩いて僕の横を通り過ぎて行った。僕は振り向いて、少しの間大久保さん似のオバさんの後ろ姿を見届けた。


 それにしたって、まさかあのオバさんと再会することになるなんて――。これが世に言う赤い糸の伝説ってやつか?今の場面をドラマにしたら、すれ違う瞬間に一瞬画面が一止まり、その後小田和正の音楽が流れるんじゃないのか?


 だったら嫌だなぁ――。


 




   











 

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