Patching bear
少し前にpixivに投稿し、三人称視点だったものを一人称視点にしたものです。
現在pixivでこの小説は削除しています。
短編読み切りの作品なので気軽な気持ちで読んでいただければ嬉しいです。
今日も朝から和でいい日だ。目を開ける瞬間にそんな予感がした。
ベッドから体を起こしてぐっと伸びをしながら窓の外を開ける。透き通るような青い空を鳥たちが気持ちよさそうに羽ばたきながら飛んでいく。空気が澄んでいてとてもすがすがしい朝だ。
朝の空気を入れるため窓を開けたまま寮に設置されているテレビの電源を入れた。現在の時刻は午前6時半。この時間だとまだ寝ている人も多いので、音量は少し小さめにしておく。
朝6時半といえば私のお気に入りの番組「朝日におはよう」が始まる時間だ。この番組は政治や世界ニュースだけじゃなくてエンタメニュースやアニメニュースなんかも放送しているから好き。しかも暗いニュースは明るいニュースに挟むから朝から気分が下がることも少ないんだ。今日は珍しく悪いニュースは一つもないらしい。本当に今日はいい日みたいだ。
テレビを見ながら着ていたパジャマをもそもそ脱ぐ。そしてシワにならないように掛けていた制服を手にとった。私の通う学校はそれほど校則厳しくなく着崩しや微々たる改造などは許されている。なので胸元のボタンを二つ開けて胸周りを緩くする。人より胸が大きいらしい私は2つ開けないと胸が窮屈で仕方がない。それでも胸元を開けたままなのはよくないのでタイを巻く。規定のリボンではなくお気に入りのミサンガをタイにしたものを着けるのは理由がある。
私たちがまだ1年生だった頃にすごく喧嘩して、バラバラになった親友がいたの。2ヶ月くらい口も聞かなくて、本当に辛かった。なんとかまた仲直りして前よりもっと仲良くなれたから良かったんだけど、お互いに意地を張ってたら今でも口をきいてなかったかも。それで、その時にこれからもずっと友達でいようねってことでこのミサンガを作ったんだ。一人一人違う色で、私のは黄色と緑。
テレビで午前7時を告げる鐘が鳴った。私がテレビの電源を切って玄関へと歩いて行った。靴を履いて寮から食堂へ向かった。公立高校でしかも学費がそこまで高くないのにこの高校は大学並みの広さがある。寮があって学食まである公立高校って他にはないよね。
スタスタと歩いて食堂まで行くとまだ朝7時ということで人は多くなかった。ましてや制服姿で来ている人なんてほとんど居なかった。みんなパジャマかジャージ姿で食堂に来ていた。朝ごはんの時は私服でもいいから制服着てる人のほうが珍しいみたい。
朝食専用メニュー、フレッシュベジベジサンドイッチ頼んでテラスに持って行った。程よい暖かさとちょうどいい晴れぐあいに私と同じようにテラスで食べている人は多かった。入口一番に近いところの席にトレーを置いて、座った。律儀にいただきますと言ってサンドイッチにかぶりついた。フレッシュの名前のとおりシャキシャキとした野菜にほんの少しピリリとする辛みが最高においしい。
お腹がすいてたのもあったふた切れあったサンドイッチをペロリと食べてまた寮の自室へと戻った。
部屋の時計は7時55分。まだ授業の始まりには十分すぎるほどの時間だ。
心地いい風が部屋に吹いてきて、そういえば窓を開けっ放しだったなと閉めに行った。バタンと閉めて部屋を見渡した。このまま部屋に居ても特にすることはない。授業の予習でもしようかなとカバンを持ち上げて今度は教室へと歩きだした。
私みたいに寮で暮らしている人のために朝早くでも開いている教室の扉に手をかけ、静かに開いた。移動までの時間をかけても8時くらいなので自分が一番乗りだと思っていた。けど、扉を開けると中には二人の少女の影が見えた。
一つの影は薄桃色の髪を赤と青のミサンガでサイドテールにした少女、沙奈だ。普段の彼女は運動大好きで細かいことが苦手なのだ。それなのに今は窓際の机に座り、裁縫セットで黙々と何かを縫っていた。
もう一つの影は、手にピンクと黄色のミサンガをした黒髪少女、春香だ。春香ちゃんは沙奈ちゃんが座っている机の前の席ではなく、その床にしゃがみ込み、沙奈ちゃんが縫っている手元をじっと見上げている。
自分の席にカバンを置いて、異様なオーラを放っている2人に近づいた。
沙奈ちゃんが縫っているものをよく見ると布がめちゃくちゃに継ぎ足された醜いテディベアだった。ちゃんとクマの形になってはいるが形容しがたいほどに醜い。右目には本来目があるであろう部分に赤い布が縫い付けられていて、口の左半分には緑の布が赤い糸で縫い付けられている。そのどれもが無理やり縫い付けられている。顔以外では左腕の手先から中に入っているはずの綿が出てきていて、元々付いていた右足を無理やり引きちぎったのだろうか、その部分の布が少し下に伸びていた。そして沙奈ちゃんは今、この醜いテディベアの首元に青い布を縫い付けている。
ちなみだけど今日の授業に家庭科はない。もっと言うならばこの学校に裁縫の授業はない。家庭科の授業はほとんどが調理実習で裁縫は1年生の時に数回しかない。私と同じ寮住まいの沙奈ちゃんは1年生の時に使っていた裁縫道具をずっと寮に置いていて、わざわざ部屋から材料と道具を教室に持参してテディベアを縫っているのだ。しかもこんな朝早くから。
2人が私に気づいているのかわからないので、じっと観察してみる。醜いクマを縫っているわりに沙奈ちゃんは真顔のままで、一切表情を変えない。ついでに言うなら春香ちゃんじっと見ている表情をほとんど変えていない。
ずっと見ていても情景に変化がないので痺れを切らして声をかけた。
「おはよう。沙奈ちゃん、春香ちゃん」
「あ、おはようございます、ミサキ先輩」
2人に声を掛けると、春香ちゃんだけが私の方を向いて挨拶した。沙奈ちゃんは私の声が聞こえていないようで縫う手を止めない。春香ちゃんもすぐに視線を沙奈ちゃんに戻してしまった。
そんな中でも全く顔を上げない沙奈ちゃんに、はあとため息をついて呆れる。変なところで集中力があるのも困ったものだ。
縫っている沙奈ちゃんの耳に近づいて叫んでやった。
「沙奈ちゃん!」
「あっ、ああ、おはよう……」
私の声に驚いて挨拶を返してきたけど、沙奈ちゃんの目に私の姿はほとんど映っていない。一瞬だけ合ったかなと思う視線もすぐに手元に戻ってしまった。
沙奈ちゃんがこうなること自体はあまり珍しくない。同じクラスの私だってもう何度も見てきたし、一つ後輩である春香ちゃんも何度か目にしたことがあるって言ってた。
まあ、初めてこんなことになった沙奈ちゃんを見たときは驚いたけど、今ではすっかり慣れてしまった。本来、慣れない方がいいんだけど。
「沙奈ちゃん、何かあったでしょ」
「……別に」
私の問いかけに若干耳を傾けながらもほとんど沙奈ちゃんには届いていない。手に持っている布はドンドンテディベアに吸収されて醜さを増している。
「沙奈先輩朝からずっとこうなんですよ」
春香はいつもどおりのなんでもない様子でサラッと言った。現在の時刻は8時10分。
とここまできてふと不思議に思った。2人は一体いつからここにいたのだろうか、と。寮住まいの沙奈ちゃんはまだわかる。学力が平均的な沙奈ちゃんは時々朝早くに起きて教室で勉強している。私も何度かその姿に出くわしたこともあるからそこはいい。
けど、問題は春香ちゃんの方。春香ちゃんは自宅通いなのだ。こんなに朝早くにいるはずがない。それに前に言っていた話では自宅から学校までは自転車で30分くらいかかるとと言っていた。仮に早く起きたといっても早すぎる。
もしかして、春香ちゃんは昨日沙奈ちゃんと一緒にいたのかな。だとしたら話のつじつまも合う。
とりあえず春香ちゃんについては後だ。今はそれよりもしないといけないことがある。
真剣に縫っている沙奈ちゃんの頬をつねってから引っ張った。
「沙奈ちゃん、そういうの無しって前に約束したよね?」
沙奈ちゃんは何かあって心の余裕がなくなった時こうやってテディベアを作る。それも突発的に、ね。前作ったのは、好きな先輩に告白して玉砕した時だった。その前は、飼っていた犬が死んでしまった時。2回ともなかなか話さずに苦労してようやく聞き出せた情報だった。
春香ちゃんには、沙奈ちゃんがどうしても言いたくないことを無理やり聞くのは良くないって言って理由を聞かなかったことがある。春香ちゃんの言うように毎回毎回相談できる内容ではないかと思い、そのまま見守っていた。
けど、私たちの判断は間違ってた。テディベアを縫うことで沙奈ちゃんの心が落ち着くことはなかった。沙奈ちゃんはテディベアを作って心を落ち着けるのではなく、心が落ち着かないからテディベアを作っているのだ。
その時の沙奈ちゃんはテディベアを作り続け挙句、縫う場所がなくなったせいなのか自分の腕に端切れを縫い付けていた。慌てた私と、同じクラスの男子、一輝くんで沙奈ちゃんの手から針を奪い、慎重に糸を抜いたことを昨日のことのように覚えている。
一輝くんとなんとか傷が残りにくいように手当はしたけど、素肌を見れば縫い跡がくっきり残ってしまっている。沙奈ちゃん本人はその傷をあまり気にしていないように見えるけど、り見ていて気持ちいいものではない。
このことがあってから私は、沙奈ちゃんにテディベアを作ってるときはちゃんと相談に乗って、なにがあっても聞き続けると約束をした。
「ふにゃ!ひょ!ひはひ!」
「嘘ついた罰。正直に話すまで、離さないから」
自分の中で出来る精一杯の怖い顔をして沙奈ちゃんを睨んだ。春香ちゃんから言えば、あまり怖くないらしいけど、私にできるのはこの顔くらいだから。
「ははす!ははすはら!」
「もう……で、何があったの?」
「実はね……」
沙奈ちゃんがテディベアを作る丁度一週間前、沙奈ちゃんは一つ上の先輩に告白し、そして振られたのだ。前回はこの時にテディベアを作っていた。
「先輩!その……!」
沙奈ちゃんはずっと好きだった先輩を屋上に呼び出し、勇気を出して告白した。ベタに、下駄箱に「放課後屋上で待ってます」と綴った手紙を入れて、屋上で待っていた。手紙に書いた時間通りにその先輩はやってきた。
しかし、やってきただけ。
「ごめんな。俺、もう付き合ってるやついるから」
「え、うそ……本当、ですか……」
「ごめん」
沙奈ちゃんの告白を聞くと先輩は静かに謝ってそっと来た道を戻っていった。沙奈ちゃんは耐え切れなく膝から崩れ落ちていった。沙奈ちゃん自身、実ると思っていたわけじゃなかったらしいけど、恋人がいたことに酷くショックを受けたって言ってた。
恋人がいたことに気がつかなかったということは、それだけ相手を知らないということと同じだ!って沙奈ちゃん嘆いてた。その時の沙奈ちゃんは涙が出そうになるのをぐっと我慢してその足でそのまま端切れを買いに行ったらしい。
「それ、先週も聞いたよ」
「ぼくも聞きました」
前回のテディベア事件の時に春香ちゃんも一緒にいたので、私も春香ちゃんもこのことは知っていた。流石に二度目の話だと飽き飽きしてくる。
「ここから!ここからが本題なの!」
沙奈ちゃんは手をブンブンを振って、いつもみたいな元気で叫んだ。今回テディベアを作っていたのはこのせいではないらしい。
昨日の放課後のこと。
その日までの締め切りの課題があった沙奈ちゃんは放課後に残って記入をしていた。私も途中まで一緒に見てたけど、先に寮に戻ってたんだ。沙奈ちゃんも一緒に寮でしようって言ったけど、寮だとルームメイトの邪魔になってしまうからって、教室で残ってやっていたらしい。
昨日はテスト前でもないのに珍しくほとんどの運動部が休みだった。唯一あったのはバスケ部くらいで、沙奈ちゃんの幼馴染が部長をしているため、ダムダムと音が聞こえるたびにプレーしている姿が思い浮かんで集中できなかったみたい。
終わった乱入しようかなと考えながらふと窓の外を見ると、沙奈ちゃんの知っている顔が見えた。恋人がいるからと沙奈ちゃんを振った先輩だ。その先輩がなぜか部活倉庫へと小走りで向かっていた。
さっきも言った通りバスケ部以外の運動部はやっていない。そもそもその先輩は軽音楽部で、部活があったとしても部活倉庫に行く理由は全くない。そこで沙奈ちゃんは気になってしまった。なぜ、用もないのにあれだけ急いでいるのだろう、と。
どう頑張っても沙奈ちゃんにはその答えを見つけられなかった。
振られても未練がないわけではなかった沙奈ちゃん。もしかしたら意外な一面が見れるかもと思って、沙奈ちゃんはそっと追いかけてみることにした。もしも見つかっても、部活の忘れ物だと言えばいい。そう思いながら。
先輩が倉庫の前に着き、扉をゆっくり開いて周りを確認しながら中へと入っていった。沙奈ちゃんはささっと扉の前に移動して周りを見渡す。幸い人影はない。
先輩は入ったあとの扉にはわずかに隙間があり、沙奈ちゃんはそこからすっと中を覗いた。倉庫の電気は付けていないらしく中は明るくはないが、なんとなく確認はできた。
「おまたせ」
先輩の声が中から聞こえ沙奈ちゃんの背中はギクッとなった。一瞬自分に言われているのではと思ったが、先輩の顔は明らかに向こうを向いている。
「……別に。僕も今来た所だから」
倉庫の中からもうひとつの声が聞こえてきた。先輩の声ではない。先輩よりも少し声が低い。どうやら先輩が待ち合わせしていた相手は男だったらしい。もしかしたらこの中に彼女がいるのでは、と密かに思っていた沙奈ちゃんはホッと胸を撫でおろした。告白した人の好きな人は誰だって見たくないものだからね。
「なにもこんな所じゃなくても」
「だって僕寮生じゃないし。誰にも見られてないよね」
「多分な」
2人の会話は少し違和感があった。私たちの暮らす寮は寮生以外の立ち入りを禁止してはいない。まあ、寮生意外がいると何かと目立つのはたしかだけど。しかし、だからといってこんなところで合えば余計目立つのではないかと佐奈ちゃんは思った。逆に見つかるリスクの高い倉庫出会うほど声の低い男は量での注目を回避したいらしい。
ただ照れ屋なのかもと思ったが、沙奈ちゃんに真相はわからない。
「いい?」
「もちろんだ」
「ふふ、ありがと」
沙奈ちゃんがいろいろと考えている間も二人は会話をしていたようだが、急に静かになった。沙奈ちゃんが目を細めて覗くも2人は奥の方にいて暗くて見えない。
せめて音から判断しようと耳を澄ますと、なにやら水の音が聞こえてきたらしい。それも流れるような水の音ではなく、湿ったもの同士が重なるような音。他には少し荒い鼻息。口が塞がっているのか、息が鼻から抜けるような音だ。
一連の音を聞いて沙奈ちゃんは気付いてしまったらしい。この2人が見られたら嫌だと言っていたその理由が。
この2人は恋人同士だ。だから隠れて会い、こうやって触れ合っているのだ。
その事実を認識してしまったことで佐奈ちゃんの顔は真っ青になった。胃から何かがこみ上げてくるような感覚でウッとなり、口元を抑えた。佐奈ちゃん自体、同性愛に偏見はない。むしろ腐女子なのでBLは大好きなはずだ。
しかし好きだった人が目の前で男の人とキスしていると考えると胸の奥から何かが込み上げてくるようだった。佐奈ちゃんは極力音を出さないように素早くその場を離れ、しばらくトイレに声を殺して泣いたらしい。
「それだけ?」
どんな話が来るのかと思って沙奈ちゃんの話を真剣に聞いてていたら案外普通のことで呆れてしまった。
「そもそも先輩付き合ってる人いるって言ってたんでしょ?それで、恋人と会ってただけじゃない」
で、でも……と狼狽えている沙奈ちゃんにさらに言葉を続ける。それも、脅迫するような口調で。
「沙奈ちゃん、同性愛に偏見ないって言ってたよね?」
声色が急に変わった私に恐怖が芽生えたのか沙奈ちゃんの顔からは色が抜け落ちていた。多分、今の私の顔は春香ちゃんでも怖いって言うんじゃないんだろうか。
沙奈ちゃんがごめんなさいと小さく言うが、私は謝ってほしいわけじゃない。ただ知りたいだけで、沙奈ちゃんににじり寄った。
「で?どうなの?」
黙り込んでいた沙奈ちゃんだけど、ようやく重い口を開いて言葉を発した。
「私……無理……」
「先輩がゲイだから?」
ゲイ、という言葉に沙奈ちゃんは明らかに顔を伏せてしまった。
自分に関係がないから平気、というだけだったのかもしれない。なにか言葉をかけようとすると春香ちゃんの声が聞こえた。
「嫌、ですか…」
突然の言葉で私も沙奈ちゃんも春香ちゃんの方を見た。春香ちゃんはいつの間にか俯いて立っていて少し震えていた。表情を見ると泣く一歩手前くらいの顔をしていた。
「春、ちゃん?」
沙奈ちゃんが声を掛けるも返事はない。私も大丈夫?と手を伸ばしたけど、すっとよけられてしまった。春香は俯きながら弱々しく声を絞り出した。
「同性愛者は……嫌、ですか……」
沙奈ちゃんはさっきと同じようにその問に答えることが出来ず、俯いてしまった。沙奈ちゃん自体戸惑っているのだ。自分が男らしいという理由でいじめられていて、偏見や決めつけはないはずなのに、どうしても受け入れられなかった。
「ぼくは!!」
さっきまで弱々しく叫んでいた春香が今度は急に叫んだ。幸いまだ誰も登校してきていないので、春香の声で集める視線は私たちだけだ。
春香ちゃんの瞳からは涙が溢れだしていて、ぼろぼろと落ちていく粒が床に小さなシミを作っていく。春香はそのこぼれ落ちる涙を拭うこともせず、細々とした声で続けた。
「ぼくは……沙奈先輩が好きです!!」
「へっ、えっ……?」
「……教室に、戻ります」
それだけを言って沙奈ちゃんの返事も待たず春香ちゃんはくるっと後ろを向き、そのまま教室を出て行ってしまった。その背中が見えなくなるととっさに沙奈ちゃんの方を見た。しかし沙奈ちゃんの顔から表情を読み取ることが私にはできなかった。驚いているのか引いているのか、それすらもはわからなかった。
体感にして10分、実際は数秒かもしれないけどじっと固まっていた沙奈ちゃんはすっと真顔になった。先程までの表情が読み取れないような顔ではなく、表情が落ちたという表現が合いそうだ。沙奈ちゃんはそのまま春香ちゃんが出て行ったドアの方を見なが話しかけてきた。
「ねえ、みさちゃん……」
「なに」
「帰り、付き合ってくれる?」
「どこに?」
「……近くのあの店。布と糸買わないと」
「また、つくるの……テディベア」
「うん……」
沙奈ちゃんは今もずっとドアの方を見ている。表情のない顔のまま、声からも表情が消えてしまった。
私は女の子が好きだから春香ちゃんに軽蔑なんてない。むしろ一緒に語りたいくらい。けど、沙奈ちゃんからしてみたらどうだろう。さっきまで可愛い後輩だと思っていた子が自分のことを好き。
私にはなんて声をかけていいかわからない。だから逃げかもしれないけど、静かに教室から出ていった。
静かに教室のドアを閉めて顔を上げると寮の方から一輝くんがこっちに向かってくるのが見えた。一輝くんの左手首には紫と水色で編んだミサンガがちらちらと見えている。
「おはよう、美咲」
「おはよう。一輝くん……」
一輝くんは私のなんともいえない顔と教室の方を見て静かに呟いた。
「さっき春香が勢いよく出て行ったけど……」
ほんの少しだけ先ほどのことをに話してもいいものか少し悩んだ。いくら一輝が恋愛話に興味がないからといっても、同性愛に偏見がないとは限らない。ましてや身近な春香ちゃんのこととなれば多少敏感にもなる。
もしかしたら沙奈ちゃんのようになってしまうかもしれない。そうなったらと考えただけで背に寒気が走ってきた。
私の迷っている様子を察してくれたのか、一輝くんは気の少ないベンチへ向かってくれた。よいしょと腰を下ろすと雲一つない透き通った青い空を見つめながら静かに呟いた。
「沙奈ちゃんね、また作ってたよ、テディベア」
「そう」
「沙奈ちゃんさ、嫌なことあったらテディベア作るよね」
「そうだね」
風がカサカサと木々を揺らしながら音楽を奏でているようだ。一輝くんの声は風の音楽に負けてしまいそうなほど弱く、肯定したくないという意思が込められているようであった。だからどうにか少し微笑んで先程よりも明るめの声で呟いた。
「でも、すごく嬉しいことがあった時にも作るよね」
「作ってるときの顔は全然違うけど」
今度の一輝くんの声は力強く風の音なんかに負けてはいなかった。いつのまにか私は一輝くんと顔を見合わせて、同時に笑い合った。
沙奈ちゃんが初めてテディベアを作ったのは私と一輝くん、そして今はまだ寝ているであろうバスケ部部長の翔くんのためだった。
「初めてお友達だからって一生懸命縫ってくれたんだよね」
「絶対に完成させるって張り切ってたね」
沙奈ちゃんは心に余裕がないとテディベアを作るのだ。そう、嫌ことだけじゃなくて嬉しすぎて心の余裕がなくても、だ。
もちろん、出来上がるものも作ってる時の表情も明らかに違うから間違えることはない。嫌なことがあった時は醜いツギハギだらけのテディベアを作る。逆に良いことがあると市販されてるものよりもきれいなテディベアを作るのだ。
沙奈ちゃんのあの表情がどういう思いで現れたのかは私にも一輝くんにもわからない。沙奈ちゃん自身も表情と言動が合わない時があるから。だから一輝くんとの話し合いで私は明日のテディベアが可愛いピンクのふりふりドレスを着たものに賭けてみようと思う。
ねえ、沙奈ちゃん
明日は一体、どんなテディベアを作るの。
1話完結物が書きたかったのでこの後の展開は特に考えていません。
けれど、なかなかにいいものになったと思います。