ENTER
目的地に向かう道すがら、美加は大雅からゲームの操作方法を教えてもらっていた。
まず、画面の上部には現在いる地点の静止画像と地名が映し出されている。
現在は廃墟の写真の下に『ゲート』という文字が示されていた。その下には秋吉美加 パートナーと書かれてある。名前の下には『罪』と『罰』という文字。そして、それぞれの単語の横に数字が示されていた。
「――これ、増えるとどうなるんですか?」
両方の数値が0の美加がそう不安げに尋ねてくるのを見て、大雅は何も言わず自分の携帯画面を美加に差し出した。
一瞬見ただけでは桁数が読み取れぬほどの数字の羅列に美加は思わず息を飲んだ。
「バトルで敵を倒せば『罪』のポイントが増える。集まったポイントは必要なアイテムと交換することが出来る。通信を送るにも、狩り場を移動するにも、何をするにもポイントが必要だ。ポイントはバトルでしか貯めることは出来ない。――だから、敵を殺す」
淡々と説明する大雅の横顔を見ながら、美加は背筋が寒くなるのを感じていた。
膨大な数値は、大雅がそれだけ敵を殺してきたということを示している。
「敵を殺す」と何食わぬ顔で言った大雅と、人を殺したと告白したときのどこか寂しげな表情の大雅と、どっちが本当の彼なんだろうと美加は考えた。
「『罰』もバトルで勝ったときに増えていく。『罰』のポイントがMAXになれば解放されるんじゃないって言ってる奴もいるが、どうだろうな。この数値はバトル中にダメージをくらえば減っちまう。0の数字キーを押せばチェシャ猫が来て回復してはくれるが、罪のポイントを消費する。」
「チェシャ猫……」
「あのチビはふっかけてくるからな。ポイントをごっそり持っていかれたくなかったら、時間をかけて自然回復するのを待つ方がいい」
そういって笑い飛ばす大雅の声を聞きながら、美加は再び自分の携帯の画面に視線を移した。
それらの数値の下には3つのボックスがあり、それぞれに用途が書かれてあった。
1通信 2探索 3道具
そして、その下にチェシャ猫を呼び出すという猫の絵文字が付いている0のボックス。
「通信はもうわかるな? 今の秋吉はポイントが0だから通信を受けることが出来ても返事を出すことは出来ない」
和也に返事が出せないことを知り、美加が悲しそうな顔をしたのを見て大雅は慌てたように自分の携帯を差し出した。
「ほら、俺の携帯から和也に連絡するといい。俺はLV.999のMAXだから文字も上限の1000文字まで入れることが出来る」
「で、でも、大雅くんのポイントが減っちゃうし……」
「通信一回分なんて、すぐ戻せるって」
笑顔でそう言う大雅だったが、どうしても美加にはさっきの「敵を殺す」と言ったときの彼の表情が重なってしまう。
美加は大雅の携帯を借りると、アタラクシアへ来たことと大雅と合流したことを書き送信した。
二人はしばらくの間、和也からの通信が届くのを待ったが、いつまで経っても携帯は沈黙を守ったままだった。
「――和也、秋吉に電話を繋げるのでポイント全部使い果たしたっていってたからな。ポイントが不足しているのかもしれん」
美加から携帯を受け取った大雅は携帯の画面を見てため息をついた後、畳んだ携帯を無造作にポケットの中にしまいこんだ。
「――あの……、聞いてもいいですか? 大雅くん……人を殺したって、一体何があって?」
ずっと切り出そうとしていたことを言ってしまって緊張した面持ちの美加と違って、大雅はどこか穏やかな表情をしていた。
「俺、格闘技やっててな。割といい線いってて試合でもKO勝ちするのが当たり前って言われる位だった。――でも、ある日、道場で練習中に、後輩……死なせてしまってな」
「練習中に……」
大雅はうつむき加減で歩きながら話を続ける。
「倒れたときの打ちどころが悪かったらしい。――前科者にはならなかったが、死んだ後輩の家族や恋人の目に耐えられなくてな……。道場を出たから試合も出来なくなって、自暴自棄になっていたときにアタラクシアからメールが届いて……。それからはずっとここにいるって寸法さ」
少なくとも、殺意を持って人を殺めてしまったのではないことを知って美加は心のつかえが取れた気がした。
「LVがMAXの大雅くんなら、簡単にゲームをクリア出来るような気がするけど……」
「アタラクシアを脱出するには、この世界を作った王に会わなければいけない。――そして、王に会うには元の世界から自分を助けにアタラクシアへやってきたパートナーの存在が必要なんだ。パートナーがいない俺は、永遠にここに閉じ込められたままか、ここで命を落とすか……選択肢はそれだけだ」
和也のパートナーとしてアタラクシアへやってきた美加には、悲痛な大雅の言葉にうつむいて沈黙することしか出来なかった。
「そろそろクエストのゲート地点のはずだが……。携帯に指示は来ていないか?」
亡霊の大群のような廃墟が立ち並んだ街の外れまで来ると、道路はそこで寸断され目の前に突如として荒涼とした灰色の砂漠のような風景が広がった。
境界線の向こうとこちらで、まったく違う世界が存在する不条理さに美加は息を飲んでしまう。
そして、美加と大雅が砂漠に足を踏み入れた瞬間、先ほどまで背後にあった廃墟の風景は消え去り、360度見渡す限りの砂の風景に取り囲まれてしまったのだ。
震える手で美加はポケットから旧携帯を取り出し画面を確認すると、画像が変わって『クエスト1』という文字と共に『ENTER』のリンクが貼られていた。
「よし、入れるみたいだな」
美加の携帯を覗き込んだ大雅はジャージのポケットに手を突っ込むと、中からネックストラップを取り出し美加に手渡した。
「携帯、手に持ったままじゃ不便だろ。これを使うといい」
「あ、ありがとう」
美加は瑛太が閉じ込められている方の携帯の液晶を反転させると、畳んだ状態でも待受け画面が見える状態にしてストラップに取り付けた。こうすれば、今がどんな状況なのかを瑛太が携帯を通して見聞き出来ると思ったからだ。
首に下げるときに美加は液晶画面をちらっと覗いてみたが、画面は真っ白で瑛太の言葉が表示される黒い帯も見当たらなかった。美加の胸に緊張が走り、不安にかられた心臓が小刻みにドクドクと鳴りだす。
――瑛太の身に何かがあったのではないか?
それとも、大雅に見つからないように身を潜めているだけなんだろうか?
大雅がすぐ近くにいる今は、それを確認する事も出来ない。
美加は待受け画面の中にある砂漠の画像と、目の前に広がる荒涼とした砂漠の風景を見比べながら、ゆっくりと唾を飲み込んだ。
ENTERのリンクを押した後、どんな事が起こるのだろう?
想像する事すら拒否してしまう程の恐怖に襲われながら、美加は今来た道を振り返ってみる。
先ほどまで歩いてきたビル街の風景は消え去り、そこには何もない白い空間が広がるばかりだった。
――戻る事も出来ない。
先に進む事に希望すら見出せない現実に、美加は絶望しつつも覚悟を決めてリンクをクリックした。