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OFF  作者: 水縞こるり
第七章 ジョーカー
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アリスをデリートする?

 

「赤い部屋を覚えている?あの病院の中にあった」


 雑居ビルを出てすぐに、瑛太はヤソから預かった携帯を開きながらそう言った。


「うん……」


 くぐもった声の返事に、携帯を操作する瑛太のゆびが止まった。視線を美加に移した瑛太の目に美加がボロボロと大粒の涙を流しながら泣いている姿が映る。


「――美加ちゃん」 

「ごめんなさい……。瑛太くんが戻れて安心して。でも、わけわかんないこといっぱいで、何がなんだかわかんなくなっちゃって」


 ふわり、と、言葉の途中で美加は瑛太に抱きしめられていた。


「心配かけてごめん。――僕はもう、大丈夫だから」


 瑛太の腕の中で、美加はうんうんと頷きながら嗚咽をあげる。ヤソが王であろうとなかろうと、こうして瑛太を解放してくれたことに変わりはない。今だけはこうして瑛太が傍にいてくれることを素直に喜びたいと美加は思った。


「美加ちゃん。僕は、君に隠していたことがある。――和也をアタラクシアに送ったのは、僕だ」


 瑛太の言葉に顔を上げようとした美加を、瑛太は美加を抱く手を強めて抑えとどめた。瑛太は更に言葉を繋げる。


「僕には妹がいた。生きていれば美加ちゃんと同じ年の。――妹は、和也に殺された」


 美加の頭の中で、最初のクエストが終わった頃に見たヴィジョンが再現されはじめていた。


 ずぶ濡れになって倒れた少女の最後の言葉。

 少女の遺影の前で、許さないと呟いていた男の後ろ姿。

 

「もちろん、和也が直接妹を手に掛けたわけじゃない。でも、和也の嘘のせいで妹は命を奪われた。元々身体の弱い子だったけれど、肺炎を起こすほどに雨に打たれなければ……妹は死なずに済んだかもしれない」


 やはり、あれは瑛太だったんだ、と美加は確信した。でも、どうやって瑛太は和也をアタラクシアへ送り込むことが出来たのだろう? 彼にそんな不思議な力があるとは思えない。――美加は瑛太の次の言葉を待った。


「妹の葬式の後、日記や携帯に残ってたメールを見て妹を死に追いやった相手が和也だということを知った。偶然に同じ大学に進んだこともわかった。でも、どうすることも出来なかった」


 美加は瑛太の声が少し震えているのを感じ取っていた。


「あいつの悪い噂はよく聞いていた。美加ちゃんと付き合っている間も、何人の女の子と遊んでいたかわからない。――こいつは何も変わっていない。――許せない。そんな思いが前より一層こみ上げてきた」


 そこで瑛太は腕を解くと、腕をだらりと下げたまま悲しそうな表情で美加をみつめる。


「その日、僕の携帯にメールが届いた。美加ちゃんに届いたアタラクシアからの招待状に少し似ている。僕に来たメールは『呪いのメール』だったけれど」


「呪い……?」


「このメールは、この世から消してしまいたい人物がいる人にだけ届く呪いのメールです。今から3分以内にこのメール消してしまいたい相手ひとりだけに転送してください。そうすれば、あなたの望みは叶うでしょう。――そんな内容のメールだった」

  

「――それを、和也に……?」


 美加が眉を潜めてそう言ったのを聞いて、瑛太の顔は更に曇った。


「誰から送られてきたかもわからないメールだった。呪いなんて信じちゃいない。でも僕は迷いもせずに転送した。――和也が行方不明になったのを知ったのは次の日の夜。これが偶然かどうかはわからない。もしメールの効力で和也がこの世から消えて、僕に何らかの罰が下るとしてもそれは本望だ」


 瑛太の告白に、美加はどう答えていいのか迷っていた。こんなことに巻き込まれる前なら、「ただの偶然だよ」と言えただろう。しかし、この閉ざされた空間の中に呼び込まれた今、すべてのパーツがアタラクシアを構築しているもののように思えてならなかった。――そう、すべてのものが……。


 その時、美加の頭で閃光が走ったようにクエストの中で見た一場面が鮮やかに蘇ってきた。


「瑛太くん! ヤソの携帯を見せて!」


 瑛太から携帯を受け取ると、美加はメールの送信BOXを開き一番上にあったメールを開く。そこに書かれていた文章と添付画像を見て、美加の目に再び涙が浮かんできた。


「美加ちゃん?」


 美加は涙を拭うと、しっかりとした口調でこう言った。


「ヤソが私に何をさせたいのか、わかったの。――これでアリスをデリート出来るかどうかわからない。ヤソのループを断ち切れるかどうかわからない。でも、これはアリス……ううん、滝川美奈子に伝えなければいけないことなの」


 決意を秘めた美加の眼差しに応えるように、瑛太も覚悟を決めたように頷いて見せる。


「行こう、アリスのところへ」



 美加から携帯を受け取った瑛太は再度アタラクシアのサイトを開く。ヤソの携帯から見ると、チェシャ猫を呼び出す0のボックスには猫ではなく女の子の絵文字がつけられていた。


「これを押せば、あの病院へ行けるそうなんだ。そこに”アリスがいる”。――美加ちゃん、僕につかまって。移動が終わるまで離れないように」


 あの赤い部屋にいた不気味な男の姿を思い出し、美加は身震いした。アリスをデリートする。――その思いが挫けないように、美加は瑛太の腕にぎゅっとしがみついた。


 移動は瞬時に終わった。外壁のほとんどを植物で覆われた建物の壁を見上げながら、美加と瑛太はゴクリと生唾を飲む。

 二人はお互いに何も言わず、目で合図をし合うと病院の中へと慎重に足を踏み入れていった。周囲に注意を払いながら二階まで上がったその時、背後から聞き覚えのある声が美加を呼び止めた。


 驚いて階段の下を振り返ると、そこには大雅が立っていた。アリスに袈裟懸けで斬られたことなどまるでなかったかのように、大雅はあっという間に階段を駆け上がり、二人のいる場所までやってきた。


「大雅くん! よかった。傷、治してもらったんだね」

「ああ。――そのせいでポイントは随分削られたがな」


 苦々しく笑って、大雅は携帯画面を美加の方に向けた。携帯を畳みジャージのポケットの中にねじ込むと、大雅は胡散臭いものでも見るように、美加の隣にいる瑛太を見て言った。


「秋吉。こいつは?」 

「あ、えぇと、彼は杉山瑛太くん。和也と同じ大学で――」「お前もアタラクシアの招待を受けたのか? 和也から連絡が入っているのか?」 


 和也の名前を出した時、大雅が眉をひそめ荒々しい口調で美加の話に割って入ってきた。今まで見せたことのない大雅の様子に、美加は気後れし不安そうに瑛太と大雅を交互に見る。


「いや……僕は」

「瑛太くんは私と一緒にアタラクシアに来たの。メールが届いた時、ちょうど一緒にいて。――やっとさっき合流出来たとこなの」


 美加の言葉に嘘はない。アタラクシアに来て生身の瑛太に再び会えたのはつい先刻のことなのだから。


「パートナーにも捨て札にもなれん奴がここに来るとはな」


 憎々しげに言葉を吐いた大雅だったが、それ以上詳しく聞いてくる様子はなかったので美加も瑛太も一安心した。


「――大雅くん? よく『捨て札』って聞くけれど……、どういう意味なの?」


「アタラクシアに来て、バトルもせずに逃げ回るだけの奴のことだ。――秋吉はパートナーだから、この間チームに入る利点の説明は省いたんだったな。チームに入ると、チームのメンバーが稼いだポイントの数%かが全員に平等に付与される。比率はその日のポイントのトータルで何段階かにわけられているが……」

「バトルをしない人でも、僅かではあるけれど戦わずしてポイントが入ってくるわけか」


 瑛太がそう言うのを聞いて、大雅はフン、と鼻を鳴らして頷いてみせた。


「つまりは、チームのお荷物ってわけだ。そういった奴らをチームから切り離すことが出来るシステムが捨て札だ。――最も、捨て札を出すのにはそのチームのリーダーのみポイントが相当引かれるんでね。弱いリーダーなら、お荷物を背負ったままでいることもある。一定期間ポイントの動きがなければ自動的に捨て札送りになるから、それまでの辛抱ってな」


 そこまで一気に言うと、大雅は廊下の奥を親指で指し示す。「捨て札は、あの部屋に送られる」


 美加と瑛太は思わず顔を見合わせた。――この前見たあの男が捨て札だったのだ。狂気のみが渦巻いているようなあの紅い部屋で、一心不乱に携帯を操作していた男の鬼気迫る表情を思い出しただけで二人は背筋の凍るような思いだった。


「捨て札になってからのことは俺もはよく知らない。チェシャ猫が『眠ったら終わり。そこで首をはねるよ』と言ってはいたがな。実際、捨て札に落ちて戻ってきたやつはいないし、そういうことだろう」


 大雅がまるで天気の話でもするように表情も変えずにそう言ったのを聞いて、美加は改めて「大雅に気を許すな」と言ったヤソの言葉を思い出していた。


「捨て札の部屋へ行くのか?」


 大雅の問いかけに瑛太は頷き、「アリスをデリートする」と言った。声を少し潜めたのは、ここがすでに敵の本拠地だからだろう。


「――出来るのか?」


 大雅の声も心なしか低くなっていた。


「出来る――と思う。アリスが滝口美奈子なら」


 美加の口から出た初めて耳にする名前に大雅はほんの一瞬だけ眉を動かしてみせたが、美加の確信を秘めた目の強さに言いかけた言葉を飲んだ。


「アリスをデリート出来れば、この世界を作っている王の力も崩せるかもしれない。――そうすれば僕たちは元の世界に戻れるはずだ」


 瑛太の言葉に再び大雅は鼻をならしたが、すぐにニヤリと笑って言った。


「そういうことなら、俺も手伝うぜ。――何をすればいい?」

「まず、捨て札が操作している携帯を奪う。ヤソが言うには、その携帯は滝口美奈子のものだそうだ。捨て札は携帯の中にインストールされているアプリのゲームをプレイさせられ続けている」


 瑛太の言葉に、美加と大雅は神妙な面持ちで聞き入っていた。


「滝口美奈子が作成したゲームの中のキャラ。それがアリスだ。ゲームの中でアリスが所属していたチームの名前が、アタラクシア。携帯の中のゲームの世界のアリスと、このアタラクシアはシンクロしている。アリスはアタラクシアのハートの女王。文字通り、このアタラクシアの心臓なんだ」


「――つまり、どういうことだ?」


 滝口美奈子とアリスの関係を把握していない大雅には、瑛太の説明では納得しかねる状態も無理はなかった。


「このアタラクシアを動かす動力源……いや、アタラクシアの時間を止めている力と言った方がいいかもしれない。携帯の中のゲームのアリスを動かし続けることで、このアタラクシアは存在しているんだ。すべてアリスが”生きて”いる限り続けられる。罪を犯した人がアタラクシアに送り続けられていること。――大雅、君が終わりの見えないバトルをさせられていることも……。」


 自分をまっすぐに見る瑛太の言葉に、大雅は耐え切れないように視線を逸らすと「くそっ」と小さく怒りの感情を吐き捨てた。


「ゲームの中のアリスを消せば、あのアリスも消えるのか? ――そうすれば俺たちは元の世界に戻れるんだな?」


 自分の中の激情を振り払うように大雅は顔を上げ、瑛太に詰め寄った。


「アリスをただデリートするだけではダメなんだ。アリスを”解放”しないと。――ヤソはそう言っていた」


「解放? どうするんだ?」


 瑛太は静かな表情で美加を見る。


「ヤソはその方法は教えてくれなかった。――ヤソの切り札、ジョーカーとして呼ばれた美加ちゃん……君だけが出来ることだと」


 瑛太の言葉に、美加は決意を固めるように頷いた。

 


 三人は周囲を伺いながら慎重に赤い部屋の前までやってきた。大雅はドアにはめ込まれた窓から室内を覗きこむと、背後に控える美加と瑛太に目で合図を送る。二人が緊張の面持ちで小さく頷くのを見て、大雅は一気にドアを開け中へと飛び込んでいった。


 電光石火の勢いで大雅が室内にいた人物を羽交い絞めにし、瑛太がその手から携帯を奪い取った。


「美加ちゃん」


 振り向きざまに瑛太がその携帯を美加に向かって放り投げる。――最後に病室に入った美加は異常なまでの室内の熱気に足をひるませながらも、しっかりとそれを受け取った。


「返して! 携帯、返してよ! 殺される! 死ぬのは嫌ぁあああああっ!」


 ベッドの上で大雅に拘束された女が狂ったように足をばたつかせながら叫んでいた。


「――この前の人と……違う……?」


 携帯をぎゅっと握り締め、美加は声を震わせながら言った。この前ここに来た時、ベッドの上にいたのは中年に近い年頃の男性だった。しかし、今大雅に取り押さえられているのは茶髪の20代後半位の女性だったのだ。


「美加ちゃん、メール! 早くチェックして」


 蒸し暑い部屋の熱気と暴れ続ける女に気を取られてしまっている美加を瑛太が大声で急かした。

 慌てて画面を見た美加の目に映ったのは、2つめのクエストの中で美奈子が遊んでいたゲームの戦闘シーンだった。電源ボタンを押してその画面を消した途端、院内に響き渡るような絶叫が恐怖に目を見開いた女の口から堰を切ったように溢れだした。


 「うわっ!」


 瑛太はひどく驚いた様子でベッドから離れると、そのまま美加を守るようにして美加の前に立ち塞がった。



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