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第二章 扉は、ひらく
2/27

ようこそ、アタラクシアへ

 

「美加ちゃん」


 美加がサイトの入り口のリンクを押そうとしたその時、窓の下で美加の名前を呼ぶ者があった。

 驚いた美加は携帯を抱きしめるようにして身をこわばらせながらも、声のした階下を見下ろす。


「今日、引っ越しの荷造りだろ? 差し入れ、持ってきた」


 アパートの外で買い物袋を掲げるようにして立っている青年は杉山瑛太すぎやま えいただった。

 和也が行方不明になったことを知らせにきた和也の友人で、そのこともあってか美加は瑛太と定期的に連絡を取り合うようになっていた。


「瑛太くんっ、和也がみつかったの。和也から連絡が来たの」


 泣きだしそうな美加のその言葉を聞いて、笑顔だった瑛太の表情が瞬間に真顔に戻る。

 瑛太がアパートの階段に向かって駆け出すのを見て、美加も玄関のドアへと駆け寄った。

 鍵を開け、チェーンを外してドアを開けると、息を弾ませた瑛太がそこに立っていた。


「和也、どこにいるって?」


 瑛太にそう言われ、美加は持っていた携帯の待受け画面を瑛太の目の前に差し出した。


「アタ……ラクシア?」


 表示されている文字を怪訝そうな顔をして声にした瑛太に美加はうなずいてみせる。


「和也、ここにいるって。助けてくれって。――どうしよう、瑛太くん。私、どうすればいい?」

「――とにかく、話を聞かせて」


 眉をひそめ唇をぎゅっと結んだ美加が小さくうなずくのを見てから瑛太は部屋の中へと入っていった。


「――なんで解約した携帯でネットに繋がるんだ……?」


 テーブルの上に置かれた携帯を、美加と瑛太はのぞきこむようにして見ていた。

 押入れの中から携帯をみつけたところから一通り説明はされたものの、瑛太は依然として腑に落ちない表情のままだった。

 実際、和也と電話で話したりメールを受け取った美加でさえも何が起こっているのかわからない状態なのだから無理もない。


「パートナーに選ばれた……って、サイトに入ってゲームとかするのかな?」

「和也はアタラクシアにいるって言ったんだろ?」


 コクリとうなずく美加を見て瑛太は言葉を繋げる。


「サイトを開くとアタラクシアの場所が記されているとかするんじゃないかな? その場所に来いってことかもしれない」


 そういう瑛太も半信半疑なようで、言葉の最後は自分自身に言い聞かせるような口調になっていた。

 

「とりあえず……サイトを見てみるか?」

「見ても、大丈夫かな?」


 そう言って携帯を覗き込んでくる美加に、瑛太はすぐに反応することが出来なかった。


「――大丈夫かどうかはわからないけど……。手がかりはこれしかないし」

「うん、そうだね……」


 二人の声音は知らず知らず、低く慎重なものになっていた。


「押してみるよ?」


 瑛太と体を合わせるくらいに傍に寄った美加は、無意識のうちに瑛太のシャツをぎゅっと握っていた。

 瑛太の右手の親指が携帯の決定ボタンを押す。


 その途端――  


 まるで頭の上からすっぽりと漆黒の幕でおおわれたように辺りが暗闇になった。

 さっきまで聞こえていた街の雑踏すら聞こえない静寂な闇。

 美加が悲鳴をあげてパニックに陥らなかったのは、左手が瑛太のシャツを握ったままだったからだ。

 手を通して伝わってくる瑛太の体温が、今この場にいるのが自分一人ではないことを教えてくれている。


「――え、瑛太くん……?」


 美加は恐る恐る声を出してみた。

 緊張のあまり声がかすれてしまっていたが、音を呑み込んだ闇の中でも自分の声は聞こえていた。


「美加ちゃん、大丈夫か? ……一体、どこなんだ? ここは」


 お互いの存在を確認したものの、二人ともその場から動くことが出来なかった。

 下手に動けば闇に呑み込まれてしまうような、そんな恐怖が二人を襲っていたからだ。


「ここが、アタラクシア? ――何もないよ? 和也はどこにいるの?」


 心細さのあまり、美加が瑛太の体に身を寄せた時、二人から少し離れた前方に、ぽぅっ……とオレンジ色の柔らかな光を放つ小さな球体が無数に現れた。


「な……何? あれ……」


 ふわふわと宙を舞う光の球体は徐々に一点に集まり、少しずつその大きさを増していく。

 瑛太の右手が闇の中の美加の肩を探し出し、美加を守るように自分の体の方へ引き寄せた。


 やがて、オレンジ色の光は一つの塊になり、二人の目の前に一人の少年の姿が現れた。

 手を後ろに組んであどけない笑顔を二人に向けている少年は、体の輪郭にオレンジ色の淡い光をまとっている。


 漆黒の闇の中に現れた光のおかげで、美加と瑛太はお互いの姿を確認することが出来た。 

 小学校1,2年くらいの年の子だろうか?

 金糸で綴られた見事な刺繍をほどこしたジュストコールにジレ、キュロット……、まるでフランスのロココ時代の貴族のような出で立ちの少年の出現に二人は息をのみこんでいた。


 少年の頭についているピンと立った猫の耳、上機嫌な様子で宙空を切って遊んでいるようなすらりと長い尻尾、それらが目の前の少年を人間ではないと教えていたからだった。


 少年は鼻歌を歌いながら、襟元を直し、袖口から覗くレースを整えてから改めて美加と瑛太に向き直った。

 闇の中で少年の金色の目が光る。



「――ようこそ、アタラクシアへ」



 笑みを含んだ幼い声が闇の中に響き渡った。

 



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