絶望
メールに書かれてあったサイトは、アリスが遊んでいるオンラインゲームの非公式のファンクラブのような所だった。
ゲームの攻略方法や、ユーザー達の交流の場になっている掲示板がメインのようで、サイトの訪問者数を示すカウンターの数値でサイトの人気の凄さが手に取るようにわかる。
しかし、掲示板を開いて乱立するスレッドの中身を見ると、大抵がユーザー個人に対する誹謗・中傷の類で、スレのタイトルを見ているだけで美加は気分が悪くなりそうだった。
アリスを名指しするスレは、いくつか見つかった。
匿名で自由に書き込みが出来る掲示板なので、ゲーム内のどのユーザーが発言しているのか閲覧側にはわからない。中傷の中には自分と親しい人や同じチーム内でなければ知りえない情報さえも含まれていた。それが尚一層、携帯を持つアリスの指の震えを大きくしていった。
■アリスってニート? 女子高生じゃねーだろ。いつログインしてもアイツ、ゲームにいるぞw
■アリスって何様? いっつも上から目線で話すのがムカつくんですけどー
■確かに。チーム内の通信なんて女王様きどりだぜw
■俺、初心者の頃に装備借りたりして助かったんだけどさ……。お礼のメールをすぐに出さなかったってだけで通信で「○○○は装備の借りパクする人だから気をつけて」って流されてさぁ。仕事あるし、あいつみたいに廃ログしてねーし。返事するタイミングがズレただけなのに。装備返してキャラ作り直しする羽目に……orz
■でもさぁ、テキトーに煽てておけばいい金ズルだよねw
■俺、あいつのチームにサブキャラ入れてある。話相手してやってれば金やアイテムばら撒いてくれるぜーw
延々と愚痴や揶揄の言葉が連ねてあるレスの一言一句を見逃すまいと、アリスは携帯を握り締め、液晶画面に食いつくようにして文字を追っていた。
実際、ゲーム内でもアリスに直接意見をぶつけてくるユーザーも今までに何人もいた。中傷メールを送るためだけに新キャラを作るような輩も後を絶たないのをアリスは思い出していた。
自分は何と言われても、自分を信じて慕ってくれている数人の仲間とカイがいればそれでいい、と頑張ってきたのに……とアリスは絶句してしまっていた。
それだけに、この掲示板の中でチームの仲間が自分の悪口の書き込みをしていることがアリスには信じがたいほどのショックだった。
中には思わず目をそむけたくなるような書き込みも多々あった。
それでも、アリスの視線は一字一句見逃すことなく携帯の画面に釘付けになっていた。
そして、何よりも、密告のメールの通りに、カイがゲームの中の複数の女性ユーザーに声をかけまくっているという内容のレスも数え切れないほどにあったことがアリスの心を砕きかけた。
■知ってる? カイってアリスにもらった高額装備、サブキャラで転売して他の女に貢いでるってw
■あー。知ってるも何も、私、たっくさん貢いでもらっちゃってまーす♪
■あいつ、アリスに稼がせといて遊び放題だよねー。仕事忙しいって言えば、黙って待って金稼いでくれてるってカイが言ってた
■出会い系必死だよねw 私の知ってる子で何人かカイと会ったって子いるよ
■マジ?
■マジマジw ゲームの中と同じで頭軽そーなチャラ男だって言ってたw
■あいつ、大阪住みだっけ? 関西方面の女には必ず声かけるって言ってたよ
■俺のネカマキャラも声かけられたぞw
■ログインした途端、「ちゅっ(はぁと)」って通信送ってくるの、マジうざい。やめて欲しい
■カイにナンパされてない女キャラを探す方が難しくねw?
書き込みを見ている間、アリスの心には何の感情も表に出てきてはいなかった。
書きこまれていた文章がぐるぐると渦を巻き、心臓が早鐘のようにガンガンと脳天まで響き渡っている。――そんな感じでアリスの頭の中はいっぱいになっていて、自分の感情が入る隙間もなくなってしまうほどになっていた。
アリスは今、湯船の中にいる。
バスタブの中で骨ばった膝を抱えたままの姿勢でシャワーに打たれていた。
お湯はまだ腰の高さ位までしか溜まっておらず、シャワーを浴びていない箇所は寒さを感じるほどだった。
シャワーの温水はアリスの長い黒髪を濡らし、白い肌に張り付かせている。びしょびしょに濡れた顔のままで、アリスは自傷の痕がいくつものこる自分の腕をぼんやりと眺めていた。
やがて、アリスは何かを決意したかのように立ち上がる。
シャワーを止め、風呂場から出たアリスはバスタオルを体に巻きつけると、髪から雫が落ちるのもかまわず部屋に向かって歩き出した。
アリスの頭の中では、タンスの中に入っている服のコーディネートが何パターンかせわしなく浮かんでは消えている。――どこかへ出掛けるのだろうか? と美加は思った。
傷心のアリスが自分の体を傷つけてしまうのではと危惧していたので、アリスがその兆候を見せないことに対しては、美加は安堵の息を漏らす。
キャミのワンピースとスパッツ、デニム地のボレロを羽織り素早く着替えを終わらせたアリスだったが、なおもタンスの引き出しの奥に腕を突っ込み何かを探しているようだった。
畳まれた服を引っかき回してアリスが探し出したのは、ウサギのイラストがプリントされた巾着型のポーチだった。美加はアリスの手を通じて、見た目の印象よりもずっしりと重たい手ごたえを感じていた。
ポーチの口を開けたアリスは、中から無造作に紙幣を何枚か引き抜く。――その紙幣が全部1万円札なのに美加は驚いた。素早い動作だったのでポーチの中身をしっかりと確認出来なかったが、中にはまだ紙幣が数枚残っていたし、この重さからして小銭もたくさん入っているようだ。
アリスは台所のテーブルの上に置いてあった1万円札と一緒にそれらを財布の中に入れ、ポーチと一緒にバッグの中にしまいこむと暗くなった街へと飛び出していった。
アリスの中にいる美加だったが、アリスがどういった目的を持って行動しているのか捉えかねていた。
――と言うのも、サイトの掲示板を見てからのアリスの思考が雑多な情報で入り乱れ、ひどく混線したような状態にあったからだ。
カイとのメールや電話での会話を思い出しては、掲示板の中傷文がそれらの想い出を打ち消していく。
ゲーム内でのチームのメンバーとのやりとりを思い出しては、この人が掲示板にカキコしたんじゃないかという疑いの気持ちが生まれてしまう。
アリスは誰を信じていいのかわからなくなってしまっていた。
ゲームをしていれば高額なアイテムやレアアイテムは誰だって欲しくなるだろう。自分だってゲームを始めた頃は、上級者の人からアイテムをプレゼントされたり、ゲームマネーを分けてもらえたりしたのがすごく嬉しかった。
はっきりとしたアリスの思考が美加の頭の中に響いたのと、目の前のコンビニの自動ドアが開いたのはほぼ同時だった。
アリスは脇目もふらずにレジの横に設置してある端末機に向かう。
アリスの操作で美加の目の前にある端末機の画面が次々に変わっていった。どうやら大阪行きの高速バスの乗車券を予約しているらしい。コンビニの壁にかかっている時計で時間を確かめ、アリスは一番早く乗れるバスの予約を完了させる。
端末機から出てきたレシートを切り取り、アリスは売り場の中へと移動し、フックに下げられている使い捨ての携帯充電器を全部掴み取った。
レジで乗車券を受け取り、会計を済ませたアリスは通りに出るとタクシーを拾う。アリスは夜行バスでカイの住む大阪に向かうつもりらしい。感情にまかせて行動に出たアリスに美加は驚くばかりだった。
それでも、アリスの孤独な心の支えになっているのがカイの存在だと知っている美加には、アリスの気持ちがわからなくもなく、無事に大阪に着いてカイと会うことが出来るようにと祈らずにはいられなかった。