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OFF  作者: 水縞こるり
第六章 アリス
15/27

私は、汚い

 

 耳元でいきなり大音響の音楽と歌声が響き、美加は一気に眠りから引き戻される。

 

 開いた目に飛び込んできたのは、携帯の液晶画面だった。何かのゲームかチャットをしているらしく、文字入力をするための指が止まることを知らないように動き続けている。

 

 美加は奇妙な違和感を感じていた。――自分には携帯を操作しようという意思はない。しかし、指は動き続けている。視線を移動させて周囲の状況を見てみようとしても、視点は携帯に固定されてしまって動かない。

 視界に入るものと体に伝わる振動から察するに、どうやら電車の中にいるようだった。耳に差し込んだイヤホンから流れる題名のわからないオペラ音楽に重なって、次の停車駅の名前を告げるアナウンスが聞こえてきた。

 

 今度は一体どんな場所に飛ばされたんだろう? 自分の体が、自分の思う通りに動かせないのはなぜなんだろう? ――美加の胸には不安が増すばかりであった。


 ――自分の体?

 

 美加は動き続ける指を見て、それが自分のものより細く骨ばっているのに気が付いた。

 膝の上に置いたバッグ、えんじ色のチェックのひだスカートから覗く足も指と同じように痛々しいくらいに骨ばっている。

 

 ――私じゃ……ない?

 

 美加の胸に疑問が湧き起こった時、駅に近付いた電車が減速を始め体に抵抗が感じられた。

 戸惑う美加の目の前で携帯が閉じられ、膝に置いたバッグのショルダーを肩に掛けながら立ち上がった『自分』は、まっすぐに扉の前へと進んでいく。

 

 ドアに映る『自分』の姿を見て、美加は驚いた。

 目の前に映っている少女の姿が、髪の色こそ違え、あのアリスに瓜二つだったからだ。

 しかし、砂漠で初めて会った時のアリスと比べると覇気が感じられない。流れる景色を背景にして映る少女の姿は、真昼の月のように儚げに見せていた。


 目鼻立ちのはっきりした美少女であることに変わりはないが、今、目の前にいる少女は痩せすぎで大きな目は窪んでさえ見えていたし、制服と思える服から見える手足の細さは骨の上に皮が被っているのかとも思える程だった。


 電車が止まり、ドアが開く。  

 電車に乗り込む人々も、駅の構内ですれ違う人々も、皆、少女を見ると驚きの後に好奇に満ちたような目で少女の後を追っていた。

 

 ――みんなが私を奇妙な生き物を見るような目で見ている。

 

 突然、誰かの思考が自分の思考の中に割り込んできたことに美加は驚いた。


 ――そんなの、もう慣れっこ。私は、汚い。汚い。汚い生き物。

 

 美加はこの思考がアリスに似た少女のものだと確信する。そして、自分を汚いと卑下する少女の心に悲しみも、怒りも、何の感情も生まれていないことに。  

 周囲の好奇な視線にも物おじせずに、黙々と歩き続ける少女に美加の方が心を痛めてしまう位だった。

 どうやら、美加のそんな感情は少女には伝わってはいないらしい。――しかし、少女の考えはすべて美加の頭の中に響いてくる。

 

 ――私が、この少女の中で少女の言動を観察することが、クエスト2なのかしら? だとしたら、チェシャ猫が「アリス」と言っていたのは、やはりこの少女がアタラクシアのアリスと同じ人物ということ?

 

 美加は瑛太に助言を求めようと、瑛太に呼び掛けてみたが返事はなかった。  

 意識だけが、この少女に入り込んでいるから? ――そう思うと途端に美加の心の中は不安でいっぱいになってしまった。

 

 アタラクシアに来てから、瑛太と離ればなれの行動になるのはこれが初めてになる。どんな恐ろしい状況になっても冷静にアドバイスをしてくれる瑛太がいたから美加も気丈に頑張ってこれたのだ。

 

 ――頑張らなくちゃ……。和也とも連絡が取れないし、何とかクリア出来るように頑張らなくちゃ……。

 

 悲愴な思いにとらわれながらも美加がそう決心を固めた時、少女は閑静な住宅街の中にある小奇麗な洋風の家のドアを開け、中へと入っていく所だった。

 

 ただいま、と少女が呟くのが聞こえたので、ここは少女の自宅なのだろうと美加は思う。広い玄関を抜けると、展示場と見間違う程の最新型のシステムキッチンと食卓のあるダイニング・キッチンへと出た。


 ――何だろう……。きれいな家なんだけど、生活感が漂ってこないような……。  

 少女の家の中を見た美加の第一印象がそれだった。


 まっすぐにテーブルに向かった少女は、その上に置いてあった置手紙と一万円札を無造作に掴みあげる。  


『一週間程旅行に出かけます。お金を置いていくのでそれで好きなものを食べて』

 

 置手紙の方は少女があっという間にくしゃくしゃに丸めてしまったので、そこまでしか読みとれなかった美加だが、それ以降の文章が少女の頭の中に浮かんでこない所を見ると、彼女もその段階で読むのをやめてしまったのだろう。

 丸めた手紙をキッチンのシンクの中に投げ捨て、少女は一万円札をポケットの中に捩じりこむとキッチンを後にする。階段を上がり、二階の一室に少女は入っていった。年頃の少女にしては、あまりにも殺風景な部屋なのに美加は驚いた。  

 窓際に置いてあるベッドと学習机、あとはドレッサーとタンス、本棚がある位で、ぬいぐるみや人形といった愛玩物は一切置かれていない。白と黒のモノトーンの世界が美加の目の前に広がっていたのだ。

 机の前へと移動した少女は、バッグを床の上に落とした後にヘッドフォンを外し胸ポケットからipodを取り出し机の上に置く。

 脱いだ制服をハンガーにかける時、少女は自分の姿がドレッサーの大きな鏡の中にあるのを見て眉をひそめてみせた。あばらが浮きだして見える程にガリガリに痩せた少女の体。それよりも美加の目を引きつけたのは、少女の左腕に無数についた傷痕だった。

 

 ――私は、汚い。

 

 そんな針のような鋭い思考が美加を襲ってきた。少女自身は相変わらず自分を蔑んだ言葉に痛みも悲しみも感じていない。

 タンスから七分袖のロンTとジーンズを出して着替えを始めた少女の左腕には、うっすらと消えかけた傷から、縫合の跡が見られるものまで、沢山の自傷と見受けられる傷跡がついていた。


 制服のポケットから携帯を取り出した少女は、ベッドの上に上がると壁にもたれて膝を立てて座り携帯を操作し始める。  

 お気に入りの中に登録してあるRPGのサイトへ接続すると、初めて少女の中に『感情』らしきものが沸き起こっているのを美加は感じていた。


 ゲーム内へのログインが完了すると、液晶画面の中には建物のようなものの画像が上部に映し出され、その下には数字キーでメニューを操作するための文字が書かれてある。


 ――アタラクシアに似ている? でも、RPGってこんな感じなものが多いのかも……?

 

 携帯でRPGをやったことのない美加にとって、少女の指がものすごい速さで新着のメールに次々と返事を出していく様は目が回るだけで、何をやっているのか理解するのが追い付かないほどだった。

 

「カイ!」


 弾むような声と共に、少女はベッドの上に座り直し、両手で携帯を握りしめて届いたばかりのメールの文章を、一字一句見逃さないような真剣さで目で追っている。

 

 少女の胸の鼓動がドキドキと速まっているのを美加は感じていた。少女の今の表情が幸せで満ちているような気がして、美加は自然と安堵の息を漏らしていた。



カイ:

よぉ、俺、これから仕事行くとこ。

チームでやるイベント、決まった?

 

『うん。トーナメント制のバトルに決まったよ。

レベルと装備のバランス考えて階級分けしてやろうと思ってる』

 

カイ:

悪ぃな、みんなまかせちまって。

 

『こういうのやるの好きだから平気だよぉ。

組み合わせ決まったら、サイトにアップしておくね。

カイも出られるでしょ?』

 

カイ:

おぅ。たまにはチームの幹部らしいことしねーとな(笑)


『カイの仕事が忙しい間は、私が代理でリーダーしてるけど、

みんな、ちゃんとカイがリーダーだって思ってるからね。

【アタラクシア】はカイが作ったチームだもん。みんな、カイが

来るの待ってるんだから』

 


『カイの仕事が忙しい間は、私が代理でリーダーしてるけど、

みんな、ちゃんとカイがリーダーだって思ってるからね。

【アタラクシア】はカイが作ったチームだもん。みんな、カイが

来るの待ってるんだから』

 

カイ:

さんきゅw

じゃあ、そろそろ出かけるわ。

事務所着いたら、またログする。



『うん、待ってるね。

カイ、大好きだよ』

 

カイ:

俺もアリスのこと、好きだって

 

『うん、待ってるね。

カイ、大好きだよ』

 

カイ:

俺もアリスのこと、好きだって

 

 まるでチャットのようなメールのやり取りが終わった後も、少女はしばらくの間、カイから届いた最後の通信画面を見つめたままでいた。

 

 美加の頭の中では、二つの異なった感情が嵐のように渦を巻いている。

 

 ゲームの中のカイという男性に恋する少女の切ない心と、二人の会話の中に出た『アタラクシア』と『アリス』の文字を見た美加の心の動揺と。

 

 やはり、この少女はアタラクシアで出会ったアリスなのだろうか?  

 ゲームの中でカイが作ったというチームの名前が『アタラクシア』なのは偶然なのだろうか?

 

 ――美加はきっぱりと疑惑の心を振り払っていた。

 これがアタラクシアを脱出するためのクエストならば、偶然であるわけがない。


 ゲームを再開した少女の目には、液晶画面に次々と移り変わるモンスターとのバトルのシーンや、ゲームの中の地図上を歩くキャラクターの姿などが映し出されている。


 ――しっかり見ていなくちゃ。アタラクシアの謎が、このクエストに隠されているような気がする。

 

 少しずつではあるが、姿を見せ始めてきた『アタラクシア』を、美加は固唾をのんで見守り続けていた。



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