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OFF  作者: 水縞こるり
第六章 アリス
14/27

許さない……

 

 街は雨に濡れていた。

 

 新宿の駅前の側にあるビル街は、いつものように人と車で雑然とした風景を作り出している。 

 しかし、美加には雨に濡れる感覚も、街の雑踏の音も、何も感じてはいなかった。体が空気に溶け込んでしまったかのような不思議な浮遊感に包まれたまま、水が流れていくように街の中を移動していく。――そして、ひとりの少女の前でその動きは止まった。

 

 まだあどけなさが残るような髪の長い色白の可愛らしい少女だった。 

 ビルの壁を背にして立つ少女は誰かを待っている風情で、しきりに駅の出口と携帯を交互に見比べている。

 傘も持たず自分は濡れるばかりなのに、少女はハンカチで携帯が濡れないようにと必死でかばっていた。

 


ごめん、少し遅れるかも

もう待ち合わせの場所着いたんだ?

そこ、動かないで待っててな

みつけらんないと困るし(笑)

 

 

 覗きこんだ携帯の液晶画面には、そんなメールが表示されていた。――しかも、着信時間は今から1時間以上も前だ。 

 雨の降りはどんどん強くなっていく。それでも、少女はそこを動かなかった。 

 携帯を包んだハンカチも、少女自身もずぶ濡れになってしまっている。 

 少女は震える指で届いたメールに返事を書いて送信した。――返事は瞬時に返ってきた。



Mail System Error - Returned Mail

次のあて先へのメッセージはエラーのため送信できませんでした。


 少女の手から携帯がすり抜けて地面の上に落ち、それに続くように少女の体も崩れ落ちていった。

 歩道の上に倒れた少女の周りに人が群がってくる。

 大きな雨粒は少女の横顔を容赦なく叩き続けている。

 

「――和也……く、ん」

 

 音の聞こえなかった美加の耳に、消え入りそうな少女の声だけがはっきりと聞こえた。



「――許さない……」



 今度は背後から男の声が聞こえてくる。

 

 街の雑踏は消え去り、振り返ったそこにはたくさんの花に囲まれた祭壇があった。

 その中央に掲げられた黒いリボンのかかった写真。幸せそうに微笑む写真の中の人物は、先ほど見た雨の中の少女だった。

 

「俺が、必ず……この手で……」

 

 祭壇の前には喪服姿の男性がうつむいて座っている。


 ――美加はその後ろ姿に見覚えがあった。



 あれは……、あの人は……。





「――お、気が付いたか?」

 

 開いた目に木漏れ日がちらちらと舞い降り、すぐ近くに草の濃い香りがする。 

 緑の葉を茂らせた木の根元に美加は横たわっていた。――気を失う前の記憶が瞬間蘇ってきて、美加は青ざめた顔で上体を起こす。

 

「これ、返すぜ」

 

 美加の隣であぐらをかいているヤソが、美加の目の前にネックストラップのついた携帯をぶら下げて見せた。

 思わず胸元を見た美加はそれが自分の携帯であることに気付き、ヤソの手から奪うようにそれをもぎ取ると急いで首にかける。

 

「話はそん中にいる奴から聞いたよ。あんたも大変だな。和也は助けなきゃなんねーし、そいつは元に戻さねーといけねーし、で」

 

 ヤソの口調から本気で心配しているようには思えない美加だったが、少なからず美加はヤソに対して好印象は持ち始めていた。

 ヤソは美姫を助けようとしていた。自分たちのチームに誘い、元の世界と連絡を取らせるために美姫とコンタクトを取り続けていたのだ。――あの恐ろしいループを断ち切るために。

 

「美姫ちゃん……、助けてあげられなかった……」

 

 美加の胸に、あの時チェシャ猫に助けを求めなければという後悔が再びこみあげてきた。


「気にするな……っていうのも無理か。――助けられなかったのは俺も同じだ」

 

 ヤソは顔を上げ、遠くに視線を投げかける。美姫が死闘を繰り返していた校舎は跡形もなく消え去り、風が吹き抜けるだけの広い空間が目の前に広がっていた。



瑛太:

――あの時、同じ場所に僕もいたら

きっと美加ちゃんと同じことを言ったと思う

だから、そんなに自分を責めないで

 

 携帯の中から瑛太も美加を励ましてくれていた。――チェシャ猫の残酷さは知っているつもりだったが、アタラクシアに来てから始めて『死』を目の当たりにして心が晴れることのない美加だった。

 

 美加は携帯の中の瑛太に心配をかけまいと微笑んでみせる。 

 しかし、その微笑みの裏で美加は気を失っている間に見ていた夢のことを思い出していた。

 あの青年の後姿、声……、美加は彼が瑛太ではないかと思っていたのだ。

 

 亡くなった少女が和也の名前を口にしていたことと、復讐を誓うような言葉を言っていた青年、行方不明になった和也、そしてアタラクシアにいる自分。――これは何かひとつの糸で繋がっているのではないかという疑問が美加の中に生れていた。 


 ヤソは慣れた手つきで携帯を操作すると、ベルトに装備したケースの中に携帯を入れ、木によりかかって腕組みをする。

 

「大雅には連絡入れといたぜ。すぐに迎えに来る筈だ。――俺はそれまでひと休みさせてもらう」


「あ、はい……」

 

 すでに俯いて目をつむっているヤソを見て、美加は小声で返事をした後、ヤソの近くに座り直した。

 膝を抱えて木漏れ日を眺めていると、ヤソが再び話しかけてくる。 


 「アタラクシアには夜がない。あんたも休める時に休んでおかないと気が狂いそうになるぜ。――今日は、あんたが側にいてくれるから、眠れるかな……? 俺は、眠りたいんだ。いつも、いつも……」

 

 ヤソの口から言葉が途切れ、規則正しい呼吸音が聞こえてくるまで、美加はヤソの顔を見つめ続けていた。

 アタラクシアには夜がない? ――美加は携帯を覗き込んで液晶の上の部分に表示されている時計の数字に目をやる。 


「――進んでいない……?」

 

 自分の部屋からアタラクシアへ送られたのは、お昼になる頃だった筈……と美加は思い出していた。

 デジタル時計の数字は11時47分と表示されている。――あれから丸1日が過ぎたとは思えない美加は、しばらくの間携帯を凝視していた。 

 1分以上の沈黙は続いたと思う。――しかし、時計は11時47分から変わることはなかった。

 

瑛太:

美加ちゃん?

 

 食い入るような目で携帯を見つめたまま動かなくなってしまった美加を見て、瑛太が心配そうにメッセージを送ってきた。

 

「瑛太くん、時計が動かないの。どうして?時間が止まっちゃってるの?」

 

瑛太:

ああ、そのことならヤソから聞いているよ

どうやら、アタラクシアでは時間の動きがないらしい

だから太陽も沈むことがなく、夜が来ない

――まるで一瞬の時間を切り取った世界の中にいる

みたいにね

 

 瑛太にそう説明されても、いまひとつピンとこない美加だった。

 

 1枚の絵のように時間の止まった世界。そこで繰り返されている狩り場でのバトル。永遠に続くループが途切れるのは『死』が訪れたときだけではないのだろうか。美姫の最後の姿を思い出し、美加は思わず両手で顔を覆った。


「美加はクエストを進めればいいんだよ。余計なことを考えるのは時間の無駄。――まぁ、アタラクシアでは時間は動いていないけどね」


 不意に頭上から子供の声がしたので美加は弾かれたように顔を上げた。いたずらっぽい笑みを含み、人を小馬鹿にしたような調子の喋り方。太く張り出した枝の上にうつ伏せになったチェシャ猫がニタニタと笑いながら美加を見下ろしている。

 

 頭の中で考えていたことが読まれたことを知った美加は凍りついたように動けなくなってしまっていた。

 そんな美加を見てチェシャ猫は満足そうに尻尾を揺らすと、身軽な動作で美加の足元へ降り立った。

 

「クエスト2、はじめるよ」

 

 チェシャ猫が動けなくなってしまった美加の目の前にVサインを作って差し出してくる。

 

「――白うさぎを追ったアリスは、白うさぎを捕まえられた?」

 

「白うさぎを……?」

 

 美加のまぶたが段々と重くなっていく。――チェシャ猫が「いってらっしゃい」と笑いながら言うのを聞いたのを最後に、美加は完全に眠りの世界におちいってしまっていた。



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