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OFF  作者: 水縞こるり
第一章 招待メール
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招待メール

 

「ふぅっ……、一休みしますかぁ」


 冬がやっと終わりを告げて春を迎える頃、秋吉美加あきよしみかは、もうすぐ去ることになる住み慣れた部屋の荷造りに精を出していた。


 暖房器具がいらなくなった位に暖かい晴れた日の室内での作業は、額に汗さえ浮かんでしまうほどで腕を高く上げて大きく伸びをした後に、美加は真っすぐに冷蔵庫へと向かっていた。


 冷蔵庫のドアを開き、冷えたミネラルウォーターのボトルを取り出す。

 キャップをひねって、渇いた喉に冷たい水を流し込むと、その刺激に思わず眉をひそめてしまう美加だった。


 ほぅ……っと小さい一つ息を吐いて、美加はワンルームの自分の部屋をあらためて眺める。

 住み慣れた部屋の筈なのに、まるで違う部屋にいるような気分。――それは、部屋の角に積み上げられた段ボールの箱のせいだろう。


 冷蔵庫の隣に置いてある小さな食器棚も中味は空っぽ。

 あと数日の生活に必要なものを残して、あとはすっかりと荷造りされてしまっていた。


「狭いと思ってたけど、こうしてみると割と広いんだよね」


 自分の言葉に納得するように頷いて、美加はペットボトルを持ったまま窓際へと移動した。

 窓辺に座り、2階から見下ろす見慣れた景色に目を細める。

 自分がここを離れても、この景色は当たり前のようにここにあるんだ……、と思うと美加の胸に切ないものが込み上げてくるようだった。


「――2年間、いろいろあったよねー」


 そう小さくつぶやいて、ミネラルウォーターをもう一口。

 冷たい水の喉越しが、2年の間に起こったイヤな思い出を蘇らせてしまったのか、美加は視線を下に落としたままでボトルのキャップをキツく締め直した。


 立ち上がって冷蔵庫の方へと戻ろうとした時、美加は、開けっ放しになっていた押し入れの奥で、何かの光が弱く点滅しているのに気がついた。


「――?」


 何か梱包し忘れたものがあったのかと押し入れに歩み寄り、腰をかがめて押し入れの下の段を覗きこむ。


「あ……、これって」


 光るその物が何であるかわかった美加は手を伸ばして、押し入れの床に落ちているそれを拾いあげた。

 美加が取り上げたそれは、彼女が少し前まで使っていた携帯だった。今の携帯を新規契約した時に解約していたので、もう携帯電話としての機能は持っていない。

 それでも、美加がそれを捨てられないでいるのは、心の中に今でもあの男が存在するからなのだろう。


「――和也……、どこ行っちゃったんだろ」


 手の中の懐かしい携帯に視線を落とし、ため息混じりに美加はつぶやいた。


 井口和也


 美加が上京してから、しばらく経った頃に出来た恋人だった。

 初めての出会いは、美加の通う短大のサークルと和也の大学のサークルとで行ったコンパ。

 東京の生活にもお酒にも慣れていない美加に優しく接してくれた2歳年上の和也が、美加にとって大切な存在になるのはそう時間のかかる事ではなかった。


 メアドを交換してからのメールは全部この携帯の中に保存してある。

 和也が何人もの女と遊び歩いているのを知ってケンカ別れをした時のメールも、消せずにこの中に残っている。


 別れて数ヶ月経った頃に、和也の友人が自分に会いに来た日の事を美加は思い出していた。


「和也、行方不明になってるんだ。美加ちゃんに連絡入ってないかと思ってさ」

 

 行方不明という言葉に美加はひどく驚いたが、その頃には和也と番号とメアドを交換しあった携帯は解約してしまっていたし、美加の住むアパートにも、もちろん和也は現れていない。


 何も言えず、首を横に振るのがその時の美加に出来る精一杯の事だった。


「和也がいなくなっちゃってから、もう半年以上経つんだ……。どこに行っちゃったんだろ」


 悪い考えが頭をよぎる度に、それを振り払うように頭を振って、最悪な事態を示す一文字の言葉を打ち消してきた美加だった。


 手の中の携帯は、相変わらずLEDをか細く点滅させている。


「――え? ちょっと待って……」


 携帯を持つ右手を少し体から離すようにして美加は白いボディの携帯を見つめた。

 この携帯を解約してから、もう半年以上も放置していたのに、なぜランプが点滅しているんだろう?


 得体の知れない薄気味悪さを感じ、美加は携帯を開く事が出来ずにいた。

 かといって、携帯を手放せば何かが飛び出してきそうな気がして美加は身動きが出来なくなってしまった。

 

 ――その時、


 不意に、携帯から着うたが流れ始めた。

 そのメロディを聞いた途端、美加は弾かれたように携帯を開き、通話キーを押して耳にあてがっていた。

 大きく目を見開き、体を強張らせたまま、美加はゆっくりと確かめるような口調で一言呟く。


「――和也?」


 あれだけ怖がっていた携帯を思わず開いてしまったのは、流れてきた曲が、和也からの着信を告げるのに設定していた曲だったからだ。

 携帯をぎゅっと握りしめ、どんな小さな音も聞き漏らさぬようにと、神経を携帯に当てた耳に集中させる。


「……美加か?」


 遠くから聞こえてくるような微かな声が聞こえてきた時、張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れるのを美加は感じていた。


「和也、今どこにいるの? みんな心配してるんだよぉ……」


 言葉の最後は涙声になってしまっていた美加だった。


「説明してる時間がねーんだ。メール、届いてるだろ?」


 相変わらずノイズが混じったようなか細い声だったが、和也がひどく切迫している様子なのは美加に伝わった。


「メール?」

「アタラクシアに来てくれ! 俺はそこにいる! 美加、助け……」


 絶叫に近いような和也の言葉はそこで途切れてしまった。


「アタラクシア? 和也? それってどこにあるの?」


 美加の必死の呼びかけに、携帯は沈黙を守るだけだった。


 携帯から聞こえてきたのは、間違いなく和也の声。

 行方不明の和也が助けを求めて自分に電話してきた……?


 解約して通話機能のないはずの携帯にかかってきた電話。

 理解しがたい事の連続。

 思考回路が麻痺したようなままで、美加は耳に当てた携帯を外し終話キーを押した。


 ――!?


 携帯を握りしめたままの美加の全身に、再び恐怖の緊迫感が走る。


 ――メール、届いてるだろ?


 和也の声が鮮明に蘇ってきた。


 美加は、新着メールの到着を知らせるメッセージが表示された待受画面を見つめたまま、凍り付いたように動けなくなっていた。


 携帯を持つ手が小さく揺れているのを見つめる目に涙が浮かんで来た。

 美加は右手で口元を覆うと、ゆっくりと自分の気持ちを落ち着かせるように息をひとつついた。


 頭の中で、今、起こったことを整理してみる。

 まず、わかっていることは……

 行方不明の和也は、アタラクシアという場所にいること。


 アタラクシアが地名なのか建物の名前なのかは、和也からの電話が途中で切れてしまったからわからないとしても、何らかの手掛かりになるのは間違いない。


 そして、そのアタラクシアにいる和也が助けを求めているということ。

 切羽詰まったような和也のあの声がとても演技だとは思えない……。

 和也が今こうしている間にも、どんな目にあっているのかと思うと、美加の体の震えはますます大きくなるばかりだった。


 和也はメールのことを言っていた。

 そして、その通りに手の中にある携帯には【届くはずのないメール】が確かに届いている。

 薄気味の悪いメールを開くにはためらいの方が遥かに大きかったが、美加は意を決して待受画面に記されている「新着メール1通」のリンクをクリックした。


 メインフォルダの中に入っているそのメールの差出人の名前は和也になっていた。

 アドレス帳には和也のデータが残っているので、間違いなく和也が自分宛てにあてたメールだと言うことがわかり、得体の知れない恐怖の中にいて、ほんの少しだけ安堵の気持ちが美加の心に生まれていた。



 サブジェクトに書かれた文字は、


《ようこそ、アタラクシアへ》



 ――アタラクシア!! 


 和也が言っていた名前がいきなり現れて、美加は心臓がひときわ大きく鳴り響くのを感じていた。


 本文に目を通すと、



† 秋吉美加様 †


井口和也様が、貴方をパートナーに選ばれました。


アタラクシアへの入国が許されます。


下記URLをクリックして、アタラクシアの世界へお進み下さい。



 リンク先のURLが青く反転しているのを見て、美加は思わず息を飲んでいた。 

 アタラクシアが、現実の世界ではなくネットの中にあるサイトということを知って、美加の頭は混乱してしまっていた。


「……和也はアタラクシアに助けに来てくれって言ってたけど……サイト? どういうことなの一体?」



 その時、美加はURLの後にも、まだ本文が続いていることに気がついた。

 スクロールしていくと、残りの数行の文章が現れた。


「え!? 嘘っ!!」


 その文章を読んだ途端、美加は慌てた様子で上に戻るキーを連打し続け、その勢いのままにアタラクシアのURLをクリックしてしまっていた。


 文末に書かれていた内容は、





† ご注意 †


このメールは開封後、5分後に消滅いたします。

アタラクシアは、選ばれた民にのみ、その扉を開きます。




 というものだった。

 

 解約したはずの携帯が、サイトに接続するために動いているのを見て、美加は改めて自分が何かとんでもないことに巻き込まれているんじゃないかと言うことを痛いほどに実感していた。

 誰か友達に連絡して助けを求めた方がいいかもしれない、と気弱になった美加の目を待受画面に浮かび上がった金色の文字が捉えて離さなかった。



 A t a r a x i a



 その少し下に表示された



 E N T E R



 そうリンクがかけられた文字。



 美加には、その先に進むことしか許されていなかった。


 例えこの先に、どんな恐ろしいことが待ち受けていたとしても。

 



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