49-1 別れ
「そう、ノートにはそんなことが書かれていたの」
冬の日の光が教授室の窓から差し込んでいる。教授席に座っているさとみが、項垂れるように蒼真の話を聞いている。
ここ数日、実家近くで起こった話をさとみに蒼真が語っていた。柏崎が実は自分の叔父であったこと、叔父が宇宙人を名乗る女性から自分を取り上げたこと。どれも蒼真にとってはショッキングな出来事ばかりだった。だがいろいろな話の中でさとみが一番食いついたのは、三冊のノートの件だった。
「すみません、うかつでした。ノートの内容もさとみさんには話していなかったですし」
「そうね、もう少し早く教えてもらっていれば、それがネイビージャイアントのことを表していることに気づけたかも」
いつも優しいさとみにしては、その言葉が冷たく感じた。
「ノートには何が書いてあったの?」
「中身は保存してあります。これです」
蒼真がタブレットを手渡す。さとみが画面に映るノートの写真を一ページずつめくっていく。
「すみません。このノートに書かれていることは、僕には理解できなくて」
蒼真の言葉を無視するように、さとみは写真を見続けている。
「さとみさん、何か分かりますか?」
「……」
「さとみさん?」
「あっ」
さとみが蒼真の言葉に反応した。
「ああ、ごめんなさい。分からないわ、確かに」
「一冊目はタンパク質と何かの物質との融合、二冊目がタンパク質に変わる物質の探索、三冊目は新たな物質に生命活動を与えるためのエネルギーの調査。僕にはそう見えたのですが、これがネイビーの秘密と言われても……」
「そうね、ノートの一冊目はきっと私のアメリカ時代の研究に似ているわ。だからこの結果は、柏崎博士によって論文化されている。それ以降の二冊に関しては、私も関連する者は見たことがないわ。柏崎博士は何か言っていなかった?」
「それは……」
蒼真は言葉を詰まらせた。
「ごめんなさい。あなたの育ての親である叔父さんを失ったのに、ぶしつけな質問だったわ」
「いえ、それは……」
蒼真はまだ、叔父が柏崎博士であったこと、そして何よりも自分が地球人ではないことが今もって信じられない。その心の動揺をさとみに見透かされたような気がした。
「あなたは今、いろいろな事実に出くわして、整理できていない状態なのね。ごめんなさいね、そんなあなたの気持ちに寄り添えなかったわ」
さとみが席から立ち上がり、蒼真をそっと抱きしめた。蒼真がハッとなる。何かこの感触、三体の怪獣と戦った後、海辺で佇んでいた時に感じた温かさに似ている。いや、あの場にさとみがいたはずがない。何かの勘違いだ。それでもいい。さとみに抱きしめられているこの状態が心地いい。
「でもね、敵があなたのことをこのノートから分析して、あなたが窮地に陥ることがあったら…… もしそんなことにでもなったら……」
蒼真の手がさとみの肩へ。
「大丈夫です。今までもそうだったんです。きっと何とかなります」
さとみが腕を解く。
「そうね。きっと蒼真君なら大丈夫よね」
さとみがまた席に戻った。蒼真の胸にはさとみの温かなぬくもりがまだ残っていた。
「とにかく、このノートの解読は、私のほうで進めておくわ」
「お願いします」
蒼真が頭を下げる。そして教授室を出ようとしたとき、
「蒼真君」
「はい」
蒼真が振り向く。そこにはいつもの、さとみの優しい笑顔が。
「気をしっかり持ってね」
「ありがとうございます」
蒼真はその言葉を残して、部屋を後にした。
× × ×
「ノートの解読はできましたか?」
黒衣の男が話しかける。暖炉の前のソファーには男が座っている。部屋の明かりは消えており、暖炉の炎だけが黒衣の男をより暗く照らし、ソファーに座る男の影だけが鮮明に輪郭を現していた。
「まだです。でも、あなたたちが作った怪獣の仕組みを見れば、ノートの内容もなんとなく分かりますよ」
男はテーブルに置いてあるブランデーを飲んだ。
「そうですか。早くしてください。時間がないんです」
闇から聞こえる声に、男はゆっくりグラスをテーブルに戻した。
「どうして急ぐんですか? この研究は重要なんだ。そんなに焦らさないでください。ただそう遠くない未来に結論は出ると思っています。あとはネイビージャイアントのパワーの源を見つけるだけです。そのためには、データが必要ですけどね」
「私たちのデータでは足りないと言うのですか?」
「はい」
男はテーブルに置かれたノートを手に取った。
「やはり本物を見ないとダメですね。ネイビーに変身する物質は何なのか、それに反応する電磁波の周波数はいくつなのか、それからその電磁波を放出するエネルギーは何なのか」
「先生は、おおよそ推測されているのでは?」
男はノートを開いた。
「恐らく。前回の怪獣と戦ったとき、阿久津蒼真君の左手が青く光っていたでしょう。彼がつけていた古い時計が気になっていたんですよ。この家に運び込まれたときから気にはなっていたのですが、あれがネイビーに変わる物質を貯蔵していると考えれば納得がいきます」
男はノートをめくった。
「このノートの二冊目に、暗号っぽく書かれている物質があった。それに気づけたのは、あなたたちがくれた怪獣化したフレロビウムの分子構造があったから。ノートの不自然な塩基配列を見たことで、ネイビーに変わる物質はフレロビウム301ではないかと思い始めたんですよ」
「フレロビウム301?」
「そうだ。あなたたちが怪獣に使っていたフレロビウム289じゃなくて、同じ元素でも違う同位体だ。エネルギーの波長も違う」
「そうか、やつはもうフレロビウムの新しいものを作っていたんだな」
冷静だった黒衣の男の声に、少し感情が混じった。
「ならば、フレロビウム301が反応する電磁波の波長は、もう分かっていらっしゃるんでしょう?」
「だいたいね」
「だいたい?」
「まあ、人間はフレロビウム301を見たことも測ったこともないからね。知っているフレロビウムは289だけ。でも、301があるなら予想はできる」
「なら、ネイビーを止めることができると?」
「もちろんだよ」
男がノートをテーブルに戻した。
「あとは時計の中身を確認できれば」
男がまたブランデーを飲んだ。
「もしこの研究の結論が出たときは、約束は守ってもらう」
「もちろんです。あなたに私たちの星の生命技術を教えて差し上げます。そうすれば、あなたはこの地球で一番の知恵者になれるでしょう。みんながあなたの技術を欲しがって、あなたの前に跪く」
「そうか。やっとその日が来るか」
男の肩が震えた。それが笑い声へと変わり、部屋中に響いた。
「そうか。やっとその日が、俺は死んだ神山なんかよりすごい。伝説の柏崎と同じ、いや、それを超える。それにあの悪魔の研究をした神山さとみを見返す。あの女、あいつが俺の前に跪くんだ。俺の方が優秀だって、分からせてやる」
男の笑い声が、暖炉の火しか灯らない暗い部屋に溶け込んだ。




