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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
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48-3 柏崎博士

『それは、俺が学会を去り、体を壊した親父の浜辺の食堂を手伝いながら、山奥の研究室で実験を続けていたときだった。俺は夢を捨てきれなかった。人類が到達したことのない領域に俺だけがたどり着く。それだけが望みだった。名声も富もいらない。ただ答えにたどり着きたかった。それだけだった』


 柏崎は山の中の小屋で研究を続けていた。生命を生み出す、その確信が彼の脳裏に芽生えていた。なぜなら毎夜夢に出てくる声がそれを示していたからだ。その声に導かれるように彼の研究は進んでいった。


 アインシュタインは夢の中で、光の絶対速度の啓示を受けたという。ならば自分もきっと同じだ。これは神の啓示、一般の人間には理解できない領域。だからこそ自分は彼らから距離を置いた。それこそが正しい選択だったと信じていた。嵐の夜だった。柏崎にとって世間のニュースなど関心の外。嵐が台風なのか、集中豪雨なのかすら、どうでもよかった。ただこの小屋さえ壊れなければそれでよかった。


 実験データを眺めていたそのとき、扉を叩く音が響いた。また避難を促しに来たのだろうか。この場所は大雨が降れば山崩れの危険がある。だが柏崎には関係がなかった。たとえ土砂に埋もれようとも恐れるに足りない。それほど、この研究に命をかけていた。


 しかし扉を叩く音は止まらなかった。その音、力強くはない。だが何か切迫したリズムで叩かれ続けている。柏崎はふと気になった。扉を開けた、その瞬間、女が部屋の中へ倒れ込んできた。柏崎は慌てて彼女を抱きかかえる。


「どうしたんだ」

「助けて……」

 女は気を失いかけていた。その重み、最初は気付かなかったが、彼女の腹部を見て息を呑む。


「妊娠しているのか?」

 額に手を当てる。かなりの高熱だ。このままでは危ない。


「人を、人を呼ばないでください」

「なにを言ってるんだ、このままだと、君もお腹の子も危険だ」


「分かっています。でも……」

 女はかすれた声で言葉を続ける。


「人目につけば私は殺されます。そのときはこの子も……」

「しかし……」

 柏崎は躊躇した。とにかく彼女を寝かせないと。その重い体を抱きかかえソファーへと横たえる。


「大丈夫か?」

「えゝ……」

 苦しそうな表情の中、それでも彼女は柏崎を安心させようとしている。その姿に研究一筋だった柏崎も心を揺さぶられた。


「どうして、君は殺されるんだ?」

「私が宇宙人だから……」


「宇宙人?」

「私は地球から遠く離れた星から来たんです」

 柏崎は彼女が高熱による錯乱状態なのかと思った。


「信じてもらえないかもしれませんが、あなたなら、分かるはず」

「?」


「あなたに生命科学の技術を教え続けたのは私の夫なのです。あなたへテレパシーで語り続けたのです」

「えっ」


 柏崎は耳を疑った。神の啓示だと思っていたものが、異星人からのメッセージ? 自分の研究は己の発想ではなく、だれかの入れ知恵だったのか?


「そんな、馬鹿げた話を……」

「いいえ、真実です。私の夫は地球人の中で、あなたなら彼の研究成果を理解できると、あなたを選んだのです」


「俺を?」

 柏崎の心は、複雑な感情に揺れ動く。この研究が自分のオリジナルではない、その落胆。しかし異星人から選ばれたという奇妙な優越感。


「ところで、君の旦那さんは?」

「殺されました」


「殺された!?」

 柏崎が息を呑む。


「それは……」

「そうです。新たな生命を生み出す研究は危険視されました。だから彼は殺され、私も命を狙われている」

 柏崎は絶句した。もしこの研究を進めれば、次は自分が殺される。容易に想定できる未来だった。


「だから、あなたには、生きてほしい。彼の研究を引き継いでほしい。そしてこの子を守ってほしい」

「……」

 そのとき、女が苦しみだした。彼女の股から水が滴る。


「破水している?」

 柏崎は動転した。今、自分が聞かされた話。今、目の前で起こっている現象。どうすればいい? 何をすればいい?


「うう、私の、私の赤ちゃん」

 苦しむ彼女を見て柏崎は携帯電話を掴んだ。


「寛子か、すぐに研究室へ来てくれ!」


 ×   ×   ×


「寛子はすぐに駆けつけてくれた。そして赤ん坊は生まれた」

 柏崎は目の前の長椅子を見つめる。


「ここでお前は生まれたんだ」

「もしかして、家にあったへその緒は……」


「そうだ。そのとき、寛子が切った臍の緒を大事に家へ持ち帰った」

 蒼真は母の面影を思い出した。しかしあの母は本当の母ではない。本当の母は宇宙人? 全く、実感が湧かない。


「それで、その宇宙人の女性はどうなったんですか?」

「死んだよ。お前を生んだ直後にな」


「えっ」

「彼女は最後に言った。お前には特殊な能力がある、と」


「もしかして……」

「そうだ。お前に送られた手紙の内容はお前の母が遺した言葉を寛子が書き写したものだ」


「……」

 蒼真は絶句する。


「だとすると、あのノートは?」

「あれは俺が書いたものだ」


「叔父さんが?」

 柏崎は目を伏せる。


「もし、お前の母の言葉が正しいとするならば、彼女の夫が俺にテレパシーで送り続けた言葉をノートに書き写したものだ」

「夫? つまり、僕の父親?」

 蒼真の言葉が詰まる。


「彼女が死んでしまった以上、何が真実なのかは分からない。ただひとつ言えることは、確かに俺の耳には研究へ導く声が響いていた。俺はその声を頼りに論文を作成した。だがその学説は学会で非難された。当然だろう。地球人には理解できない、異星人の説なのだから。今思えばそんな当たり前のことすら理解できていなかった。それは唯々、俺の欲望のためだったんだ。自分よりレベルの低い人間たちに自分の知識の高さを誇示したかっただけ……」


 柏崎は天を仰ぐ。蒼真は彼の虚栄心などどうでもよかった。


「で、母さんは? 死んだ母は、どうなったんです?」

「消えたよ」


「消えた?」

 蒼真は一瞬、柏崎が嘘をついているのかと思った。しかし彼の宙を眺める目には迷いがなかった。


「彼女は、必死にお前のことを心配していた。だが急に容体が悪くなった。寛子の話によると、妊娠による栄養失調と、体への負担が重なり、命を落としたんだと考えられる。急激に心肺機能が低下し、死に至ったんだ。ただしそれは、地球人と彼らが似た生命体だという前提の話だがな」


「それで、消えたとは?」

「彼女の息が止まり、心臓の鼓動が消えた瞬間、彼女の姿はゆっくりと、この世界から消えていった」


「それは、なぜ?」

「俺には分からない。彼ら特有の現象なのか、それともお前のことを思い、自らがここへ来た痕跡を消すためになにか細工を施していたのか」


 蒼真は思った。柏崎の仮説が正しいならば、それは後者ではないか。自分の生みの母は、命をかけて自分を守ろうとしていた。それは母の手紙からも読み取れる。母は自分のことを守るために、必死だったのではないか。


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