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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
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47-1 三冊のノート

「さとみさん、この論文、もう読みました?」

 東阪大学生物学研究室。その教授室は事件のあった研究室から離れた場所にある。もともと神谷教授が静かな環境を望み、学生たちの出入りが少ない位置に部屋を設けたのだ。


 冬の日差しは少しずつ春の光へと変わりつつある。今日は晴れ、教授室の窓からいつもより柔らかく暖かな陽射しが差し込んでいる。その光に包まれながら、教授席に座るさとみはいつもながらに美しかった。蒼真が彼女に語りかけると、蒼真の鼓動は早まる。それは初めて会ったときと変わらない。


「遠山教授の論文ね」

 蒼真が机に置いた紙の束を見ず、さとみは手元の資料を見ながら答えた。


「知っていたんですか?」

「ええ」

 さとみは変わらず資料に目を落としている。


「どうして教えてくれなかったんですか?」

「どうしてって?」

 さとみは資料を置き、蒼真を見つめる。その表情に困惑の色が浮かんでいるように感じられた。


「だって、この論文は怒りの研究ですよね。怒りのエネルギーについて書かれている。これって怪獣研究にとってすごく重要なテーマじゃないですか?」

「そう、そうだったわね」

 蒼真はさとみが何かを隠しているように感じた。


「それに、論文の引用文献にさとみさんの昔の論文が書かれています。この論文の発表前に、遠山教授からなにか相談されていたんじゃないですか?」

「それは・・・・・・」

「あったんですね」


「実は・・・・・・」

 さとみは、申し訳なさそうに話し始めた。

 さとみの話では昨月の学会で遠山教授から声をかけられたらしい。彼はさとみが過去に執筆した“怒り”に関する論文を読み、現在世間を騒がせている怪獣騒動と結びつけたという。


「さとみさんの論文では、怒りを何かのエネルギーと仮定していましたね」

「そう。まだ正体は分からないけど、様々な現象を考えると、人間の怒りは他の動物とは明らかに違う。だから、何らかのエネルギーが関与していると仮定したの」

 さとみは教授席を立ち、部屋の中央付近にあるソファへ腰かけた。蒼真も彼女の対面のソファに座り、その間のテーブルに遠山教授の論文を広げる。


「この論文では、人間の脳波に着目していますね」

「遠山教授の話では、人間の場合、怒りだけでなく“妬み”という感情があり、それが絡み合うと怒りだけの脳波とは異なる、別の周波数を持つ脳波になるらしいの。それは、人間だけが持つ周波数なのよ」

 蒼真は目の前の論文を数ページめくる。


「通常、脳波は数ヘルツ程度ですが、怒りと妬みが絡み合うと脳波が乱れ、一瞬で数百ヘルツ・・・・・・ つまり百兆ヘルツもの周波数が人間から発せられる。それが別の物質に影響を及ぼすということですね」

「そう。そして、その影響を最も受けるのがフレロビウム。フレロビウムの最外殻電子が励起され、それがホウ酸やリンなどの物質と結合することで、アミノ酸に似た物質が形成されるの」


「フレロビウムは崩壊しやすい物質だから、短時間で結合と崩壊を繰り返す。結果として、進化したアミノ酸に似た物質が生成され、それが炭素を持つ我々と似た生命の誕生へとつながる・・・・・・」

「なるほど」

 蒼真は頷いた。


「でも、それはまだ遠山教授の仮説にすぎない」

 さとみは論文の最終ページを開き、蒼真に見せる。そこには机上の空論であり、検証は未完”と記されていた。


「確かに、この論文では脳波の周波数がフレロビウムに影響を与える可能性には触れていますが、それ以降の部分は根拠となるデータが示されていませんね」


「そうなの」

 さとみがそこまで言うと顔を伏せた。その微かな仕草を、蒼真は見逃さなかった。


「さとみさん? 学会で何かあったんですか?」

「うん・・・・・・それが」

 珍しくさとみが口ごもる。


「もしかして、僕に関係することですか?」

 ふうっと息を吐き、さとみが話し始めた。


「実はこの間の学会で遠山教授にお会いしたとき、私の論文以外にお願いされたことがあって」

「それは?」


「仮説の証明にはデータが足りない。そこで、防衛隊の情報を開示してもらえないかと。そのために、あなたを紹介してほしいと」

「それは・・・・・・」

 今度は蒼真が口ごもる。


「機密性が高いので、難しいとは伝えたんだけど」

「そうですね・・・・・・」

 蒼真も項垂れた。


「でも、怪獣対策になるのであれば、防衛隊に掛け合ってみますよ」

「そう・・・・・・」

 さとみの表情は暗い。気乗りしない様子が伝わってくる。


「さとみさんは、反対なんですか?」

「怖いのよ・・・・・・ これ以上、あなたが真実に近づくのが」


「怖い? どうして?」

「分からない。でも、これ以上足を踏み込めば、あなたがさらに傷つく。そんな気がするの」


「?」

 蒼真には、さとみの不安の意味がよく分からなかった。ただ彼女が自分のことを心配してくれることが嬉しかった。何より、自分が傷つくことを恐れてくれている、それが伝わってくる。


「とにかく、遠山教授に会ってきます。話はそれからにしましょう。もし彼の研究がこの事態の収拾に繋がるのであれば・・・・・・ もしそうなら、僕自身がどれだけ傷ついても構いません」

「蒼真君、本当に大丈夫?」


「ありがとうございます。では、遠山教授に連絡してみます」

 さとみの悲しげな表情が胸に残る。それでも、迷いを振り切るように蒼真は歩みを進め、教授室の扉を開け彼はその場を後にした。

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