第五話 明日への希望
♪小さな生命の声を聞く
せまる不思議の黒い影
涙の海が怒るとき
枯れた大地が怒るとき
終わる果てなき戦いに
誰かの平和を守るため
青い光を輝かせ
ネイビー、ネイビー、ネイビー
戦えネイビージャイアント
中原課長格が会社を出たとき、もうすでに夕日は沈んでいた。今日もいつも通り仕事が終わった。彼と同じ方向に歩く人は少ない。中原課長格はひとり駅に向って歩く。振り向けばビルにはまだ明かりが点いている。がんばって仕事をしている奴らが残っているのだろう。がんばる? それでどうなると言うのだ。五十を前に夢などと言う言葉はとっくに忘れた。部下もいない、メインのプロジェクトでもない業務は事なかれに終わらせるのが一番良い。
とはいえ、帰ったところで良いことがあるわけでもない。妻は自分に関心がなく、娘は全く話をしようともしない。確かにこんな落ちぶれた自分に家族すら愛想を尽かしているのだろう。
それでも中原課長格はがんばることをしない。それは明日への希望を持たないと決めた日からだ。希望がなければ失望もない。失望がなければ辛い思いをすることもない。今日もやり過ごせた。だから今日も帰ろう。
中原課長格は目の前の暗い道を見つめ、ゆっくりと前に足を踏み出した。
「お疲れ様です」
彼の横を、明るい声が軽やかに通り過ぎていった。
「お疲れ」
中原課長格は一瞬、笑顔を浮かべた。声を掛けたのは同じ職場の若い女性、梶田舞衣だった。彼女の明るい笑顔が通り過ぎていくのを見送りながら、彼の顔から笑顔が消えていった。
「まぁ、高根の花だな」
舞衣は先月、中原課長格の部署に配属された派遣社員である。一目見たときからかわいいと思ったが、二十代の女性が自分を意識するはずもなく、なんとなくかわいいと思ったことすら忘れていた。そんな彼女が挨拶してくれた今日は良い日だ。しかし、幸福感はそこまで。それ以上希望を持てば、また痛い目に遭う。そう、希望はない方が良いのだ。
笑顔が消えた顔で再び夜道に足を向けたとき、か細い小さな声が聞こえた。
「おじちゃんはあのおねえちゃんが好きなの?」
その声にハッと振り返ると、暗闇の中に白く輝くワンピースを着た小さな女の子が立っていた。
「お嬢ちゃん、こんな夜に一人? お母さんかお父さんは?」
中原課長格は女の子の背の高さまで屈み、目線を合わせた。その瞬間、ぞっとするような感覚が彼を襲った。少女の目は漆黒で、驚くほど冷たく感じられたのだ。
「私のことはどうでもいいの。おじちゃんのことが気になるの」
「?」
「おじさん、あのおねえちゃんのこと好きなんでしょ。告白したら?」
「大人をからかうものじゃないよ。あのおねえちゃんはね、おじさんと同じ職場で働いてる……」
「嘘!」
「えっ」
少女の目が鋭く光り中原課長格をにらみつけた。
「おじさん、自分に嘘つくのよくないと思う」
中原課長格がハッとした。自分に嘘をついている? それは……
「これあげる」
女の子が右手に持っていた麻袋を差し出した。
「これを持っていると良いことあるかも」
中原課長格は黙ってその麻袋を受け取る。
「中は見ちゃダメ。本当にどうしようもなくなったときに開けてね。それ以外はダメよ」
中原課長格は麻袋をじっと見つめた。どういう意味なのだろうか? どうしようもないときに、そんなことは……
「おじさんは努力しないんで、どうしようもないときなんかないんだよ」
「そんなことはないわ。きっとおじさんも努力する日が来るよ、希望に向かって」
「希望?」
中原課長格は戸惑いを隠せなかった。自分に希望が芽生える日が来るのだろうか?彼は再び麻袋を見つめた。
「お嬢ちゃん、そんな日は来ない……」
そこまで言って目を正面に向けたときそこにいるはずの少女の姿は消えていた。
× × ×
ササキ製薬の会議室には、妙な空気が漂っていた。
部屋は社外の人との会議が主な用途なのだろうか、壁はまばゆいほど白く、高価な木目調の机とフカフカの椅子、壁の前にはパソコンに接続して資料を写し出す最新のディスプレイ、どれを取ってもセンスが防衛隊の会議室とは雲泥の差だ。こんなに雰囲気の良い会議室なのに……
それは彩と芦名が向かい合わせに座っていることに由来する。お互いに何も言わず、ただ座っているだけ。横で見ていた蒼真もどう声を掛けて良いか分からない。二人の雰囲気が蒼真を拒んでいるように感じられた。
仕方なく蒼真は目の前にいた彩の上司、金田室長に話しかけることに決めた。
「フレロビウムの放射線測定器に使う触媒の生産を増やして頂くことはできませんか」
「うむ、それはですね」
金田室長は、その細く尖った顔の眉間に指を当てた。蒼真の問いかけに対する反応は、明らかに芳しくなかった。
「実はあの触媒は古い製品でして、設備も老朽化しておりまして……」
「ならば、新しい類似品を作ることはできませんか?」
金田室長の表情がさらに険しくなる。
「あの製品自体、設計も古く、当時開発していたメンバーも当社にはほとんど残っておりませんで……」
蒼真は少し苛立ちを覚えた。言い訳はいい、作ってくれよ、と心の中で叫んだ。
「この触媒がないと測定器も増産できませんし、怪獣発見が遅れてしまいます。我々としても早期に怪獣発見が市民の被害を最小限にできると考えています。なのでこの触媒の増産を……」
「我々としても最大限努力はしますが、しかし……」
金田室長の言葉に今度は蒼真の眉間に皺が寄った。本当に分からないやつだな、と心の中で呟きながら助けを求めるように芦名に目を向ける。しかし芦名はじっと前を見据えたまま微動だにしない。仕方なく今度は彩に視線を送る。彩はその視線に気づき小さく頷いた。
「金田さん、開発者なら中原さんがいるじゃないですか」
「あいつか……」
金田室長の渋い顔に微かな歪みが走った。
「中原さんって?」
蒼真が彩に問いかける。
「この触媒の開発者の一人」
「え、そんな人、いるんじゃないですか」
蒼真が金田室長に詰め寄った。
「でも、彼は今開発を外れていて……」
「いや、可能性があるならお願いしたいです」
蒼真が食い下がる。
「しかし、彼にこんな国家プロジェクトを任せるだけの力は……」
金田室長が渋い顔を崩さない中、彩が蒼真に加勢した。
「私、こんなこともあろうと、今日、この場に中原さんを呼びました」
「え、あいつを?」
金田室長が彩をにらみつける。そのとき会議室のドアが静かにノックされた。
「どうぞ」
彩が立ち上がりドアを開ける。そこには金田室長の言葉通りどこか冴えない中年の男が立っていた。
「失礼します」
男はどこかおどおどした様子で部屋に足を踏み入れた。
「中原さん、こちらです」
彩は中原課長格を芦名と蒼真の前へと導いた。中原は深々と丁寧にお辞儀をし、それに応じて芦名と蒼真も立ち上がる。
「私は防衛隊MECの芦名と言います。こっちは科学班の」
「阿久津蒼真と言います」
蒼真も頭を下げる。
「初めまして、中原です」
ポケットから取り出した名刺を芦名そして蒼真の順に丁寧に手渡していく。蒼真は受け取った名刺に目を落とした。『開発監査室 課長格 中原正行』
「課長格?」
蒼真が首を傾げる。
「課長のようなマネージャーではなく、担当として業務に当たっている人をそう呼ぶの」
「へぇ」
蒼真の返事に対し中原課長格は半ば笑みを浮かべながら答えた。
「どうぞお座りください」
中原課長格は蒼真たちが席に着くのを見届けてから自らも席に腰を下ろした。
「私になにか?」
中原課長格は相変わらずおどおどした声で金田室長に問いかけた。
「実は」
不愉快そうな表情の金田室長が話を続ける。
「この方々はMECの隊員さんで、鳥居君のクライアントなんだが、この触媒の増産を依頼されてねぇ」
金田室長は机に置かれていた瓶を手に取り中原課長格に手渡した。
「これは!」
今まで曇っていた中原課長の目が突然見開かれた。蛍光灯の光が瓶に反射し彼の目が輝きを帯びた。その光景はまるで彼の心が映し出されているかのように蒼真には見えた。
「君が若い頃に開発していた触媒だよ。今となっては君しか開発に携わった人間がいない。どうだ、増産できそうかね」
中原課長格はしばらくの間その瓶をじっと見つめていた。そして、
「やれます。やらせてください」
中原課長格が立ち上がる。つられて蒼真も立ち上がった。
「お願いします」
蒼真が思わず中原課長格の両手を握った。
「はい、がんばります」
蒼真はほっと胸を撫で下ろした。一時はどうなることかと心配したが彩の機転に救われたのだ。彩もまた嬉しそうに立ち上がる。
「中原さん、お願いしますね」
彩が笑顔で声を掛けると中原課長格は少し照れながら頭を掻いた。その横では金田室長が変わらぬ渋い顔で座っている。不意に気になって蒼真が振り返る。そこには芦名が微動だにせず、三人の姿を真剣な表情で見つめているだけだった。
× × ×
中原課長格が会社を出たとき、街は暗闇に包まれていた。今日はいつもと違う。久しぶりの残業だったが、なぜか体は疲れていない。心地よい疲れとはこのようなことを言うのだろうか。
中原課長格はほくそ笑んだ。これまで何の希望もなく会社に通っていた。それが一番良いと考えていたからだ。しかし、それが一変した。新たに新触媒開発チームが組織され、そのチームリーダーに任命されたのだ。課長格となって五年、やっと部下ができた。いや、それだけではない。開発業務に戻れたのだ。本当に自分のやりたい仕事ができる。あのとき以来だ。
十年前、勤めていた会社が傾くまで彼は第一線の技術者として働いていた。それがササキ製薬に吸収合併された。彼のせいではない。しかし、会社は彼の思いとは裏腹な行動をとった。吸収された側の社員たちに対する冷遇が目立ち始めるのに、そう時間はかからなかった。中原課長格もその一人だった。仲間がまた一人、また一人と辞めていく。鬱々とした日々が続き、怒りで眠れない夜が続いた。
鬱屈した憤りが続く中、今の部署に配属された。そのとき彼は心に決めた。明日への希望は捨てよう。希望がなければ怒りも湧かない。鬱々とすることもない。捨てよう希望を、明日は今日と同じ、それで良い、それで良い。そう心に決めてから夜は眠れるようになった。覇気のなくなった旦那に妻は愛想を尽かし、娘はそんな父親を嫌った。それでも彼は希望を持とうとはしなかった。
なのに今は希望がある。持たないと決めていたのに、心から希望が湧いてくる。それは若いときに感じたワクワクした感情だろうか? あの頃の開発ができる、それだけで心がむずむずしてくる。俺にはできる、この困難を乗り越えてみせる。今まで自分をコケにしてきた奴らを見返してやる。体から熱い何かが湧いてくる感覚を持ちながら帰途につく。残業を終えて疲れているのに、不思議と体が軽い。仕事を終えた若い奴らを追い越して駅に向かう、そのとき……
「お疲れ様です!」
聞き覚えのある声が後ろから飛び込んできた。振り返ると、そこには笑顔の梶田舞衣が彼の横を通り過ぎる。
「お疲れ様」
中原課長格の声を聞いた舞衣が立ち止まり、振り向いた。
「中原さん、開発への復帰おめでとうございます」
中原課長格の胸がまるで若い頃のように高鳴った。彼女から話しかけられるとは思っていなかったからだ。どぎまぎしながら、その気持ちを悟られないように少し背筋を伸ばした。
「ありがとう」
それ以上の言葉は続かなかったが、舞衣は笑顔を崩さなかった。
「お祝いとは言わないですけど、食事、おごってもらえません?」
「え?」
思いがけないお誘いに、中原課長格は驚いた。
「実は、ちょっと無駄使いし過ぎてお金がなくって」
舞衣はバツの悪そうな笑みを浮かべながら言い訳をした。
「いい、ですよ」
言葉数は少ない、それは自分の動揺を悟られないためだ。動揺している? いや、これは希望。
「ありがとうございます」
そう言うと、舞衣は中原課長格の腕に自分の腕を絡ませた。
「おいおい」
心とは裏腹な言葉を発しながらも、中原課長格の顔には笑顔が浮かんでいた。
「行きましょう」
舞衣が中原課長格の腕を引っ張り、暗がりの道から明るい繁華街へと二人は進んでいった。舞衣が彼を連れて入ったのは、小さなラーメン屋だった。
「ここでいいの?」
中原課長格が舞衣に問う。こんなきれいな若い女性なら、もっと高級なレストランをねだられると思っていたのだが。
「ここのラーメン、美味しいんですよ。でも女子一人では入りにくくって」
「そうだったのか」
中原課長格は、舞衣のその庶民的なところにも心が引かれた。
店内はこぢんまりとしたテーブルが三つとカウンターで構成されていた。カウンターの前の厨房には、自分と同い年ぐらいだろうか、中年の料理人とアルバイト風の若い男が二人いるだけだった。客席も人気店なのか、空いていたのはカウンターの二席だけ。二人はカウンターに横並びに座った。中原課長格が横を見ると、そこには嬉しそうにメニューを見ている舞衣がいた。
「すみません。とんこつをバリ固で」
舞衣がカウンター越しに注文した。
「中原さんは?」
「え、ああ、同じもので」
「大将、今言ったの二つ下さい」
「あいよ!」
カウンターから勢いのある返事が飛んできた。
中原課長格は舞衣を眺めながら、希望がどんどん膨らんでいくのを感じた。今まで諦めていたものがすべて手に入るような気がする。これまで希望を捨てようと努力してきたことの褒美のように、すべてが一気に目の前に現れてきたのだ。
「へい、お待ち!」
舞衣と中原課長格の前に白く大きなどんぶりが置かれた。中の白いスープからはゆっくりと湯気が立ち上っている。
「わー、食べるの久しぶり」
笑顔の舞衣が割り箸を手に取る。その横顔は美しく、中原課長格はしばらく見とれてしまった。彼女はそんな彼に気づかず麺をすすり始める。
「梶田さんは彼氏とかいないの?」
麺を半分すすったところで舞衣の動きが止まる。
「ごめん、悪いこと言った?」
「いえ、でも、今、私一人なんです」
「へぇ、君みたいなきれいな人に彼氏がいないなんて」
「ここ最近、ひとりの方が楽かなぁ、って思ってるんですよ」
そう言うと舞衣は麺をすすり切った。中原課長格の心にさらに邪心が芽生えた。その気持ちを振り払うように彼も麺をすする。思った以上に麺が硬かった。
「振られたんですよ、なんか浮気されて」
「え、そうなの」
「私、昔から男運ないんです。いつも浮気されて」
舞衣は言葉を終えると再び麺をすすり始めた。中原課長格もそれに続いて麺をすすった。
「中原さんは浮気しなさそうですね」
舞衣が中原課長格を見てニコッと笑った。その笑顔に中原課長格の胸に何かが鋭く刺さるような感覚が走った。
「浮気したくっても相手がいないからね」
「え、それって相手がいれば浮気するってことですか」
「まぁ男だからね」
本音ではあるが言い過ぎたかもしれないと中原課長格は後悔した。いつもなら笑い話で終わるのだが、彼女は今の話をどう思っただろう。特にそういう男に傷つけられている彼女からすればいい気はしないはずだ。焦った中原課長格の額に汗がにじむ。ポケットからハンカチを取ろうとしたときあの麻袋が手に当たった。そう、これを手に入れてからいいことが次々に起こっている。もしかしてこの状態が発展するのか? 彼は麻袋を取り出しぐっと握りしめた。
「なんですかそれ」
舞衣が麻袋を見つけた。
「お守りみたいなものだよ」
「へ、ちょっと見せてください」
舞衣は中原課長格から袋を取り上げそっと袋を開けた。するとそこから白い煙のようなものが立ち昇った。
「いけない」
中原課長格は慌てて袋を取り上げた。さっきの煙がラーメンの湯気に混じり、舞衣の顔の付近まで昇っていった。舞衣が息を大きく吸い込む。
「ごめん、これは大事なものなんだ」
謝る彼の言葉に舞衣は反応しなかった。しまった、怒らせたか。中原課長格の後悔をよそに、舞衣の目が潤んでいく。
「中原さん、私こそごめんなさい」
舞衣の表情は消え、その目は宙を舞う何かを見つめているようだった。
「いやいや、こちらこそ」
焦点の合わなかった舞衣の目が中原課長格に向けられた。その目は彼に向けられたまま動かない。じっと見つめられた中原課長格は、生唾を飲み込んだ。舞衣はおもむろに中原課長格の手を取った。
「お詫びに好きにしてください、私を」
「え?」
彼は一瞬、彼女の手を払った。何が起こっているのか、彼の頭は混乱していた。からかっているのか? それにしては、舞衣の目は変わらず中原課長格を見つめている。その目は明らかに潤んでいた。
今度は中原課長格が舞衣の手を握った。彼女は全く抵抗しない。それどころか彼女の手が彼の手をしっかりと握り返してきた。もしかして、本気なのか? なぜだ、こんな中年男を誘うなんて信じられない。いや、待てよ、もしかして…… 自分の希望が叶えられる。この女性を自分のものにできる。あの麻袋は自分の願いを叶えてくれるお守りなのだ。そう、それ以外考えられない。
中原課長格はラーメンを食べきることなく、彼女の手を取り店から出ていった。
× × ×
「もう少し、彩さんとにこやかに会話できないんですか?」
防衛隊の戦闘機格納庫。一般の戦闘機が整備されているその奥、特別な区域には、MECの最新鋭戦闘機スカイタイガーが並んでいる。これらの戦闘機は一般の戦闘機に比べて操作性が向上しており、怪獣の熱線にも耐えられる外装を持っている。さらに攻撃力を高めるために、一発で超高層ビルを破壊できるMMB火薬を積んだミサイルを装備している。
芦名はスカイタイガーの整備状況を確認するために格納庫に来ていた。彼の横には、特に用はないはずの蒼真が張り付いていた。
「彼女が話しかけるな、って雰囲気を醸し出しているからだよ」
「そうかもしれませんけど」
芦名はスカイタイガーの尾翼近くで機体の状態を確認しながら、手元の資料にその状況を書き込んでいた。機体に興味のない蒼真は、芦名にぴったりとくっついて歩いている。
「それって彩さんは芦名さんのことが嫌いって言いたいんですか」
「そういうことだ」
芦名は機体の傷を手で触れながら確認しそっけなく答えた。
「その割にはお互い意識しているような」
蒼真は小さな声でそう呟いた。
「整備は十分だ。いつ怪獣が出てきても戦える」
芦名が近くにいた整備員に書き込んだ資料を手渡した。
「何度も言うけど、彼女の弟を死に追いやったのは自分だ。だから彼女が許すわけがない、許すとも思えない」
「でも、芦名さんが弟さんの亡くなった責任をすべて負わなくっても、そもそも悪いのは怪獣で、攻撃を命令したのも芦名さんじゃないはずでは」
芦名はゆっくり首を横に振った。
「人間は自分の大事な人が亡くなったとき、なぜ自分の前からいなくなったのか、その理由を欲しがるもの。それが他人から見て理不尽なものであっても、自分を納得させるための理由を探す。彼女にとって唯一の肉親である弟が死んだ、その理由が自分なんだよ。きっと」
芦名は遠くを見つめていた。蒼真にはその視線の意味が理解できなかった。本当に憎むべきは怪獣なのに、なぜ彩は芦名を憎むのか。それを芦名がなぜ反論せずに受け入れるのか。それが理解できない自分は、まだ子供なのだろうか。
芦名が格納庫を出て作戦室に向かおうとするとき、ふと振り返って蒼真に問いかけた。
「彩さんのことは置いておいて、例の触媒の件、進んでいるのか?」
「うまくいっていないみたいです。彩さんの話だと、開発チームの動きが悪いらしくって」
「そう言えば、あの中原って男、どっか頼りなさそうだったな」
「彼のせいなのか分からないですけど、彩さんの話だと会社自身の動きが悪い、協力体制ができていない、って」
「まぁ、儲かるもんじゃあないからなぁ」
芦名が歩き出すと、蒼真はすぐにその後を追った。
「とりあえず、ササキ製薬の開発がうまくいかなかったときのために、科学班としても何か代わりになる触媒がないか検討しているところです」
「そうか、仕方がないな」
「彩さんも申し訳なさそうでした。彩さんのせいじゃないのに」
芦名の足が早まった。蒼真も負けじと付いていく。
「防衛隊としてはササキ製薬とは距離をおいた方がいいと思う」
「なぜです?」
「国の機関が一つの企業に肩入れしているように見られるのは不都合だと思うからだよ」
「そうですか? 他の省庁でもある話なんでは?」
「防衛隊は別だ。国の、いや、今や地球の安全保障を担っているんだ。透明性から見ても一社独占は良くない」
「そうですけど……」
蒼真が芦名に置いていかれそうになる。
「それって、単に芦名さんが彩さんに会いたくないだけでは?」
芦名はまっすぐ前方を見据えていた。蒼真の方には目もくれない。
「手段はともかく蒼真君は早く検知装置の増産方法を考えてくれ。怪獣の方は我々に任して」
「だから彩さんの協力が必要だと……」
芦名は黙って作戦室に入っていった。蒼真は扉の手前で立ち止まった。
「ったく、正直じゃないなぁ」
蒼真は髪の毛をもじゃもじゃと掻きむしった。二人は何にこだわっているのだろう。大事な人がいなくなったときに理由を探すって、どういうことだろう。
「まったく、学問より難しい。方程式が成り立たない」
再び蒼真は髪の毛を掻きむしった。分からないことだらけの現状に苛立つかのように。
× × ×
「こんなデータじゃだめだ!」
「でも、これが限界で」
「関係ない、もっと真値に近づけれるはずだ。やり直せ!」
中原課長格の前を、やる気のなさそうな若い男が足早に去っていった。
「どうしょうもないな」
中原課長格は苛立っていた。
新触媒特別開発チームの発足により各部署から集められた人々は全く役に立たなかった。それもそのはず各部署は現在の仕事で忙しく、防衛隊からの依頼とはいえ儲かるかどうかも分からない開発に人員を割く余裕はなかったのだ。結果として各部署の能力が低く、使いものにならない人々が集まることになった。
開発が難しい製品作りに能力のない部下たち、予算も捻出できず、研究器具も各部署からの借り物ばかり。人・物・金の三拍子が揃わない状況で中原リーダーの苦悩は続いた。
「こんな状況で結果が出せるわけがない。もっと有能な人をくれ、もっと金を出せ、いい加減にしろ!」
彼の会社に対する恨みつらみが燃え上がっていく。なぜここまで動きが悪いのか。自分のせいなのか? 合併された側の人間だからか? 彼の怒りは動かない会社、働かない部下、そしてこの状況を打破できない自分自身に向けられた。
「このままではダメだ。これではこの触媒の増産ができない。そうなれば今まで自分を冷遇してきた奴らの鼻を明かすどころか、自分の無能さをさらけ出すことになる。なんとかしなければ、どうすればいい?」
イライラが募る中、彼が会社の廊下を歩いていると、進行方向の反対側から舞衣が歩いて来た。彼女は中原リーダーを見つけると笑顔になる、その笑顔に彼の心はホッとさせられた。
すれ違いざま、舞衣が立ち止まり、中原リーダーに声を掛けた。
「中原さん、疲れてるみたいね」
舞衣の言葉に、
「ちょっとね。うまくいかないことが多くって」
最近、周囲に対して強気のコメントが増えている中で、不思議と舞衣には弱音を吐くことができる。疲れ果てた彼にとって舞衣の存在は日に日に大きくなってきていた。
「舞衣、今日、会える?」
「うん。じゃぁいつもの所で待ってます」
舞衣が笑顔のまま彼から離れていった。
あの日以来、週に一度は舞衣と会っている。いや、最近はその頻度が増している。なぜあんな若くて美しい女性が自分と会ってくれるのかは分からない。でも、そんなことはどうでもいい。彼女は自分を受け入れてくれる存在だ。今まで誰からも拒絶されてきた自分を理解してくれる。それは特にイライラしているときに強く感じられる。とめどもない怒りが湧いているとき、彼女を抱くとその気持ちが解消される。まるで舞衣が自分の憎悪を吸い取ってくれているかのような気がするのだ。
「いかん、仕事に集中だ」
彼は両手で顔をパンパンと二回叩いた。
「とにかく、がんばらなければ」
そう考えると不思議な気分に包まれる。数週間前、自分はがんばることをやめていた。がんばらなければ、将来に期待しなければ、もっと楽に生きていけると考えていたのに。
「違う、俺は変わったんだ。このプロジェクトを完成させて、また新たな開発をするんだ。そして今まで俺を見下していた奴らに、本当の実力を見せつけてやるんだ」
そのとき社内専用携帯電話が鳴る。
「もしもし」
電話の相手は、使えない部下の一人だった。彼は恐る恐る言葉を発した。
「どうした」
「リーダー、すぐに来てください。また実験が失敗しました」
「なに、なんでいつもお前は」
中原リーダーが苛立つ。
「すみません」
「で、なにを失敗したんだ」
「実は、実験器具が壊れたんです」
「……」
中原リーダーは言葉を失い、一瞬頭が真っ白になった。ゆっくりと深呼吸をし、携帯に向かって話し始めた。
「実験器具って、この前、導入したあれか」
「はい、そうです」
その装置は限られた予算の中でやっと手に入れた実験機器だった。それは特注品でイスラエルにあるメーカーでしか作れない。つまり、修理もそのメーカーでしかできないのだ。
中原リーダーの頭の中でとっさに修理の納期と金額を算出した。その答えを出したとき、彼は気を失うかと思うほど体がふらついた。
絶望的だ…… いや、まだ何かできるはずだ。きっとまだ、何かが。
「分かった、すぐ行く。今の状態を保存しておいてくれ」
中原課長格が絞り出すような声で部下に指示を与える。
「はぁ」
頼りない返事で電話は切れた。
「なにをやってるんだ、あいつらは」
彼の心に怒りがこみ上がってきた。ふと、ポケットに手を入れると手に麻袋が触れた。
『中は見ちゃダメ、本当に袋を開けるときはどうにもならなくなったときだけ』
少女の言葉が耳に残っている。
「まだだ、まだ大丈夫」
中原リーダーはポケットから手を出しまだ希望はつながっていると自分に言い聞かせた。そして急ぎ実験室へ向かった。
× × ×
会議室は前回と同じく妙な空気が漂っていた。それは彩と芦名がいるからだけではない。ササキ製薬の金田室長と中原課長格が神妙な顔で席についている。そして何よりも蒼真自身が落胆した面持ちで座っていた。
「今回のご依頼の件ですが……」
金田室長が口火を切った。
「開発続行が難しくなりました」
金田室長は申し訳なさそうに頭を下げたが、蒼真には彼が本心から謝っているようには見えなかった。きっとビジネス上の謝罪であり、心から申し訳ないと思っていないはずだ。なぜなら、第一報の報告があったとき、明らかに何とかしようとした形跡が微塵も感じられなかったからだ。
「開発器具が破損し、修理にも時間と費用がかかることになったため、できればこのプロジェクトは中止させて頂きたく……」
「そこを何とかできませんか?」
蒼真が問いかける。金田室長の脇に座る中原課長格は何か言いたそうだったが、彼はいつまでたっても口を開かなかった。
「申し訳ありません」
再び金田室長が頭を下げたが、何とかしようとする気がないことは明白だった。彼には街を守る、地球を救う義務感などない。まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。彼もサラリーマンなのだから。会社の利益につながらないものを進んで開発したいとは思っていないのだろう。
「中原さん、何とかならないんですか」
彩が中原課長格に声を掛けたが、彼は何も答えずただ口元が歪んでいる。
「中原も全力を尽くして開発していたのですが、誠に残念です」
代わって金田室長が答えた。その言葉を聞いた中原課長格の口元はさらに歪んだ。彼の無念さは金田室長の言葉よりも何倍も伝わってくる。それは装置が壊れて開発が困難になった悔しさではなく、会社が自分をバックアップしてくれない悔しさだ。そんな思いが蒼真の心に響いてくる。間違いではない、そうでなければ、もっと言葉を発しているはずだ。 今まで黙って聞いていた芦名がすべてを悟ったかのように頷く。
「分かりました。我々も難しいお願いをしていることは重々承知しております。なので、今回の件は誠に残念ですが、御社からの中止のご提案を了承するしかないと考えます」
蒼真は芦名が「了承」と言ったときに中原課長格の表情の変化に気づいた。彼の頬が動き、明らかに歯を食いしばっている。きっと芦名にもっとがんばれないのかと言ってもらいたいのだろうと推察できた。
「我々も、この阿久津蒼真君と共に今の触媒に変わるものを開発しています。今回の中止を受けて、今度はなんとかしてそちらの計画を進めていきたいと考えております」
中原課長格の両手が強く握りしめられた。そして彼の鋭い視線が蒼真に向けられる。蒼真はその視線に恐怖を覚えた。彼の憎しみが自分に向けられていることを感じ取ったのだ。
「ありがとうございます。我々としてもその計画、最大限ご協力させて頂きます」
金田室長がにやけた笑いを浮かべてご機嫌を取ろうとするが、中原課長格の表情は依然として険しいままだった。
「鳥居君も阿久津隊員のご要望を聞いて、我々がご協力できる内容をちゃんと社内に展開してください」
「承知しました」
彩は不服そうな表情を浮かべながらも、一応上司である金田室長の顔を立ててそう答えた。
「よろしくお願いします」
芦名が頭を下げると彩もそれに合わせて頭を下げた。蒼真、金田、中原、そして芦名と彩の微妙な関係性がこの場にこれ以上の会話を許さない雰囲気を醸し出していた。
× × ×
「だめよ、中原さんがやってる開発を止めるなんて」
舞衣がベッドに座り込みそう叫んだ。
「しょうがないんだ」
中原課長格は彼女の横に座った。
いつも通り舞衣の部屋に中原課長格が訪れていた。女性の一人暮らしにしては全く飾り気のない部屋だったが、中原課長格はこのシンプルな雰囲気が好きだった。けばけばしく飾り立てた部屋よりも、雑念を抱かせないこの部屋の方が彼の好みに合っていた。そしてそんな舞衣の好みも彼は好きだった。
今、彼の怒りは頂点に達している。この怒りを鎮められるのは舞衣だけ。彼は導かれるように彼女の部屋を訪れ、いつものように彼女に怒りを吸い取ってもらうのだった。
「しょうがないってどう言うこと? だって中原さんの希望がそこにあったんでしょ」
「確かにそうだ。でも、装置がない以上、これから先とても開発は続けられない。それに防衛隊からも愛想を尽かされた」
中原課長格の肩が震える。それを舞衣が優しく抱きしめた。
「大丈夫、私がついているから」
「でも……」
中原課長格が項垂れる。そしてポケットから麻袋を出した。
「それは」
「もらったんだ、見ず知らずの子供に。苦しくなったらこれを開くようにって」
舞衣が麻袋を見つめる。
「私、中川さんのこと、応援してきたのに……」
「なぜ君は僕なんかのことを?」
「分からないの」
舞衣が彼をきつく抱きしめた。
「なんだか中原さんといると落ち着くのよ。あなたがイライラしてるのを私が受け止める。それで私の心が落ち着くの」
「舞衣……」
中原課長格も彼女を強く抱きしめる。
「だって、私、私、中原さんと同じ。家は貧乏で大学にも行けず、仕事もいつクビになるか分からない派遣社員、それに男運も悪くって、いつも浮気される。私って中原さんと同じ、なんの希望もない人生だった」
中原を抱きしめる舞衣の腕に力が入る。
「私はこの世界が嫌い。会社も、なにも考えず努力もしない正社員も、そんな人たちが許せないの」
「でも、自分と会ってもその恨みは消えないんじゃ」
「分からない、ラーメン屋さんでその麻袋を開いたとき、中原さんの怒りを私が吸い取ってあげたい。あなたのイライラを納めてあげたい。私はあなたに抱かれるとき、あなたの怒りを吸い取ることで幸せになる、すごい幸福感に包まれるの」
中原課長格は、彼女にすべてを吸い込まれそうな恐怖感に襲われた。とっさに舞衣から離れようと彼女を押し倒したが、ベッドに倒れた彼女は再び彼に迫ってきた。
「あなたには開発を続けてほしいの。そこで怒りを覚えれば覚えるほど、私はあなたに抱かれて幸せになる」
「なにを言ってるんだ!」
中原課長格が後ずさりする。
「欲しい、あなたの、あなたの怒りが」
舞衣が中原課長格に抱きつくと、彼の意識は徐々に遠のいていった。彼のすべてが彼女に吸い取られていくような感覚が襲う。怒りも希望も、彼女への思いもすべてが消えていく。そのとき彼の手に持っていた麻袋が床に落ち、そのはずみで麻袋が開いた。中から霧状のものが噴き出し、二人を包み込んでいった。
× × ×
夜の都心、古びた看板が並ぶネオン街に一本角の怪獣が鎌首をもたげた。その怒り狂った様相で建物を揺るがす咆哮をあげる。怪獣パンドラは足元の小さな飲食店を踏みつぶす。通った場所から火災が発生し、火はみるみる街を飲み込んでいく。
空に銀色の光が現れ、スカイタイガーが到着した。そしてパンドラにミサイルを撃ち込む。ミサイルは確実にパンドラに命中するが、その攻撃はパンドラを倒すには不十分だった。スカイタイガーを威嚇しようと咆哮をあげるパンドラ。旋回して再度攻撃を加えようとするスカイタイガー。今度はレーザーで攻撃を仕掛ける。パンドラの皮膚の一部が剥がれ落ちるが、パンドラは前進を止めない。彼の行く手に高層マンションが立ちはだかり、パンドラがビルに手を掛けると、あっけなくビルが崩壊していく。黒煙が立ち上がり、その中からパンドラが勝鬨の鳴き声をあげる。
自らの力を誇示するパンドラの前に青い光の柱が現れ、その光が消えると代わりにネイビージャイアントの姿がそびえ立つ。敵であるネイビーの存在を認識したパンドラが頭を振る。
ネイビーが突進し、パンドラと組み合う。パンドラの角から怪光線が放たれ、ネイビーは後方に弾き飛ばされる。勢いに乗るパンドラは倒れたネイビーに馬乗りになり、振り下ろした腕がネイビーの顔面へと向かう。ネイビーは首を左右に振り攻撃を避けようとし、足をパンドラの腹に当て、そのままパンドラを蹴飛ばす。
立ち上がったネイビー、パンドラも立ち上がる。そして再び角から怪光線が放たれる。側転を繰り返しながら逃げるネイビー、逃げ切った先で飛び上がり、そのままパンドラに飛び蹴りを食らわせる。倒れ込んだパンドラに蹴りを入れるネイビー。そして空中に飛び上がりパンドラの様子を伺う。
「どこだ、赤い光は」
立ち上がるパンドラ、再度空中のネイビーに怪光線を放つ。空中で光線を避けるネイビー。そのとき、光線を発する直前に一瞬だが角の一部に赤い光が見えた。
「あそこだ」
パンドラが怪光線を発射する直前、ネイビーの青い光線が角に向かって放たれる。確実にその光線が赤い光を捉えた。パンドラは弱々しい鳴き声を発し、回るように地面に倒れていく。そして仰向けの状態で痙攣したように手足をびくつかせる。その動きが止まったあと、パンドラは静かに消えていった。
× × ×
中原課長格が会社を出たとき夕日はすでに沈んでいた。今日もいつも通りに仕事が終わった。
二週間前、舞衣の部屋で何が起こったのか記憶がない。確かに舞衣に抱きしめられ、気が遠くなって、それから…… 気づいたときには廃墟となった街にひとり倒れていた。慌てて舞衣を探したが彼女は別の場所で息絶えていた。自分が気絶している間に怪獣が街を暴れ回り、舞衣はその怪獣に襲われて死んだらしい。あんな良い娘を。それと同時に、あの麻袋もなくした。どこを探しても見つからない。
それ以降か、それ以前からか、何をやってもうまくいかない。開発チームは解散し、元の部署に戻って、何に役立つか分からない仕事を続けている。仕事以外でも舞衣に代わる女性も現れない。周りは新しいプロジェクトを失敗した人間には冷たい、いや、まったく興味を示さない。まるで自分が存在しないかのように、透明人間になったかのように毎日を過ごしている。ついこの前まで希望に満ち溢れていた。あれは幻だったのだろうか。ただ今、言えることはあのときに戻りたいとは思わない。何かいつもイライラして怒りで夜も眠れない。あんな辛く苦しい日々はもうごめんだ。
バカにしたければバカにすればいい。無視したければ無視すればいい。自分は自分のままでいい。彼らを見返す?それに何の意味がある。
振り返れば、ビルにはまだ明かりが点いている。残業してがんばる奴らがいる。がんばる? そう、梶田舞衣もがんばっていた。自分は彼女に何かしてあげられただろうか。彼女にあれだけ怒りを吸い取ってもらって世話になりっぱなしだった。自分は誰かの役に立つ人間ではない。彼女の方がよほど役に立つ人間だった。彼女がいてくれれば。
中原課長格の脳裏に舞衣の笑顔が浮かぶ。だが今、彼女はいない。彼女の代わりもいない。もし、自分に希望が生まれ、また怒りの感情が生まれたら、もう、それを癒してくれる人はいない。ならやめよう、希望を持つのを。
再び彼は心に誓う。希望を持つことをやめよう。希望があれば失望がある。失望があれば怒りが湧く。怒りが湧けばきっと良いことはない。
だから今日は帰ろう。明日は明日である。またやり過ごせばいい。中原課長格は目の前の暗い道を見つめ、ゆっくりと前に足を踏み出した。
《予告》
百年に一度村に現れ災いをもたらすと言う伝説の怪鳥キドラ。今までとは違いフレロビウムを持たないキドラに参謀本部が攻撃を指示する。気乗りしない蒼真が目にしたものは。次回ネイビージャイアント「キドラ・愛する者へ」 お楽しみに。