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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
36/68

第三十六話 絶望からの脱出

♪淡い光が照らす木々

 襲う奇怪な白い霧

 悲嘆の河が怒るとき

 敗れた夢が怒るとき

 自由を求める戦いに

 愛する誰かを守るため

 青い光を輝かせ

 ネイビー、ネイビー、ネイビー

 戦えネイビージャイアント

「あそこだ!」

 男のひとりが叫ぶと同時に、複数の足音が路地に鳴り響いた。高層ビルの谷間を縫うような細い通り。夕暮れの都会ではすでにネオンが点りはじめ、視界の端では光と影がせめぎ合っていた。雑踏の裏側にあるその一角を、スーツ姿の男たちが無言の怒気を漂わせながら駆け抜けていく。


 彼らの前方には、一人の若い女性が息を切らしながら逃げていた。その表情には恐怖と切迫が交差し、震える肩を揺らしながら全速力で走り続ける。追い詰められた鳥のように、彼女は曲がり角を次々とすり抜け、ごみ箱や放置された看板を故意に倒していく。金属音が響くたびに、背後の足音がわずかに乱れる。迫る気配に怯えながら、彼女はさらに細い路地へと滑り込んだ。


 重たい夜の湿気が、留美の喉を焼いた。全身に汗がまとわりつき、呼吸が浅くなり、足がもつれそうになる。背後の足音は、徐々に近づいていた。

 その角を曲がると、入り組んだ通りの奥に、廃棄寸前のロッカーが斜めに傾いていた。取っ手に錆が浮き、誰も触れようとしないような風貌。女性は一瞬足を止め、振り返る。そして次の瞬間、息を呑み、そのロッカーへと身を滑り込ませた。


「どこへ行きやがった!」

 男たちの怒声が、鉄骨とコンクリートの隙間を突いて響いた。女はロッカーの狭い空間に身を縮こめ、わずかでも音を立てないよう肩で息を殺す。鼓動が耳に響く。ロッカー越しに、男たちの靴音が通り過ぎていく。

「こっちの方を探そう」

 やがて、足音は徐々に遠ざかり、喧騒は薄れていった。


 女はしばらくの沈黙のあと、そっと指先で扉の隙間に触れた。ギィー、と音が鳴らぬよう細心の注意を払いながら扉を押し開ける。ひんやりした空気の中に顔を覗かせ、怯えるように周囲を見渡す。誰もいない。安心が胸に広がると同時に、足元に力が戻る。けれど、その足取りはふらつき、歩幅も定まらなかった。

 路地に戻った女の視線に、ふと一枚の掲示板が飛び込んでくる。


 そこには何枚もの指名手配ポスターが貼られていた。汚れた壁に並んだ顔。犯罪と向き合うべき者たちの肖像。しかしその中に、一枚だけ異質なポスターがあった。背景の色も構図も他と違う。見る者の目を奪う、若い男性の写真。

 《この人を見かけたら防衛隊へ》

 そう記された太字のキャッチコピーの下に、名前が記されている。


「立花健太 二十歳」

 女はそのポスターの前で立ち尽くした。写真の男性はどこか遠くを見るような眼差しをしていて、その奥には微かな、でも確かな優しさが宿っていた。

「健太……」

 女の声は細く、小さな風に溶けるようだった。目は写真から離れず、まるでその紙片の向こうに、彼女の知っている「健太」がいるかのように。


 ×   ×   × 


 重厚な扉が音もなく開いた。磨かれた床に一歩踏み出すと、部屋に漂う空気は他の防衛隊施設とは異質だった。無機質な白や灰色に囲まれた空間が多い中、この応接室だけは異彩を放っていた。

 濃いブラウンの木製テーブルは手入れが行き届いており、黒革のソファは沈黙を吸い込むようにそこに置かれていた。静謐で落ち着きのあるインテリア。それは、戦闘と緊張の空間である防衛隊の中に、ひとつだけ残された“対話”の場所だった。


 すでに先客がいた。

 ソファの端に座っていたのは若い女性。童顔で、柔らかく丸みのある顔立ちは一瞬、小学生にも見えるほどだったが、肩や腕の線には確かな大人の輪郭があった。

 口を堅く閉ざし、大きく見開いた目に、緊張が影のように浮かんでいた。

 彼女は蒼真の姿を認めると、すっと立ち上がり、深く一礼する。蒼真も静かに頭を下げ、微笑を添えた。


「遅くなりました。阿久津蒼真です。宮本留美さんですね」

 彼の声には、丁寧さの中に警戒と優しさが入り混じっていた。留美は小さく頷き、ほとんど音にならない返事を返した。

「どうぞ、おかけください」

 テーブルを挟んで向かい合うように座ると、部屋の静けさがふたりの間に落ちた。

「立花健太さんの件で、お話があると伺いました」

 蒼真が本題に入ると、留美は視線をうつむかせ、しばらく唇を結んだまま思考していた。その迷いが言葉になるまで、数秒の沈黙が流れた。


「すみません。それほど重要な情報ではないかもしれないんですが」

「いえ、どんなことでも構いません。少しでも手がかりがあれば、それで十分です」

 蒼真は体をわずかに前に傾ける。その眼差しは、ただ情報を求めるのではなく、彼女の記憶に静かに寄り添おうとしていた。

 健太の正体。彼の意図、目的。そしてそこに怪獣の出現と結びつく何かがある。

 それが蒼真の中にある問いだった。


「私、小・中、高校と健太と同じ学校でした。家も近くて……」

 言葉は少しずつ紡がれた。留美は時折、記憶を手繰るように遠くを見る。

「じゃあ、彼のことをよくご存知なんですね」

「ええ」

 その答えには、懐かしさと哀しさが混ざっていた。

「私の父が言っていました。健太はお母さんを亡くしていて…… なんとなく、共感するところがあったんです」

「なるほど」


「高校のとき、健太のお父さんも亡くなりました。卒業してすぐに働き始めたんです。最初の頃は手紙もくれましたが、いつの間にか途絶えてしまって」

 蒼真は静岡で聞いた話が頭に蘇る。彼女の言葉は事実と一致していた。彼女は健太をよく知っていた。それは、過去を共有した者だけが持つ空気だった。

「今、彼の居所はご存知ですか?」

「いえ」

 寂しげに言ったその声には、捨てきれない思いが滲んでいた。

 蒼真は背もたれに身を預け、息を整えた。


「すみません」

 留美がそっと頭を下げる。

「いえ、気になさらないでください」

 蒼真は、健太の居場所がそう簡単に分かるとは思っていなかったので、想定通りではあった。

「で、健太さんって、どんな人でしたか?」

「どんな……? うーん、優しい人だったと思います」

 優しさ。簡単に口にされる言葉。しかし、その“優しさ”が、時に自分を傷つけてしまうほど繊細で深いものだったと、蒼真には感じられた。


「誰かを憎んでいる様子は、ありましたか?」

 質問に、留美の顔が曇る。

「憎んでいるとすれば…… 世の中に、です。彼も私も裕福な家庭ではありませんでした。それ以上に寂しかった。家族を感じられなかった。健太が町を出るとき、偉くなって、みんなを見返してやる、って、そんなこと、言ってました」

 伏し目がちに語る姿を見つめながら、蒼真は健太の孤独を、まるで自分のことのように感じていた。

 彼にも孤独はあった。ただ自分にはそれを抱きしめてくれる人がいた。叔父の存在を不幸と感じたことはなく、むしろ感謝すらあった。


「他に、何か思い出されることは?」

「…… いえ。特には」

 情報としては限られていた。だが、蒼真はそれを外には出さなかった。それは何か、予感のようなものがあったから。彼女と連絡を取り続けられれば、いつか健太が現れる。そんな気がした。

「ありがとうございました」

 そう言って蒼真が立ち上がろうとした、そのとき。

「実は……」

 留美がためらいながら、言いづらそうに声を漏らす。


「少し、相談させていただきたいことがありまして……」

 蒼真は立ちかけた腰をそっと戻し、再びソファに沈んだ。部屋の空気が再び張り詰める。

 その相談の先に何があるのか。彼女が抱える影は、まだ語られていなかった。


 ×   ×   × 


 神山研究室の寮。夕暮れが差し込む廊下には、静けさが漂っていた。磨かれた床に、どこか無人駅のような寂寥が広がる。

「どうしてここなの?」

 美波が小さく眉を寄せながら、蒼真の腕を小突いた。指先には軽い苛立ちと、ほんの少しの好奇心が混じっている。

「そう言われても……」

 蒼真は困ったように口を尖らせ、視線を泳がせた。寮の空き部屋のひとつ。そこに宮本留美が滞在していた。扉の向こうには彼女の気配があり、廊下には蒼真と美波のふたり。


「行くところがないって」

「でも、防衛隊を訪ねてきたんでしょ?」

「総務部に言われたんだよ。“防衛隊は宿泊施設じゃありません”って」

「それなら、うちも同じじゃない?」

「そうだけど……」

 言い淀む蒼真。口調がどこかぎこちない。美波が蒼真を睨みつけながら、


「お願いね。結婚したら、こういうふうに女の人を連れ込むようなことはしないでね」

「そんなこと、しないよ」

 美波は軽く鼻を鳴らして先に部屋へ入った。肩越しに見せる背中は、少し気丈で、少し優しい。

「結婚って……??」

 蒼真が小さく呟き、慌てて美波のあとを追った。

 部屋の中は簡素だった。ベッドと机がひとつずつ。カーテンは淡い青。木目の床に差す夕光が、留美の横顔を柔らかく照らしていた。彼女はベッドの縁に座り、手を膝の上に揃えている。


「留美さん、何か困ったことがあったら、遠慮せず言ってね」

 美波が微笑みながら声をかけると、留美も小さな笑みを浮かべて頷いた。

「ありがとうございます」

 さっき言っていたこととちょっと違う気もするけど。蒼真はそう思いながら、静かに二人を見守った。けれど、美波が協力的でいてくれること。それが何より心強かった。


「留美さん、もともとはどちらに住んでいたの?」

 美波がベッドの端に腰を下ろし、目線を合わせる。蒼真はその傍のパイプ椅子に腰をかけ、少しだけ距離を保つ。

「近くの街で、事務の仕事をしていました。非正規でしたけど」

「へぇ。じゃあ、どうしてここに?」

「それは……」

 留美の目が伏し目がちになる。その様子は、蒼真にはどこか不自然に映った。


「会社が倒産してしまって。それで失業して、寮も出なきゃいけなくて」

「そうだったの。それは、大変だったわね」

 美波が優しく微笑む。その声は春の風のように柔らかかった。

「行き先が見つかるまで、ここにいてくれていいわよ」

 え、さっき廊下ではそんなこと言っていなかったのに、蒼真は女性の複雑さを思い知りながら、黙って座り続けた。


「美波さんって、優しいですね。きっと、いい人たちに恵まれてるんですね」

「え?」

 美波が不思議そうに首をかしげる。

「留美さんは、そうじゃなかったの?」

 留美は視線を少し逸らし、言葉を探すように唇を噛んだ。

「よく分かりません。でも、美波さんは、蒼真さんや研究室の皆さんから大切にされてる気がして…… 羨ましいです」

 美波はふと黙り、そしてそっと留美の膝に手を置いた。その手は、遠慮と慈しみに包まれていた。


「留美さんも、あなたを大切にしてくれる人、きっと現れるわよ」

「はい」

 留美は小さく、けれど確かに、何かを自分に言い聞かせるように頷いた。

 その瞬間、窓の外から風がそっとカーテンを揺らした。

 この部屋の時間は、ほんの少し、優しく流れていた。


 ×   ×   × 


 午後の光が遮音ガラスをくぐり、蒼白に塗りつけたような実験室。防衛隊怪獣攻撃チーム・MECの科学班の施設とは思えないほど閑散としていた。かつて機材と人の気配に満ちていた空間は、今や沈黙が床に落ち、風の音さえ反響しそうだった。

 その中央にある作業テーブルを挟み、蒼真とアキが向かい合わせに座っていた。椅子の金属音が短く鳴る。蒼真が腕を頭の後ろに回すと、くるりと一回転させながら椅子の軋みを背中で受け止めた。


「だいぶ人が抜けちゃって、科学班に残ってるのなんて僕くらいですよ」

 アキが肩越しに周囲を見回した。機材の棚は半分空になっており、壁際のコンソールも電源が落ちていた。かつてここに交差していた思考とデータは、どこへ行ってしまったのか。

「フレロビウムの検出装置も片付いたし、ネイビエクスニュームも持っていかれた。通常兵器の延長線上の研究くらいしかやってないから、正直、暇なんですよ。昨日、富士山麓で地震があって、その調査に行ったぐらいですかね」

 蒼真の声は、乾いた床に転がるようだった。

 アキは両手を組み、顎の下にそっと乗せる。首をかしげながら、その静けさの中でぽつりと言った。


「今回の件、私たち完全に外されてる感じね」

「まったくですよ。僕はともかく、宇宙物理の鈴鹿さんまで外すなんて、あり得ないです」

「きっとね。R計画に懐疑的な人は、最初から入れてないのよ」

「どうしてそんなことを?」

「誰も成功すると断言できない計画だからよ。私は、失敗の確率の方が高いと思ってる」

「なぜです?」

「情報が少なすぎる。成功への道筋がまったく見えない。計画の組み立てもどこか情緒的で、論理的な手順とは思えない」

 蒼真は腕を組み、目を伏せた。


「つまり、失敗するかも、って言いかねない人は、最初から外されてた」

「そういうこと」

「でも、参加してる科学者の中にも、僕たちと同じ思いを抱えてる人っていてもおかしくないじゃないですか」

 アキは少し皮肉を含んだ笑みを浮かべる。だがその瞳は真剣だった。


「今回招集された人たち、優秀な肩書きだけじゃないのよ」

「えっ?」

「何かしら傷を抱えてる人が多い。たとえば、多田教授には研究費流用の噂、矢名教授には実験捏造疑惑。倉田教授は学生へのセクハラ疑惑。そして……」

 アキの表情が冗談の気配を拭い去り、鋭く真実を捉える者のものへと変わった。


「神山さとみ。彼女には生体実験の疑惑がある」

 蒼真は再び目を伏せた。呼吸が浅くなる。彼女のあの無表情。あれは信念の顔ではなく、命令に従う者の顔だったのかもしれない。そして、もしアメリカでの噂が事実であるなら…… 彼女は今、何を背負わされているのか。


「こんな状況じゃ神山研究室に戻った方がいいのかもって思いますよ」

「そういえば昨日、蒼真君を訪ねてきた女性。あの人も今、神山研究室にいるんでしょ」

 アキが両手をほどいて机に置く。


「ええ、寮に泊まってもらってます」

「大丈夫? なんか怪しくない?」

「怪しいって?」


「だって、“行くところがない”って、ちょっと不自然じゃない?」

「会社が倒産して、実家にも家族がいないって聞きましたけど」

「だからよ。何かを隠してるような気がする」


「?」

「昨日すれ違ったけど、スカートの裾とブラウスの背中が埃っぽく汚れてた。膝にも傷があった。まるで何かから逃げてきたみたいだったわ」

 蒼真は静かに頷いた。


「鈴鹿さんって、なんだか名探偵みたいですね」

「女の勘ってやつよ」

 言われてみれば、彼も違和感を覚えていた。留美の視線は時折部屋の隅に泳ぎ、声も抑え気味だった。怯えという名の隠れ蓑に包まれていた気配は、確かに感じられた。


「気をつけてね。蒼真君って、女心が分からないタイプだから」

「放っておいてください」

 むくれた表情を隠しながらも、蒼真の胸には小さな警戒の灯がともっていた。

 何かがある。きっと、彼女は何かを抱えている。

 それは、いずれ科学班の静けさを破る種になるのかもしれない。


 ×   ×   × 


 陽が傾きかけ、すすきの原に斜光が差していた。風がその穂を揺らし、道を隠すように左右に波打つ。その細い獣道を、留美が必死に駆け抜けていた。服の裾は泥をはじき、息は喉を裂くほど荒い。どこへ逃げればよいのか、その先の風景は霞んでいた。ただ背後に迫る気配だけが鮮明だった。


 三人の男たちが、その影を追っていた。黒いスーツに無骨な足音。すすきを払いながら、留美の足跡を確かめては、じりじりと距離を詰めていく。草の匂いすら、彼女を包む罠のように思えた。


 離れた位置に美波の姿があった。偶然通りかかったはずなのに、男たちの動きに違和感を覚えた彼女は、何かに導かれるようにあとを追っていた。胸の奥で渦巻くのは、説明のつかない不穏な予感。その重みが、いつも冷静な彼女の歩調を速めていた。


 すすきの原を抜けた先、開けた視界に広がるのは鏡のような沼。風にさざ波が立ち、空と草原を映している。逃走の軌跡はそこで途切れた。留美は水辺に足を取られ、立ちすくんだ。靴の中に水が染みてくる冷たい感覚。足元から恐怖が登ってきた。


「やっと見つけたぞ」

 男のひとりが声を張る。沼の水が波打つように、留美の背筋が震えた。彼女はあとずさるが、後ろは水しかない。浅瀬の泥が衣服に付着し、身動きが鈍る。

「さあ、金を返してもらおうか」

「お金なら…… 使ったわ」

 声は震え、唇が青ざめる。


「なにっ!」

 怒声とともに男たちが跳びかかる。水しぶきが弾け、濡れた草が軋む。留美は逃げきれず、あっさりと腕を掴まれた。

「金がないなら、働いて返してもらうぞ」

 その言葉が空気を裂こうとした瞬間、沈黙を切り裂くような鈍い衝撃音が響いた。


「ぐっ!」

 男のひとりが突如、呻いて倒れ込む。沼に倒れた体が水を吸い、泡を立てた。

「なに!」

 残った二人が、周囲に目を走らせる。


「うっ!」

 再び、別の男が音もなく崩れた。その影の先に立つのは、ひとりの若者。

 逆光を背負う立花健太が、そこにいた。右手を伸ばすと、指先から赤い光線が迸り、最後の男の胸を撃ち抜いた。男は抵抗もできず、くぐもった声とともに膝を折った。


「健太!」

 留美が叫び、足元の水をはねながら走り寄った。髪が乱れ、水に濡れた腕をその胸に回す。

「健太、助けに来てくれたのね」


「留美、どうしてこんなところに。それに、なぜ襲われていたんだ」

 健太は彼女の肩を強く掴み、瞳に鋭い光を宿す。その目は怒りではなく、痛みだった。

「私…… お金を横領したの」

 健太の表情が凍った。

「横領?」

 その言葉に打たれたように、彼は目を見開く。


「留美、お前まで」

 彼女の頬を伝う涙は、これまで隠してきたすべての感情を溶かすように流れていく。

「そんな闇にお前まで落ちるとは……」

 健太は悔しげに目を伏せ、その指先で静かに彼女の涙をぬぐった。

「いいか。今すぐ阿久津蒼真に助けを求めろ。彼ならなんとかしてくれる」

 そう言って、彼は踵を返す。


「待って! どこへ行くの?」

 留美が声を震わせて呼び止める。

「俺には、行く場所なんてない」

 その言葉は、風の音にかき消されるほど、静かだった。

「それなら、私も。お願い、連れてって」

「ダメだ」

 健太は振り向き、強く首を振る。その表情は、抱きしめることよりも痛みを選ぶ男の顔だった。


「俺が今やっていることは、お前まで巻き添えにするわけにはいかない」

「どうして?」

「どうしても、だ」

 健太は言葉を残し、再び背を向ける。

「元気でな」

 その背中を見つめる留美は、沼の縁に膝を折り、その場に座り込む。衣服から雫が落ち、沼の水面に波紋を広げた。光と影の中に、彼の影がゆっくりと遠ざかる。

 その一部始終を、美波はすすきの原の向こうから、言葉もなく見守っていた。


 ×   ×   × 


 静まり返った神山研究室の応接室。天井のランプが青白くともり、時折外から吹き込む風の音だけが壁の隅を撫でていた。ソファに座った留美は、前に置かれたマグカップには手を伸ばさず、両手を膝の上で強く握りしめていた。

「家が貧しかった私は、高校を出てすぐに就職しました」

 ぽつりと零れ落ちる言葉は、空気の深部に沈むようにゆっくりと響いた。蒼真と美波は向かい合うソファに座って耳を傾けている。蒼真は防衛隊から戻ってきたばかりだった。


「でも、最初の就職先はすぐに倒産してしまって…… その後、非正規で別の会社に入りました。いくつかの飲食店を管理する事務所でした」

 声は徐々にかすれ、喉の奥で震える。

「でも、そこは反社会的な団体と関わりのある場所だったようなんです。飲食店といっても、ほとんどが夜のお店。私にも、その店で働くように言われましたが、断りました」

 留美の瞳が潤む。堪えていた涙が頬を伝う。


「給料は安くて、このままだと絶対に幸せになれないと思いました。そんなある日、数千万の入金を頼まれたんです」

 拳は白く握られ、声は強さを帯びていた。

「複数の銀行を使って出金・入金を繰り返して、明らかにお金の出所を偽装するため。それが素人の私にも分かりました。だから、最後の入金先を自分の口座にして、そのお金を持って逃げました」

 留美の目が潤んでいる。それは後悔なのか、それ以上の哀しみなのか。

 美波がそっと彼女の拳を包み込み、優しく語りかける。


「留美さん、大変な思いをしてきたのね」

「で、そのお金は?」

 と蒼真が尋ねる。

「ここに来る途中のコインロッカーに預けました」

 涙を流しながらも、留美の声には微かな決意が宿っていた。


「留美さん、警察へ行きましょう。私たちも一緒に行くから」

「でも、刑務所から出てきたとしても、きっとあの人たちに仕返しされる。私はもう、幸せになることなんてできないんです」

 その言葉に美波は目を細めながら、ゆっくり答える。


「そんなことないわよ」

 すると留美が顔を上げ、美波を真っ直ぐに見つめる。その瞳は怒りとも哀しみともつかぬ色を湛えていた。

「美波さんは普通の人だから分からないと思います。それは当然です。知らない方がいい。美波さんは、あの人たちの怖さも、しつこさも知らない。闇の世界に一度でも足を踏み込んでしまえば、そこから抜け出すことはできない。それはずっと、永遠に、どこまでも追われて生きていくんです。だったら、このお金を持って、彼らの手の届かない場所へ逃げる方が……」

「だから健太についていこうとしたんですか?」

 蒼真の問いに、留美は唇を震わせながら答えた。


「彼は幼馴染で……」

 留美が遠くを見つめる。それは昔の自分を見ているのだろうか、それとも——

「私たちは同じような境遇でした。だから、だから、私の気持ちを分かってくれるのは、きっと彼だけ。昔からそう思っていました」

 青白く血色が薄い留美の頬が、ほんのり赤らんだ。

「留美さんは健太さんのことが好きだったのね」

 美波が留美の手を取った。そして、二度ほど軽く頷く。


「彼が私のことをどう思っていたのかは分かりません。でも、私は彼を信じていました。それは昔も、今も。だから、彼に連れていって欲しかった」

 留美が美波の手を握り返す。美波が再び優しく頷いた。

「でも、彼は人類を滅ぼそうとしている宇宙人の手先なんですよ? そんな人のもとへなんて」

 美波とは相反する蒼真の厳しい目が、留美に向かう。

「それはそうかもしれないんですけど……」

 留美が再び遠い目をする。


「でも、それでも、こんな醜い世界で生きるくらいなら、人類なんて滅びた方がいい。私に未来がないんなら、他の人にも未来なんて来ない方がいい」

 部屋の温度が一瞬、揺らいだ気がした。蒼真は長く息を吐き、静かに語り返す。

「僕は、そうは思いません。確かに悪い人はいます。でも、それですべての人の未来を否定するなんて、僕は信じていません。人類の未来も、留美さんの未来も」

 留美は再び顔を伏せて泣いた。嗚咽は震える肩に閉じ込められ、美波は黙ってそっと手を添える。


「少し時間をかけて考えてみてください。警察に行くのは、それからでも構わないと思います」

 そのときだった。応接室の外から、雷鳴のような轟音が響き渡った。壁が微かに振動する。

「なに?」

 蒼真と美波が慌てて廊下へ駆け出す。窓の向こう、研究室近くの沼では、水面が噴水のように高く盛り上がり、白い水柱の中から背びれを持つ巨大な怪獣がゆっくりと姿を現していた。


「蒼真君、あれは!」

 駆けつけてきた美波も、怪獣の存在を認めた。

「美波、皆を避難させて!」

 美波は頷き、研究室のみんながいる方向へ走り去る。

 蒼真は建物を出て、怪獣の大きさと特徴を確認する。表面には黒色の鱗が光り、二本足の恐竜型怪獣。もちろん、その胸には赤い光が輝いていた。

 蒼真は懐からMECシーバーを取り出す。


「隊長、吉野隊長!」

『こちら作戦室。どうした、蒼真君?』

「研究室付近の沼から怪獣が出現。至急、攻撃をお願いします」

『了解。蒼真君は避難してくれ』

「了解」

 その瞬間、蒼真の横を人影がすり抜けていく。


「留美さん!」

 慌てて振り向くと、留美が研究室を飛び出し、沼の方へ走っていく。彼女を追おうとする蒼真。するとその背後から、黒ずくめの男たちが二人、音もなく駆け抜けていく。

「えっ」

 蒼真の足が一瞬止まる。

「蒼真君!」

 美波が叫ぶ。そして蒼真の横に駆け寄る。


「あの人たち、もしかして……」

 美波が蒼真の腕をぎゅっと握る。

「美波は避難して。留美さんのことは僕がなんとかする!」

 言い残した蒼真は、沼へ向かって走り出す。その背に、夕暮れの光が伸びていた。


 ×   ×   × 


 留美の足元には、野焼きのように広がるすすきの原。風が吹き抜けるたびに金色の穂がざわめき、道筋さえ見えない細道が曲がりくねっていた。その中を、彼女はただひたすら駆けていた。沼の向こうに健太がいる。その確信だけが、彼女の思考を支配していた。


 遠く、地鳴りのような足音が響いていた。ムラークスが一歩ずつ、陸地を侵食するように進んでくる。沼から押し上がったその巨体は、青黒く濡れた背びれが夜空に向けて突き出ており、空気が震えていた。その姿は、まるで水の中から現れた恐怖そのものだった。


 留美の後ろでは、黒ずくめの男たちが荒い息を吐きながら追っていた。茂みを踏み分ける音、枝が折れる音、そのすべてが、獣の狩りを思わせた。そしてさらに少し離れて、蒼真がその影を追っていた。

 沼の縁まで辿り着いた留美の目に映るのは、圧倒的な質量を持つ怪獣ムラークス。その足が地面に食い込むたびに、水面が不規則に揺れ、飛び上がるしぶきが光を反射する。


 男たちは立ち止まり、突如現れた怪獣に怯んだ。ひとりが震える手で拳銃を構え、ムラークスに向かって発砲した。銃声が水の壁に吸い込まれるように響いたが、怪獣は一瞥もくれず、悠然と前へ進む。


「ダメだ、逃げよう!」

「アニキ、あの女はどうする?」

「始末するしかない」

 男の銃口が留美へと向けられた。その瞬間、破裂音が響く。


 蒼真は状況を掴めないまま、咄嗟にムラークスの進行を止めようとMECガンを構え、引き金を引いた。赤い軌跡が夜を裂き、怪獣の肩口を焦がす。一瞬、ムラークスが身を引き、咆哮とともに口を大きく開く。

 そして火炎。灼熱の爆風が黒服の男たちに襲いかかる。叫び声が霧のように散った。炎が水面に青く揺れ、その後、消える。黒服の男たちの姿は、そこにはなかった。

 ムラークスはその場を離れ、別の方向へ向かい始めた。


 沼の縁に倒れている留美。その細い身体の傍らに、蒼真が駆け寄ろうとする。だがそれより先に、健太が駆け寄り彼女を抱き上げる。

「健太…… 来てくれたのね」

 潤んだ目で彼を見つめ、最後の力でその手を握る留美。

「留美、しっかりしろ」

「私…… 健太のこと、昔から好きだったの」


「そんなこと、今じゃなくてもいい。いいか、しっかりするんだ。生きるんだ、留美!」

「最後に健太に会えた…… それだけで…… 幸せ……」

 留美の瞳が閉じ、手が静かに、地面へ滑るように落ちた。

「留美…… 留美っ!」

 健太の絶叫は空へと吸い込まれ、沼の辺に虚しく響いた。彼は彼女をそっと横たえ、胸元で両手を組み合わせる。

 蒼真が後ろから近づき、言葉を絞るように声をかけた。


「健太……」

 だが、彼は背を向けたまま。その肩が、微かに震えていた。

「阿久津蒼真……お前、なぜ留美を守れなかった」

「彼女は自分からここに来たんだ。君に、助けを求めて」

「お前は人類を守るヒーローだろう。なのに、留美だけ守れなかった」

 蒼真は返す言葉を探した。しかしそれは、どれも空虚で傷を癒す力を持たなかった。


「健太、君が守るべきだったんじゃないのか」

「俺は…… 俺は汚れてる。あの黒服の男たちと同じ。悪に手を染めているんだ。そう、俺は人類滅亡の夢にすがった愚か者だ。そんな俺が、誰かを守れると思うか?」

「でも、彼女は僕じゃなく、君に守ってほしかったんだ」


「守る、俺が……」

 健太の脳裏に、子供の頃の留美の笑顔が思い浮かんだ。幼い頃、あの廃団地の裏手にある空き地。草が肩まで伸びていて、誰も遊びに来ないから、二人だけの秘密基地だった。

「ここ、誰にも見つからないね」

 と留美が笑う。白いワンピースが、草の緑に浮かび上がっていた。健太は地面に落ちていた空き缶を拾って、ボール代わりに蹴った。


 缶がくしゃりと潰れて、留美がそれを追いかける。笑い声。汚れていたけど、綺麗な音だった。

 しばらくして、留美がぽつりと呟いた。

「ねえ健太、私たち、誰にも守られないのかな」

 風が吹いて、草が揺れる。健太は何も言えなかった。でも、ただ、彼女のそばに立ち続けた。その手を握ることもできず、言葉で誓うこともできず、でも、心の中では叫んでいた。


 いつか俺が守る。誰にも壊されないように。その約束が声に出たかどうかは分からない。ただ今、彼女がいない世界で、その思いだけが赤い光となって燃えている。

 しばらくの沈黙。健太の背中は揺れず、ただ強く閉ざされていた。

「お前ら幸せな人間には、俺らの気持ちなんて分からない。留美も連れていくべきだった。汚れるのを恐れてためらってしまった。それが間違いだった。全部、全部、俺のせいだ」


 その言葉が空を裂くように落ちた瞬間、爆音が再び響く。

 沼の向こう、ムラークスが岸へと上がり、民家が炎に包まれる。炎柱が空へと噴き上がり、空気が軋む。

 蒼真は、立ち尽くす健太を横目に左手を高く掲げた。腕時計が青く光を放つ。その光は空を貫き、現れる巨影。

 ネイビージャイアントが凶獣ムラークスの前に堂々と立ちはだかった。その蒼き巨体は、まるで人類の意思そのもののように、静かなる闘志を漲らせていた。


 次の瞬間、ムラークスの咆哮が闇を裂く。その巨大な口腔から放たれる火炎が、蛇のようにうねりながらネイビーに迫る。熱風が地面を焼き、波紋のように沼地に広がった。

 ネイビーはその炎の軌道を読み切り、左肩を反らすように身を傾け、わずか数十センチの間をすり抜ける。彼の肩に火花が散った。


 ネイビーの蒼い両脚が湿地を蹴り、爆発的な加速を生む。その巨体が突進し、ムラークスの胴を真正面から打ち砕くような体当たりを喰らわせる。衝突音が沼を揺らし、水飛沫が爆煙のように巻き上がった。

 衝撃により両者の重心が崩れ、水面を割って深く沈み込む。


 水底、静寂と圧力の支配する暗黒の世界で、格闘が始まる。拳が水の抵抗を突き破って怪獣の腹部をえぐり、ムラークスは背の鰭でネイビーの胸を押し返す。泡が四方に弾け、両者は絡まり合いながら泥濘へと潜り込む。


 ネイビーの右足が一閃し、ムラークスの顎を蹴り上げる。苦鳴のような水音が響く。やがて、浮力が二体の巨躯を水面へ押し戻す。ネイビーが右腕を振り切り、ムラークスの首元に回し蹴りを叩き込む。ムラークスはバランスを失い、岸辺に倒れ込み、岩を砕きながら地響きを生む。


 ネイビーはその巨体で素早く怪獣の胴体に跨り、馬乗りとなる。そして拳を振り下ろす。一撃、二撃、三撃、青く輝く拳が怪獣の顔面に打ち込まれるたび、皮膚が裂け、甲殻が軋む。


 ムラークスは身を捩り、怒りの唸りとともに爪を閃かせ、振り払うようにネイビーを横へ吹き飛ばす。

 ネイビーは空中で弧を描くように跳ね上がり、重力に抗うかのような旋回のあと、湿地へ叩きつけられた。地面がめり込み、衝撃で無数の泥柱が巻き上がる。

 ムラークスがその爪脚をゆっくりと持ち上げる。その足には圧倒的な質量と殺意が宿っていた。


 ムラークスの足が振り下ろされる。瞬間、ネイビーは反射的に転がり、足の軌道から逃れる。肩から地面へ滑り込むように体勢を崩しつつ、数メートルの距離を確保した。

 ムラークスとネイビーがにらみ合う。戦いは終わらない。むしろ、今始まったばかりだった。


 ×   ×   × 


 夕暮れが沼地に滲みはじめる頃、健太は呻くように振り返った。そこには黒衣の男が立っていた。風すら避けるその存在は、言葉よりも先に狂気の予感を運んできた。

「健太よ、怒れ」

 低く響く声が空気を歪ませる。


「お前の怒りは誰よりも深い。人々への憎しみ、今まで受けてきた仕打ちへの怨念、そして幼馴染が無惨に殺された怒り。そのすべてを炎に変えるのだ。そして、人類を守ろうとするネイビージャイアントを倒せ」


 男が差し出したのは、異様な光を放つ赤い石。健太の目が釘付けになる。手にした瞬間、脳裏に次々と過去の情景が流れ込む。貧しい家。冷たい校舎。暴力を振るう父と、見て見ぬふりをする大人たち。誰も、何も守ってはくれなかった。犯罪を強要された職場。枯れていった森の命。そして何よりも、彼を照らした光だった少女、留美。

 守りたかった。守れなかった。その悔恨が、怒りに姿を変えていく。


 健太が赤い石を握った途端、その体を包む光が灼熱へと変わる。光は膨張し、熱を伴いながら健太の姿を飲み込んでいった。

 やがてその場に立っていたのは、ネイビージャイアントに酷似した、だが憎悪を纏う赤い巨人。胸には深紅に燃える石が、脈打つように輝いていた。

 ネイビーが異常を察知する。ムラークスが前方から唸りを上げて接近。背後には赤い巨人。

 空間が極限まで圧迫され、ネイビーは一瞬の迷いも許されない。


 ムラークスが突進。ネイビーは回避を試みるも、その質量に押されて吹き飛ばされる。すかさず赤い巨人がのしかかる。拳が雨のように振り下ろされ、鋼のボディに衝撃が刻まれていく。

 ネイビーは両腕で相手の打撃を受け止め、瞬時に足で蹴り上げて反撃。赤い巨人は数メートルほど宙を舞い、地に叩きつけられる。


 立ち上がった赤い巨人が右手を差し出す。放たれた赤い光線が地面を焼き斬りながらネイビーを狙う。ネイビーは側転で回避し、両腕を十字に構えて青赤い光線を放つ。両者の光が空中で衝突し、爆風とともに両巨体が吹き飛ばされる。


 沼の水面が揺れ、静寂が破られる。

 そこへ再びムラークスが背後から接近し、ネイビーを羽交い締めに。赤い巨人が近づき、拳を連打する。ネイビーの腹部に鋭い衝撃。内部モジュールに異常が走る。だが、ネイビーはムラークスに体重を預け、赤い巨人へ両足で蹴りを放つ。その反動でムラークスを背負い投げのように地面に叩きつけ、青の閃光が風を裂く。


 地上に降り立ったネイビーは、両者との距離を取り、右手を天へ掲げた。そこに現れたのは、ネイビーサーベル。

 次の瞬間、突進してきたムラークスを迎え撃ち、青の刃が胴体を水平に一閃。

 怪獣の体はほぼ真っ二つになる。とっさにネイビーが左手を前に突き出し、ムラークスの胸の赤い石へと光線が注がれる。その瞬間、ムラークスの咆哮が空に消え、身体は霧のように溶けていった。


 だが戦いは終わらない。赤い巨人がゆっくりとネイビーの前に立ち、目には憎しみの影が浮かんでいる。

 拳が空気を裂く。赤い巨人がネイビーへ振り下ろす怒り。その一撃を避けながら蒼真は考えていた。


「健太、お前のその拳に、何年分の痛みが詰まっているんだ。留美を守れなかったお前の怒りは収まらないと言うのか?」

「俺は何を失った? 留美の命を守れなかった男。そんな俺に何が残っているって言うんだ。そんな俺に怒りが収まるわけがない」

「でも、彼女は最後に微笑んでいた。君に会えて“幸せ”だと。それは、お前に生きてほしかったってことじゃないのか?」


「生きる? 何のために?」

 赤い光線が飛ぶ。ネイビーは腕を交差させ、青の光で応える。

「この光に込めたのは、希望だ。怒りじゃない。裁きでもない」

「俺に未来はある? 笑わせるな。未来なんて、留美にはもうないんだ」

 カーミンが拳を振り下ろす。ネイビーが受け止める。青い腕が人々を守っている。


「お前は人類を守るヒーローだ。だがな、守られる価値のない人間もいる。俺も、留美も、あの冷たい社会に捨てられた」

「僕が守るべきは、人類だけじゃない。留美さんが願った未来をも」

「留美が願った……」

 カーミンが怯む。一瞬、拳が止まった気がする。その迷いは、赤い霧のようにまた彼を包んでいく。

「留美、お前は本当に、俺に未来を望んでいたのか?」

 ふたりは固まったように動かなくなる。沈黙の対峙。


 その空気を裂くように、上空に鈍い光の球体が現れる。宇宙船。その艦体から、白く霞んだ霧状の粒子がゆるやかに降り注ぎ、赤い巨人を包み込む。

 風が止み、光が広がったとき、赤い巨人の姿はすでにそこにはなかった。

 ただ赤く焼け残った土と、遠ざかる宇宙船の鈍い尾光が、戦いの名残を静かに焼き付けていた。

《予告》

カーミンの正体、立花健太を追うMECの隊員達。留美の火葬の場に現れた健太は蒼真にさとみの恐ろしい研究内容を話す。驚きを覚える蒼真。健太は怒りの中でカーミンへ変身する。次回ネイビージャイアント「失うものなき強さ」お楽しみに。

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