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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
35/68

第三十五話 声の届かない町

♪淡い光が照らす木々

 襲う奇怪な白い霧

 悲嘆の河が怒るとき

 敗れた夢が怒るとき

 自由を求める戦いに

 愛する誰かを守るため

 青い光を輝かせ

 ネイビー、ネイビー、ネイビー

 戦えネイビージャイアント

 冬の気配がじわりとビルのガラス越しに染みてくる、雑踏のど真ん中にあるテレビ局のオフィス。蛍光灯の白い光が天井から落ち、書類の束とモニターの青白い画面が混ざり合う。その中にひときわ静けさを纏った一角があった。


 そこに腰掛ける堀田雪は少しへたり気味のグレーのソファに身を沈め、若いディレクターから差し出された資料に目を落とす。辺りではスタッフが次々と打ち合わせに走り、電話のベルが鳴るたびに空気が揺れる。それでも雪はその喧騒の中心でまるで別世界にいるかのようだった。どれほどのことが周りに起ころうと、資料に釘付けになている彼女の集中を妨げることはできない。


「雪さん、行方不明の学者たちのリストです」

 若いディレクターの声が控えめに届くと、雪は書類を手にし、指先でページの端をなぞるようにして名前を拾っていく。

「北海国際大学の多田教授、南西大学の矢名教授、西海大学の倉田教授」

 彼女の声は資料に記された名前をなぞるたびにどこか惜しむような響きを帯びていた。


「どれも、名のある人たちばかりね」

 ディレクターが小さく頷き、ふと一枚の写真を差し出した。指先で写真の端を支えながら、口調にわずかな躊躇いを滲ませる。

「それと、別に一つ情報が。学者ではないんですが、この人も行方不明です」

 写真には柔らかな光を浴びた女性の横顔が映っていた。髪は肩まで流れ、瞳は何かを見つめるように遠くを向いている。その美しさに、雪は無意識に息を止めた。


「誰? きれいな人だけど」

「東阪大学、神山教授の奥さんです」

 雪の視線が静かに揺れる。

「神山教授って阿久津蒼真さんが所属する、あの研究室の?」

 ディレクターが静かに頷く。

 あの事件。記憶の奥底に沈んでいた場面が呼び起こされる。蒼真が自らの命を懸けて彼女を救ってくれた、あの瞬間の熱が胸の奥に残っている。


「でも、彼女は学者じゃないんでしょう。どうして?」

 ディレクターが何かを思い出すように別の写真を差し出した。今度は若く、少し伏し目がちな女性が映っていた。ただ内気な表情の中でもその人物は内に何かを秘めているようだった。

「この女性です。神山さとみ夫人に関して興味深い情報を持ってきた人物は」

 雪は写真に映る女性を見つめる。研究者でない女性の失踪、その彼女の秘密を持ってきた女性、これから何かが始まろうとしている予感に雪は指先がわずかに震えるのを感じていた。


 ×   ×   × 


「どうしますか、マスコミが聞きつけましたよ」

 その声は冬の匂いが漂い始めた空気の中で沈み込むように響いた。R計画の作戦室は照明を落としたまま、窓から漏れる灰色の自然光だけがわずかに室内を照らしている。外はまだ夕刻にも満たぬのに雲の厚さに時間の感覚が曖昧になっていた。書類の束に埋もれたデスク、壁を這う時計の音、そして無言の重圧、そのすべてが沈黙に油を注いでいた。


 三谷参謀はその沈黙を壊すことなく、静かに正面の安田を見つめた。彼の目は陰影に縁取られ、まるで暗部からの使者のような冷静さを宿していた。

「仕方ない。政府の役人を使うしかないな」

 安田参謀が口の端をわずかに持ち上げ、不敵に笑った。その笑みは冗談の皮をかぶった命令のようであり、空気をさらに冷たくした。


「緘口令ですか?」

「そうだな」

 言葉は短く、しかし重い。書類の片隅に記された研究者たちの名が、不透明な策略の中で静かに運命を変えようとしていた。

「しかし、防衛隊が絡んでいるとなると、マスコミは拉致の疑いを我々に向けます」

 三谷は眉をしかめ、指先でこめかみを揉んだ。憂いと焦りが重なり、思考の奥に小さな亀裂が走る。外の世界がこの閉ざされた部屋へと忍び寄ってきている、そんな気配を感じていた。


「いったん警察庁に連絡し、捜索願を止めてもらおう。その上で、彼らの家族には『米国で極秘研究に参加することになった』と本人から手紙を書かせる。内容には『極秘事項のため連絡は取れない』と明記させる」

 安田が眉をひそめ、椅子の背に寄りかかった。

「研究者たちが、同意しますかね?」

 三谷は一瞬口を閉じ、それから低く答えた。

「彼らはもう我々の手の内だ。書いてもらわねば…… いや、書かせるしかない。強制的に」

 言葉の温度が一段下がった。安田はその冷気を鋭く吸い込み、ゆっくりと三谷の目を睨み返す。


「分かりました。手配します」

 その瞬間、安田の胸奥に眠る黒い影が静かに蠢いた。道徳も信念も、もうとっくに置き去りにした。今残っているのは、使命。地球を守るという圧倒的な責務。成功させねばならない。それがたとえ、何を犠牲にすることになろうとも。

 彼は深く息を吐いた。灰色の光がその吐息に薄く色を差した。そして、自らが背負う運命の重みが、再び肩にのしかかってくるのを感じていた。


 ×   ×   × 


 カフェは街の喧騒から少し外れた通り沿いに佇んでいた。チェーン店ではあるものの、壁を飾る古びた絵画や、磨きのかかった木製のテーブル、真鍮色のランプが作る影によって、空間にはゆるやかな時の流れが漂っていた。低い話し声がところどころに浮かび、店内はまるで音楽がかかる前の劇場のような静けさに包まれていた。


 その奥、窓際の席に堀田雪は腰掛けていた。視線の先には、薄手のアイボリーのセーターを纏った若い女性がいた。彼女の丸みを帯びた顔立ちには、どこか幼さと親しみが入り混じっており、その瞳は警戒と迷いを映している。

「あなたが手塚咲奈さんですね」

 雪の声はやわらかく、しかし芯のある調子でカフェの空気を震わせた。自己紹介とともに差し出された名刺が、テーブルの上で咲奈の前に滑っていく。


「今回は、私たちに情報をご提供いただけると伺っております」

 咲奈は名刺を受け取ると、それをひと目見てから、雪の顔へと視線を戻した。唇がわずかに動き、小さく頷く。

「最近、複数の研究者が姿を消しています。手塚さんが情報提供を希望されているのは、神山さとこさんで間違いありませんか?」

 咲奈はまた頷き、視線を伏せた。その仕草に微かな震えを感じ取り、雪はこのままでは語られるべき真実が閉じてしまうと直感する。報道の現場で培った経験が語る。まずは心を開かせること。そのために彼女自身の物語へと歩み寄る必要があった。


 咲奈の話は、関東の工場町から始まった。父は作業員、母は事務職。母は病に倒れ、咲奈が三歳の時に亡くなったという。それからは、父が一人で兄と咲奈を育て上げた。工場の重機の音が生活の背景音となり、家事は咲奈がすべて担った。食卓の明かりの下で交わされる言葉も限られたが、それでも家族としての温もりは確かにあった。

「父は不器用な人でしたが、懸命に働いてくれました。私は母の代わりになるつもりで頑張りました。貧しくても幸せでした」

 咲奈の語る一言一言が、雪の胸を打った。過剰に演出されたわけではない。それなのに、その素直さが逆に心を揺さぶる。


 兄はいつしか夢に取り憑かれ、突然アメリカで事業を始めたいと言い出した。現地にはあまり親しくない友人がいたらしい。でも彼は出発した。夢に向かって。

 父はその無鉄砲さを止めようとしたが結局兄は旅立った。父は自分に対し、兄は死んだものと思え、と言い放った。

 咲奈の瞳にかすかな涙が浮かぶ。それを雪は黙って見つめた。言葉を重ねず、沈黙が彼女に寄り添う。

 兄が渡米して数ヶ月後、一通のメールが届いた。大学の研究室で助手として働いているとあったが、学のない兄にはそぐわない話だった。しかも、日本人の女性研究者の誘いで就いたという。


「名前は書かれていませんでした。でも、今思えばその人物が、神山さとこさんだったのではと」

 その名を口にした瞬間、雪の内で何かが静かに軋んだ。

 連絡はその後、途絶えた。生きているのか、死んだのか、何も分からない。

 でも、今思えば兄を止めるべきだった。しかし夢を語る兄は自分から見れば眩しかった。だからアメリカ行きも、怪しい研究の手伝いも止めれなかった。それは夢を見ている兄が羨ましかったから。自分にはない輝きを彼が持っていたから。何度もメールを読み返し、何度もメールを送った。だが彼からの返事はなかった。


 咲奈が高校を出て働き始めた頃、父も病に倒れ他界したという。家族がいなくなった彼女はひとりぼっちになった。彼女の心を埋める人は今はいない。そして今年届いた一通の手紙。差出人は「森田」とだけ記されていた。

 手紙には、兄が人体実験に巻き込まれたこと、命を落としたこと。そして、研究所はその事実を隠したことが綴られていた。筆跡は力強く、言葉には怨嗟と覚悟が混ざり合っていた。


「その研究者こそが、北條さとこ、今の神山さとこさんだと」

 咲奈は震える手で手紙の入った封筒を差し出した。雪はそれを受け取ると、丁寧に便箋を広げ、一文字一文字を目に焼きつけるように読んだ。

「手塚さんは、神山さんに直接会いには行かなかったんですか?」

 咲奈は静かに首を横に振る。


「この手紙が本当だったとしても、認めるとは思えませんでした。私のような存在では、言葉も届かない。むしろ、踏みにじられるだけですから」

 その言葉には人生を通して積み重ねられた無力感と傷つく恐怖が滲んでいた。しかしその直後、咲奈は前を向きしっかりと雪を見据えて話を続ける。

「でも、神山さんが行方不明になり、手紙の差出人だった森田さんも数ヶ月前に亡くなったと聞いて、何かが、動いている気がしました。それで、テレビ局に連絡を」

 真っすぐな咲奈の意志を雪は避けることはできなかった。彼女がそう告げたあと、雪は静かに頷いた。


「ありがとうございます。咲奈さん、私たちも、お兄さんの失踪の真相を追わせていただきます」

 雪が手塚さんと呼んでいたのが、いつの間にか咲奈さんになっているのに気が付いた。 彼女の声が自分の中で他人事ではなくなっていたからだ。

 雪は知っていた。この話は、決して埋もれさせてはならない。昔暑かったあの事件のときも、誰かが声をあげていた。 でも私は何もできなかった。 だから今度こそ。今度こそ埋もれさせてはいけない。雪は深い予感と静かな覚悟を抱いた。


 ×   ×   × 


 日曜日の午後、街の中心に広がる公園は光と笑いに包まれていた。芝生の緑は柔らかく、人々の足元で波のように揺れている。フリスビーを追って走る子供たち、バドミントンの羽を軽快に打ち合う恋人たち、そしてレジャーシートの上で寝転ぶ親子の姿が、その空間を静かに彩っていた。

 しかし、時計台の階段に腰掛ける三人の姿は、その穏やかな風景と微妙にズレていた。


 堀田雪は冷たい階段の石の感触を気にする様子もなく、資料の束を抱えて視線を宙に漂わせていた。その隣では、私服姿の吉野隊長が腕を組み、不穏な思考を噛み締めるように目を細めている。蒼真は少し離れた場所で空を仰ぎ、風の音に耳を澄ませていた。

 近くではアキと大介が鬼ごっこをしている。追いつきそうな大介に対し、アキはわざと速度を落としながら楽しげに逃げる。幸福な日常の風景が、彼らの沈黙をより際立たせていた。


「緘口令を出したのは内閣府らしいけど、発信元は防衛隊だという噂よ」

 雪の言葉は柔らかな秋風のなかで鋭く響いた。吉野の眉がわずかに動き、彼女を横目で見る。

「我々には何も情報が降りてきていない」

 その声には、忌避できぬ怒りと混乱がにじんでいた。

「防衛隊内部に、行方不明になった研究者が匿われている――」

 蒼真がぽつりと呟いたその言葉は、まるで空に消える白い吐息のようだった。


「三上がそう言ったんだな」

「神山教授の奥さんが、という言い方でしたが、意味は同じでしょう」

 雪は遠くの空を見つめた。青さの中に、小さく揺れる疑念の種を探すように。

「MECの隊長が知らないことを、誰が何のために防衛隊内部で動かしているのかしら」

「最近の三上の様子は確かに変だった。もし彼に指示を出している者がいるとすれば…… 参謀の三谷、あるいは安田」


「安田参謀?」

 蒼真が身を起こし、吉野を背にして振り返る。

「だとしたら、ネイビエクスニュームを手に入れようとした人物と同一の可能性が高いですね」

「それとなく参謀本部の動きを探るとしよう」

 吉野の言葉は低く重く、地中に染み込むような響きだった。防衛隊の名の下で行われている何かが、見えない形で彼らを締めつけている。その気配を吉野は肌で感じていた。

 蒼真がそっと雪に向き直る。


「ところで、雪さんが話したいことって、この件でした?」

 雪はゆっくりと立ち上がり、蒼真のそばへと階段を登った。

「実はね。蒼真君に会ってもらいたい人がいるの」

「僕に?」

 蒼真が首を傾げる。風が彼の髪を揺らす。

「今回の失踪事件に深く関わる人物なの。特に神山さとみ…… 旧姓、北條さとみについて」


「奥さんのことですか?」

 雪は蒼真の隣に腰を下ろし、鞄から封筒を取り出した。

「彼女のアメリカ時代の研究について、何か心当たりはない?」

「え……」

「北條さとみが所属していた研究所。その実験に関与した人物の妹さんが、ある手紙を持ってきたの」

 雪が手渡した封筒を蒼真が受け取り、便箋を広げる。筆圧の強い文字が目に飛び込んできた瞬間、その表情が引き締まった。


「これは!」

 蒼真が手紙を置いた。そこに書かれていたのは以前神山教授に聞いたさとみの過去と一致している。しかし何か違和感が、そこに書かれているさとみは明らかに今のさとみのイメージとは違う。

 たしかに鈴鹿アキから聞いた、日本に返ったあとのさとみとアメリカにいたときの彼女とは人が変わったようだと言っていた。だが、それにしても。これをさとみを快く思っていなかった森田が書いたことを差しい引いてもまだ違和感が残る。自分の知っているさとみは本当のさとみなのか、それともここに書いてあるさとみが本当の彼女なのか。蒼真の中で疑惑が心をざわめかさせる。


「驚かせるかもしれないと思って、正直迷ったわ。でも、妹さんが真実を知りたいと願っている。その気持ちに応えるには、蒼真君の協力が必要だと考えたの」

 吉野が近づいてくる。蒼真は手紙を渡すと吉野はそれを読みながら静かに言った。

「神山教授の奥さんは、一流の研究者だったんだね」

 蒼真が黙って頷く。その視線の奥にはいくつもの記憶の断片が揺れていた。


「この手紙にある事実が本当だとしたら、失踪したのは皆、優秀な研究者ばかり。私はね、神山さとみさんの過去を調べれば、今回の事件の核心に触れることができると思うの」

 雪がふっとため息を吐く。

「思うの。私が取材したことで誰かの人生が変わったことなんてあっただろうか。 でも報道しなければ何も始まらない。 咲奈さんの声が、私のでも中で静かに鳴り響いているの。でも私は記者なの。感情に流されてはいけない。 でも、咲奈さんの目を見たとき、私はただの人間だった。 あの沈黙の奥にある叫びを、どうしても無視できなかった」

 雪が今度は真っすぐ蒼真の目を見た。


「今回の件、かなり権力を握る人が動いている。それでも今回のことの真相を知りたい。それは記者としての私ではなく、ひとりの人間として」

 雪の言葉に蒼真は静かに微笑んだ。

「協力してくれるわね?」

 蒼真は吉野隊長を見上げる。


「蒼真君は、防衛隊職員でありながら、東阪大学の研究員でもある。一般市民がどう動くかは、防衛隊としてもMECとしても関知するところではない」

「ありがとうございます」

 蒼真はゆっくりと立ち上がった。足元に広がる芝生の感触を確かめながら、雪へと向き直る。

「雪さん、咲奈という女性に会わせてもらえますか?」


 ×   ×   × 


 夕暮れが町の屋根を低く撫でる。工場が並ぶ通りには、灰色の建物が静かに佇んでいた。作業着の男たちが黙々と自転車を漕ぎ、煙草をくわえて歩く者の吐息が風に混じる。太陽はすでに裏通りの向こうに沈み、鉄の匂いを含んだ風が冬の気配をちらつかせていた。


 町外れの古びた喫茶店。その木の扉はすり減り、ガラスには小さなひびが走っていた。カウンターの奥では、年季の入ったラジオがかすかな雑音を混ぜながら昭和の歌謡曲を流している。テーブルは黒ずみ、椅子はぎしりと音を立てるたびにその歴史を語った。紅茶の色は薄く、湯気もすでに消えていた。

 けれど咲奈にとっては、この場所こそが「日常」だった。派手さも、洗練もない。ただ、暮らしの音がしみこんでいる。生まれ育ったこの町の空気は、彼女の声も心も包んでくれた。だからこそ、都会の眩しさが嫌いだった。かつて彼は、あの世界からやって来て、何事もなかったように戻っていった。昇進のためだ、と一言残して。咲奈の声など聞こうともせずに。


 この町では、大きな声を張らなければ、誰にも届かない。

 だから届かないことは当たり前だった。それでもここで生きていく。それが咲奈にとっての「普通」だった。

 カランカラン、と小さな鈴の音が店内を震わせた。扉が開き、二人の男女が入ってくる。視線を巡らせ、奥の席にいる年配男性に軽く会釈をした後、咲奈を見つける。彼女の前に静かに座った。


「手塚咲奈さんですね」

 男が柔らかく声をかける。咲奈はゆっくりと頷く。

「東阪大学の阿久津蒼真です」

 深く頭を下げた彼の所作には学問の場の気品と、現場で鍛えられた静かな強さが滲んでいた。

「堀田雪さんからお話を伺っています」

 咲奈は控えめな声で返事をした。


「こちらは高城美波。神山教授の秘書を務めています」

「神山…… ということは」

 咲奈の表情が曇る。美波が小さく頭を下げた。

「はい、神山さとみさんが在籍する研究所で働いています」

 咲奈はじっと美波の顔を見つめる。その瞳は不安と疑念の間で揺れていた。

 蒼真が静かに言葉を継ぐ。

「その、神山さん、いえ、北條さとみさんについてですが。お兄さんのことを、もう少し詳しくお伺いできますか?」

「はい……」

 咲奈は伏し目がちに話し始めた。声には封印された記憶の重みが滲んでいた。


「兄は、貧しい暮らしから早く抜け出したいと、いつも言っていました。夢を見る人でした」

「それでアメリカに?」

「はい。友人を頼って、向こうへ行ったんです」

「その後、連絡は?」

「メールがありました。生命を研究する施設で仕事が見つかったと…… でも、詳しいことは何も」

「それから、連絡が途絶えたんですね」

「……はい」

 その答えには、諦めと痛みが混ざっていた。その様子を見た美波が笑顔で咲奈に語り掛ける。


「よかったら、少し温かいものでも。話すのって、すごくエネルギー使いますよね」

 咲奈が目の前のコーヒーを一口口に含んだ。しばらくの沈黙のあと、咲奈がぽつりと問いかける。

「あの…… さとみさんって、どんな方なんですか?」

「とても優しい方ですよ」

 即答した美波の口調は、まっすぐだった。

 咲奈は小さく首を傾げ、手紙の記憶が胸に戻る。

「さとみさんはとても優しくて、誰よりも人の痛みに敏感な人なんです。だから、私は信じたいんです。あの方がそんなことをするはずないって」


「でも…… あの手紙が本当なら、恐ろしい人ですよね」

 言葉が途切れ、空気が凍る。その沈黙を破るように、美波が口を開いた。

「森田先生は、さとみさんに強い恨みを持っていたから、あの手紙の内容は、もしかしたら嘘かもしれません」

 咲奈はその強い調子に一歩身を引いた。


「テレビ局の方は、今回の件を報道してくださるのでしょうか」

 恐る恐る顔を上げた咲奈の瞳は、何かにすがるようだった。

「咲奈さん…… きっと、すごく勇気がいったと思います。こうして話してくださって、本当にありがとうございます」

 美波がさっきのきつい言葉を和らげるために深々と頭を下げた。蒼真も同じ思いではあったのだが、


「すみません。僕たちはテレビ局の人間ではないので、取り上げるかどうかはそれはお答えできません」

 咲奈が下を向く。そして静かな声で蒼真に答えた。

「でも、あなた方が動いているってことは…… 信用されてないことの表れですよね、こっと無視されるんですよね」

 蒼真は言葉に詰まった。


「そうですよね。こんな曖昧な情報で、テレビ局が取り上げてくれるわけないですよね。昔からそうでした。警察に相談しても、役所に相談しても、みんな私の言葉を聞いてくれなかった。私の声は誰にも、そう、きっとあなたにも届かない」

 咲奈は再び視線を落とす。自分の小さな声では、何も届かない。そう学習してきたのだ。なにも、何も変わらない、そう、彼女の声はどこにも届かない。

 その後、何を話したのか。細部は霞がかり、言葉は遠のいていった。ただ紅茶のぬるさだけが指先に残っていた。


 ×   ×   × 


 防衛隊科学班の一室は、夜の帳が落ち始めた外界とは隔絶された静けさに包まれていた。白い蛍光灯の光が無機質に机を照らし、壁には配線が走り、冷たい空気がじわりと背筋を這う。機材の静かな起動音だけが、この部屋に命の鼓動を与えていた。

 蒼真は椅子の背にもたれ、深くため息をついた。アキは書類を片付けながら、蒼真の顔を覗き込む。

「なんか、自分たちがやってることって、いったいなんなんでしょうね」

 その一言に、アキの手が止まる。呆れたような顔をしながらも、その瞳は真剣だった。


「どうしたのよ、藪から棒に」

「会ってきたんです。雪さんに紹介された女性に」

「あゝ、さとみさんの北米時代の実験で、殺されたっていう男性の妹さんね」

「殺されたって、まだ確定したわけじゃないですよ」

 蒼真の声には、強い反発がこもっていた。アキは肩をすくめて軽く笑った。


「ごめん、ごめん。でも、その女性はそう言ってるんでしょう?」

 蒼真は視線を落としながら、静かに頷いた。

「えゝ。でも、僕たちはさとみさんがそんな人じゃないって、それを伝えたかっただけなんです」

「でも?」

 蒼真の息が重くなる。彼の口元が硬く結ばれた。


「妹さん、咲奈さんって言うんですけど…… 世間は自分の話なんて誰も聞いてくれないって、そんなふうに話してました」

「ほう」

「僕たち、もしかしたら彼女の意見を打ち消そうとしていたのかもしれません。さとみさんを守る気持ちが強すぎて、咲奈さんの言葉を否定してしまった……」

 言葉が落ちるたびに、室内の空気は重たく沈んでいく。機材のLEDがぼんやり点滅し、その光さえも鈍く見えた。


「それって…… 防衛隊の上層部が緘口令を敷いてることと、変わらないような気がして」

 アキは長く息を吐きながら、蒼真の肩の落ち具合を見つめていた。

「もし彼女の言っていることが正しいなら…… 僕たちは、いったいなにを守ろうとしていたんだろう」

 沈黙が流れた。

 アキは机の端に腰を乗せ、ゆっくり言葉を紡ぐ。


「大切な人を守る。あるいは、もっと大きな『国』や『地球』を守る……そんな大義名分の下で、小さな、声なき声を遮断してしまう。ありがちな話よね」

 そう言って、アキはそっと蒼真の肩に手を添えた。

「でもね、その小さな声に耳を傾けようとした人と、最初から無視する人では、全然違うのよ」

「え……?」

「蒼真君は、その咲奈さんの言葉をちゃんと受け止めた。たとえ、自分が信じていた人の姿が、思っていたものと違っていたとしても」

 蒼真は言葉を探しながら、揺れる思いを押しとどめるように指先を握りしめる。


「でも…… それでも受け入れられない自分がいます」

 アキは肩をポンポンと軽く叩いた。

「それが普通。でもね、その小さな声に耳を傾けたという事実は、あなたを“偉い人たち”とは違う存在にしてるわ」

 蒼真の口元に、わずかながら笑みが浮かんだ。

 実験室の扉がわずかに軋みを立てて開いた。空気が動き、その瞬間、室内の温度が一段下がったように感じられた。

 扉の向こうに立っていたのは、表情を欠いた一人の男。防衛隊参謀、安田。その後ろには、無言のまま控える取り巻きたち。彼らは軍靴のような沈黙を履いていた。


「ほら、蒼真君とはまったく違う人種の登場ね」

 アキは皮肉を含んだ微笑を残してその場を離れた。その背中には、冗談に見せかけた鋭い警戒心が浮かんでいた。

「阿久津隊員。今日こそはネイビエクスニュームを引き渡してもらおう」

 安田参謀の声は低く、圧迫感に満ちていた。軍人のそれでも官僚のそれでもなく、ただ命令と支配を宿した声だった。


「前回も申し上げたとおり、理由を明らかにしていただけない限り、お渡しできません」

 蒼真はゆっくりと立ち上がり、毅然とした眼差しでその言葉を発した。音のない部屋に、彼の声だけが鮮やかに響いた。

「これでどうだ」

 安田がポケットから取り出したのは一枚の命令書。その紙は硬く折り目がついており、内容にはこう記されていた。

 《ネイビエクスニュームは防衛隊の管理下に置かれ、管理権限は参謀本部に属するものとする》

 法的根拠であると、彼は言った。その紙はまるで楯のように彼の胸元に掲げられていた。


「法律を盾にしても、引き渡しを拒むつもりかね?」

「なるほど」

 蒼真の返答は、静かだが鋭かった。その瞳は、何かを見透かすように安田を捉えていた。

「ではその法を拠り所にするなら、民間人の拉致は違法ではないのですか?」

「なに!」

 言葉が安田の防壁にひびを入れた。彼の眉が跳ね、額に怒気とも困惑ともつかぬ緊張が走る。


「何を言っている?」

「どれだけ緘口令を敷いたところで、真実が世間に知られればどうなるか」

 蒼真の声は冷静さの下にかすかな震えを隠していた。けれど、その震えこそが彼の覚悟の証だった。普段は穏やかで気が弱いとされる彼が今この瞬間、賭けに出た。

「我々を脅す気か?」

「つまり事実を認めるということですね。研究者の行方不明に、あなたが関わっていると」

 蒼真はニヤリと笑った。だがその笑みは挑発ではなく、あくまで論理の穴を突いた者の静かな勝利だった。

 安田が後ずさる。取り巻きたちは無言のまま、しかし空気の重みにその場が染まり始める。


「どうすればいいと言うんだ」

「神山さとみさんに、会わせていただけませんか」

 その名を聞いた瞬間、安田の肩がわずかに震えた。戸惑いが彼の顔に影を落とす。

「それでネイビエクスニュームは渡してもらえるのかな」

「まずはさとみさんにお会いしてからです」

 やがて、安田は重く口を開く。その言葉は、敗北とも譲歩ともつかぬ微妙な響きを持っていた。

「分かった」

 沈黙が再び部屋を覆う。その中で、蒼真の決意だけが、脈打つように静かに燃えていた。


 ×   ×   × 


 防衛隊基地。その構造はまるで要塞のようだった。前衛には無数の兵器が収められた格納庫が並び、中段には作戦を練る指令室があり、そして最奥に参謀本部が静かに構えていた。だが、そのさらに奥、地図にも記されていない、誰もその存在すら知らない一棟の建物があった。

 外壁はコンクリートではなく、特殊合金のような鈍色の素材で覆われ、昼間でも影のような冷気を漂わせていた。蒼真とアキは安田参謀に導かれ、誰の言葉も交わさず、ただ無言のままその建物に向かっていた。


「こんな場所にこんな施設、いつの間に造られてたの?」

 アキが辺りを見回しながら、声をひそめてつぶやく。返事はなかった。

 突き当たりの扉で安田参謀が足を止める。顔を扉に近づけた瞬間、生体認証が作動したのか、重厚な扉が唸るような音を立てながら、ゆっくりと開いていった。

 扉の先に広がっていたのは、巨大な内部空間。天井は高く、構造体は鋼鉄の骨組みで支えられ、奥には圧倒的な存在感を放つ建造物が聳えていた。


「ロケット?」

 アキが息を飲む。その大きさは、目の前に立つ人間をあまりにちっぽけに見せた。

 施設内では数名の技術スタッフらしき人物が無言で作業を行っていた。その動きには軍隊のような規律があり、緊張と沈黙が支配する空間だった。

 安田参謀は足を止め、二人の前に立つと誇らしげに言った。

「これが、人類の英知を結集して生まれたディストラクションⅭだ」


「ディストラクションⅭ?」

 蒼真はロケットを見上げた。それは兵器というより、神話に出てくる何かのように見えた。人類の希望なのか、それとも破滅の予兆なのか。

 その機体の根元に、見慣れた白衣の人影があった。資料を抱え、無言で立ち尽くすその姿に、蒼真の胸が強く締め付けられる。


「さとみさん!」

 彼は駆け寄る。彼女が顔を上げる。

「蒼真君……」

 さとみは目を見開き、胸元の分厚い資料を抱きしめた。だがその瞳は冷えていた。過去の温もりは見えない。氷の中に感情を封じ込めたような目だった。

「こんな場所で、いったい何をしてるんですか?」

「人類を危機から救うための計画を遂行しているの」

 その言葉は淡々としていたが、どこか自動的で、抑圧された響きを含んでいた。


「危機って、それは何ですか?」

 蒼真の問いに後ろから安田参謀が応える。

「詳しくは言えんが、宇宙から地球を狙う侵略者を排除するための兵器だ」

 その一言で空気がさらに重くなる。蒼真は目を見開いた。

「まさか、さとみさんが兵器開発を?」

 さとみは背を向け、資料を机に置きながら言った。

「そう。この研究は人類にとって不可欠なの。だから、私はここにいる」

「でも、それはあなたじゃなくても……」


「だめなの」

 さとみがゆっくりと振り返る。その表情には、言葉にできない何かが滲んでいた。責務か、諦めか、それとも痛みか。ただ、彼女の瞳には一片の希望も映っていなかったように蒼真には映った。

「私でなければだめなの」

 その言葉が、蒼真の胸に突き刺さった。彼女が本心ではこの研究に加担したくないことを、彼は確かに感じ取った。

「神山夫人には、計画が完了するまでこの施設にいてもらう。他言無用だ」

 安田の言葉は冷たく響いた。命令ではなく、拘束のように。


「でも、彼女のことを心配している人がいます」

 蒼真の声は揺れていた。

「そんなことは気にするな。地球のため、人類のためだ。余計な言葉は慎め」

 人類のため、その言葉がまるで呪文のように、正しさを装って何かを覆い隠している。蒼真は言葉を失った。何が本当に「正しい」のか、何が人類を救うことなのか、その答えがあまりにも遠くに感じられた。

 その瞬間だった。空間が震えた。機材の駆動音も壁を這う警告灯の点滅もすべて飲み込むように、強く、深く。


「そう、そうやって大義のために小事は捨てられる。どんなに声を上げても、誰の耳にも届かない。声は、力によってかき消されていく」

 響いたのは、聞き覚えのある声。空気そのものが震え、鋼鉄の壁さえ声に押し出されるように軋んだ。

「咲奈さん!」

 蒼真の叫びも、声に飲み込まれる。だが、声は止まらなかった。

「私の家は貧しかった。父の言葉も、兄の声も、誰も耳を傾けてくれなかった。私の声は愛する人にさえ、届かなかった」

 その語りには涙はなく、痛みが氷のように研ぎ澄まされていた。


「誰も聞いてくれない。兄のことも、父のことも、私のことも。だったら…… だったらこの声が、世界を壊してしまえばいい」

 そして次の瞬間、施設の空気が変わった。

 視界を覆う白い霧。床を這うように広がり、機器を飲み込み、壁に染みる。無音だった研究棟に緊急警告音が爆発するように鳴り響き、安田参謀が叫ぶ。

「危険だ、全員退避!」

 その声にも応えることなく、咲奈の声が最後の宣告のように落ちる。


「声を殺す者、私は、私は許さない。絶対に、許さない」

 次の瞬間、赤い閃光が施設を貫いた。空間が裂けるように震え、天井が悲鳴を上げて崩れ落ちる。その裂け目から、左手がこぎりのような腕を持ち、頭部から蛇に似た触手を持つ怪獣ヴァイアスロンが現れた。その怒りに満ちた目が地表を這う人間たちに向かう。

 咆哮は地面を突き上げる雷鳴となって響き渡った。壁が砕け、管が断裂し、閃光が散る。ディストラクションⅭの巨大な影が怒れる怪獣の目にさらされる。


「まずい、ディストラクションⅭが!」

 参謀たちの声が重なる。警報が鳴る。蒼真はただ立ち尽くすのみだった。咲奈の言葉が耳の奥で反響している。力なき声。その怒りが、ついに形となって顕れた瞬間だった。

「咲奈さん、どうして……」

 蒼真が左腕の時計を見る。そこには無情にも青い光が輝いている。蒼真は項垂れながらも左手を天に向かってあげた。


 施設の空気がひときわ激しく震えた。ディストラクションⅭの巨大な機体の前方で、青白い閃光が走る。空間が引き裂かれるような轟音とともに、ネイビージャイアントが姿を現した。全身から蒼いエネルギーが迸り、周囲の瓦礫を押しのけながら怪獣ヴァイアスロンの前に立ちはだかる。

 ネイビーを認識したヴァイアスロンが唸りをあげる。ヴァイアスロンの頭部から紫色の怪電波が空間を歪ませながらネイビーに直撃する。爆音。ネイビーの巨体が吹き飛ばされ、コンクリートの床を削りながら倒れ込む。その揺れで周囲の壁がひび割れ、照明が軋むように揺れた。


 瞬く間にヴァイアスロンがネイビーに馬乗りになる。ヴァイアスロンが拳をネイビーに振り下ろす。なすすべもなく殴られるネイビー。ヴァイアスロンがのこぎりの歯をネイビーに向ける。

 なんとか首を左右に振りのこぎりの歯をかわすネイビー。だが逃げ場を失ったネイビーの首にヴァイアスロンののこぎりの歯が向かった、そのとき、後方から鮮烈な閃光が走る。


 アキが瓦礫の陰から飛び出し、レーザー銃を連射。怪獣の背中を貫く赤い軌跡が炸裂し、ヴァイアスロンが咆哮をあげて振り向く。

 鋭い目がアキを睨みつける。その目はどことなく物悲しさを漂わせている。それは何を物語っているのか。

 ヴァイアスロンの頭部が怪電波を孕む。このままではその矛先が鈴鹿アキに向かう。そのとき、ネイビーがヴァイアスロンを後ろから羽交い絞めに。不意を突かれたヴァイアスロンが頭部にたまった電波をネイビーに向ける。そのエネルギーをまともに喰らい後方に吹っ飛ばされる。


 その間にアキが瓦礫の陰に隠れた。ヴァイアスロンがアキの姿を探す。

 そのとき、後方から蒼い巨体が動いた。ネイビーが両腕を突き出し、怪獣の胴体を掴んで巴投げを仕掛ける。重力を裏切るように、怪獣が宙を舞い、地面へ叩きつけられる。コンクリートが砕け、火花が舞う。


 ネイビーが立ち上がる。そして右手を天へと高々と突き上げるとその腕に、金色の光が収束し、振動が空気を切り裂いた。出現したのはネイビーサーベル。赤い光の刃を縁取る神秘的な黄金が周囲の空間を照らす。ネイビーが駆け、サーベルを振り下ろす。ヴァイアスロンが両腕を交差させて受け止めるが、閃光の力は肉を貫く。叫びが空間に轟く。ネイビーサーベルはヴァイアスロンの腕を切り裂く手前で止まった。歯は同にまでは到達していない。ヴァイアスロンは後方にさがっていく。


 ネイビーは迷わずサーベルを手放し左手に全力を込める。拳が怪獣の胸部、赤く脈動する宝石へ向かって突き出された。衝突の瞬間、火花のような赤い光が広がり、ヴァイアスロンが苦悶の咆哮をあげる。

 ネイビーが一歩下がりのたうちまわるヴァイアスロンの胸を睨みつける。赤く光る石の色が鈍い光に変わっている。ネイビーは反射的に左手を前に出す、そして青い光線がヴァイアスロンの胸にめがけて飛ぶ。いつもならバリアで跳ね返されるところ。今は弱っている石の光では守り切ることはできない。あおのまま青い光が赤い石の輝きとまみえる。


 ヴァイアスロンの動きが止まった。そして次第にその姿が崩れ、赤い光に包まれながら、音もなく空気に溶けていく。その巨体はしばらく佇んだのち、青白い光に包まれて姿を消していく。空気にはまだ熱が残り、瓦礫の隙間に、戦いの爪痕が刻まれていた。

 静寂。残響のあとに、ネイビーはゆっくりとディストラクションⅭの方へ向き直り、機体が無傷であることを確認した。それが良かったのかどうなのか、ネイビーは言葉を発せず青い光の中に戻っていくのであった。


 ×   ×   × 


 翌日の午後。MECに「R計画」の全貌が知らされた。

 公式には“怪獣による襲撃”が引き金だとされたが、蒼真もアキも真の理由はもう知っていた。

 ディストラクションCがヴァイアスロンに狙われたのは、偶然ではなく、何かもっと根深い「声」がこの世界に届いたのだと。


 会議の場で告げられたのは、計画の詳細は一切口外無用という命令だった。市民には知らせない。それが、上層部の答え。

 陽が傾く防衛隊施設脇の公園。芝生の上では、幼稚園の制服姿の大介がひとり、遊具の影を追っていた。静かな休日の風景。だが蒼真の瞳は、その穏やかさの奥に揺れるものを捉えていた。


「こんな重要なことを市民に知らせないって、それで本当に正しいんでしょうか?」

 つぶやきは風に溶けるほど小さく、隣に立つアキの横顔に静かに届いた。

「パニックを避けるため、妥当といえば妥当ね」

 アキの声はいつになく控えめだった。

 彼女は遊具の奥を見つめながら答えた。その瞳にはわずかな迷いが宿っていた。

 蒼真は言葉を続ける。


「でも、咲奈さんの言っていたことが、胸の中で響いてるんです。小さな声がかき消されるたびに、なにか悪いことが起こっているような気がして」

「悪いことって、なにか証拠でもあるの? 蒼真君の気のせいじゃないの?」

 その言葉が蒼真に言いようのない不安感を抱かせた。

「そうですよね。科学的根拠なんてなにもない……」

 アキは答えず、一歩下がってベンチに腰を下ろす。その沈黙が肯定にも否定にも聞こえた。


 人類のため、その言葉の裏側には、いくつの声が押し潰されてきたのだろう。沈黙は安全か。それとも、何かをゆっくり壊していくのか。さとみは、いま何を想っているのだろう。計画書のどこにも彼女の名は記されていなかった。なのに彼女はあの場所に立ち続けている。誰の命令でもなく、自ら、あるいは、誰かのために。

 そして、咲奈の兄の失踪。アメリカで何があったのか。なぜ彼は帰ってこなかったのか。そのすべてが、さとみに繋がっているような気がしてならなかった。


「さとみさんの居場所、皆には?」

 アキがぼんやりと問いかける。

「一応、神山先生と美波には伝えました。心配させたくなかったから」

 蒼真が言うと、アキは淡く微笑した。

「なるほど、いきなり軍規違反ね」

 だが、蒼真には違反という言葉に罪悪感はなかった。


 声なき声に耳を傾けること。それは、秩序の外にある、ささやかな誠実。咲奈が残したその小さな声に、せめて自分だけは応えたい。届かなかった言葉に、届こうとする姿勢だけでも、それが彼にできる供養なのだ。

 風が、芝の間をすり抜ける。遠くで、大介の笑い声が響いた。その声の背後で、何かが確かに動き始めようとしていた。そのことを蒼真はまだ知らない。

《予告》

留美と言う女性が男たちから逃げている。立花健太を知ると言う留美を神山研究室に招く蒼真。そこにも男たちの手が。蒼真が事情を聴く。そこには幼馴染の健太に寄せる思いが。次回ネイビージャイアント「絶望からの脱出」お楽しみに。

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