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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
24/71

第二十四話 二人目の小夜

♪小さな生命いのちの声を聞く

 せまる不思議の黒い影

 涙の海が怒るとき

 枯れた大地が怒るとき

 終わる果てなき戦いに

 誰かの平和を守るため

 青い光を輝かせ 

 ネイビー、ネイビー、ネイビー

 戦えネイビージャイアント

「九月なのにまだ暑いわね」

 花屋の店先にはバラ、リンドウ、ワレモコウ、コスモスといった色鮮やかな秋の花々が所狭しと並んでいる。九月の少し和らいだ日差しが店内に差し込んでくる。

 うつろな表情で秋空を眺めていた彩に紗香が声をかけた。

「え、なにか言った?」

 驚いたような表情で紗香を見返した彩にはまだどこか上の空な感じがある。

「どうしたの?ここ二、三日、なんか様子が変だよ」

「あゝ」

 彩がゆっくりと首を回しながら、


「なんか眠れなくて」

 彩がそう言うと指を組み天に向かって腕をあげて伸びをする。そして顔をくしゃくしゃにして大きなあくびをした。

「そうね、確かに、まだ夜は暑くて寝苦しいもんね」

「うーん、ちょっと違ってね」

 笑顔の紗香に彩が目を擦りながら、

「変な夢を見るのよ」

「変な夢?」

「そうなの」

 彩の眉間に皺が寄った。


「どんな夢?」

「務めていた会社の人が出てきたり、森の動物が逃げている風景だったり、この前亡くなった近くの病院の院長先生も出てきた。みんな苦しそうになにか言いたそうなんだけど」

「で、なんて言うの?」

「なにも言わないの。ただ苦しそうな表情なだけ。それで暗い闇に消えていくの」

 彩が深いため息を吐く。

「そう、それはいやな夢ね」

 紗香の口が尖った。


「ありがとう、分かってくれるのは紗香だけね」

 彩の口元が緩んだ。だが彩の心は晴れないままだった。なぜなら夢に出てきた人たちには共通点があった。それは、その人たちが怪獣になったこと。そして命を落としたこと。なぜ彼らが自分の夢に出て来るのか分からない。自分が会ったことのある人だけならまだしも、蒼真たちから聞いた人や、見知らぬ人も含まれている。調べるとその人は怪獣になった人だと分かった。 夢は人が記憶の整理を行うときに見ると聞いたことがあるが、知らない人が現れるのは異常だと思う。一体何が自分に起こっているのだろう。不安としか言いようがないが、何よりも寝覚めが悪い。ただただ眠い。


「疲れているのよ。夏バテじゃない? 今まで東京でエアコンが効いたオフィスで仕事してたのに、この店じゃ冷房もないし」

「そうかなぁ?」

 彩が首を傾げる。確かに今年の夏の暑さは尋常ではなかった。暑さに体力を奪われたことは否定しないが、東京と違って田舎の暑さは我慢できる。気温だけでは測れない都会の暑さと田舎の暑さは違った。暑さだけでのせいだとは考え難い。ただこれ以上紗香に言い返すことはやめた。


「そうだよ。少し休んだら? 店も暇だし大丈夫だよ」

 紗香の優しさに彩の心が満たされる。

「ありがとう、でも、こう見えて体だけは丈夫なの」

 彩が笑った。紗香も笑顔を返した。彼女の笑顔に心が温まり彩は大きなあくびをした。


 ×   ×   × 


 けたたましい警告音が作戦室に響いている。

「緊急招集、緊急招集、太平洋上空、大気圏外で放送衛星が攻撃を受けて大破、攻撃したのは未確認生物!」

 MECのメンバーが次々と作戦室に入ってきた。そして吉野隊長が立っている大型モニタの前に集まる。遅れて蒼真が隣の分析室から手元の資料を見ながら彼らの輪の中に加わった。


「これは放送衛星が襲われたとき、近くの軍事衛星から撮った写真です」

 三上は手元のタブレットを操作し、大型モニタに大破した衛星とその横にいる鳥の映像を映し出した。

「鳥?」

 田所が驚きの声を挙げた。

「大気圏外にこんな大きな鳥が?」

「大気圏外では地球上の生物は存在できません。空気が薄い所でも鳥は生き続けられますが、大気圏を離れると太陽からの熱線で細胞が破壊されます。なのでこれはおそらく鳥に似た地球外生命型怪獣だと思われます」

 蒼真の説明に田所が大きなため息を吐きながら、


「また宇宙怪獣か、手ごわいな」

「それより……」

 芦名が一歩前に出た。

「この怪獣はなぜ軍事衛星を襲わなかったんだろう?」

「確かに、攻撃されるのを恐れたからかなぁ」

 首を傾げる田所に三上が冷たく言い放つ。

「衛星を一瞬で破壊する力を持ってるんだぞ。そんなことで怯むとは思えない」

「じゃあなんでだ?」

 蒼真が手元のタブレットを見ながら眉をひそめた。


「この怪獣、真っすぐどこかに向かっている気がします。だからその経路にあった放送衛星は攻撃したけど、そこから少し外れた軍事衛星は襲わなかった」

「ふむ」

 芦名が右手を顎に当てた。

「だとすると、この怪獣はどこに向かっているんだろう」

「この怪獣は今どこにいる!」

 吉野隊長が後方のレーダーを監視している防衛隊員に問い正した。

「残念ながら、大気圏外を飛行する物体にしては小さすぎて位置が特定できません」

 その言葉に吉野隊長がMEC隊員を見渡す。


「三上、航空防衛隊に日本上空の監視を行うためにスクランブルをかけるよう依頼してくれ」

「了解」

 三上が動き出した。

「田所と芦名はスカイタイガーで太平洋上空を偵察」

「了解」

 芦名と田所は自らのヘルメットを手に取り三上と共に作戦室を後にした。

「蒼真君、申し訳ないが、この写真から分かることを分析してくれ」

「分かりました」

 蒼真は大型モニタの前を離れ、自席に戻った。今度は自身のモニタに大型モニタと同じ写真を映し出し、マウスを動かして詳細を分析し始める。


「人工衛星の大きさから考えると、この怪獣の体長は約六十メートル。羽がまるで金属のように見える。後方の衛星の破片との比較から見ても、かなりの硬度がありそうだ。これなら衛星もひとたまりもない」

 蒼真は分析結果を入力するためリズムよくキーボードを叩いていた。 そのとき、後方のオペレーターからマイクを通じて報告が入る。

「航空防衛隊から入電、未確認飛行物体を日本上空で発見。おそらく衛星を攻撃した怪獣と思われる。場所は北緯三十度、東経百三十五度。その地点から北東に向かって飛行中」

 蒼真のモニタが怪獣から地図に変わる。


「北緯三十度、東経百三十五度」

 蒼真は地図に丸い点を打つ。

「最初に放送衛星が襲われた場所がここだから」

 蒼真は別の場所に赤い点を打ち、二つの点を線で結ぶ。

「で、ここから北東に向かう」

 蒼真は線を北東方向に伸ばしていく。するとその先には。


「四国? しかもまた足摺岬……」

 蒼真の手が止まった。

「でも、以前もここに怪獣が現れたよな。二度目か? なんでいつもここなんだろう。なにかあるのか?」

 蒼真は腕を組んだ。

「美波、大丈夫かなぁ」

 蒼真は学会に出席するため高知に向かった神山教授と、そこに同行している美波のことが気になった。

「確か、高知市内じゃなかったはず。足摺岬に近くなければいいけど」

 蒼真の口元が真一文字に結ばれる。研究室を出るときの美波の表情が脳裏に浮かぶ。


「この前、蒼真君が高知に行ったとき、なんのお土産もなかったから、今度は私が買ってきてあげる」

「いいよ、無理しなくても」

「私、蒼真君みたいに気が利かない人じゃないんで」

「え、なにそれ」

 むくれる蒼真を見て、美波は嬉しそうに笑っていた。

「大丈夫だろうか」

 蒼真の心に不安がよぎる。何か悪いことが起こるような、そんな胸騒ぎが蒼真の心をざわつかせた。


 ×   ×   × 


「苦しい、助けてくれ」

 片岡孝之が彩の足にしがみついた。

「いや、放して」

 彩が孝之の腕を必死に振り払おうとする。孝之の顔はこの世のものとは思えない形相で彩を睨みつけた。

「いや、どっか行って」

 思わず彩が孝之を足蹴りにする。彼の手は彩の足を離れ闇の底に落ちていった。

「憎い、芦名雄介が憎い」

 彩の前に美しい女性が立っている。どこかで見たことがある、そう、フラワーアレンジメントのパンフレットで見た井上綾乃だ。なぜ彼女がここに。


「苦しい、こんなことになったのは芦名雄介のせい」

「そんな、違う、芦名さんはなにもしていない」

 彩の言葉に綾乃は耳を傾けている様子はない。その目、彩を見つめる目はどんより曇り、その恨みの強さが分かる。彼女ががっくと跪いた。その後ろから幾人達の男たちが歩いて来る。その手には「ササキ製薬は人殺し」と書かれたプラカードを持っている。

「ササキ製薬の横暴を許す防衛隊は許せない! その中でも芦名雄介は最も許されるものではない! 奴を殺せ、殺せ!」

 男たちはそう叫びながら彩に近づいて来る。


「キャー」

 彩は恐怖で目を閉じ、耳を塞ぐ。

「芦名さんは悪くない! だから、だから彼を殺さないで!」

 彩の耳に男たちの声が消えた。ゆっくりと目を開けると彩の前には多くの人々が立ちすくんでいた。すべての人が綾乃のように暗く悲しい目をしている。若くて美しい女性、カメラを持つ編集者風の男、どこかで見たことのある学者、防衛隊科学班の白衣を着た女。みんな見たことがない人たちなのに、なぜか知っている気がする。だが片岡孝之やササキ製薬を訴えた人たちから考えれば答えは一つ。


「ここにいる人は、もしかして怪獣になった人たち?」

 群衆の後方に、どこかで見たような人影があった。あれは昨日亡くなった速水だ。そう、間違いない。この人たちは怒りによって怪獣になった人々だ。いや、人間だけではない。その後ろからは鳥や小動物たちも現れた。富士山麓で薬物によって命を落とした動物たちだ。

「いろんなひとたちの怨念が……」

 群衆がぼそぼそと何かをささやいている。彩が耳をそば立てる。


「ころせ、ころせ、あしなゆうすけをころせ。ころせ、ころせ」

 その声が徐々に大きくなっていく。

「殺せ! 殺せ! 芦名雄介を殺せ! 我々を死に追いやった、芦名雄介を殺せ!」

「やめて!」

 ハッとして彩が起き上がった。辺りは薄暗い、群衆は消えていた。周りを見渡す、ここは彩の部屋、彼女はベッドの上にいた。壁の時計が午前三時を示している。


「また夢……」

 彩が起き上がるとパジャマは汗でぐっしょりと濡れていた。

「はぁ、どうしてこんな夢ばっかり見るんだろう」

 着替えようとして立ち上がったとき、ふと赤い光が目に入った。部屋の隅にある小さな飾り棚に目をやると、そこには宇宙人と名乗る黒衣の男からもらったルビー色の石があった。彩はゆっくりと近づき、そっと覗き込む、だがその石自体は光ることはなかった。


「気のせい?」

 彩はルビー色の石を手に取る。いつものように心が少し落ち着いた。 そのとき、背後に人の気配を感じた。ハッとして振り返ると、そこには疲れた顔の彩が立っていた。

「はぁ、びっくりした。鏡に自分が映ってるだけじゃない」

 彩はほっと肩を落とした。しかし、鏡の中の彩は顎をしゃくり上げ、冷たい笑みを浮かべている。


「えっ」

 彩の顔が恐怖に歪んだ。

「どうして、どうして鏡の中の私が、私と同じ動きをしないの」

「それはね」

 鏡の中の彩がにこやかな表情で語り始めた。

「私は彩ではないから」

「?」

 彩の背中に冷たいものが走る。


「私は小夜」

「小夜?」

 そう、芦名から昔聞いたことがある。死んだ恋人の名前、それが確か小夜。

「小夜さん、どうして、どうして私の前に。あなたは死んだはずでは」

「そう、死んだわ。でもね、雄介のこと、あなたがたぶらかしていることを知って戻ってきたの」

「たぶらかすって」

 彩が小夜を睨み返す。


「私、たぶらかしてなんてしてません」

「ほんと?」

 小夜が不敵に笑う。

「まぁいいわ。どっちにしても雄介はあなたではなく私のことを愛しているの。それは今でも変わらない」

「それは……」

 彩の心に何かモヤモヤしたものが蠢く。


「そんなことは分かっています。それに私は芦名さんのこと、なんとも思っていません」

「うそ!」

 今まで笑顔だった小夜の目が厳しくなる。

「あなたは雄介のこと、愛しているわ」

「そんな……」

 小夜の勢いに彩がたじろぐ。

「分かるの、同じ女だから」

 彩は心の中で叫んだ。


「違う、違う、彼は自分のたった一人の肉親、弟を死に追いやった男。彼が憎い、憎い、そう、芦名雄介は心の底から憎い!」

「うそつきね、自分の心にうそをついてる」

「……」

 彩は再び恐怖に震える。心の中を読まれているような感覚に襲われた。

「あなたは弟さんの死を口実にしているだけ。本心では憎いなんて思ってない。本当は彼を欲しと思ってる。でも、彼が振り向かないことを自分が彼を憎んでいることが原因と思い込んでいる」

 彩が生唾を飲む。


「でも、それはどうしようもないの。だって雄介は私だけを思っているから。あなたの愛は彼には届かない。雄介の心はいつまでも私のもの。あなたには渡さない」

 彩の心がうずいている。

「私は、私は……」

「うそをつくのはやめた方がいいわ。でも、あなたがどれだけ正直になっても彼は振り向かない。私がいるかぎり」

 小夜が冷たくあざ笑う。彩は拳を固く握った。そして小夜を睨みつける。


「憎い、私は、私は小夜さん。あなたが憎い」

 彩の手に握られたルビー色の石が光を放った。その直後、彩は失神するように倒れ込んだ。

 その様子を見て鏡の中の小夜がゆっくりと消えていく。彼女が消えた後、鏡には妖しく光るルビー色の石が映っていた。


 ×   ×   × 


「道、間違えたかな」

 神山教授はフロントガラス越しに広がる景色を見ながら首を傾げた。運転席でハンドルを握りつつ、手元の地図を見たが、実際には自分がどこを走っているのか全く分かっていなかった。街に近づいているはずなので、ビルの一つや二つが現れても良いはずだと期待していたが、どう見てもそんなものは現れそうにない。目の前に広がるのはただただ田圃ばかり。神山教授は長いため息を吐いた。


「先生、焦らなくても、時間があるので大丈夫ですよ」

 助手席の美波がスケジュール調を見ながら声をかけた。

「まさか、ナビが故障するとはなぁ」

 再び神山教授がため息を吐く。

 このふたり、本日学会に出席するため、高知空港からレンタカーで中村市に向かう途中なのである。状況は前述の通り明らかに道に迷っているようだ。二人は田舎道をあてもなく走り続けた。


「先生、あそこに集落がありますよ。道、聞きましょうよ」

「あゝ、そうだな」

 車は古い家々が立ち並ぶ町に入っていった。道は狭く、スピードを出すことはできない。ゆっくりと進んでいくも人とすれ違うことはなかった。

「困った。人いないじゃないか」

 周りをきょろきょろと見回しながら神山教授は小刻みにハンドルを動かす。


「あ、あそこにお店があります。私、ちょっと行って、道、聞いてきます」

 神山教授は集落にある一軒の店の前で車を止めた。その店は花屋のようだった。

「すみません、ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど」

 車から降りた美波が、店の奥に向かって声をかけた。店の奥には店員らしい女性の姿があった。

「はーい」

 美波の声に気付いた女性が、店の奥から歩み出て美波のところまでやって来た。


「なにか、御用がおありで……」

 そこまで話した店員が立ち止まった。美波も彼女の顔を見って目が見開いた。

「彩さん!」

「美波さん!」

 二人は驚いた顔を見合わせた。そしてどちらともなく笑顔がこぼれる。

「彩さん、まさかこんなところで会うなんて」

「美波さんこそ、どうしてここに」

 美波がハッとなって車の方に振り返った。


「実は、道に迷ってしまって」

「そうなんだ。どこ行くの?」

「中村市の会館へ」

 美波は手に持っていた地図を広げた。

「あゝ、それならね」

 彩が地図を指差し、目的の会館までの道を美波に伝えた。

「ありがとう、助かります」

 美波はぺこりと頭を下げた。


「でも偶然って怖いですよね」

 美波の言葉に、彩はバツの悪そうな表情で笑った。

「みんな心配してたんですよ。勝手にいなくなるから」

「ごめんなさい。いろいろ考えることがあって」

 彩が首元に手をやり、面目なさそうに頭を下げた。

「蒼真君なんか心配して泣きそうだったんですから。たぶん芦名さんも……」

 彩の表情が曇った。その様子を見た美波は慌てて言葉を修正する。


「いや、たぶんって言ったのは、芦名さん言葉に出さないから。でも、表情はとっても心配してましたよ」

 彩の顔から笑みが消えた。

「芦名さんはいいの。どちらにしても私には興味なさそうだから」

「そんなことないですよ」

 美波が不服そうに口を尖らせた。

「でも、お願い。みんなに私がここにいることは内緒にしておいて」

「えっ」

「お願い」

 彩が深々と頭を下げる。美波は眉を少し下げながら、


「しょうがないですね。分かりました」

「ありがとう」

 彩の顔に笑顔が戻った。

「でもね、彩さん。この前蒼真君に聞いたんだけど、芦名さん、ずっと事故で亡くなった彼女のことで思い悩んでたのが解放されたんだって。なんでも先週、彼女の亡霊が出てきて芦名さんに“私にかまわず自分の人生を生きて”って言ったらしいの」

「亡霊、小夜さんの?」


「そう、よく名前、覚えていましたね」

 彩の表情が固くなった。

「だから彩さんも弟さんのことから解放されて自分の人生を生きてもいいんじゃないかと思って」

 美波の言葉を神妙に聞いていた彩が少し笑みを浮かべた。

「ありがとう、でも、私、弟のことはもう忘れたの。だから一人でここに来た。今はなにも縛られていないわ。だから心配しないで」

 彩の口元には笑みが浮かんでいた。でもどこか物哀し気な目をしている。彩はまだ解放されていない、それが分かっていて強がっている。そう感じた美波はそれ以上言葉をかけれなかった。


 ×   ×   × 


「まったく、なんで正直になれないんだろう」

 電話の向こう側で蒼真があきれた声で応える。

「このこと、蒼真君から芦名さんに伝えて」

 学会が開かれている会館の廊下。会場ではどこかの大学教授が研究報告を行っている。みんなが会場にいる中、美波だけが廊下で携帯電話を手に取り、蒼真と話をしていた。


「え、僕から?」

「だって、無線使えばすぐじゃない」

「そんな、MECシーバーは私用では使えないよ。それに彩さんから、居場所は言うなって言われたんだろう」

「そんなの、本心な訳ないじゃないの。相変わらず女心が分からないのね」

「……」

 携帯電話から蒼真の声が途絶えた。


「聞いてる! 分かった、お願いよ!」

 だれもいない廊下に美波の声が響く。

「はい、分かりました。でも、それはそうと、今、怪獣が四国方面に向かって飛んでいるんだ」

「え、こっちに来るの?」

「うん、その可能性が高いんだ。だから美波も気を付けて」

 会場から拍手が響き渡った。発表が終わったのだろう。


「それ、だれにも言わない方がいい?」

「あゝ、パニックになってもいけないし、しばらくは黙ってて」

「分かったわ」

 会場から人々が出てき始めた。休憩時間に入ったのだ。美波のいる場所にも人の流れができ始める。それでも美波は携帯電話に向かって小声で話し続けた。

「でも、怪獣がここに向かっているなら好都合じゃない。芦名さんに彩さんのいる場所に来てもらえば」

「なるほど」

「彩さんがいるのは四万十川沿いの○○町」


「四万十川、そうか、やっぱりあのとき見た女性は彩さんだったのか」

「? まぁいいや。いい、芦名さんに○○町に来るように言って」

 しばらくの間、携帯電話からの応答が途絶えた。

「どうしたの?」

「今計算してみたんだけど、怪獣が向かっているのは、間違いなく○○町だ」


 ×   ×   × 


 美波と会ったその日の夕刻、彩はひとり部屋でルビー色の石を眺めていた。不思議とこの石を見つめていると心が落ち着くのを感じる。今日、美波と会ったことで心にモヤモヤとしたものが残っている。それが何か、彼女は答えを知らない。いや知っていても言えない。心が拒絶しているのだ。何よりも、美波の言葉がさらに彩の心をかき乱す。


『芦名さんは解放されたの。だから彩さんも昔のことから開放すればいい』

 彩は深く息を吐き出し、その胸に重くのしかかる思いを吐露する。

「私はなにに囚われているんだろう。なにから解放されればこの気持ちから解放されるんだろう」

 ルビー色の石に問いかけても何も答えは返ってこない。彩は再び深いため息を吐いた。


「あなたは、あなたの心に正直にならなければ解放なんてされない」

 そこ言葉にハッとなって彩が振り返る。

「あなたは雄介を愛している。そのことで囚われている。そして囚われた原因は私。あなたが欲しているものを手に入れれない。その原因は私だから」

 振り返った先にいたのは、薄笑いを浮かべながら彼女に語りかける小夜だった。

「私がいるかぎり、あなたは解放されない」

 小夜は彩を侮るかのように薄笑いを浮かべていた。それはまるで、敗者である彩に対して勝ち誇った姿を誇示しているかのようだった。


「分かってる。分かっているのよ。だから、だから芦名さんを忘れるためにここに来たのに」

 彩は耳を塞いだ。しかし、小夜の言葉は耳を通り越し、心に直接語りかけてくる。

「それは無理。あなたが雄介を愛していることに変わりはない。それは変えられない事実よ」

 彩は力なく小夜の前にひれ伏した。

「どうして、どうしてあなたは私を苦しめるの。私が、私がなにをしたと言うの」

 彩は力の限り叫んだ。そんな彩を小夜が恐ろしい表情で睨みつける。


「それは私の愛する男をかどわかしたから」

「かどわかした?」

「そう、あなたは彼の心に迷いを生んだ」

 彩が小夜を見返すと、鬼の形相と化した小夜の目が鋭く彩を貫いていた。

「私に端に似ていると言うだけで雄介はあなたに好意を寄せようとした。そんなの許せる。許せるわけないよね。それ以上に許せないのはあなたが彼に好意を抱いたこと。そう、それが許せない。あなたが雄介を愛さなければ、私は、私はこんなに苦しまなくてよかった。だから、あなたを許せない。いや、許さない!」


「そんな、私は、私は芦名さんのこと……」

「まだうそをつくの!」

 小夜の言葉に彩は思わず目を閉じた。すると、脳裏にまたあの夢の世界が広がる。怪獣と化した人々が、死んだ目をして彩に詰め寄ってくる。

『殺せ、殺せ、芦名雄介を殺せ!』

「ダメ、芦名さんを殺さないで。私は、私は、彼に死んで欲しくない」

 彩が目を開く。そこにあったのはルビー色の石。


「恨めしい。私も、私も小夜さん、あなたが恨めしい。私は、私は芦名さんを愛しているの。いつから好きになったか覚えていない。いつの間にか彼が心の中に住み着いてしまったの。でも彼は小夜さん、あなたを愛している。私の入る隙はないの。あなたが、あなたがいなければ、彼は、芦名さんは私のもの。そう、そうなっていたはず。でも、でもあなたがいる限り、芦名さんは永遠に手の届かない人。だから恨めしい、小夜さん、あなたが恨めしい」

 その言葉が終わるや否や、ルビー色の石が妖しく光り始めた。その石から数本の腕が伸び、彩の腕や足、体をつかみ、引き込もうとする。


「キャー、いや、引き込まれる!」

 彩は身を固めて抵抗した。そのとき、優しい声が彼女の耳に届いた。

「ダメ、彩さん。騙されないで。今あなたの前にいる女は小夜ではない。彼女の言葉に惑わされないで」

 その言葉が終わると、腕は石の中に納まっていった。ホッとした彩が振り返ると、そこには小夜、もう一人の小夜が立っていた。

「彩さん、私は雄介を縛りたくない。彼には幸せになってほしい。だから、あなたが本当に彼を愛しているなら、彼を、雄介を守ってあげて」

「小夜さん……」

 彩が崩れるように涙目でもう一人の小夜を見つめる。


「騙されないで、私があなたを許すはずがない。だって私は雄介を今でも愛しているから」

 もう一人の小夜が反論する。

「私は雄介を愛している。だから、彼を開放するの。彼が幸せになるなら私は消えていい。そして彩さんと幸せになってほしい」

「そんな、私は、私は……」

 彩は混乱していた。二人の小夜が反目し合い、どちらが本物で、どちらが本心なのか分からない。しかし心の奥底では、二人目の小夜の言葉が真実であってほしいと願っていた。


「そんなの許せない。雄介は私、私だけのもの」

「消えなさい。偽物。真実の愛はそんなものではないの」

「キャー」

 二人目の小夜の言葉に、一人目の小夜が悲鳴をあげた。そして、そのままルビー色の石に吸い込まれていった。

「許さない、私は、私は絶対許さない……」

 その言葉を残して一人目の小夜は消えていった。彩が振り返ると、二人目の小夜が柔和な表情で微笑んでいる。


「彩さん。あなたは自由でいいの。なんにも縛られる必要はない。それは私に対しても。だからお願い、雄介を幸せにして。彼もあなたを愛している。だから彼を救えるのはあなただけしかいない。だから、だから彼を、雄介をお願い」

 そう言うと、二人目の小夜もスッと消えていった。彩は緊張から解放され、ぐったりと肩を落とした。

「どっちが本当の小夜さん。でも私は許されたってこと?」

 そう言うと彩の心に何かが叫び覚まされた。

「そう、私は、私は芦名さんを救わなければならない。だって、だって私は、私は芦名さんのことを愛しているから」

 やっと言えた。今まで心に封印していた気持ちを。そう、自分は芦名を愛している。弟を失って自分を見失っていた。いや、芦名の気持ちに入り込めないことを言い訳にしていただけ。もし、二人目の小夜が言っていた通り、芦名が自分を愛しているのであれば、もし、そうなら。


「彩、彩! 早く来て!」

 階下から紗香の声が届く。

「どうしたの?」

 彩は慌てて階下に降りた。一階に降りて店の前に出ると、紗香が空を見上げている。不審に思いながら、彩は駆け寄った。

「なにがあったの?」

「鳥」

 綾香が空を指差す。

「鳥?」

 彩も綾香が指差す空を見上げる。そこには、大きく羽を広げた鳥が円を描くように飛んでいた。

「大きすぎない?」

 田舎の広大な空が大きく広がっている。周りに比較するものがないため、その広さが一層際立つ。高い所を飛んでいるにもかかわらず、その鳥の大きさはまるでカラスほどに見える。


「あれは、あれは怪獣!」

 彩が大声を出す。紗香が空から彩の方を見返す。

「え、どうしよう」

 綾香の不安そうな顔を見ながら彩が叫んだ。

「防衛隊、そう、MECに連絡するのよ」

 そう言うと彩がポケットから携帯を取り出した。


 ×   ×   × 


「こちら本部、スカイタイガー、芦名機、応答してください」

 蒼真が作戦室から芦名に呼びかける。

『こちら芦名、どうした、蒼真君』

「例の怪鳥、コードネーム、ビルマンテが高知県の足摺岬付近、○○町に向かっています」

『足摺岬?』

 芦名の言葉に疑問符がつく。

「そうです。先日、怪獣ビバレントが上陸した辺りです」

『また同じところだと言うのか?』

 芦名の疑念はまだ続いているのであろう、そのニュアンスが無線を通じて伝わってくる。


「どうして怪獣が同じ場所を目指しているのかは分かりません。それはおいおい解明するとして、今、三上隊員がそちらに向かいました。怪獣は三上隊員と田所隊員に任せて芦名隊員は地上で避難誘導をお願いします」

『避難誘導?』

 さらに芦名の声に疑問符がつく。

『どうして自分が攻撃参加しないんだ?』

 蒼真が少し言葉を詰まらせながら、

「気にしないでください」

『気にするよ』

 蒼真の頭の中で言い訳がぐるぐると巡り始めた。


「怪獣が目指している場所の調査を芦名さんにお願いしたいんです。どうも、そこになにかある気がします。なにか怪獣が引き寄せられる、そう、なにかが」

『なにかって、なんなんだ?』

 執拗な芦名の疑問符に、これ以上の言い訳を蒼真は思いつかない。蒼真は仕方なしと心で決めた。

「なにかは分かりません。ただ」

『ただ?』

「ただ明確なのは、怪獣が向かっている○○町には鳥居彩さんがいます」


『彩さんが!』

 蒼真はハーと息を吐いた。

「さっき美波から電話がありました。○○町に彩さんがいると。理由は分かりませんが怪獣の進行経路を計算すると、真っすぐ○○町に向かっているんです」

『彩さん……』

 芦名の言葉が少し途切れた。


「芦名さん、躊躇している暇はありません。怪獣が本当に彩さんを狙っているならすぐにでも保護する必要があります。彼女はこれまでも幾度となく宇宙人や怪獣に狙われています。そう考えれば今回の件も彩さんが狙われていると考えても不思議じゃないでしょ」

 蒼真は芦名の理解を得ようと言葉に力を込めた。

「芦名さん、急いで!」

 しばらく沈黙が続く。

『分かった。彩さんのところに向かう』


 ×   ×   × 


「紗香、早く」

 人々が一方向に走り出す。逃げ惑う群衆の中に紗香と彩はいた。空から迫り来る怪鳥が彼らのすぐそばまで近づいている。彩たちも怪鳥から逃れるため田舎道をひたすら走り続けた。

 彩は一瞬、紗香の姿が消えたことに気付いた。紗香は道端に座り込んでいる。その顔は苦痛で歪んでいた。

「紗香、どうしたの」

「彩、先に逃げて。私、足、挫いたみたい」

「えっ」

 驚く彩を置き去りにして人々は通り過ぎていく。人をかき分け彩が慌てて紗香を抱きかかえた。


「だめよ、ここであなたをおいていくわけにはいかないわ」

 強い風が彩の頬を打ちつける。怪鳥ビルマンテが地上に降り立ち、その地響きで二人は地面に膝をついた。

「だめ、彩、早く逃げて」

「いやよ!」

 彩は紗香をなんとか近くの民家の陰まで運び込んだ。ビルマンテが一歩ずつ彼女たちに近づいてくる。

「紗香、ここで待ってて。助けを呼んでくる」

 そう言うと、彩は紗香をその場に残し、ビルマンデの前に躍り出た。


「彩! 危ない、早く逃げて!」

 紗香の叫び声が彩の耳に届いたが、彩は微動だにしない。彼女には確信があった。この怪獣の狙いは自分だと。そう、今までも何度も狙われてきたのだから、今回もそうに違いない。ならば、紗香のいる方向とは逆に走れば、怪獣は紗香から離れていくはずだ。

 彩はビルマンデを睨みつけた。ビルマンデも彩に気付き、そして彩が走り出すと、その後を追い始めた。彩の予想は的中したのだ。ビルマンデは今までと逆の方向、つまり彩の後を追ってきたのである。彩は必死に走り続けた、しかしビルマンデはその場を飛び立ち彩の目の前に降り立った。目の前のビルマンデを見て彩が立ちすくむ。


「怖い、助けて……」

 そう心の中で叫んだとき、レーザーがビルマンデの方に命中する。

「ギャオー」

 ビルマンデが一瞬怯んだ。その間に彩を抱きかかえる男がいた。

「彩さん!」

 男は彩と近くの林の陰に身を隠す。

「芦名さん!」

 彩は助けた男の顔を見て自分の目を疑った。確かにそこにいるのは芦名、芦名雄介だったからである。


「芦名さん、どうしてここに?」

「蒼真君が教えてくれたんだ。彩さんがここにいるって」

 抱きかかえられたまま芦名を見つめる彩。

「来てくれたのね」

 彩の目から涙が溢れ出て来る。

「当たり前だよ。自分の大切な人をこれ以上失いたくない」

 そのとき地響きが二人を襲った。気付けば再びビルマンデが二人の前に飛来している。MECガンを構える芦名、レーザー光線がビルマンデに命中する。


「ギャオー」

 一瞬怯むもビルマンデはビクともしない。

「クッソ、彩さんは俺が守る。なんとしてでも、なんとしてでも守って見せる!」

 芦名の叫び声を無視するかのように、ビルマンデは一歩、また一歩と近づいてくる。彩は目を閉じた。このままここで芦名と死ぬかもしれない。それでもいい、芦名と一緒ならば……

 そのとき、青い光が二人の前に輝いた。その光が消えたとき、そこにはネイビージャイアントがそびえ立っている。


「ネイビー、来てくれたの……」

 彩は安堵する。そして芦名の腕の中で意識を失っていった。

 ネイビーはビルマンデを羽交い絞めにし、二人から引き離そうと後ろへ引きずっていく。暴れるビルマンデに負けず、ネイビーも力任せに後退しようとする。そのとき、ビルマンデが羽ばたき、地面から土埃が舞い上がった。ネイビーはそれでも怯むことなくビルマンデを後方へ投げ飛ばした。

 地面で羽をバタつかせるビルマンデ。その上にネイビーが馬乗りになり、ビルマンデの腹に拳を何度も打ち付けた。


「ギャオー」

 苦しむビルマンデが羽をバタつかせ再び土埃が舞い上がる。ネイビーはビルマンデから振り落とされ仰向けに倒れた。今度はビルマンデが馬乗りになり嘴をネイビーの頭上に振り下ろす。ネイビーは顔を左右に振って攻撃をかわそうとするが最後の一撃が肩に突き刺さった。

「うぉぉぉ」

 苦しむネイビー。

「ネイビー、がんばれ」

 芦名はネイビーと一体化するか迷った。腕には気を失った彩がいる。今なら一体化できる。だがこの場を離れれば、また彩を危険な目に合わすかもしれない。


 芦名が迷っているそのとき轟音が彼の耳に届いた。ネイビーがビルマンデを投げ飛ばしたのだ。ビルマンデは再び羽をバタつかせ土埃で自身を隠した。その土埃が消えたとき、ビルマンデの姿は消えていた。

 ビルマンデが消えたことを確認し、さらに芦名と彩が無事であることを確かめたネイビーは、青い光の中に消えていった。

「なぜ、怪獣は消えたんだ」

 芦名は疑念を抱きつつも、まずは事態が無事に終息したことに安堵した。ふと腕の中を見る、そこには目を閉じた彩が彼に体を預けて眠っていた。


「彩さん、彩さん」

 芦名が声をかけても彼女は目を開けることはなかった。

「彩さん、しっかりして」

 芦名の心は急に苦しくなった。このまま彩の目が開かないのではないかという不安が胸を締め付ける。彼は彩を抱きかかえたまま、町へ駆け足で向かった。

《予告》眠り続ける彩を見守る芦名。怪獣が彩を狙っていると知ったMECは彼女の護衛にまわる。やがて目覚めた彩が芦名に本心を告白。そのさなかルビー色の石が妖しく光る。次回ネイビージャイアント「ルビー色の石が瞬くとき」お楽しみに

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