第十七話 復活した男
♪小さな生命の声を聞く
せまる不思議の黒い影
涙の海が怒るとき
枯れた大地が怒るとき
終わる果てなき戦いに
誰かの平和を守るため
青い光を輝かせ
ネイビー、ネイビー、ネイビー
戦えネイビージャイアント
金属が擦れ合うような甲高い音が響く真っ暗な部屋。壁らしき場所にはいくつものランプが、赤、青、緑、白とランダムに光っている。何もないように見えるこの空間の一部が急に明るく照らされ、その光の中央にいる白いワンピースを着た少女が全反射するように輝いている。彼女は何も言わずにただほほ笑んでいた。
「MECの連中がお前のことを世間に公表している。麻袋のこともだ」
どこからともなく聞こえる男の声は冷徹そのものであった。
「まぁ仕方がない、いつかは彼らも気が付くだろう、このことは時間の問題だったのだ。だが、もうお前は使えない」
闇から聞こえる声とは無関係に少女は微笑み続けていた。
「ご苦労だった」
その言葉と共に四方から白い霧状のものが少女を包み込んでいった。靄がすべてを包み込み、光を乱反射させ、より明るく、より白く輝いている。その輝きが消えたとき、光の中央には小さなフランス人形が床に座っていた。
「この子の代わりが必要だ」
光が消え再び部屋が闇に覆われる。
「このあいだ拾ったものを使うことにしよう」
その言葉が終わるや否や、今度は壁の一部に光が当たる。そこには透明のカプセルが壁に埋め込まれている。
「目覚めよ!」
カプセルの扉がゆっくりと開いた。そこに現れたのは全身を露わにした若者。まるで死んでいるのかと思うほど静かに瞳を閉じていた。
「健太よ、目覚めるのだ。お前が憎むこの地球を、人間を見返してやるのだ」
青ざめていた健太の顔が、みるみるうちに紅潮していく。胸が激しく上下し、命の鼓動が蘇ったのだ。
「さぁ、復讐するのだ。お前をないがしろにした人間どもを」
健太の目が開いた。その目には何か赤いものが揺らめいているように思えた。
× × ×
「どうして止めなかったんですか?」
一直線に延びる廊下はスカイタイガーの格納庫へと続いていた。胸を張り、堂々と歩く芦名の隣をまるで幼子のように蒼真があとを追っていく。
「どうしてって、自分が彼女を止める権利はない、それだけのことだ」
「そうかもしれませんけど」
芦名は横でちょこちょこと動く蒼真に一切視線を向けることなく、まっすぐに行き先を見据えていた。
「例えそうだったとしても、行き先とか、連絡先とか、なにか聞くことあったでしょ?」
「そうか、聞く必要はないと思うが」
「えっ、そんな冷たい」
蒼真は不機嫌そうに顔をむくれさせた。しかし蒼真の様子を見ていない芦名は、それに全く気付くことなく歩き続けた。
「だって、僕たち仲間じゃないですか」
「仲間?」
「そうですよ。一緒に怪獣を退治する方策を考えていたじゃないですか」
「しかし、彼女はビジネスで……」
「そんなことないですよ!」
蒼真は、芦名の行く手を阻むようにその前に躍り出た。
「フレロビウム検出器の触媒増産にあのやぼったい上司を説得してくれたり、神経興奮抑制剤を準備してくれたり、なにより僕たちのせいで宇宙人や怪獣から襲われそうになったり、彼女はいつも協力してくれていました。それを仲間と呼ばないでなんて言うんです」
蒼真の真剣な眼差しを避けるように芦名は再び歩み出した。
「芦名さん!」
蒼真が芦名の腕をつかんだ。芦名が立ち止まる。
「彼女は忘れたいんだと思う。自分のことを」
「?」
蒼真の腕から力が抜けていった。
「これ以上自分といると、きっと怒りが暴走しそうになるんじゃないのかなぁ」
「そんな……」
蒼真は遊園地で芦名と笑顔を交わしながら談笑する彩の姿を思い浮かべた。
「このあいだの遊園地、彩さん、笑顔でしたよ」
「それとは別問題じゃないのかな」
芦名の足が再び動き出した。
「どういう意味です?」
「一度心に湧いた憎しみは、そんなに簡単には消えない。許そうと思っても、いつしか心の中から湧き上がってくる。その姿を見られたくないんだと思う」
「そんな……」
蒼真の足がピタリと止まった。芦名は一切振り返らずまっすぐに格納庫へと足を運ぶ。その背中を見つめながら蒼真が叫んだ。
「芦名さん、僕は信じていません。憎しみが生きる力だとか、その力が消えることはないだとか。人は必ず許し合えます。だから、きっと、彩さんも、芦名さんを許すと思います!」
蒼真の叫びが芦名に届いたかどうか定かではない。それでも芦名は視線を前に据えたままひたすら格納庫へと足を運び続けた。
「はぁ」
蒼真が脱力するかのように肩を落とした。
「正直じゃないな」
そのとき廊下にけたたましい警告音が鳴り響く。
「緊急指令、緊急指令。足摺岬の沿岸に怪獣出現。MEC隊員は作戦室へ。至急作戦室へ」
蒼真は天を仰ぎ見た。芦名や彩にとって真に憎むべきは怪獣であるはずなのに、どうして二人が対立するのか、蒼真にはまったく理解できなかった。だからその理由を知りたいと思うのだが……
「仕方ないか」
蒼真は踵を返し、足早に作戦室へと戻っていった。
× × ×
「攻撃開始!」
足摺岬沖二キロの海上に、巨大な角を頭に備えた怪獣ビバレントが、上半身を現しゆっくりと進んでいた。上空のスカイタイガーはその姿を捉えミサイルを発射する。数発のミサイルが命中するも、ビバレントは全く意に介さずなおも進み続けた。
「なんとしてもここで足止めするんだ」
吉野隊長機の指示が無線を通じて芦名機と三上機に伝わった。
「了解」
芦名機がビバレントの眼前を疾風の如く通過した。しかしビバレントはその軌跡を追うことなくまっすぐ陸地へと進み続ける。
「くそっ、こっちには興味なしってことか」
今度は三上機が上空からビバレントに向かってまっすぐに突進し、脳天目がけてミサイルを撃ち込んだ。
「ギャオー」
ビバレントは一瞬足を止めたがすぐに再び海上を何事もなかったかのように進み始めた。
「ダメだ、攻撃が効かない」
三上の声がむなしく無線を通して蒼真の耳に届いた。戦闘の喧騒から少し離れた場所にスカイカイトが浮かび、その中で蒼真はビバレントのことをパソコンのデータを頼りに分析していた。
「三上さん、蒼真です。スカイタイガーに搭載されている神経抑制剤を散布してみてください」
蒼真の指示に対して無線からの応答はしばらくの間途絶えたままだった。
「本当に効くのか?」
無線を通じて力の抜けた三上の声が蒼真の耳に届いた。
「前回とは違い、今回の怪獣のエネルギー量は小さいと分析結果が出ました。なのでやってみましょう」
「まぁ、そう言うことなら、やりましょう」
三上機が再びビバレントの頭上に舞い上がり、そのまま脳天に向かって青いミサイルを発射した。ミサイルはビバレントに命中する寸前に破裂する。中から白い霧が立ち昇りビバレントを包み込んだ。
「さぁ、どうでしょう」
無線から響く三上の冷めた声は変わらなかった。霧がゆっくりと消えていく。その霧が完全に晴れ渡ったビバレントが変わらない姿で立っていた。
「ギャオー」
先ほどにも増して勇ましい咆哮が海上に轟き渡った。
「ほら見ろ。効かないじゃないか……」
三上の勝ち誇った声が無線から聞こえたとき、
「あっ」
芦名の声が三上の声を遮った。
「怪獣が消えていくぞ」
芦名の言う通り、ビバレントの影が薄くなっていく。
「どういうことだ、抑制剤が効いたのか?」
三上の疑問が解消されることなく、ビバレントの姿は海上から跡形もなく消えてしまっていた。
× × ×
若い男が一人、岩だらけの岬の突端で海を眺めていた。近くには誰もいない。さっきまでいた怪獣見物の野次馬たちは、さすがに逃げないと危険だと察したのか、今は内陸へと向かっているようだった。
男は自らの右手に目を落とした。そこには小さなカプセルが握られている。
「便利なもんだな。怪獣がこの中に収められるってことは」
健太はカプセルをポケットに押し込み空を見上げた。空には銀色に輝く機体が飛び回っていた。
「愚かな奴らめ、そのまま海上を探し回るがいい」
そう言い残すと、健太は岩場に背を向けて歩き始めた。
どれくらい歩いたのだろうか、キャンプ場が見えてきた。河川敷には青々とした芝生が広がり、向こう側には滔々と流れる美しい川、四万十川が輝いている。
健太は周囲を見渡した。先ほどの怪獣騒ぎはここまでは届いていなかったのか、子供たちは川辺で水をはねながら遊び、大人たちはバーベキューで肉を喰らい、酒を楽しんでいた。木陰には若い男女が草むらに寝そべり、あるいは肩を寄せ合って語らっている。
先ほどの戦闘がまるで嘘のように大勢の人々が思い思いに自然を満喫していた。
「平和だな」
健太がため息を吐いた。
空は青く、ひばりは絡み合いながらけたたましく鳴いて飛び去っていく。
「こんな世界がいつまでも続けばいいのに」
健太は足を止め、近くの木に寄りかかった。そしてそっと目を閉じた。
「静かだな」
そう思った瞬間、健太の耳にキンキンとした女性の声が飛び込んできた。
「なに、あの女の方が魅力的って言うの!」
「違うよ、あのこの方から声かけて来たんじゃないか」
下手に出る男の声が響く。健太はイラっとして目を開けた。
「ちょっかいかけたのはあんたでしょ」
「そんなことないよ」
「もう、最低!」
「勝手に決めつけんなよ」
二人の会話がその姿と共に次第に小さくなっていった。健太は冷ややかな目でその背中を見送る。
「結局、人は争う。そう言う生き物」
再び健太が周囲を見回した。キャンプ場のあちこちには空き缶が転がり、近くの駐車場には無数の車が並んでいる。さらに遠くに目をやれば、田舎らしい風景の中に観光ホテルの高いビルがいくつかそびえ立っている。
「結局、この自然も人は壊していく。そう、俺が壊したように」
健太は目を閉じた。森で死んでいった動物たちの死骸が目に浮かぶ。そう、人間とはそういう生き物だ。自分の都合で他の生き物やその環境を破壊し、やがて自らの間で争い、自滅していく。
「俺も人間だったのになぁ」
健太が再び大きな息を吐く。
「まぁ、いいか」
再び健太が歩き出した。向かう先はキャンプ場から内陸へと続く山に囲まれた田園地帯だった。彼は田んぼの畦道を横切りながら少ないながらも人家が密集する町へと向かう。町と呼ぶには人の姿が見当たらない。健太が大きな家々の間を縫うように進んでいく。どちらが本筋か分からない分かれ道を通って健太は迷うことなく進んでいった。そして少しだけ車が通れるほどの道幅のある道に出た。
「これか?」
そこには小さな花屋があった。
健太が店を覗くと色とりどりの花束が並べられている。ここにたどり着く前に、田舎にしては大きめの病院が目に入った。自然に恵まれた場所で療養生活を送っていることが伺える。店はその病院にお見舞いに訪れる人々のために、鉢植えよりも花束が多いように感じられた。
健太はゆっくりと店の中に入る。こんな田舎に似つかわしくないほど妖艶な女性が花束を活けていた。
「こんにちは」
健太が小さな声で呼びかけた。
「いらっしゃい」
女性が健太を認識しその大きな眼差しを向けた。健太がその目に吸い込まれそうになる。
「すみません、百合で花束、作ってもらえないでしょうか」
「はい、分かりました」
女性は手際よく奥にあった百合の花を取り出した。
「どれぐらいの量にしておきましょう」
「あ、友達の入院なので、適当でいいです」
「女友達ですか?」
「いえ、男です。なのでほんと、適当で」
女性が笑うと、その妖艶さだけでなく愛らしい笑顔に健太は思わず見とれる。彼は正気を取り戻そうと頭を振った。
「失礼ですが、鳥居彩さんですか?」
女性は驚いて目を見開き、その大きな瞳がさらに強調された。
「あ、はい。私が鳥居彩です」
「すみません、さっき、そこの角で黒い服を着たおっさんに個々の花屋に鳥居彩さんがいるか聞いて来てほしいって言われたんですよね」
「え、」
明らかに彩の表情が強張った。まあ、当然だろう、と健太は思った。なぜなら、身を隠したつもりが宇宙人に自分の居場所がばれてしまっているのだから。
「よければ、ここに鳥居彩さんはいなかったって、黒衣のおっさんに伝えときましょうか?」
「ええ、できればお願いできますでしょうか」
「分かりました。まぁ、どこのおっさんか知らないですけど、正しく答える義理ないですし」
「ありがとうございます」
彩の肩から力が抜けていく。
「まぁ、なんの事情か知らないですけど、気を付けた方が良いですよ。ストーカー男には」
「え、そんなんじゃぁ」
彩は言いかけた言葉を飲み込んだ。おそらく話しても信じてもらえないと思ったのだろう。そりゃそうだ、事実を知らなければ健太だって宇宙人がここにいるなんて信じなかっただろう。
「でも、なんか未練がましかったですよ。もし彩さんがいたら、自分が渡したルビー色の石、持ってるかどうか聞いてこいって。自分がプレゼントしたもの持ってるかって気にするなんて、かなりしつこいやつですね」
「ルビー色の石……」
彩の表情が再び硬くなった。健太自身は黒衣の男からルビー色の石のことについて詳しくは聞かされていなかったが、彩の表情から何か重要な意味があることだけは分かった。そしてその反応からまだ彩が赤い石を持っていることを確信した。
「あ、百合の花束お願いしますね」
「ああ、すみません。すぐご用意します」
彩が手際よく百合の根元を縛り上げている。そして薄いビニールでその束をくるんでいく。健太はその真剣な表情を見て思う。この女性の虜になればどんな男でも抜け出すことはできないであろう。ある意味魔性を感じる。芦名雄介が自らを律し彼女から離れたのは正解、なのかもしれない。
「千五百円になります」
健太はポケットから千円札と五百円玉を取り出し彩の笑顔を見て自らも笑顔を浮かべた。しかしその笑顔が形だけのものであることに気付く。
「レシートとかいらないんで。これで」
「ありがとうございました」
彩が深々とお辞儀をすると、健太は店をあとにした。
しばらくして健太が振り返ると、彩は店の外に立ち周囲の様子を伺っていた。
「慌てなさんな、すでにバレてるんだから、あとはあの黒衣のおっさんがどうするか、そこまでは聞いてないけどね」
× × ×
「フレロビウムの検知装置の増産が終わって、スカイカイトとピンシャーに搭載しました。また警察庁に協力を求めて、各県警のパトカーに搭載してもらうことになりました」
作戦室のモニタには蒼真の指示通りの計画案が映し出されていた。吉野隊長、芦名、三上、そして田所が真剣な表情で画面に集中している。
「この計画が実現できれば、怪獣になる前のフレロビウムが見つかるかもしれません。そうなれば怪獣被害を未然に防ぐことができます」
蒼真の言葉に吉野隊長は深く頷いた。
「蒼真君、よくやってくれた」
「謎の少女の存在も市民に周知できたし、これで怪獣化する人も減るはずだしな」
田所がにこやかな笑顔で話の流れを和ませた。その瞬間、芦名は腕を組みながら周囲に聞こえないように小さな声でつぶやく。
「この世から怒りが消えない限り、怪獣化する人は減らない気がする」
蒼真は芦名の声を聞き逃さなかった。
「僕も芦名さんの意見に同感です。怒りを持つ人がいなくならないとすると」
蒼真がモニタ画面を操作し次の映像に切り替える。画面の中心には銀色に輝く謎の宇宙船が浮かび上がった。
「この前のデモ隊へのフレロビウム散布の件でも分かる通り、宇宙船を見つけないと確実に怪獣化を防ぐことはできないと思います」
それを聞いた三上が険しい顔で、
「それに、怪獣には怒りを抑える抑制剤が効かなかった。だとすると、怪獣化する前に防ぐしか方法がない。だからそのもとになる宇宙船を見つける必要性があるということか」
「その通りです」
蒼真が頷く。
「とは言え」
吉野隊長は重くなりかけた空気を一変させるかのように力強く口を開いた。
「今できることは、この検知器を使って早期にフレロビウムを発見することだ。そのことで宇宙船の居場所を特定することもできるかもしれない。田所!」
「はい」
「整備班に依頼して、この検知器をすべてのスカイカイトに装着するようお願いしてきてくれ」
「了解」
「検知器を搭載したスカイカイトで上空でのパトロールを強化する。各隊員はその準備を進めてくれ」
「はい!」
各隊員の声が揃う。
「そして蒼真君」
「はい」
真剣な面持ちの吉野隊長に臆することなく蒼真が応じた。
「蒼真君にはすまないが、しばらく科学班に留まっていてほしい。検知装置の開発のためにMECに来てもらった経緯から考えれば、本来ならばお役御免なはずなんだが、まだ怪獣に対する効果的な攻撃方法がないなか、やはり今まで怪獣と戦った経験が重要だ。だから君には残ってほしいんだ」
蒼真は間髪を入れずに即答した。
「承知しました。僕もそのつもりでしたから」
「そうか、ありがとう」
蒼真の周りにいた隊員たちが一斉に彼を取り囲んだ。
「これからもよろしくな」
「頼むよ」
「期待してるぞ」
各々が彼の肩を叩く。
「こちらこそありがとうございます。いや、研究室に戻っても美波がうるさいんで、ここの方が居心地いいですよ」
照れながら蒼真が笑った。
× × ×
夏の強い日差しはよしずによって柔らかな光となり、六畳の和室に優しく射し込んでいた。部屋の中心には小さな座卓が静かに佇んでいる。その前には白いTシャツを着た彩が座り、座卓の上に置かれたルビー色の石をじっと見つめていた。
「この石を見ているとなぜか心が落ち着くの」
窓辺に掛かる風鈴が澄んだ音色を奏で彩の耳に優しく届く。部屋の隅に置かれた扇風機が彼女の髪を軽やかに揺らし、その心地よい風が夏の暑さを和らげていた。東京にいた日々、こんな静寂と平穏を感じることなど想像もしなかった。ついこの前まで目まぐるしい日常の中でただ時間に追われ、こんなに落ち着いた瞬間を過ごすことなどなかった。だが、今は違う。
「初めてこの石を見たとき、芦名さんへの恨みが消えた。何かイライラした感情がまるで吸い取られるように消えていった」
彩はじっと石を見つめる。
「今は時間にも追われず、イライラすることもなく、日々の生活が落ち着いている」
彩がここに来たのは、以前仕事で一緒になった看護師の友人からの誘いだった。実家の両親が年老いて、店を閉めることを憂いて帰郷する話を聞いたのがきっかけだった。その当時、彩は仕事だけでなく芦名のことで心を痛めていた。芦名のことを詳しく語ることはなかったが、彼女が何かに悩んでいることを察したその友人は一緒に花屋を営まないかと誘ってくれたのだ。彩は芦名と離れることで悩みが解消できるかもしれないと考えその誘いに乗ることにした。
「なんなんだろう……」
彩はここに来る前にこの石を捨てるつもりでいた。芦名に関わるものはすべて手放す決意をしていたのだ。ペンダントもブローチも返したのにこの石だけは手元に残っていた。
石を見つめていると心が静まり返る。しかしその静けさが何を意味するのか、彩は分からなかった。穏やかな日々のなかにふと湧き上がる寂しさ。それは都会に戻りたいという欲求ではなく、胸に空いた穴が彼女の心を不安定にしていたのだ。
「違う、私は芦名さんと離れるべきだったのよ」
彩は芦名をどれだけ恨んでいたのか、今となっては分からない。ただ一つ言えることは彼に対する怒りが彼を傷つける恐怖があったことだ。周りには怒りに支配されてしまった人もいた。自分もそうなるのではないかという不安、いや、それ以上に自分が芦名を傷つけてしまうかもしれないという恐れがあったのだ。
風鈴の音が響き、風がよしずに当たり光の方向が変わる。その瞬間、ルビー色の石の光が彩の目に飛び込み彼女の心をざわめかせた。
「もう会わない、そう、もう会わないんだから関係ない」
彩の脳裏にふと芦名の笑顔が浮かんだ。その瞬間、彼女はそれを振り払うように頭を強く振った。
「忘れよう、忘れるの。でも……」
さっきの若い男が言っていた黒衣の男が彩の心に引っかかっている。宇宙人に自分の居場所が知られているのだろうかという不安が胸の奥でじわじわと広がっていく。
「怖い……」
彩は思わずルビー色の石を胸に抱きしめた。
「だめ、連絡できない」
彩が手の中の石をじっと見つめる。その鮮やかな赤が彼女の目に映り込むと、不思議と不安が解消されていくのを感じた。
「大丈夫、きっと大丈夫」
彩はひとり静かにその言葉を口にし続けた。耳をすませば風鈴の音が微かに響き、彼女の心に少しの平穏をもたらしていた。
× × ×
四万十川の中流、不沈橋と呼ばれる欄干のない橋に芦名と蒼真が立っていた。夏の青空から降り注ぐ強い光がふたりを照らし続けている。遠くを見つめるふたりの前では子供たちが騒ぎ、橋から川へと次々に飛び込んでいた。
蒼真がその方向に顔を向けると、一人の男の子が取り残されているのが見えた。橋の下からは早く来いという声が響くが男の子は躊躇していた。勇気を出して一歩を踏み出そうとする、しかしその足は動かない。
川で泳いでいる子供たちから、「いける!」「がんばれ!」と励ましの声が飛ぶ。蒼真も心の中で「がんばれ」とつぶやいた。少年は意を決したように足を踏み出し、そのまま勢いよく川へと飛び込んだ。青い空に向かって小さな体が跳び、川の水面に大きな水しぶきが上がる。やがて浮かび上がってきた少年の顔には満面の笑みが広がっていた。
「暑いですね」
蒼真は少年たちが川に飛び込む様子を見つめながら額の汗をぬぐった。
「確かに」
芦名が周りの山々を見渡しながら答えた。
「蒼真君、フレロビウムの反応があったのは本当にここなんだね」
「えゝ、間違いないです」
昨夜、高知県警のパトカーに搭載されていた検知器がフレロビウム反応を検出した。すぐにMECに通報が入り、蒼真と芦名が現地に派遣されることとなった。
「どう見ても怪獣がいそうにないが」
蒼真は腰に着けていた検知器を手に取り周囲にかざしてみた。針が微かに揺れる。
「反応があります」
微量ではあるが確実に反応があった。蒼真は検知器を見つめながら反応のある方向へと足を進めた。背後からは変わらず楽しげな少年たちの笑い声が聞こえてくる。
「この辺りで消えてるな」
橋のたもと辺りで蒼真の持つ検知器の針が静止した。芦名がすぐにそれを覗き込む。
「どういうことだ?」
「ここで上空に上がったか、川に入っていったか、でしょうね」
「うむ、この先は追跡不可能か」
芦名はそう言うとすばやくMECシーバーを取り出した。
「こちら芦名、本部、応答願います」
『こちら吉野、どうだ、状況は』
「確かにフレロビウムの反応はありましたが、途中で反応が消えました」
『そうか、了解した。上空にいるスカイカイトの三上には川の上流を探索させる。君たちは川に沿って下流の町に向かってくれ』
「了解」
蒼真は吉野隊長の言葉に頷き、芦名のあとについて近くに駐車してあったピンシャーに乗り込んだ。芦名が車を発進させると道は川に沿って続いている。蒼真は横に流れる清流を眺め、その美しさが一瞬仕事を忘れさせてくれた。しかし反対方向に顔を向けると真剣な表情でハンドルを握る芦名の姿が目に入る。
「くどいようですけど、彩さんを探さないで良いんですか?」
「確かにくどいなぁ」
芦名はハンドルをこまめに操作し川沿いの曲がりくねった道を走り続けた。
「彩さんが本当に芦名さんのことを恨んでいるなら、芦名さんの前から消えないですよね」
「?」
「多分彩さんは芦名さんを憎みたくないんですよ。だから姿を消した」
芦名はまっすぐ前を見つめたままハンドルを操り続ける。道は曲がりくねり、蒼真の体も左右に振られる。
「ならば、それでいいじゃないか。人を恨んで生きていくなんて、彼女の人生になんの得にもならない」
「違いますよ。彩さんは芦名さんのことが好きだから、傷つけたくないから姿を消したんですよ。今まで自分の周りで人を恨んで相手を傷つけた人を一杯見て来たから、だからそれを恐れたんだと思います」
「……」
芦名はしばらく黙り込んでいた。やがて道がまっすぐに伸びる。これまで道の両脇を覆っていた木々が一気に開け、周囲は田畑へと変わった。そして家もぽつぽつと見え始めてきた。
「もしそうだったとしても、彼女は自分のそばにいるのが苦しいんだよ。ならばどちらにしても自分のそばから離れるべきだし、そう彼女が選択したならそれを尊重すべきだ」
町に着くと川沿いの道路にピンシャーが止まった。芦名がパーキングブレーキを引く。
「僕はそんな彩さんを救えるのは芦名さんしかいないと思ってますよ。芦名さんは逃げてます。逃げないでください」
芦名は無言のままピンシャーを降りる。蒼真もそのあとに続いた。
「蒼真君の言う通りかもしれない。ただこれだけは言える。誰かを好きだったとしても救えないときがある」
蒼真はハッとした。芦名はかつて恋人を事故で失ったのだ。彼はその命を救うことができなかった。その女性は彩に瓜二つ。
「さぁ、聞き込み開始だ。任務以外の私語はこの先禁止だ」
芦名はそう言って家々が並ぶ田舎の町へと踏み込んでいく。町には人影はほとんどなく静まり返っていた。たまに荷物を積んだ軽トラックが通り過ぎるだけ、それほど町は静かだった。
「あそこに病院がありますね」
蒼真が指を差した先には古びた建物が田んぼの真ん中にひっそりと建っていた。
「なにか聞けるかもしれない」
芦名が歩き出したとき、
「待ってください。あそこに花屋がありますよ。あの店から先に聞きませんか」
蒼真が別の方向を指差すと、芦名はその指の先を見つめた。家々の隙間にひっそりと佇む花屋があり、その小さな店先には色とりどりの花が活けられている。
「そうだな、あっちから先に聞き込むか」
二人が花屋を目指して歩き出したとき、芦名のMECシーバーがけたたましく鳴った。
「はい、芦名です」
『吉野だ、四万十川の河口付近に怪獣が出現した。至急現場に向かってくれ。三上たちは先に向かっている。田所もスカイタイガーで出撃した』
「了解です。こちらも現場に向かいます」
蒼真は自らのMECシーバーを手に取り、吉野隊長に連絡を取った。
「蒼真です。僕も現場に向かいます」
『君は危険なので退避してくれ』
「いえ、僕もMECのメンバーです」
『分かった。気を付けて』
「了解」
芦名と蒼真はピンシャーに駆けつけ急発進した車は川に沿って下っていった。
× × ×
怪獣が一歩、また一歩と海岸線に近づいていく。海岸沿いはパニックに陥った人々が右往左往し、逃げ惑う人々の間を縫うようにしてピンシャーが海の手前で停止する。車からは芦名が飛び出した。
「蒼真君はここにいてくれ」
蒼真もピンシャーから降りる。怪獣はすぐそばまで近づいていた。
「分かりました。芦名さんもご無事で」
「ありがとう」
芦名は怪獣に向かって駆け出す。その後ろでは蒼真がピンシャーに戻り検知器を取り出した。検知器の針は狂おしいほどに振り切れその反応が確信を与えた。
「間違いない、県警からの連絡にあった怪獣はこいつだ」
「それが阿久津蒼真先生ご自慢のフレロビウム検知器ですか」
その声に驚き蒼真は反射的に振り向いた。彼の後方に以前どこかで見たことのある男が立っている。
「君は?」
「忘れたか?」
男はニヤリと笑った。
「君は、確か、富士山麓の樹海で見かけた」
「そう、樹海に産業廃棄物を捨てる手伝いをした男さ」
健太は不敵に笑みを浮かべている。
「どうして君がここに」
「まぁ、通りすがりってやつかな」
「?」
「まぁ、お前と違って俺は自由だからな」
健太は変わらぬ笑みを浮かべた。その表情からは彼の言葉が冗談なのか本気なのか判別できなかった。
「どうして逃げない!」
「逃げてどうする。さっきも言っただろう、俺は自由なんだ」
質問の回答にしては肩透かしを食らった感じがある。蒼真がそれでもさらに質問を重ねた。
「どうしてこれがフレロビウム検知器だと知っている? 一般人ならそんなこと知らないはずだ」
「一般人か、エリートらしい言い分だな」
「なに!」
蒼真がムッとする。
「そう怒るなよ。聞いたんだよ、黒い服を着たおっさんに」
「黒衣の男」
蒼真の心に彩から聞いた宇宙人の話が蘇った。
「そのおっさんが何者かは知らないが、俺に廃棄物を捨てるよう指示した大人より信用できるやつだ。なんたってこの地球の将来を心配しているんだから」
「人類がこの地球を破滅させるって話か?」
「まぁ、そんな話だったかな。俺にはまったく興味なかったんで話半分で聞いてたんだがな」
健太の能天気な意見にさらにムッとする蒼真が声を荒げる。
「だまされるな、その男は地球を征服するために……」
「そうかぁ」
これまで笑顔を浮かべていた健太の表情が一瞬にして真剣なものに変わった。
「俺は人間を信じていない。今まで生きてきて信頼できる人間は誰もいなかった。みんな自分が大事で、他人なんてどうでもいい。人を陥れ、その人間が死のうがどうしようがどっちでもいい。そんなやつばかりだ」
「それは違う!」
蒼真の目がキッと睨みつける。
「僕はいろんな人に助けられてきた。今でも仲間が戦っている」
蒼真が振り返ると、そこには怪獣の頭上を旋回するスカイタイガーの姿があった。その瞬間、怪獣の口から火炎が放たれ、田所機は辛くもその攻撃をかわす。
「確かに仲間は大事だな。でも最初はお前だってMECに巻き込まれることを嫌ったじゃないか。自分のやりたいことを二の次にして戦うことを嫌った。できれば自分以外の人間が戦ってくれることを望んだ、違うか!」
「それは……」
蒼真は次の言葉を探し求めたが、喉の奥に言葉は詰まった。
「それにMECも同じだ。民間人のお前を巻き込むのは自分たちに都合が良いからだ」
「違う、僕は、僕は自分の意志で戦っている」
蒼真が言葉を絞り出し答える。
「ほう、そうなんだ。俺はお前が戦っている理由は母ちゃんが戦え、って言っているからだと思ってたよ」
「なんで、なんでそれを知ってる!」
蒼真が健太ににじり寄る。
「おっと」
健太はすばやく身をかわし一歩後退してから鋭く蒼真を指差した。
「母ちゃんの言うことに素直に従って、周りの人から頼られる形で利用される、そんな良い子を見てると虫唾が走るんだよ」
健太がニヤリと笑う。
「俺はお前とは違う。俺は、俺のために生きていく。俺は自由なんだ」
そう言うとくるりと蒼真に背を向け、
「あばよ、また会おう!」
と言い終えるや否や蒼真を一人残し、健太はその場を駆け出した。
「待て!」
蒼真が慌てて追おうとする瞬間、背後で爆発音が響き渡った。振り返るとスカイタイガーが炎を上げながら墜落していく光景が蒼真の目に飛び込んできた。
「田所隊員!」
墜落するスカイタイガーの近くでパラシュートが開いた。
「くっそ!」
蒼真の腕時計が青く光り輝く。走り去る健太への思いが一瞬よぎったが、今は目の前の怪獣を倒すことが最優先だ。蒼真は決然と右手を高く掲げた。
ビバレントが海上で咆哮を轟かせる。ネイビーは陸地から勢いよく海へ飛び込み、空中からビバレントの頭に強烈なキックを叩き込む。
ビバレントは海の深淵へと沈んでいく。海上に降り立つネイビー、その足をつかむ者が現れた。再び姿を現したビバレントがネイビーの足をつかみ、大きく回転して激しく振り回す。その勢いのまま手を放つ。ネイビーは空中高く放り出され、海面に叩きつけられた。
ビバレントが海上で浮かび上がろうとするネイビーに覆いかぶさる。ネイビーは再び海の中に引きずり込まれた。ビバレント自身も海中へと潜る。そして海面に顔を出そうとするネイビーの足をしっかりとつかみ、そのまま深い海底へと沈んでいった。
「息ができない」
ネイビーは必死にもがき、足をばたつかせながらなんとかビバレントの束縛から逃れようとした。肘でビバレントの腹を力強く殴ったものの怪獣は微動だにしなかった。
「苦しい……」
ビバレントはネイビーを抱えたまま深海へと沈み込み、青い海は次第に暗い深淵の青へと変わっていった。意識が遠のいていく……
そのとき、暗い海の中に一筋の赤い光が近づいてきた。ネイビーの体が紫紺に輝き、その右手から赤い光が放たれると、ビバレントは勢いよく弾き飛ばされた。解き放たれたネイビーは急いで海面を目指し、ビバレントがそのあとを追いかけた。海上から上空へ飛び上がったネイビー、その右手には赤々と光るサーベルが握られている。ビバレントが海上に浮上した。
その頭上にネイビーがサーベルを振り下ろす、ビバレントは真っ二つに引き裂かれた。ネイビーの左手から青い光線が放たれると、二つに裂かれたビバレントの体はゆっくりと消えいく。
その後には静かに波立つ青い海が輝いていた。
× × ×
怪獣が消え去った海、先ほどまでの喧騒が嘘のように静けさを取り戻した波が護岸に優しく打ち寄せていた。その波打ち際に立つ蒼真は青く澄んだ空と白い雲、そして子供の頃から見てきた夏の海の風景を見つめていた。
「この美しい風景がいつまでも続きますように」
蒼真は心の底からそう思った。が、ふとした瞬間にあの男の顔が脳裏に浮かび上がった。
「一体、あの男は何者なんだ」
波しぶきが蒼真の顔にかかり、彼の頬を濡らした。
「彼が何者であろうと、彼と僕は違う。僕は人類を信じる、なぜなら仲間を信じているから。彼らと戦う。そして宇宙人からこの地球を守る」
蒼真は口を固く結び、目の前に広がる海をじっと見つめ続けた。
「よっ」
背後から芦名が蒼真の肩を優しく叩いた。その瞬間、蒼真が振り向くと、その顔には笑顔が戻った。
「後片付けは終わった。さぁ、帰ろう」
「そうですね、今回の怪獣の分析もしないといけないし」
「えらく仕事熱心だな」
「え、前からですよ」
「そうだったけ」
蒼真がムッとする。
「当たり前じゃないですか、僕もMECの人間ですよ」
「そうだな」
芦名が嬉しそうな笑顔をしている。
「それに昔から仕事熱心って研究室でも有名だったんですから」
「そう言えば、美波ちゃんもそんなこと言ってたっけ」
「美波のことはいいです。それより彩さんのこと」
「帰るぞ」
蒼真の言葉を遮って芦名はピンシャーに向かう。
「待ってくださいよ」
蒼真が芦名を追う途中、その目の端に美しい女性の姿が微かに映り込んだ。
「?」
蒼真がその女性に目を向けようとした瞬間、鋭いピンシャーのエンジン音が耳に飛び込んできた。
「まさか、こんなところに彩さんがいるわけがない」
そう考えた蒼真はすばやくピンシャーに駆け寄り車に乗り込んだ。
《予告》
文学賞を受賞した恭一が思いを寄せる女性いずみ。だが彼女は稲垣と結婚している。思いを捨てきれない恭一のもとに稲垣の事故の知らせが。そのとき恭一の中で何かが変わる。次回ネイビージャイアント「最善の選択」お楽しみに