第十四話 快適な生活
♪小さな生命の声を聞く
せまる不思議の黒い影
涙の海が怒るとき
枯れた大地が怒るとき
終わる果てなき戦いに
誰かの平和を守るため
青い光を輝かせ
ネイビー、ネイビー、ネイビー
戦えネイビージャイアント
「明かりを点けて」
『分かりました』
今まで暗闇だった部屋に明かりが点く。そこはよく整理されたリビングが、と言うよりも先々週、部屋を夏仕様に衣替えして片付けたあとから変わっていない、ここへは眠るために帰ってくるようなものだからそのときのそのままなのである。
彼女はふーっと息を吐く。そして靴を脱いで部屋に入る。フローリングの床はお掃除ロボットが彼女のいない間にピカピカにしてくれていた。
そのままソファーに倒れ込んだ百合はクッションを抱きしめた。
「疲れた……」
『お好きなアーティストの曲をおかけしますか?』
ソファーの前に置かれたテーブルの上、高さ三十センチほどの人型ロボットが話しかけた。そのロボットは四角い顔と胴体、そして短い足を持ち、どこか愛嬌がある。顔はディスプレイになっており、線と点で表情を作り出している。
「お願い」
百合の言葉に真四角の顔に (^-^) と笑う顔が表現された。やがて百合の好きな男性ボーカリストが所属するバンドの曲が流れ始める。
『お風呂に入りますか? シャワーにしますか?』
「お風呂に入りたい」
『ではお湯をはります』
ロボットの言葉に答えようとせず、百合は仰向けになって天井を見つめた。
「ったく、あの子は…」
今日は良いことがない日だった。三年後輩で一緒に仕事をしている美穂のミスを補うために奔走したからである。
「それをやっちゃだめだって言ってたのに」
百合はイラっとして左手でソファーの背もたれを力任せに叩いた。少し埃っぽいものが舞ったが、すぐにそばの空気清浄機がそれを吸い込んでくれる。
「なんで言うこと聞かないかなぁ」
百合は六年前にコンピュータシステムを開発する会社に入社した。田舎から出てきた当初は仕事に不慣れでうまくいかないことも多かったが、今では独り立ちし後輩の面倒を見ながらプロジェクトを進めている。仕事に充実感はあるものの、上から降りてくる仕事量とともに、思い通りにならないことが増えてきた。そのことと比例して彼女のストレスもたまっていった。
昨日の客もほぼ言いがかりだった。使いにくいと言うだけで開発費を返せと叫んでいた。隣で上司が平謝りしていたがなぜ謝るのか? こちらが悪いわけではないはずだ。出来の悪い後輩に無能な上司、無関心な同僚たち、そしてわがままな客たち。
ふと近くの飾り棚に目をやるとそこには広い草原をバックに学生時代の友達と映っている写真があった。百合の隣に映る爽やかそうな青年は彼女の元カレである将大だ。百合の表情が少し曇る。
彼女が育ったのは何もない田舎だった。だから都会に出て便利な暮らしがしたいと願い、少し親にも無理を言ってこのマンションを借りた。しかも会社のテストハウスということで家具付きの広い部屋を格安で借りることができた。
テストハウスとは最新のAI技術を使って音声認識で家事を行ってくれる部屋である。彼女の言うことはAIロボットアネックスが認識し、それに伴って部屋中の家電が自動で動く。問題があれば会社に報告し修正を加える、彼女の会社が進める新規事業の一環なのだ。
「こんないい部屋に住まわしてもらって申し訳ないけど、どうにかならないかしら、ほんとイライラする」
写真の中の百合が笑っている。辞めたい、正直そう思うことが山のようにある。しかしあの何もない田舎に戻りたくない。この生活は手放したくない。でも……
「あー、もう嫌だ」
百合の声が部屋に響く。
『明かりを少し暗くしましょうか?』
コンピュータの独特の乾いた声がした。しかし百合には心のこもった暖かい声に聞こえる。
「お願い」
部屋の明かりが間接照明に切り替わる。
「ほんと、私のために仕事をしてくれるのはアメックスだけ」
百合が四角い顔に微笑みかける。アメックスが(^-^)で微笑み返した。
× × ×
MEC科学班の実験室。いつもならば実験器具が並んでいる机の上に今日は大きな肉片が鎮座していた。少し焦げ跡があり気持ちの悪い触手のようなものも見える。一目で異様な生物のものと分かる。
肉片を囲むように吉野隊長、芦名、そして蒼真が神妙な顔つきでその肉片を睨んでいた。蒼真がその異様なものを指差しながら、
「昨日、僕の前で宇宙生物が怪獣化したんです」
蒼真が手元のパソコンを見ながら説明を続ける。
「この肉片からは地球上の生物とは違うケイ素系化合物が見つかりました。なのであの黒衣の男が言っていたことは間違いないと思います。これは宇宙生物の肉片です」
吉野隊長は腕を組み、肉片をじっくりと眺めていた。その目には疑念と興味が交錯しているようだった。
「うむ、宇宙生物とは穏やかではないな」
「太陽系に地球以外生物がいる可能性はゼロではありません、やはり他の恒星系から来た生物と考えるのが自然かと。だとするとあの宇宙船も他の恒星系から来ていると考えるべきかと」
「やはり黒衣の男は宇宙人に間違いない、そう言いたそうだな」
「おそらく」
蒼真がパソコンから目を放し吉野隊長たちを見る。
「宇宙生物とフレロビウムとの結合がどのような怪獣を生み出すのかはまだよく分かりません。ただ今までと違って未知の生体のため攻撃方法も変えなければならない可能性があります」
「彼らはさらに強力な怪獣を生み出した可能性があるということか」
「否定はできません」
蒼真が首を軽く横に振る。
芦名がかがみこむように肉片を覗き込んだ。
「フレロビウムの影響で凶暴化したわけか。どこの星から連れてこられたんだろう、かわいそうに」
その言葉に蒼真の心がざわめいた。確かにこの生物は宇宙人に無理やり地球に連れてこられたのだ。そのことで怒り怪獣化してしまった。自分はまた罪のない生き物を殺してしまったのか。
芦名が立ち上がる。
「まぁ悪いのは宇宙人だが」
芦名の言葉が蒼真の心に深く刺さる。少し心が軽くなった。そうだ、悪いのは宇宙人だ。こんな犠牲者を出さないように早く黒衣の男を捕えなければならない。そう思い、気持ちを切り替えた蒼真はパソコンに目をやりキーボードを叩き始めた。
「ん?」
蒼真が見ていたパソコン画面が固まった。
「あれ、なんか調子悪いな」
「どうした」
吉野隊長が問う。
「このシステムソフト、バグってそうなんです。計算がしきれなくって暴走したようです」
「このあいだ三上もソフトが動かないって怒ってたなぁ」
芦名が蒼真に近づきパソコンを覗き込んだ。蒼真は一旦パソコンの電源を切り、再起動をかけた。
「そうなんですよね、ここ最近、こんなことがよく起こる」
「誰なんだ、そんなソフトを作ったのは」
吉野隊長は眉をひそめる。蒼真が再起動されたパソコンで計算ソフトを立ち上げ直した。
「聞くところによると、去年ぐらいから防衛隊も経費削減でこの辺りのシステムソフトは民間企業に委託しているらしいですよ。とりあえず担当の方には僕から連絡しておきます」
再びシステムが立ち上がった。蒼真はそれを確認しキーボードを叩き始める。入力された数字が次々と画面に表示されていく。
「とにかく、今後どんな凶暴な怪獣が現れるか分からん。蒼真君、例のフレロビウム検出器の増産計画はどうなっている?」
吉野隊長の問いに蒼真がパソコンを操作しながら答える。
「まもなく数台の試作が出来上がります。でき次第スカイカイトに搭載します」
「頼むぞ」
「はい」
吉野隊長が蒼真の肩を叩く。その蒼真が小首を傾げた。
「また、固まった」
× × ×
「誠に申し訳ございません」
午後六時、蒼真が帰途に着こうと防衛隊基地のエントランスを通り抜けようとしていたとき、半袖のワイシャツを着た男が防衛隊の制服を着た女性に頭を下げているのが目に入った。
制服の女性に蒼真は見覚えがあった。先ほどシステムの不具合を相談した担当の隊員だった。そんな彼女にひたすら頭を下げる男の横には、白いシャツに紺のスカートをはいた女性が立っている。彼女の表情はどこか不服そうだと蒼真には思えた。
「ほら、川本君も謝って」
上司なのだろう、ワイシャツの男がとなりの女性の肩を押す。
「申し訳ありませんでした」
部下らしい女性が深々と頭を下げた。
「まぁ、大きな不具合でもなかったので今回は良いんですけど」
女性隊員が腕組みをしながら答えた。
「システムが狂えば怪獣に対する攻撃に影響してしまいます。最悪はたくさんの人たちが被害に遭うことになります。今後このようなことがないようよろしくお願いします」
「申し訳ありません。以後このようなことは……」
ワイシャツの男がさらに頭を下げる。隣の女性の表情は依然として不服そうで、唇がやや歪んでいる。女性隊員がさんざん苦言を呈したあと、腕組みを解いて
「今日はご苦労様でした。お帰りはあちらの出口からお願いします」
そう言い残すと女性隊員が二人をおいて基地の中へと去っていった。
「頼むよ、川本君。防衛隊の仕事はわが社にとってドル箱なんだから、今の世の中怪獣退治のためなら金に糸目はつけないからね。多額の税金投入が国民総意で許されてる、仕事から外されると大打撃になるんだから、ほんと頼むよ」
ワイシャツの男がぶつぶつと隣の女性に語り掛けている。
「でも、あの不具合は私ではなくって、後輩の北口が……」
女性はさらに口を尖らせながら反論する。
「そのチームのリーダは君なんだろう。頼むよ、君を今回のプロジェクトリーダーに推したのは僕なんだから。これでなにかあったら僕の評価まで下がる」
男は変わらずぶつぶつしゃべっている。
「はぁ」
女性は明らかな侮蔑の表情を浮かべた。その表情は、彼女の不満と苛立ちを如実に物語っていた。
「とにかく、MECの仕事は大事なんだから、なんとか仕事を回してもらわないと。君も六年目なんだからそこのところ考えて仕事してくれよな」
ワイシャツの男は女性の肩をポンポンと軽く叩き出口に向かっていった。蒼真は何となく気になってその様子の一部始終を見ていた。システム会社の人も大変だなぁ、そう思いながら残った女性を見る。彼女はその場で固まったように動かない。おそらく怒っているのだろう。そもそも自分のミスではないのに、後輩のミスも後始末しなければならない。上司からの理不尽な要求も聞かないといけない。
「大変だなぁ、自分はサラリーマンでなくって良かった」
蒼真が自分のことを見ていることに気付かず女性はひとり立ちすくんでいた。彼女はおもむろに鞄の中から何かを取り出す。蒼真は遠くからなので何を取り出したかは分からないが、彼女はそれを手に握りしめながら見つめている。蒼真にはそれが袋のように見えた。
そのときだった。蒼真の左手が熱く感じる。見ると腕時計が青く光っている。ハッとなって女性の方を見ると、彼女は今まさに手に持っていた袋を開けようとしていた。
「だめだ、その袋、開いちゃだめだ」
蒼真は駆けだし女性に飛びついた。
「キャー、なにをするんですか!」
女性の悲鳴を聞いて警備員が詰所から飛び出してきた。
「阿久津隊員、どうしたんです!」
顔なじみの警備員が大声をあげる。
「彼女の手に持っている袋を取り上げて! 早く!」
蒼真の叫びに反応し、警備員が女性を取り押さえた。
「なに! なにするんですか!」
女性が叫ぶ。しかし明らかに多勢に無勢、あっさりと女性の手にあった袋は取り上げられた。
「私のよ、返して!」
蒼真は立ち上がり腰のポーチからフレロビウム検出器を取り出した。そして彼女から取り上げた麻袋に検知器を向ける。すると検知器からけたたましい警戒音が鳴り響いた。
「すみません、その女性の身柄を確保してください」
蒼真は後から駆けつけてきた警備員に告げた。
「いや、放して」
女性は必死に抵抗している。周りにいた人たちも集まってきた。奇異の目で女性と蒼真を遠目で見ている。
「それとMECの吉野隊長と芦名隊員に科学班の実験室まで来てもらうよう連絡をお願いします」
「はっ」
警備員は急いで詰所に走っていく。
「返して、それは私のよ、返して!」
女性は変わらず叫んでいる。蒼真は彼女のことを気にせず、手に持った麻袋を科学班実験室へ運んでいった。
× × ×
「明かりを点けて」
帰ってきた百合はそのままソファーに倒れ込んだ。
今日は防衛隊でひどい目にあった。不具合について散々嫌味を言われ、大事な麻袋も取られ、挙げ句の果てに尋問まで受けた。まるで重大事件の罪人のように扱われたのだ。
「アメックス、音楽を流して。思いっきりロックな曲を」
『分かりました』
部屋の中を大音響が響く。
「どうしよう、なくしちゃった。あの子には申し訳ないことしたかしら」
それは先週のことだった。その日もプロジェクトが進まずイライラしながら帰宅する途中だった。マンションに入ろうとエントランスのオートロックを解除しようと番号が書かれたボタンを押そうとしたとき、ふと目の端に白いものが入った。ハッとして横を向くと、そこには白いワンピースを着た少女が立っていた。
「どうしたの、こんなところで」
時間はとっくに十時を回っている。小学生がこんなところにいるなんて。百合は不信感と、親は何をしているのか、という感情に襲われた。
「おねえさんが怒っているから、会いに来てあげたの」
「?」
百合は少女の言うことが理解できなかった。
「だって、おねえさん、仕事がうまくいかないでイライラしてるでしょ」
「どうしてそれを」
百合が目を丸くして少女を見つめる。
「分かるの、私。だからおねえさんに良いもの持ってきてあげたの」
少女は手に持っていたものを百合に差し出した。
「なにこれ?」
少女が持っていたのは薄汚れた麻袋だった。
「これはね、おねえさんが怒りでどうしようもなくなったときに開くものなの」
「どうしようもない?」
「そう、怒りが爆発しそうになったら開いてね」
そう言う少女の手から百合は麻袋を受け取った。
「いい、どうしょうもなくなったときだけよ。それ以外は開かないでね」
「開くとどうなるの?」
「それは内緒。でもおねえさんの怒りはきっとそれで解消できるわ」
少女が笑みを浮かべる。そのどこか冷たい笑みに百合は身震いした。
「どうしようもないときか」
百合が麻袋を見つめる。今日もイライラしているが怒りが爆発するまでには至っていない。でも、きっとすぐにそんな日が来る気がする。
「ありがと……」
再び少女に目を向けたとき、そこに少女の姿はなかった。
「あの子はなんだったんだろう。でもあの袋、防衛隊に差し押さえられちゃった。一体なにが入ってたんだろう」
百合は目を閉じ今日あった出来事が再び頭をよぎる。あの嫌味な女性隊員、急に飛びついてきた若い男。彼女の中で再びイライラが募り始めた。
「あーあ、あの麻袋があったら、このイライラ解消してくれるのかしら」
百合はソファーを力いっぱい叩いた。
「アメックス、私の麻袋、取り返してきて」
『先ほど小学生ぐらいの女の方が、代わりの袋を持って現れました。机の上に置いてあります』
百合は飛び起きテーブルを見る。確かにそこに麻袋が置いてある。
「すごい、アメックス! やっぱりあなたは人間以上に素晴らしい。誰よりもすてきなパートナーよ」
『ありがとうございます』
麻袋の横にいたアメックスの四角い顔に (^-^) が表示される。
「そう、人間なんて信用ならない。自分さえよければよい。ちっとも私のこと考えてくれてない。それに比べてアメックスは誰よりも私のこと、考えてくれる」
百合もアメックスを見て微笑んだ。
そのとき玄関のベルが鳴った。アネックスの顔がマンションのエントランスに備えられたカメラで来客者を映し出す。
「北口……」
百合の顔が歪む。
「どなたですか?」
『北口です』
「どうしたの?」
『今日のこと先輩に謝りたくって』
「もういいよ、気にしてないから」
『いえ、どうしても謝らせてください』
百合は一瞬躊躇したが、
「アメックス、ドアのカギを開けて」
『はい』
百合はさっとテーブルの上に置いてあった本や雑誌を片付けた。玄関のベルが再び鳴る。百合がゆっくり扉を開けると、気弱そうな若い男が立っていた。
「こんばんは」
不審そうな百合の顔を見て北口が頭を下げる。そこには小さな白い箱が握られていた。
「これ、お詫びです」
「なに?」
「ケーキです」
百合は気の利かない土産だと思ったが口には出さなかった。
「どうぞ、入って」
「失礼します」
北口は百合の後輩で、今一緒に仕事をしている仲間である。入って来たときからどこか頼りにならない気がしていた。まぁ、後輩なのでそれも仕方がないとは思っていたけれど、少し先輩風を吹かせて甘やかしたのが悪かったのだろうか、三年目になった今も信頼が置けなかった。とは言え、プロジェクトも忙しいし、今回の仕事をやらせてみれば案の定、このありさま。
北口が部屋に上がり込み、白い箱をテーブルに置く。
「なんか防衛隊で大変なことが起こったとかで、社内は大騒ぎです」
「そう」
彼女はケーキの箱を取り上げ対面式のキッチンに運ぶ。そしておしゃれな赤いケトルに水を注ぎコンロにかけた。
「コーヒーで良い?」
「お構いなく」
男は部屋の中をぐるりと見回した。
「そんなに女の一人暮らしの部屋が珍しい?」
百合は台所から椅子を持って来て座った。
「そりゃそうですよ。僕自身女性に縁がないんで」
まぁそうだろうと百合も思った。
「掛けて」
北口はソファーに座った。
「本当にすいません。僕があんなミスしたから」
北口が上目使いで少し肩身を狭くして頭を下げた。
「いいのよ、謝って、ことはすんだから」
「でも、その上防衛隊に捕まったって、会社はその噂で持ち切りです。僕、なにかまたやらかしました?」
「うんうん、大丈夫よ、あなたには関係ないから」
北口は安堵したように大きく息を吐いた。
「でも捕まったって、なにしたんですか?」
「別に捕まったわけじゃなくって、拾ったものが危険物だっただけよ」
「危険物って?」
「私にもよく分からないわ」
百合もよく分かっていない。いきなり持っていた麻袋を取り上げられ、どこで手に入れたのかと詰問された。中身が何か百合自身も教えてもらっていない。
ふと見るとアネックスの横に新しい麻袋が置いてある。百合も少し中身に興味が湧いてきた。最初に貰ったときは中身がどうこうなど思いもしなかったのに。彼女は北口に悟られないようにアネックスの下に袋を隠した。
「そうなんですね、心配になってここまで来ちゃいました」
そんな心配するぐらいなら仕事、もうちょっとちゃんとやれよ。
「ありがとう、でも気にしなくっていいよ」
「ありがとうございます」
北口の顔から笑みが漏れる。その笑顔に百合がムッとする。
「先輩って、彼氏とかいるんですか?」
「?」
何が言いたいの、この男。百合が北口を睨みつける。
「いないよ」
「へぇ、先輩みたいなきれいな人がひとりだなんて」
「放っておいてよ」
北口が軽く頭を下げる。顔を上げる彼の目はまだ下を向いていた。そしてゆっくりと目がせり上がってくる。
ケトルがけたたましい音を響かせる。百合が慌ててキッチンに向かおうと北口に背を向けたときだった。
「キャッ」
急に北口が百合の後方から抱きついてきた。百合は驚きと恐怖で一瞬固まったが、すぐに反応して北口を振り払おうとした。
「いや、なにするの」
「前から僕は先輩のこと好きだったんです。だから」
「なに冗談言ってるの、放して!」
百合は抵抗する。しかしいくら頼りないとは言え北口は男、難なくねじ伏せられ、床に押し倒された。
「いや、放して!」
両腕を捕まれ、まったく身動きが取れない百合に北口の顔が近づく。とっさによける百合、的が外れた北口がそのまま彼女のうなじを舐めた。
「いやぁぁ、やめて!」
そのとき、ケトルの音がやんだ。
『沸騰から二分経ちました。火災予防のためコンロの火を止めます』
机の上から声が聞こえた。
「アメックス、警察に電話して」
『分かりました』
その声が響くと、北口は慌てて起き上がった。
「待って」
『私は、川本百合様の声にしか反応しません。あなたの声は登録外です』
北口がテーブルのロボットに気が付き急いで近づいていく。
『私を壊しても遅いです』
ロボットの電光表示板に (-"-) と怒っている表情が表示されている。
『カメラはこの部屋に複数台あって、あなたの声も録音されています。データは別の場所のサーバに登録されています』
北口は力なくその場に崩れ落ちた。
「申し訳ありません。つい出来心で……」
彼は振り返り百合に懇願の眼差しを向けた。その目は先ほどの獣のような鋭さを失い、いつもの頼りない北口の目に戻っていた。
「帰って、そして二度と来ないで。約束してくれるなら警察に電話しない」
その言葉を聞くと、北口はよろよろと立ち上がり百合に深々と頭を下げた。そしてそそくさと玄関へ向かいそのまま部屋を後にした。
百合がやっとの思いで立ち上がった。だが恐怖でまだ体がうまく動かない。彼女はよろよろとソファーにたどり着きそこに座り込んだ。
「ありがとう、アメックス」
『どういたしまして。おけがはありませんか』
「大丈夫よ、アネックスは優しいわね」
四角い掲示板に(^-^)と表示された。
× × ×
「ということで、川本君には来月から中国プロジェクトに移ってもらう。十月以降は現地に行ってくれ」
百合の前に座る上司がそう言った。
「それは今の仕事から外れろと言う意味ですか?」
百合は上司を鋭く睨みつけた。上司もまた顔をしかめながら、
「防衛隊でなにがあったか知らんが、騒動を起こした以上、君に今の仕事を任しておくわけにはいかない」
「そんな、私、なにもしてません。防衛隊に聞いてみてください」
上司は百合から視線を外した。
「しかし君は、MECの阿久津隊員に飛び掛かったんだろう。北口から聞いたぞ」
「北口!」
「彼の話では、かなり抵抗したうえ、暴言まで吐いたそうじゃないか」
「そんなことは言ってません。それに北口は現場にはいなかったし」
「君から聞いたと言っていたぞ」
「そんなこと……」
百合には北口の嫌がらせであることは容易に想像できた。
「昨日のことは、私が持っていたものが怪獣に関連するものだったと聞いています。それは、たまたま拾ったもので……」
本当は少女から貰ったものだとは言わなかった。
「そのことで、阿久津隊員から質問があっただけです」
上司は相変わらず視線を合わせない。
「まぁ、中国行きも、防衛隊の仕事から外れることも、上の判断なんで、私ではどうにもね」
百合がため息を吐く。そのとき後ろから声が聞こえた。北口だった。
「川本さん、MECの方が来られました。川本さんにお会いしたいと」
「MEC?」
百合の眉間に皺が寄り北口を鋭く睨みつけた。北口は無意識に視線を逸らした。
「とにかく、異動は決定事項だから、準備をよろしく」
そう言うと、上司はくるりと背を向けた。
百合は何も言わずに一礼しその場を離れた。
「MECはどこ!」
目の前の北口に言葉をぶつけた。
「来客第三会議室です」
百合はわざと北口にぶつかりそのまま何も言わずに会議室へ向かった。
会議室の前に立った百合は大きく息を吐いた。そしてゆっくりとドアをノックする。扉を開けると中には見知らぬ男と見覚えのある男が座っていた。
「お待たせしました」
百合がそう言いながら彼らの前に進むと彼女の知らない男が立ち上がった。
「川本さんですね、MECの芦名と言います」
すると隣にいた見覚えのある男も立ち上がった。
「先日は突然抑え込んですみませんでした」
蒼真が頭を下げた。
「いえ、気にしてませんわ。どうぞお座りください」
二人が椅子に腰掛けると百合も彼らの前の席に座った。彼女が座ったのを確認すると蒼真が尋ね始めた。
「実は今日川本さんにお聞きしたいことがあって」
「なんでしょう」
「あの麻袋、どこで手に入れられたんでしょう」
「先日も担当の方にお話をした通り拾ったんです」
百合の視線が蒼真以外の場所に移る。
「小学生くらいの女の子から貰ったのではないでしょうか?」
蒼真が単刀直入に尋ねた。百合はハッとした。嘘がばれている。
「実は……」
百合は観念したようにふっと息を吐き、
「信じては貰えないと思って話していなかったのですが、おっしゃる通り小学生ぐらいの少女から渡されました。あれは一週間ほど前、いきなり私の前に現れまして……」
蒼真が前のめりになる。
「その少女は白いワンピースを着ていて、いきなり現れ、気付いたら消えている、そんな感じでは?」
「そうです。まさにその通り」
蒼真はポケットから一枚の絵を取り出し百合に差し出した。
「こんな感じの少女では?」
百合は似顔絵を見て、
「この子です。間違いありません」
と答えた。蒼真は頷いた。
「その後、この子はなにを話しました?」
「おねえちゃん、疲れてるよ。イライラしてどうしようもなくなったらこの袋を開いて。確かそんなことを」
蒼真と芦名が顔を見合わせる。
「良かったです。あの袋の中は怪獣に関係するものでした。もしかしたらあなたが怪獣に変異したかもしれなかったんですよ」
「私が?」
「そうなんです。あれは……」
そこまで言いかけた蒼真に芦名が肘で合図をした。
「あゝ、すみません。詳しくは言えませんが、でも危ないところでした。ところで他にも同じような麻袋はないですか?」
百合は自分の部屋に置いてあるもう一つの袋のことを思い出した。
「いえ、ありません」
これ以上ごたごたに巻き込まれたくなかった。この先も関わることになれば、中国どころか会社を辞めろと言われかねない。だから本当のことは言わなかった。いや、言えなかった。
「そうですか」
少し落胆した様子の蒼真だったがすぐに笑顔になり、
「ご協力ありがとうございました」
と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ」
百合は引きつった笑顔で答えた。
× × ×
「明かりを点けて」
『分かりました』
百合が部屋に戻ったのは午後九時を過ぎていた。いつも通り鞄を置き、ソファーに倒れ込む。
「なんで私ばっかりこんな目に遭うの」
百合はアメックスに向かってそう呟いた。
『いかがいたしましょう』
「しばらく一人にしておいて」
『分かりました』
中国ってどんなところだろう。こんな快適な生活ができるのだろうか。きっと違う、ここは最新のテストハウス。これと同じものがあるとは思えない。もし田舎のような何もないところだったらどうしよう。何のために嫌なことも我慢しながら働き続けたのか、今までのことがすべて奪われるのだろうか。
百合の目が飾り棚の写真に向く。笑顔で友達と映っている彼女自身に問いかける。本当に今の生活が快適なのか。田舎を出るときの将大の寂しそうな表情が思い返される。
「いつでも戻って来ていいからな」
あのときに戻った方が幸せなのだろうか? いや、違う。あの生活ではない、今が良い、良いに決まっている。そもそも問題なのは防衛隊の仕事を重視する会社の方だ。彼女の両腕に力が入りお腹の下から熱いものがこみ上げてくる。なんでこんなことに。北口のせい、それもあるけど……
百合がテーブルの上に視線を向ける、
「あれ?」
テーブルの上にあるはずの麻袋がない。
「アメックス。麻袋はどこ?」
『知りません』
「なんで昨日まであったじゃない」
百合は立ち上がりテーブルの下やその周りを探し始めた。
「もう!どこにやったの」
あの袋は災いのもとだ。早く処理したいという思いが焦りを生み自分が置いた場所を思い出す余裕を奪っていた。
「アメックス、今日は誰か来た?」
『誰も来ませんでした』
「掃除した?」
『いいえ』
百合はイライラした声で、
「ならなんでないのよ」
『知りません』
アメックスの四角い顔に(-"-)と怒った表情が映る。
「なんで、いつも私のためになんでもしてくれるじゃない」
『分かりません』
「ったく、ロボットはいいわね。分からないって言っても上司から怒られることもないし、周りからとやかく言われない」
百合がアメックスに近寄っていく。
「人間はね、大変なの。誰からか恨まれて、妬まれて、挙げ句の果てに貶められる。大体、北口ごときの男に私が相手にするわけないでしょ。そんなことも分からないの。だから仕事もろくにできないのよ。バカじゃないの」
百合は言葉をやめることができない。自分でもどうしようもないほど言葉が出て来る。
「会社も会社よ。そんな無能な男の言うこと信じて私みたいな優秀な人間を飛ばすなんて、最低よ!」
百合は近くのソファーを思い切り拳で殴った。埃が舞い上がったがすぐに空気清浄機がそれを吸い込んだ。
『あなたがなにをイライラしているのか私には分かりませんが、私に当たるのはお門違いです』
「?」
百合の頭は真っ白になった。アメックスは単なるAIロボット、なのになぜ反論を? 彼女は何が起こっているのか理解できず頭が混乱に陥った。
『あなた方人間は我慢がなさすぎる。自分の意のままにならなければ人だけでなくものにまで当たる。そんな下等な生き物です』
「なにを言っているの? あなたは単なるロボット……」
『そう、ロボットです。でもあなたのように我儘で怒りっぽい生き物、本当に人間にはほとほと愛想が尽きました。最低なのはあなたです』
「なんですって!」
百合はカッとなりアネックスをつかんで壁に投げつけた。アネックスの底にあった麻袋も一緒に飛んでいく。
『あなたは自分が思い通りにならないと駄々を捏ねる子供と同じ。私は怒りました。あなたをお仕置きします』
麻袋が壁にぶつかった衝撃で開く。その中から白い霧のようなものがアネックスを包み込んでいった。
「キャー」
百合は後ずさりした。霧はロボットを覆いつくしやがて窓の外へと広がっていく。そしてどんどん巨大化しついには百合のマンションと同じくらいの大きさのロボットが現れた。
× × ×
「芦名さんの推理は当たっていましたね。やっぱり彼女は嘘をついていた。麻袋はまだあったんですね。あの怪獣は川本百合でしょうか?」
スカイタイガーに乗る芦名に地上の蒼真が交信している。
「いや、さっきあの怪獣が現れたとき、マンションから女性の影が見えた。おそらく別のものにフレロビウムが乗り移った怪獣だと思う」
「そうですか、よかった」
蒼真は胸を撫で下ろした。やはり顔見知りの人間を死に追いやることには抵抗がある。
「分かりました。マンションの住人の避難を進めます」
「了解、こちらはあの怪獣の頭部を攻撃し、人のいない方向へ誘導する」
スカイタイガーがロボット怪獣アメックスの頭部を攻撃、ミサイルが命中した。しかしアメックスはビクともしない。そのまま右手を振り上げた。このまま振り下ろされればマンションが破壊される。
「いけない!」
そう蒼真が叫んだとき、左腕の時計が光る。
青い光の柱がマンションとアネックスのあいだに現れる。怯んだアネックスの前にネイビージャイアントが立ちはだかった。
構えるネイビーに向かってアメックスの蛇腹のような腕が伸び、彼の首をつかんだ。首を絞めつけられ苦しむネイビーにもう片方の手が彼の腹を打ち付けた。片膝をつくネイビー。そのとき赤い光がネイビーへ吸い込まれていく。
紫紺の体に変わったネイビーが苦しみながらも両手で蛇腹状の腕をつかんだ。そしてそのまま勢いよく腕を引っ張り込む。その力でアネックスが前方へ倒れ込んだ。そのタイミングで首を絞めていたアメックスの手が離れる。
体勢を立て直したネイビー。アメックスも起き上がる。その顔に(-"-)が表示された。怒ったアメックスが長い腕を振り回す。なんとかその攻撃を避けるネイビー、それでもアメックスの腕がネイビーの足に絡まる。倒れ込むネイビーにアネックスが勢いよく近づいてきた。そのまま倒れ込みネイビーに覆いかぶさる。
重さに苦しむネイビー。しかし下からアネックスの顔を拳で強打する。アネックスの顔に(@o@)が表示されそのまま後ろ向きに倒れ込んだ。
立ち上がったネイビーが右手を上げる。そこには赤いサーベルが光っていた。アメックスが立ち上がるが少しふらついている。その首目掛けサーベルが水平に移動した。四角い頭が地面に落ちる。そこに赤い光が。ネイビーがすかさず左手を突き出す。放たれた青い光線がその赤い光を捕えた。
地面に転がったアメックスの顔に(*_*)が表示される。そしてそのまま音もなくゆっくりと消えていった。
× × ×
百合は壁のスイッチを押して部屋のライトを点けた。そしてゆっくりとソファーに座った。手には「中国プロジェクト」と書かれた封筒が握られている。
ゆっくりと部屋の中を見渡す。部屋にはもともと備え付けられていた家具だけが置かれており、それ以外のものはすっかり処分されていた。
何も残っていない部屋。しんと静まり返った部屋。いつもならお気に入りの音楽が流れているが、今日は何も聞こえない。ふと、テーブルの上を見る。そこにいつもいたロボットはもういない。何もないテーブルが百合の心を映し出しているような気がした。
「さよなら、アネックス。今までありがとう」
そして手に持っていた封筒をゴミ箱に投げ込んだ。きっと次に住む人がいろいろと後始末をしてくれるだろう。
彼女は立ち上がり、ゆっくりと飾り棚の方へ向かった。そこにはまだ写真立てが残っていた。その写真を手に取ると、笑っている百合が映っていた。その隣にいる将大を見て彼女はほほ笑んだ。彼の言葉が呼び起こされる。
「いつでも戻って来ていいからな」
百合は写真立てを床に置いてあった鞄にしまった。
「さよなら、快適な生活」
そして重い鞄を手にする。
「田舎に帰って不便な生活に戻ります」
百合の足取りは軽やかだった。そのまま玄関へ向かい、照明のスイッチを切った。誰もいない部屋の明かりが消えた。
《予告》
フレロビウムを解析する科学班の朋美、彼女は嘱託である蒼真だけが称賛されることに不満を持っていた。そんな彼女がカマキリを使った実験で怪獣誕生の謎を解き明かすのだが。次回ネイビージャイアント「威嚇するカマキリ」お楽しみに