第十一話 見破られた正体
♪小さな生命の声を聞く
せまる不思議の黒い影
涙の海が怒るとき
枯れた大地が怒るとき
終わる果てなき戦いに
誰かの平和を守るため
青い光を輝かせ
ネイビー、ネイビー、ネイビー
戦えネイビージャイアント
国際線到着ロビーはいつになく人が少なかった。その日が平日であることもさることながら、今月は祝日がないため出かける人が少なかったのかもしれない。それとも、ここ最近海外で起こるテロ騒ぎが多いことが原因なのかもしれない。ただ何にせよとにかく広いフロアーには数えるほどの人しかいなかった。
そんな人が少ないフロアーで蒼真と美波は電光掲示板を見上げた。視線の先にはロサンゼルスからの到着便が表示されている。
「森田先生ってかっこいいんだって」
「へぇ、この業界に僕以外にかっこいい人いるなんて知らなかった」
「そうね、蒼真君以上にかっこいい人、結構いるの、知らなかった」
「知らなかった。野暮ったい人しか見たことないから」
「蒼真君も結構野暮ったいよ」
「むっ」
蒼真が美波を睨みつける。
「そんな話は置いといて、蒼真君、なんで森田先生が帰国したの?」
「それはね」
蒼真は人差し指を立て説明を始めた。
「今回、神山先生が教え子である森田先生に依頼したんだよ、フレロビウム検知器を増産できるように改良することを」
「へぇ、でもどうやって」
「今まで使っていた触媒に変わってパナジウムを使った物に変えるんだよ。それを森田教授が開発したんだ」
「バナジウム? なんか体に良さそう」
「一般的によく用いられる触媒だよ。もしそれが実用化できれば、フレロビウムの検出器が簡単に作れる」
「ふーん。もしそうなら蒼真君の仕事が楽になるってこと?」
「その通り」
蒼真が嬉しそうに笑う。
「そうなら、蒼真君、MECクビになるの」
「クビって」
蒼真は一瞬眉をひそめたがすぐに首を傾げた。
「そうか、そうね。これでMEC辞められるかも」
「そうよ、また研究所で一緒に仕事できるのよ、喜びなさいよ」
美波が嬉しそうに笑う。
「そうだね。よし、がんばろう」
「え、がんばるのは森田先生でしょ」
「あ、そうか」
蒼真の定型的なボケが見事に決まった瞬間、到着ゲートから大きな荷物を抱えた数人の人々が姿を現した。
「あ、あの人かな」
蒼真のまっすぐ伸びた腕がひとりの男を指していた。それは高級スーツを見事に着こなした三十代の男性であった。彼の姿はまるで都会の洗練された雰囲気をまとっているかのようだった。
「きゃ、かっこいい」
美波は飛び跳ねるように喜びを表現した。そんな美波を眉をひそめて見ていた蒼真は彼女を置いて高級スーツを着こなした男に近づいていった。
「あのー、森田先生ですか?」
蒼真が恐る恐る聞く。
「そうだが」
男は無表情で答えた。
「は、はじめまして。僕は神山研究所に従事しています阿久津蒼真と言います」
遅れて美波が蒼真の背中まで近づいてきた。
「こっちは神山教授の秘書の」
「高城美波です。よろしくお願いします」
美波は一歩前に進み蒼真の前に立った。
「秘書?」
森田の顔が曇る。美波が不安げな表情をする。蒼真が首を傾げながら尋ねた。
「どうしました?」
「いや、さとみさんが教授と結婚されたと聞いたので、秘書はてっきりさとみさんだと」
森田は悪びれることなく答えた。その言葉に、美波の目が線になる。
「奥さんなら研究所にいますよ」
「あゝ」
思いのほか気のない返事に蒼真は思えた。気を取り直した美波が、
「森田先生はさとみさんの同僚だったと聞きましたが」
「昔の話だ」
森田の返事は明らかにぶっきらぼうで、機嫌が悪いことが一目で分かった。
「とにかく、まずは研究所に向かいましょう」
「そうだな、案内を頼む」
不遜な態度だとは思いながらも蒼真は森田の荷物を預かった。三人はタクシー乗り場へと歩き出す。蒼真は横にいる不愛想な男を見ながらなぜ彼がさとみを気にしているのか不思議に思った。その答えが分かったのは数日後のことだった。
× × ×
「え、本当!」
蒼真の声が驚きに満ちて裏返った。
「嘘ついてどうする」
八尾は美波の隣で冷ややかに答えた。
いつもの研究所のリビングには、いつものメンバー、八尾、美波、そして蒼真が集まっていた。夜の蒸し暑さが増してきた頃、全員が食後のデザートとしてカップアイスを楽しんでいる。そんな中、今日は研究所に宿泊することになった森田教授の話題で持ちきりだった。
「そうよ、森田先生ってさとみさんの元カレよ」
美波は蒼真の隣に腰を下ろしそう答えた。
「だから、防衛隊が用意したホテルじゃなくって、ここに泊まるって言いだしたんじゃないのか?」
蒼真の向かいに座る八尾が、さらに彼を挑発する。蒼真の顔色が悪い。
「奥さんと森田先生がアメリカで同じ研究所にいたことは聞いたことあるけど、恋人同士だったなんて……」
蒼真の声はかすかに震え、弱々しさが滲み出ていた。
「アメリカにいた頃だから、あまり知られていないみたいだけど、一部では有名な話らしいぞ」
八尾は興味津々な表情で語り始めた。
「森田先生が神山研究室からアメリカに留学したときにさとみさんがその研究所にいたらしい。そこで二人は付き合ったって噂だ」
「へぇ、さすが八尾君、そういう話は詳しそうね」
「もちろん、さらに付け加えると、アメリカで別れたらしい」
「へぇ、なんで?」
「そこまでは俺のアンテナにも引っかかってないな」
八尾は軽く首を振り、蒼真は黙々とアイスを口に運び続けた。
「でも森田先生って、かっこいいし、もてても不思議じゃないわね」
「そんな、森田先生から告白したかもしれないじゃないか」
蒼真は不自然に熱くなりながら自分の意見を強く主張した。
「そうね、さとみさん美人だし、どっちがどうか分からにけどお似合いよね」
美波は胸の前でそっと両手を組み合わせる。そんな美波をにこやかに見ながら八尾がさらに話を続ける。
「でも不思議だよな」
「なにが?」
「その後のさとみさん」
「?」
美波と蒼真はまるで鏡のように同時に首を傾げる。
「だってさ、将来を嘱望された男と別れて、自分よりもだいぶん年の離れた男と結婚するだなんて」
「え、でも恋愛に年は関係ないじゃない」
「そうだけど」
八尾は腕を組みながら首を傾げて考え込む。
「でも、さとみさんって、アメリカから帰ってきてから神山教授と交際したんでしょ、森田先生とはとっくに終わってたとすると不思議じゃない気がするけど」
「まぁ、そうだけど、どっか違和感があるんだよね。そう思わないか蒼真」
「え、」
蒼真はカップアイスの木べらを手から滑らせそうになり慌てて掴み直した。
「あゝ、まぁ」
「蒼真が一番そう感じてるんじゃないのか?」
「え、そんなことは……」
八尾は意地悪そうに口元を歪めて笑った。
「私はおかしいとは思わないわよ。愛があれば、年の差なんて関係ないもん。ね、蒼真君」
「あゝ」
蒼真の眉がハの字になる。
「でも、森田先生はなんでここに泊まるって言ったんだろう。そもそも元カノと会うんだ、しかも今の旦那は自分よりも年上で、さらに恩師だ。とっても複雑な心境になりそうなものなのに」
「確かに」
蒼真が頷くと、その姿を見た美波は鋭い目つきで彼を睨みつけた。
「変なことに興味を持たない。そもそも森田先生が来られたんだから、蒼真君は明日から忙しくなるんでしょ。変なこと考えている暇があったら、明日からのこと考えたら」
「え、なんで僕が怒られてるの。言い出したのは八尾だよ」
「関係ない」
美波の頬が膨らむ。
「蒼真がさとみさんのこと気にするからだよ」
「?」
蒼真が首を傾げる。
「八尾君も変なこと言わない」
怒る美波をよそに、蒼真は確かに違和感を覚えていた。なぜ森田教授はここへ来たのか。単にさとみに会うためなのか。それとも何か別の理由があるのか。蒼真はモヤモヤした気持ちをアイスとともに腹の中にしまい込んだ。
× × ×
「お久しぶりね」
廊下から暗い庭を見つめていた森田がふと振り返ると、そこにはルームワンピースを着たさとみの姿があった。
「こちらこそ、ご無沙汰しております」
森田は無表情で答えた。
「なに、どうして敬語なの?」
と、さとみは不思議そうに問いかけた。
「だって、教授の奥様に不遜な言葉は使えませんから」
さとみがクスッと笑った。それを見た森田もつられて笑った。
「神山先生と結婚したとは聞いていたけど、幸せそうでなにより」
「ありがとう」
さとみは優しくほほ笑んだ。
「なんか奥さんって感じだな」
「どういう意味?」
「アメリカにいるときはいつも白衣を着ていたからかな」
「アメリカにいたときも、家では普段着を着てたわよ」
「そうだっけ」
森田の目が右上を向く。さとみがそっと彼の横に近づき共に窓の外を見つめた。梅雨の終わりと初夏の訪れが重なるこの田舎では蟲たちの騒がしさが一層増している。窓には今も数匹の蛾がとまりその存在を主張していた。
「和也も変わったわ」
森田もさとみと同じように窓の外を見る。
「どこがだ?」
「負けず嫌いのあなたなら、私が声を掛けても無視しそうな気がしたから」
「そんなわけないだろう」
「そう、和也も大人になったのね」
「なんだ、それ」
森田が笑った。
「そもそも、俺みたいな優秀な男を振っておいて、爺さんと結婚したお前に、今さらなんの興味もない」
「そう、その言い方、和也らしいわ」
さとみは変わらず窓の外を眺めていた。その横顔を見つめる森田の心にはかつての記憶が甦る。あの美しい横顔はかつて自分だけのものであった。さっきはあんな風に言ったけれどどこか心の奥底にはまだ未練が残っている。
「でも正直びっくりしたよ。まさか君が神山先生と結婚するなんて」
「まぁね」
美しい横顔がほほ笑んでいる。
「それにさっきも言ったけど雰囲気が全然違う」
「そう? どこが違う?」
「昔はもっとギラギラしてた」
「?」
「昔の君は、研究成果を上げるためには何でもやる、そんな狂気めいたものがあった。下手をすると人だって殺しかねない。そもそも結婚すること自体不思議だ」
「私って、そんな変な人間だった」
「そうだな、そもそも僕を捨てたこと自体おかしなことだからな」
「そうか、そうね」
さとみから笑みが消えた。
「確かに昔はそうだったかもしれない。研究に没頭して、成果を出すことを優先していた。だれよりも負けたくない、自分は負けない。そう思っていたわ」
森田はさとみの憂いに満ちた横顔に目を留めた。その姿はやはり美しい。
「でもね、アメリカから日本に帰ってきて、分かったことがあるの。それは、人は変わる、変われる、特に女は。研究よりも、その夢を実現してくれる人を支える、その方が幸せだと」
「変わったよ、やっぱり君は」
森田がため息を吐く。
「がっかりさせたようね」
「そうでもないよ」
森田は心にもない言葉を口にした。ある意味では神山教授はこの女性を変えることができたのだ。自分にはそれができなかった。言いようのない敗北感が彼の心を満たしていく。
「私よりあなたこそ研究のためなら人も殺しかねない人だった。それは今も変わってない、ってことかしら」
「そんな人聞きが悪いことを。僕は今まで人を殺したことは……」
森田が口ごもった。
「ごめんなさいね。気を使わせちゃったかしら」
「いや、そういう意味では」
「でもあなたも今や世界的権威。教育者としても幾人の学生たちを指導しないといけない身分だものね。変わらないといけないんじゃない」
「確かにそうだな」
森田が苦笑する。
外を見つめていたさとみが、ゆっくりと森田の方に向き直る。彼女の表情からは笑みが消え、その真剣なまなざしが森田の心を鋭く突き刺した。
「今回の研究成果は私たちにとって非常に重要よ。お願いだから阿久津蒼真君を助けてあげて」
さとみの真正面からの表情に森田は思わず息を飲んだ。それは単なる美しさだけではなく、彼女の内面から溢れ出る何かを感じさせるものだった。
「分かってるよ」
森田は不満げに眉をひそめた。
「どうやら君は蒼真君にご執心のようだね」
「なに、やいてるの」
「いや、神山教授が嫉妬するかなと思って」
「そんな訳ないでしょ」
さとみはクスッと笑ったがその笑顔はすぐに消え真剣な面持ちに変わった。
「冗談は抜きにして、蒼真君のことお願い。彼が人類の希望なの」
「ほう、大きい話だね」
「でも彼の研究が地球を救うことは確かよ」
「そうだね、僕もそのために帰って来たんだから」
森田の口が歪む。
「まぁ、他ならぬ君の願いともあらば、助けないわけにいかないな」
さとみの微笑みが戻ると森田はなぜかその笑顔に動揺した。なぜ彼女は阿久津蒼真をそこまで気にするのだろう。もしかすると、さとみは何かに気付いているのか? 動揺したことで森田の動悸は早まる。
彼は昔のときめきを思い出した。そう、彼女と付き合っていた頃のことを。しばらくの間、森田とさとみは見つめ合った。その様子を知っていたのは窓にとまった蛾だけだった。
× × ×
「従来と違い、今回バナジウムを使うポイントは二つ」
防衛隊本部のMEC科学班の実験室には職員たちが集まっていた。実験器具が所狭しと並ぶ机から少し離れた場所にホワイトボードと数個のイスが並んでいる。その場所で森田が身振り手振りを交えながら熱く語っていた。
「以上のことからフレロビウムが出す微量な放射能を増幅、検出することができると考えている」
蒼真は真剣な表情でノートに内容を書き写していた。
「詳細な資料はこのUSBに入っている。蒼真君に渡しておくので、重要書類として管理しておいてくれ」
「分かりました」
蒼真は森田からUSBを受け取った。
「なにか質問はあるか?」
職員の一人が手を上げた。
「今のご説明だと、検出装置一台当たり数時間で完成するという理解でよろしいでしょうか?」
「そうだ、四時間もあれば触媒が完成する。あとは検出用のハードウェアとソフトウェアが揃えば、大量生産も可能だ」
その場がざわめいた。
「他に質問は?」
一同は首を横に振った。
「よし、それでは作業に取りかかってくれ」
「はい!」
職員たちは一斉に持ち場に戻っていった。蒼真だけがその場に残り森田に頭を下げた。
「森田先生、ありがとうございます。これで検出器が大量生産できれば、怪獣発見の確率が上がります」
「それはなによりだ」
森田は少し顎をしゃくり上げて言った。
「まぁ、この程度のことならいつでも協力するよ」
この程度のこと? 蒼真は心の中で反芻した。この触媒の開発にどれだけの人が努力し苦しんだかを思うと森田の言葉は少し横柄に感じられた。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。少しでも早く装置を大量生産しなければまた怪獣による被害者が増えてしまうのだ。
「それより、今回のことに協力する代わりに蒼真君に情報提供して欲しいことがあるんだが」
「はぁ、なんでしょう」
「私も生物学を専攻している一人として、怪獣という生き物に興味があるんだ」
急に森田が笑顔になった。
「そこで相談なんだが、防衛隊にある今までの怪獣のデータを提供して欲しいんだ。お願いできるかね?」
蒼真は何をお願いされるのかと一瞬不安になったが、その話なら、と安堵した。
「それはもちろんです。逆に先生に怪獣攻撃についての意見をもらいたいぐらいです」
「そうか、それはありがたい」
森田が二、三度軽く頷いた。
「防衛隊にある怪獣関係のサーバーに、先生の研究室からでも閲覧できるよう、すぐ手配します。パスワードは後日お伝えします」
「ありがとう、研究させてもらうよ。あ、そうそう、そのサーバーにはもちろんネイビージャイアントの資料もあるんだよね」
「ネイビー?」
蒼真が首を傾げた。
「怪獣のことは我々も色々調べているんだが、一番情報がないのはネイビージャイアントのことなんだ。ほとんど皆無と言っていいぐらいだ。防衛隊ならば情報があると思ってね」
蒼真に不安が戻ってきた。
「どうしてネイビーを?」
「どうしてって、怪獣同様奇怪な生物じゃないか」
奇怪? 蒼真が心の中で憤慨した。しかしそんなことは森田に気付かれるわけにはいかない。
「分かりました。資料は閲覧できる場所に置いておきます。しかし……」
「しかし?」
怪訝な顔の森田に、
「防衛隊としても、ネイビージャイアントのデータはあまりありません」
「ほう、それはなぜ?」
「なぜって、ネイビーは我々の味方です。攻撃の対象ではないので分析の必要がないからです」
森田が軽く首を横に振った。
「ダメだね」
「ダメって?」
「ネイビーの正体が分からないうちに味方だと判断するのは時期尚早では?」
「そんな……」
蒼真が下を向いた。腹の中を探られたくないからだ。
「君も生物学者なら当然興味を持つはずだと思うんだが、謎の巨大な人型生物、なぜ怪獣と戦うのか、本能か、それともなにか使命を帯びた知的生命体か」
「ネイビーは人間の味方です」
「なぜそう断言できる? それとも君はネイビージャイアントの話を聞いたことでもあるのかい?」
「それは……」
ネイビーはれっきとした人間だ。蒼真は自分がネイビーだからと説明したい気持ちを奥歯で嚙みしめた。
「君の話を昨日さとみさんから聞いた」
「え、さとみさん!」
蒼真の怒りの勢いが鎮火した。
「今回の検知器の件、怪獣が人とフレロビウムが融合したものだと言い出したのも君らしいじゃないか」
「はぁ」
「君のような優秀な学者がなぜネイビージャイアントに興味を持たない?」
「……」
蒼真は答えられなかった。
「まぁいい。また君の考えを聞かせてくれ。君が一番ネイビージャイアントを見てきたのだから」
そう言うと、森田は蒼真の横を通り抜けて部屋を出て行った。
森田を見送った蒼真は不思議な気分に包まれた。確かにネイビーとは何者なのか。なぜ巨大化できるのか、なぜ光線を放てるのか、なぜ戦うのか。蒼真自身、ネイビージャイアントが何者なのか、何も知らないことに気付かされたのだ。そう、ネイビーとは一体何者なのか?
× × ×
森田はベッドに寝転び天井を見つめていた。怪獣に関する研究は自分よりも神谷教授の方が進んでいる。この研究室には怪獣の皮膚まで保管されている。それに加え、教え子をMECに紛れ込ませて最新の情報を得ている。いくら日本の防衛隊のデータベースを閲覧できたとしても、ときすでに遅し。論文発表は時間との勝負であり、今のままではとても勝てるとは思えない。
「阿久津蒼真、彼を味方にできれば」
ふと、昨日のさとみの言葉が耳に甦った。
「蒼真君のこと、お願い」
森田の心にもやもやしたものが広がる。なぜ阿久津蒼真にそれほどこだわるのか。研究室の職員というだけでは説明がつかない。それ以上の何かを感じる。なぜそう思うのか。嫉妬?
それ以上に思うことがある。そもそもなぜ彼女は神山教授と結婚したのか。自分を捨てた上で、なぜあんな爺さんと。神山教授は俺以上の男なのか。
『研究よりも、その夢を実現してくれる人を支える、その方が幸せだと』
さとみの美しい横顔が思い浮かぶ。
『特に女は』
「女は……」
森田の心に怒りが満ち溢れた。
「神山教授さえ、あいつさえいなければ」
森田の頭の中が赤く染まる。神山教授は森田が持っていないすべてを持っている。怪獣という魅力的な研究対象のデータ、阿久津蒼真という情報源、そして……
「これを嫉妬というのだろうか」
体が痺れ小刻みに腕が震え始めた。
『あなたこそ研究のためには人を殺しかねなかった』
そう、今でも変わっていない。自分は研究のためなら人をも殺す。必要であれば神山教授を、そして阿久津蒼真も。
「そう、殺したいほど憎い。その気持ちが人を怪獣化させるのよ」
森田の耳に女の子の声が聞こえた。ハッとなって森田が起き上がると、目の前に白いワンピースを着た少女が立っていた。
「あなたにとって、最も有益な研究材料を持ってきてあげたわ」
「君は一体誰だ」
「そんなこと、どうでもいいじゃない」
少女が微笑み、右手に持っていた麻袋を森田に差し出した。
「なんだこれ」
「フレロビウム」
「なに!」
森田は少女の手から奪うようにその麻袋を取り上げた。
「開けてはだめよ。反応を起こすから」
「反応?」
「そう、あなたの嫉妬のエネルギーと反応してしまう」
森田はじっと麻袋を見つめた。その瞬間、彼の頭の中で何かがつながった。彼はすぐに近くの机に向かい、そこに置いてあった資料を次々とめくり始めた。
「第十一の怪獣、ヴァイオレン。妻に逆切れした男が怪獣へ変化。第八の怪獣、サンガーラ、ストーカ行為の男が女性を誘拐、取り戻しに来た芦名隊員たちに怒りを持った瞬間に怪獣化、第七の怪獣、キドラ、つがいのメスを殺され巨大化、第五の怪獣、ネオヌルス、恨みを持つ女性の殺害に失敗した女が怪獣化…… そうか、人の怒りの感情とフレロビウムが反応すると怪獣化するのか」
森田は小躍りしたくなるような高揚感を覚えた。これは阿久津蒼真をはじめ、防衛隊でも気付いていない事実だ。もしかするとこれで神山教授を出し抜けるかもしれない。
「そう言うことか、これを使えば、俺自身が怪獣になれる」
「あなたがそれをどう使うかはあなたの自由よ。でもね、今はダメ。まだそのときじゃない。もっと怒りをたぎらせないと」
少女の真剣な目が森田を鋭く貫いた。その視線に森田は一瞬息を呑んだ。
「そうだな、準備ができていなければ欲しいデータも手に入らない」
森田は麻袋を机の引き出しにそっとしまいゆっくりと振り返った。もうそこには少女の姿はなかった。
「今の女の子はなんだったんだ」
森田は一瞬、誰かのいたずらかとも思った。しかし急に現れたり消えたりするのは人間の仕業とは思えない。神の使いか? 科学者である自分が神を信じるのか? その疑問が頭をよぎった。
「あれが宇宙人なのか」
森田は資料に記載されていた謎の宇宙人の存在を思い出した。しかしそこには黒衣の中年男性と書かれていた気がする。
「なんの罠か知らないが、俺はそんな簡単に彼らの思う通りにはならない」
そう言いながら、森田の目が輝き始めた。そして、小さな笑い声が心の奥底から湧き上がり、部屋に響いた。
「そうか、これで俺は神山を完全に超えることができる。いや、神山を殺せる。そう、神山を殺せば嫉妬も消える。仮説が正しければ、怪獣からもとの人の姿に戻れるはず。これは嫉妬と言うエネルギーを使った実験、なんて卓越した発想なんだ。これを研究し発表できれば俺は、俺の名声は後世まで受け継がれる」
森田の笑いが止まらなくなったが、すぐにその声が止まった。
「待てよ、その前にネイビージャイアントを何とかしなければ」
森田は資料をあさり始めた。しかし蒼真が言う通りネイビージャイアントの記録はほとんどなかった。イラっとして資料を投げつけようとしたがその動作も止まった。
「なぜだ、なぜ興味を持たない? ありえない、やはり……」
森田は不敵な笑みを浮かべた。
× × ×
「ここになにがあるんですか」
蒼真は不審そうに中を覗き込んだ。
「実は君に見て欲しい物があるんだよ」
森田の唇が歪んだ。その顔に不信感を抱きながら蒼真は恐る恐る中へ入った。ここは防衛隊の倉庫、中には窓もなく薄暗い蛍光灯が辺りの雑多な物を照らし出していた。
「なにがあるのでしょう?」
森田は奥の方に進み布が掛かった背丈が人の高さほどある物の前に立った。
「君には聞きたいこともある」
「なんでしょう」
森田は眉をハの字にしている蒼真に対してさらに高圧的な態度で問いかけた。
「なぜ君はネイビージャイアントに興味を持たないんだ」
「それは……」
「その布を取ってみたまえ」
蒼真は恐る恐るその布を引き剥がした。布の下にあったのは大きな姿見で、不安げな蒼真の姿が映っていた。
「それは、君自身がネイビージャイアントだからじゃないのか?」
「うっ、そんなことは……」
蒼真は言葉を失う。
「怪獣が現れたとき、君はいつもなにをしている?」
「……」
「ネイビージャイアントが現れるとき、必ずそこに君がいる。それにいつも君は姿を隠している。資料を丹念に調べて気付いたんだ。そう考えると君がネイビーに興味を持たない理由が分かる」
「……」
蒼真は鏡に映る自分が脅えているのを感じた。なぜ気付いたのか? 深呼吸をして心を落ち着ける。そう、まだ、まだ大丈夫だ。
「そんな訳ないじゃないですか。先生らしくないですよ。すべてが推論です。なんの証拠があっておっしゃってるんですか」
蒼真は心の中を読まれないように口角を上げて笑うふりをした。しかしその笑顔の裏には不安と緊張が隠されている。
「確かに、君の言う通りまだ仮説にすぎない」
森田は蒼真以上に不敵な笑みを浮かべた。
「確かに証拠がないが、これから私の仮説が正しいことを証明する。君にはそのためにここまでご足労願ったんだ」
森田は近くにあったスプレー缶を手に取り、蒼真に向かってスプレーを吹きかけた。
「うっ、なにをするんです」
蒼真の目がかすみ、頭が混乱し始めた。
「心配するな、これは単なる睡眠剤だ。死ぬことはない」
蒼真の意識が朦朧としてきた。気付くと床が目の前に迫る。彼は音を立てて倒れ込む。鏡には倒れ込んだ蒼真の姿が映っていた。意識が遠のく中、遠くで森田の声が聞こえる。
「君がここで眠っている間に怪獣が現れたとする、そこにネイビージャイアントが現れなければ、やはり君がネイビーと言うことになる。実に簡単な証明だ。君にはこの検証に付き合ってもらってとても感謝しているよ」
蒼真は森田の言葉の半分以上を聞き取る間もなく深い眠りに落ちた。
× × ×
「これで俺の勝利だ」
森田はつぶやいた。
彼の辺りには闇が取り巻いていた。夜の静けさが研究所までやってくる森田の足音を際立たせる。彼の足が止まった。
目の前には研究者寮兼神谷夫妻の自宅がある建物があった。深夜二時、どこの窓からも明かりが消えている。彼の目の前、神山夫妻の部屋も辺りの闇と同じく暗く静まり返っていた。
「よし、これから実験だ。俺の体がどう変化するか、もとの人間に戻れるのか、それともこのまま身を亡ぼすのか」
森田はポケットから麻袋を取り出す。
「さて、怒りを呼び起こさなければ」
森田が静かに目を閉じた。
「さとみ、お前は俺を裏切った。アメリカでお前は俺のことを無能呼ばわりした。そんなあなたとは付き合えないと。俺はお前の高慢なところも好きだった。しかし、なぜだ、なぜ神山の爺さんなんかと結婚した。俺より優れていると言うのか?」
森田の拳が固く握られていった。
「憎い、さとみ、お前が憎い。いや、それ以上に神山が憎い」
森田の心にどす黒い影が満ち、それがやがて燃えるような赤に変わった。そのエネルギーが体から染み出していく。
森田が麻袋を開くと中から白い霧状のものがもうもうと彼の周りに纏わりついた。森田の体が赤く光り白と赤がやがて一体となり空に向かって伸びていく。巨大になった赤と白の物体はやがて形を成し黒っぽい塊となった。
「ギャオー」
大きな角を持つ一つ目の巨人が咆哮をあげ目の前の建物が震えた。静まり返った建物に一つ目怪獣ドンゲリスが、一歩、また一歩と近づいていく。
そのときドンゲリスに向かってレーザーガンの閃光が飛んだ。不意を突かれたドンゲリスが二、三歩後ろに下がった。
「だれだ、俺の邪魔をするのは」
ドンゲリスは閃光が飛んできた方向、つまり建物の屋上を見た。そこにはレーザーガンを構えるMECの隊員服を着た男が立っていた。
「阿久津蒼真!」
屋上にいたのは紛れもなく蒼真だった。
「なぜだ、なぜお前がここにいる」
ドンゲリスは驚きなのか、体を左右に震えさせた。
「森田先生の様子がなんだか変だったので、芦名さんに行動を見張っていてもらってたんですよ。だから、僕が倉庫に閉じ込められた一部始終を見ていた。あのあとすぐに僕は芦名さんに救出されたんです」
ドンゲリスの足元にMECの隊員たちが現れ、一斉にレーザーガンを構えた。
「こうなると思って、すでに建物の中の人たちは避難してもらってます。当然、美波や神山夫妻も。だからここにはあなたが復讐したい人はだれもいません!」
「なに!」
ドンゲリスは体を大きく揺さぶり怒りを表現した。
「ふざけるな、この怒り、どんどん大きくなっていくぞ」
ドンゲリスは蒼真に向かって突進した。蒼真が左手を上げる。青い光が突進するドンゲリスを弾き飛ばした。ドンゲリスは地面に叩きつけられ、建物の前にはネイビージャイアントが仁王立ちしていた。
「やはり、お前がネイビージャイアントだったんだな」
「そう、僕がネイビー」
ネイビーが身構えた。怒りに身を震わせるドンゲリス。二人が組み合うと力はドンゲリスの方が強くネイビーの腕をねじ上げていく。両手がふさがった状態でネイビーは反撃として頭突きをかます。ドンゲリスは両手を放し後部に倒れ込む。そこに覆いかぶさるようにネイビーが飛び乗り、ドンゲリスの腹に拳を落とす。苦しむドンゲリス。
しかし、ドンゲリスが今度はネイビーの肩を持ち、その腕力でネイビーを投げ飛ばした。立ち上がりざま、ドンゲリスがネイビーを指さす。
「私は学者でもあるが、柔道七段の持ち主なのだ。お前みたいな非力な男に負けはしない。それにお前のことは研究済みだ」
ドンゲリスの目から怪光線が放たれ、光線はまっすぐネイビーの左手に。
「うっ」
ネイビーがしゃがみこんだ。
「左手が使えなければ、怪獣を倒すときの青い光線が打てないはずだ。これでお前には武器がなくなった」
うずくまるネイビーの腹に蹴りを入れるドンゲリス。ネイビーは転げまわって苦しむ。そのとき赤い光が彼に近づき、彼の中へと入り込んだ。ネイビーの体がみるみる紫紺に変わっていく。
「カラーチェンジしたな。それでも私には勝てない」
ドンゲリスが身構える。立ち上がったネイビーが腕をクロスした。赤い光線がドンゲリスに向かって放たれるが、ドンゲリスは正面にバリアを張り、光線を見事に跳ね返した。
「見たか。お前の攻撃など……」
ネイビーは言葉が終わる前に突進し一発、ドンゲリスの大きな目を殴り飛ばした。ドンゲリスは大きく後方に飛ばされ、ネイビーがクロスした光線を発射する。するとあっという間にドンゲリスの周りは炎に包まれた。
やっとのことで起き上がったドンゲリスは咆哮をあげ、その大きな目に周りの赤い炎が映り込んでいた。さらにその奥、炎ではない赤い光をネイビーは捕えた。
ネイビーは右手で左手を支えドンゲリスの方へ向けた。ドンゲリスはそれを避けようと両手で目を隠したが、ネイビーの左手から放たれた青い光線は、ドンゲリスの両手を避けるように迂回し、上下に分かれて大きな目に吸い込まれていった。
「ギャオー」
断末魔の叫びが夜空に向かう。
「そうか、分かったぞ。お前のその青い光は人の怒りを治める光。つまり人の怒りとフレロビウムを分離することのできるエネルギー。それで怪獣を退治していたのか」
ドンゲリスは倒れ、痙攣を起こし始めた。
「人の怒りのエネルギーは生きるためのもの。それを治めることはその人の命を奪うこと。ネイビー、お前は単なる人殺しにすぎない。そう、人ごろ……」
ドンゲリスは言葉を続けることができず、その場で消えていった。ネイビーはただその場に立ちすくむ。
もとの姿に戻った蒼真の心に森田の言葉が耳にこびりついて離れない。
「お前は単なる人殺し……」
× × ×
「奥さんは森田先生をどう思っていたんですか」
今日は梅雨の晴れ間で久々に青い空が戻ってきていた。森田の墓の前に蒼真とさとみが立っている。彼らの前には線香の白い煙が青い空に向かって立ち上がっていた。
「どうって?」
「それはそのぉ」
蒼真はさとみに森田のことをどう思っているのか聞きたかったが、何か気が引けてしまった。
「彼は優秀な人材だったわ」
「それだけですか」
「そうね」
さとみがゆっくりと目を閉じそして手を合わす。
「そんなもんなんですか」
「そんなものよ」
さとみは目を開けた。
「私が大事にしたいのは今なの。昔は昔」
「森田先生は過去なんですか」
「そうね」
蒼真はさとみの言葉の意味を計りかねていた。今、彼女は夫である神山教授を愛している。だから森田は過去の存在だと言っているのか、それとも森田が怪獣化するような愚かな男であり、そんな男のことは過去のことだと言っているのか。
さとみが近くにあったひしゃくの入った桶を持ち上げた。
「先に行くわね」
さとみが墓地の出口に向かう。蒼真は少し森田がかわいそうな気がした。さとみにとって森田とはそんなものなのか。では自分は? さとみにとってどんな存在なのだろう。さとみの後ろ姿を見ながら蒼真の心に不安がよぎった。
「君も同じだよ」
蒼真の後ろから声が聞こえた。振り返ると、そこには森田の墓があるだけ。
「気のせいか」
彼がもう一度さとみを見ると彼女の姿が小さくなっていた。さとみが自分がネイビーだと気付いたら、彼女は自分から離れていくのだろうか。森田と同じ異界の存在として。いや、そもそもネイビーとして数々の怪獣を倒してきた。それはイコール人を殺めたということ。そんな自分をきっと彼女は嫌悪するに違いない。
「お前は単なる人殺し」
また後ろから声がした気がした。再び振り返る蒼真、そこにはやはり森田の墓があり、その前の線香の白い煙だけが青い空に向かって伸びていた。
《予告》
産業廃棄物で樹海が汚された。犯人である健太は生きていくには仕方がないと自らを言い聞かせる。一方戦う意味を見失いかけていた蒼真は樹海調査へ、そこで見た不都合な真実とは。次回ネイビージャイアント「誰がために・・・」お楽しみに