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ネイビージャイアント  作者: 水里勝雪
10/75

第十話 選択の結果

♪小さな生命いのちの声を聞く

 せまる不思議の黒い影

 涙の海が怒るとき

 枯れた大地が怒るとき

 終わる果てなき戦いに

 誰かの平和を守るため

 青い光を輝かせ 

 ネイビー、ネイビー、ネイビー

 戦えネイビージャイアント

「莉菜はこの前の同窓会にどうして来なかったの」

 四方の壁がガラス張りになっているカフェ。たくさんの若い女性たちがおしゃべりをしている。外は梅雨のどんよりした空模様。しかしその淡い光が店内の雰囲気を作っている。白を基調としたテーブルとイス、床に反射する外からの光が美波の前に座る女性を柔らかく照らしていた。


「まぁ、忙しかったから、って言うか……」

 莉奈が歯切れの悪い回答をした。淡い反射光が莉奈に紗をかけ、色白の彼女をさらに美しく見せていた。しかし美波には何か違和感があった。莉奈の顔色が優れず、何か疲れているようにも見えたのだ。

「結婚すると忙しいの?」

 美波が小首を傾げた。すると莉奈も同じように首を傾げた。


「まぁ、そうね」

「大変なの?」

「うんうん、そう言うわけでもない」

 血の気が感じられない彼女の表情はさらに冷たく見えた。

「いいなぁ、私も結婚したいなぁ」

 美波の口がとがりそのとがった唇にメロンソーダのストローを差し込んだ。


 宇津見莉奈は美波の大学時代の同級生である。たまたま美波が街で買い物をしていたとき、偶然彼女に出会った。それは莉奈の結婚式以来一年ぶりの再会だった。

「雅之さんは元気なの?」

「えっ、あゝ、元気よ、もちろん」

 莉奈が答えるまでの間が美波は気になった。


「なんか、莉奈、疲れてない?」

「そんなことないよ」

 莉奈が笑ったような気がした。彼女に注がれる淡い光がその表情を分かりにくくしている。

「でも、あんなに仕事に一生懸命だった莉奈が結婚して会社辞めるとは思わなかった」

「そう、そんなにがんばってなかったよ」

「そうかなぁ」

「まぁ、嫌な上司とかいてね、ちょうど辞めたいと思ってたから」

「ふーん」


 莉奈は大学を卒業後、食品会社に就職した。もともと成績優秀だった彼女は希望の会社と部署に配属された。勤め始めたころは美波とも親交があり、仕事は楽しい、開発することは素晴らしいと語っていた。

 忙しく働くなかで彼女は社内で宇津見雅之と出会った。声をかけてきたのは雅之だったらしい。確かに美人でスタイルも良く、頭のいい彼女に言い寄る男は過去にもいたが、彼女はそれをほぼ袖にしていた。昔、彼が告白したときなぜ受け入れたのかを聞いたことがある。そのときの答えは「なんとなく気が合ったから」だった。


 交際は順調に進み、昨年の秋に結婚。美波も式と披露宴、二次会に参加した。いつ見ても二人は幸せそうだった。

「ねぇ、ねぇ、結婚って、どこが良い?」

 美波が手に持っていたグラスをテーブルに置きながらそう問うと、莉奈は一瞬沈黙した。答えが返ってくるまでの間が再び気になった。

「うーん、そうね。やっぱり好きな人がいつも家にいる。安心できる感じかな」

「キャ、すてき」

 美波は両手を口に当て椅子の背もたれに体を預けた。しかし正面の莉菜はその姿に動じることなく話を続けた。


「やっぱり、独りじゃ寂しいし、ごはんも二人の方が……」

 莉菜が首を左に傾けた。

「二人だと色んな話ができるし……」

「そうよね、独りじゃつまらないっていうか、二人が楽しいんでしょ」

 背もたれから反動をつけて美波がまた前のめりになった。


「で、どんな話するの」

「つまらない日常の話」

 莉奈が軽くお腹のあたりで腕を組んだ。

「でも、そういう日常の話をしても楽しいって、新婚って感じ!」

 美波がはしゃぐように言う。

「そうね」


 莉奈の答えには、気持ちがこもっているようには感じられない。彼女は組んだ腕を軽くなでた。

「寒いの?」

 莉奈が首を横に振った。腕をさする彼女の袖口から細い腕先に青黒くなったあざが見えた。

「どうしたの、そのあざ?」

「え、」

 莉奈が慌ててあざを袖の中に隠した。


「あゝ、これはぶつけたの。昨日テーブルの角で」

「へぇ。優等生だった莉奈にもそんなおっちょこちょいなところあったんだ」

「そんな、私、優等生なんかじゃないよ」

「嘘、私なんか足元にも及ばないぐらい優秀だったじゃない」

「そんなことないよ」


 莉奈が笑った。その笑顔は昔と変わらないと美波は思った。それでも美波は気になった。莉奈がいつまでも袖口を押さえていることを。


 ×   ×   ×


「フレロビウムは検出されませんね」

 都内からそれほど離れていない山の頂上。昔はハイキングなどで家族連れが休日を過ごし、今はトレッキングと名を変えて若い女性が訪れる場所だ。都会の近隣ということもあり、休日には大勢の人が訪れるらしいが今日は閑散としている。それもそのはず、今日は月曜日。人々は登山よりも厳しい街の仕事に汗をかいているのだ。


 さらに悪いことに今日の天候はどんよりとした曇り空。天気予報によれば今週末から梅雨に入る確率が高いという。低いとはいえ山の上なので気温は平地より低いが湿度はそれほど変わらない。ここまで登山道を歩いてきた人たちは汗だくで息苦しさを覚えるほど空気が重い。

 そんな山頂の展望台には、あきらかにトレッキングやハイキングとは無縁の姿の男たちがうろうろしている。


「反応なしです」

 蒼真が手に持つ検知器を見ながら首を左右に振った。

「いくら宇宙船らしきものがこの上空で目撃されたからって、この検知器じゃぁ探す範囲に限界がありますよ。まったく、上層部はどうやって手がかりを探せって言うつもりですか」

「まぁそうカリカリしなさんな」

 田所が蒼真の肩を軽く叩いた。


「もっと早く広範囲に放射線を検知できる装置を作らないと、こっちの体がいくつあっても足りないですよ」

 蒼真が検知器を眺めながらため息を吐いた。それでも辺りの木々に検知器をかざしているところへ芦名が小学生くらいの子供の手を引いてやってきた。

 田所がやや目を丸くしながら

「この子が目撃者?」

「あゝ、そうだ」

 そう言うと、芦名が子供の目線まで腰を下ろした。


「僕、その空に浮かんでたのって、どんな形だった?」

「あのね、この空の上に、すごく大きくって銀色したものが浮いてたんだ」

 芦名がポケットから写真を取り出した。それは以前亮介が撮影した金属の飛行物体の写真だった。

「これかい?」

「うん」

 子供は大きく頷いた。


「前にね、ニュースで見たのと同じ。これと同じだったよ。すごっく大きかった。飛行機とかよりずっと」

「で、そこでなにしてたの」

「ただ浮いてたよ。でもあれはきっと地球侵略の作戦を練っていたんじゃないかな、って僕は思ってる」

 蒼真も子供と芦名の方に近づいてきた。芦名が変わらず優しい声で尋ねる。


「で、何時ぐらいに見たんだい」

「朝十時ぐらい、お父さんとここまで登ってきて、それで一休みしていたら見えたんだ」

「お父さんは見たの?」

「うんうん、お父さんはトイレに行ってて見れなかったんだ。見たのは僕だけ」

 “僕だけ”というところで彼の声が大きくなった。それは彼の自慢なのだろう。


「で、そのあとどうなったの?」

「うーん。お父さんに教えてあげようと思ってトイレに向かっている間に消えた」

「消えた?」

「うん。その後、空見たらもういなかった」

 田所が蒼真の袖口をつかんで子供から離れた。


「蒼真君、あの子の言うこと信用できるかい?」

 田所の渋い顔に、

「でも、嘘言っているようには見えませんけど」

「そうかな」

 確かに、ここで金属の飛行物体を見たのはあの子だけだ。半信半疑になる田所の気持ちも分かる。しかし彼の目には嘘が感じられない。言われてみればやや誇張している部分もあるが、それを差し引いてもここに飛行物体がいたことは間違いなさそうだ。


 蒼真はもう一度空を見上げた。そこにはどんよりとした梅雨前の灰色の空が広がるだけ。飛行物体は何のためにここに来たのか、そんな問いに雲は答えてくれない。仕方なく、視線を空から地面に移動させる。


「?」

 蒼真の視線が止まった。そこには今昇って来たばかりの男女がいる。二人は仲良く手をつないで歩いていた。あの女性、どこかで見たことがあるような気がする。

「あ、あれは莉奈」

 女性は蒼真の大学の同窓生だった。


「莉奈!」

 蒼真が駆け寄る。女性はハッとなって駆け寄る蒼真に気づいた。

「蒼真君?」

 莉奈が蒼真を認識した。そしてチラッと隣の男性を見た。男性は無表情のままだった。

「莉奈、久しぶりだね」

「えゝ、本当、久しぶり」

「卒業式以来じゃないかなぁ」

「そうね、蒼真君、結婚式の二次会来なかったから」

 莉奈が苦笑いする。


「ごめん、ちょうど学会の研究発表があって」

「いいのよ、美波から聞いてるわ」

 蒼真は莉奈の笑顔と対照的に無表情の隣の男性が気になった。

「もしかして、お隣の方は」

「そう、旦那です」

 男性が爽やかな笑顔で軽く会釈した。爽やかな笑顔なのだが、眉がハの字になっている。


「初めまして、宇津見です」

「こちら、大学の同級生の阿久津蒼真さん」

「初めまして、阿久津です」

 蒼真も同じように軽く頭を下げた。

「美波から聞いてたよ、旦那さん、かっこいいって。さすが研究室一の美人優等生は旦那さんも一流だね」

「そんな」

 莉奈の笑みがさらにほころぶ。隣の男性が苦笑いするが、その表情はどこか固い。


「ところで蒼真君、何故ここに。そうか、今MECにいるのね。美波から聞いているわ」

「そうなんだ。今日も実は……」

 そこまで話しかけたとき、後ろから芦名が近づいてきた。

「現在、機密上重要な案件の調査なので」

 蒼真が振り返りバツが悪そうに頭を掻いた。


「ごめんなさい。お仕事の邪魔しちゃったかしら」

「いやいや、声かけたの、僕だし」

 蒼真は頭を掻きながら、莉奈の方へと向き直った。

「ごめんね、こっちこそ新婚の二人の邪魔しちゃって」

「うんうん、久しぶりに蒼真君に会えてよかった」


 莉奈の顔には微笑みが浮かんでいたが、その隣の男性の表情はすでに曇っていた。蒼真はその変化に少しだけ気を取られたが、遠くから田所の呼ぶ声が聞こえてくる。

「美波には今日のこと伝えとくよ。莉奈は旦那さんとラブラブだったって。きっとうらやましがるぞ」

「そんな、変なこと吹き込まないでよ」

「あゝ、分かってるよ。じゃぁ、また」


 蒼真は手を振りながらその場を離れていった。振り返ると、ふたりは変わらず手をつないだまま展望台の向こうへと歩いていく。蒼真はその後ろ姿を見つめながらさっきの男性の表情を思い出していた。爽やかな笑顔の裏に何か違和感を覚えた。それが何かは分からない、だが何かが。


「蒼真君、こっち!」

 田所が呼んでいる。

「まぁ、気のせいかな」

 蒼真は駆け足で芦名や田所のもとへと急いだ。


 ×   ×   ×


「あの男は誰なんだ」

 キッチンで夕食準備をしていた莉奈の手が止まった。

「え、さっき言ったじゃない」

 莉奈は恐る恐る振り返り、微笑みを浮かべた。

「あれは大学時代の同窓生」

 その答えを聞いた雅之の表情は苦悶の色を帯びて歪んだ。


「本当か?」

 彼の言葉には力が感じられなかった。

「本当よ」

「嘘じゃないよね」

「当たり前よ、なに、焼き餅、焼いてるの」

 莉奈は引きつった笑顔で答えた。雅之の顔が緩むのを見て、莉奈は振り返り再びまな板の上の野菜を刻み始めた。


「キャ」

 雅之が莉奈に後ろから抱き着いた。

「怖いんだ、君を失うのが」

 雅之が莉奈の背中にもたれかかる。

「なに、重いよ」

 莉奈の甘えた声が雅之の耳に届いた。しかし雅之は彼女にしがみついたまま離れようとはしなかった。


「俺は君に認められた唯一の男だ。君には他の男と話をして欲しくない」

「でも、同級生ぐらい」

「ダメだ」

 雅之の腕に力が入る。


「苦しいよ」

 莉奈が身をよじるがそれでも雅之は彼女を放そうとはしなかった。

「大丈夫、私、あなた以外の男性に興味ない」

「本当?」

「本当よ、だからあなたの言う通り会社も辞めたのよ」

 雅之が力を緩めた。


「信じて」

 莉奈は振り返りざまに雅之を抱きしめた。

「莉奈、信じるよ。でも、もしあの男となにかあったら、そのときは」

「?」


「そのときは、お前を殺す」

 莉奈の表情が一瞬歪んだが、すぐに笑顔を取り戻した。

「大丈夫、だからあっちでくつろいでいて。お料理できないから」

 その言葉に促されて雅之がリビングへ向かう。莉奈はその後ろ姿を見つめながら身震いし、心の中でつぶやいた。


「違う、あれは本当の雅之さんじゃない」

 莉奈が務めていた会社で雅之に出会ったころの彼は今とはまるで違っていた。見た目の良さだけでなく、趣味も食の好みも同じで、まるで運命の相手のようだった。しかも彼は有名国立大学を卒業し、同期の中でも抜きん出た将来を嘱望される若者だった。


 ある日、彼とその同期たちと山へ遊びに行ったとき莉奈は足をくじいてしまった。そのとき優しく介抱してくれたのも、麓までおぶって下山してくれたのも雅之だった。その背中のぬくもりを莉奈は今でも鮮明に覚えている。


 しかし結婚してから雅之の行動は変わってしまった。なぜか嫉妬深くなり、会社でも男性と会話していると途端に機嫌が悪くなる。莉奈にとっては何気ない同僚との雑談も雅之は許さなかった。だから莉奈は会社を辞めることにした。それでも今日のように男性と話すことを嫌がる。先日も、たまたま会った勤め先の同僚の男性と会話しているところを雅之に見られた。その日、雅之は狂気にかられ、どれだけ莉奈が謝っても許さなかった。彼が正気に戻ったのは彼女を投げ飛ばしたときだった。我に返った雅之は莉奈に泣いて謝った。莉奈はそんな彼を許した。


「私は間違っていない。見た目だけでなく優しく賢い、優秀で誰よりも出世するだろう男性、そんな彼を自分は選んだ。何の間違いがあるだろう。今は新婚で、少し嫉妬があるだけ。だから問題ない。自分の選択は間違っていない。」

 莉奈は腕のあざをさすりながらリビングのソファーに座る雅之を見つめた。


 ×   ×   ×


「なんか様子がおかしかったんだよな」

「疲れてたんじゃないの。私と会ったときもそんな感じだったよ」

 夕食後、リビングでくつろぐ美波に蒼真が優しく声をかけた。美波は彼の言葉に耳を傾けながらも手にした雑誌から目を離さずページをめくり続けている。


「莉奈じゃなくって、旦那さんの方」

「あゝ、あのかっこいい旦那さん?」

 蒼真はムッとした表情を浮かべながら美波の向かい側の席に腰を下ろした。

「確かにかっこよかったけど、どっか不愛想だったよ」

「男の人ってどっかそんなところ、あるんじゃないの。だって、この前、蒼真君と歩いて、私の中学時代の友達に会ったとき、蒼真君、私から離れていったじゃない」

「あれは……」


 蒼真の口からいじけた声が洩れた。その声に反応して美波は雑誌から目を外し、蒼真をじっと見据えた。

「あれは?」

「僕は美波の旦那さんでも彼氏でもないから……」

「だから誤解されたくなかった」

「そうそう」

 その言葉を聞いた瞬間、美波は雑誌を膝の上に力いっぱい叩きつけた。


「すみませんね、私が横にいて。誤解されたら困ることでもあるの?」

「いや、そんなことは……」

 蒼真がたじたじになる中、ハッと気づいたように、

「って言うか、話がずれてる」

 蒼真の主張を無視するかのように、美波は再び雑誌を手に取り読み始めた。


「なんか目が怖かったんだよね」

「あの優等生の莉奈が、そんな変な旦那さん選ぶわけ、ないじゃない」

「でもこの前、美波が会ったとき莉菜の腕にあざがあったって言ってたじゃない。もしかしてDVとかないのかな」

「ないない」

 美波は変わらず雑誌に目を向けている。蒼真は深いため息を吐いた。


「メロン切ったので、どうぞ召し上がれ」

 キッチンからリビングにさとみがやって来た。手に持っていたお盆には三枚の皿が並び、その上には大きなメロンが鎮座している。

「わーい、メロンだ」

 美波が雑誌をソファーに置き、さとみに近寄る。

「子供じゃないんだから」

 そう言いながら蒼真もさとみに近寄り、お盆から皿をテーブルに置いていった。目の前の大きなメロンに目を輝かせながら蒼真はふと何かに気づいた。


「教授はいいんですか?」

「さっき部屋に置いて来たわ。まだ調べ物があるからって言ってたから」

 そう言いながらさとみは蒼真の横に座った。蒼真は居住まいを正す。リビングにはさとみの持ってきたメロンの甘い香りが漂いみんなの心を和ませた。

「一緒に食べなくてもいいんですか?」

「主人が忙しいときは、妻は控えるものよ」

 美波は先がギザギザのスプーンを手に取り各自の皿に配った。


「さすが、奥さんは妻の鑑ですね」

 美波がにこやかにそう言う。

「そんなことないわよ」

 さとみが照れて笑う。

「妻って、そんなもんなんですか?」

「子供には分からないのよ」

 美波は蒼真の向かい側の席に座りさとみが微笑みながら二人に声をかけた。


「さぁ、食べましょ」

  美波と蒼真は手を合わせて「いただきます」と声を揃えた。美波がスプーンでメロンを一さじ口に運びながら問いかけた。


「夫婦ってなにが大事なんですか」

 さとみは少し首を傾けながら答えた。

「思いやりかな」

「思いやり?」

「相手がなにを考えているのか、それが長く一緒にいると分かって来るの。だから相手の気持ちになって接することかなぁ」

「え、すてき」

 美波は胸の前で手を組みうれしそうに笑った。


「私もそうなれるかな」

「なれるわよ」

 さとみの微笑みに美波も合わせて笑みを浮かべた。

「本当ですか」

 にこやかな美波がふとメロンに被りついている蒼真を見ると、彼女の表情から笑みが消えた。


「まだまだかなぁ……」

 そんな美波のことを気にせず、蒼真はメロンをほおばった。

「でも、莉菜のところの夫婦はそんな感じじゃなかったな」

 蒼真は心の中で、莉菜が結婚して幸せなのだろうか、それ以上にここでメロンを夫婦別々で食べているさとみは本当に幸せなのだろうかと考えながら、メロンを完食した。


 ×   ×   ×


「ただいま」

「おかえりなさい」

 エプロン姿の莉奈が笑顔で迎える。玄関を入ってきた雅之は肩を落とし疲れた足取りで歩いている。その姿に、莉奈は一瞬心配そうな表情を浮かべるが、すぐに優しい笑顔に戻り、彼を迎え入れる。


「疲れているの?」

 莉奈は雅之から鞄を受け取る。彼は無言のままだった。莉奈は優しい笑顔を浮かべながら彼をリビングへと誘った。

「なにかあった?」

「いや、別に」

 雅之の表情は依然としてさえないままだった。莉奈はまた自分が何か気に障ることをしてしまったのではないかと少し心配になった。


「会社で嫌なことでもあった?」

「大丈夫」

 雅之は一人で着替えに向かう。その後ろ姿に何かを感じた莉奈は鞄を持ったまま彼のあとを追いかけた。

「なにかあったら言ってね」

「あゝ」

 雅之がネクタイを外しながら答えた。


「私、あなたの力になりたいの」

 莉奈が雅之に近づくと彼はギィッと睨みつける。莉奈は怯んだ。

「どうしたの」

「もういいよ」

 雅之が持っていたネクタイを叩きつけた。


「僕は君に愛される資格なんてないんだ。だから放っておいてくれ」

「?」

 莉奈が鞄を胸に抱え泣きそうな声で問いかけた。

「僕はね、君が思うほど立派な人間なんかじゃないんだ」

 雅之の表情が情けなく崩れていく。


「私、私、なにか悪いことした?」

「君は悪くない。ただ君の期待には沿えないんだ」

「期待だなんて、私そんな……」

 莉奈が雅之に寄り添い抱きしめようとする。


「いいよ、もう」

 雅之は莉奈を突き飛ばし彼女は床に転がった。そのはずみでエプロンのポケットから何かが落ちる。雅之の目がその落ちたものに向かう。そこにあったのは母子手帳。雅之の目が今度は莉奈に向けられる。その目は喜びではなく驚きに満ちていた。莉奈にはそう見えた。

 莉奈は起き上がり、


「実は、今日、報告したいことがあって」

 雅之はあとずさりし驚きの表情を浮かべた。

「赤ちゃん、できたの」

 ややはにかみながら莉奈が手帳を拾い上げた。

「赤ちゃん……」

 雅之は絶句しその場に立ちすくんだ。


「確か、結婚して三年までは子供は作らず、山歩きを楽しもうって言ってたよな」

「そうだけど」

 莉奈の顔が曇っていく。

「なに、勝手なことしてるんだよ」

 莉奈が今まで聞いたことのないような強い語気で雅之が叫んだ。


「でも、これはふたりのことよ。それに私たちの子供よ。うれしくないの」

「うれしいとか、そう言うんじゃなくて」

 雅之がイライラして頭を掻きむしる。

「とにかく、今は子供はいらない」

「どうして!」

「どうしてもだ」

 雅之が部屋を出て行き、再び玄関に向かう。


「待って、どこ行くの」

「どこでもいいだろう」

 彼の腕に莉奈がしがみつく。彼がその手を払いそのまま彼女を突き倒した。

「いや!」

 莉奈は転がりながらお腹を押さえた。雅之はしばらく黙ってその様子を見ていたがそのまま何も言わずにそのまま出て行った。リビングには静寂が訪れ、一人取り残された莉奈は肩を震わせながら泣いていた。


「どうして、なんで、二人の子供なのに」

 莉奈の頭は混乱していた。彼は子供が好きだったはずだ。結婚前、三歳ぐらいの友達の子供が遊びに来たとき、雅之はその子供と一緒に楽しそうに遊んでいた。そのときの彼の笑顔を莉奈は今でも鮮明に覚えている。それが結婚を決めるひとつの決め手にもなった。なのに今の彼の態度は全く理解できなかった。


「私が悪いの?」

 莉奈が立ち上がろうとした瞬間、目の前に白い何かが立っているのに気づいた。

「苦しい?」

 莉奈の目が下からせりあがる。そこに立っていたのは白いワンピースを着た少女だった。


「でも大丈夫よ」

「あなたどこから入って来たの?」

 莉奈が目から流れ出た涙をぬぐう。

「どこからとか関係ないわ」

「?」

 少女が右手に持っていた麻袋を差し出した。


「はい、これ」

「?」

 莉奈は意味も分からずその袋を手に取った。

「なにこれ?」

「どうしても許せないことが起こったらこれを開いてね」

「?」

 莉奈が手の中の麻袋を見つめた。


「許せない? そんな。私は、私は彼を愛してる」

「本当?」

 少女が首を傾げる。

「本当は愛していないんじゃない」

「え、」

 莉奈が立ち上がる。


「そんなわけない」

「あなたは彼のスペックに好意を寄せただけ」

「?」

「見た目がかっこいい、高学歴、高収入、優しくて、子供好き。だからあなたは彼を選んだ」

「そうよ、それがなにか」

「それをあなたは彼に求め続けた」

「……」


「彼は疲れたのよ、そんなあなたに」

「疲れた?」

 莉奈の眉間に皴が寄る。

「私は彼にそんなこと求めてない」

「そう、でも彼はそう思ってる。あなたを失いたくない嫉妬心で、あなたの望む姿でいようとした」

「そんなの、あなたの勝手な想像よ」

「そうかな」

 いつの間にか少女の手に携帯電話が握られている。それは雅之の携帯。


「これ見て」

 少女が携帯を渡す。画面には誰かとのチャットした吹き出しが続いている。そこに書かれていたのは、雅之が誰かに好意を伝えているもの。そしてその返信も彼への好意をコメントしている。 吹き出しは続く。


『雅之:愛してるよ』

『A子:私もよ。でも奥さんに悪い』

『雅之:いいんだ、彼女には疲れた。彼女の前で良い旦那を演じるの』

『A子:奥さん、厳しいの』

『雅之:厳しいって言うか、なんか無言の圧力を感じる。やっぱり君の方が良い』

『A子:どうして?』

『雅之:君といると心が休まるんだ。家に帰っても気持ちが休まらない』

『A子:そうなんだ。来週の水曜に家で待ってる』

『雅之:必ず行くよ。愛してる』

『A子:私も……』


「浮気?」

 莉奈の手が震え始めた。水曜日、今日、つまり雅之はこの女と会った後にここに帰ってきたのだ。莉奈の目が吊り上がり怒りと悲しみが交錯する。自分を裏切っていた、雅之は自分を愛していないのだと、莉奈は痛感した。


「きっと、旦那さん、その女性のところに帰ったのね」

 ワンピースの少女は冷ややかな笑みを浮かべた。

「どう言うこと、私の何が間違っていたと言うの、私は、私は、この世界で一番すてきな男性と結婚したはずなのに、なにが、どこが間違っていたと言うの。私の選択に」

 携帯を持つ莉奈の手がさらに震えだし、怒りと悲しみが交錯する。


「許せない、許せない」

 莉奈は麻袋を握りしめ、家を飛び出して行った。


 ×   ×   ×


「やっぱり浮気していたのね」

 玄関の扉は開いていた。

 莉奈は怒りと悲しみを胸に女のアパートに乗り込んでいった。1ⅮKの間取りの部屋、奥の和室で眠っていた二人の男女が飛び起きた。


「莉奈、どうしてここに」

 雅之は上半身裸で、女も同じように掛け布団を巻いて部屋の隅へ後退している。その光景に莉奈の心はさらに引き裂かれるようだった。

「女の子が教えてくれたの、あなたがここにいるって」

「女の子?」

「そんなことどうでもいい」


「よくない、人の家に勝手に上がり込んでいいと思っているのか」

 雅之の顔面が赤く染まる。だがそれ以上に莉奈はさらに顔を赤くして赤鬼のごとく恐ろしい形相で二人に迫った。

  「私を裏切ったのね。私は、私はあなたを愛しているのに」

 ふと莉奈の目が近くの座卓にいき、そこにはピンク色の手帳が置いてあった。


「母子手帳……」

 莉奈の目がしばらく動かなくなり、ゆっくりと女を見た。

「妊娠しているの」

 女は恐怖で動けず首を小さく左右に振るだけだった。莉奈は母子手帳を取り上げその表紙を見つめた。母の欄にはその女の名前が書かれており、父親の欄には「宇津見雅之」と記されていた。その瞬間、莉奈の心はさらに引き裂かれるようだった。


「どういうこと」

 莉奈が雅之に向き直る。

「その、子供ができたんだ」

「私との子供はいらないって言っていたくせに」

 莉奈が雅之につかみかかる。


「あなたは私だけを愛していればいいの。あなたを選んだ私に間違いはないの」

「それが重いんだよ。結婚してお前の意に添うように行動するのはもうたくさんだ。日々お前が嫌いになる。俺はお前のアクセサリーじゃない」

 雅之が莉奈を突き飛ばす。


「鬱陶しい!」

 雅之が倒れた莉奈の髪を鷲掴みにし、引きずり回す。

「痛い! やめて」

 莉奈の懇願をよそに襟首も一緒につかみ玄関の方へ引きずっていく。

「いや。やめて」

「うるさい」


 部屋の隅で怯えていた女は、今まで優しかった男の豹変ぶりに困惑している。そんなことはお構いなしに雅之たちがどんどん玄関に近づく。そして扉を開け莉奈を廊下に叩き出す。

 古びた二階建てのアパートの廊下は薄暗く、明かりも少ない。隣の住人が少しだけ扉を開け、何事かと耳をそばだてている。そんな廊下に倒れ込んだ莉奈の目が雅之を睨んだ。


「なぜなの、あなたは私のこと愛してないの」

「愛してたよ、愛してたから我慢してたんだ。でももう疲れた。もうお前に愛情は持っていない」

「そんな、あなたの暴言も、暴力も、私の愛情の裏返しだと思っていたのに」

「そんなわけないだろう」

「私は、私はあなたを愛しているのに」

「嘘つけ!」

 雅之が莉奈を足蹴りにする。莉奈は必死でお腹に腕を回し彼の蹴りからガードする。


「お前のせいで、僕がどれだけ苦しんだか、それが分からいやつは死ねば良い」

 その言葉を発した後、再び莉奈の襟首をつかみ、廊下の端、階段まで引きずっていく。

「いや、なにするの」

「お前なんか死ねば良い」

 そう叫ぶと莉奈を階段から突き落とした。そのとき彼女のポケットから麻袋が飛び出す。

「ぎゃー」

 彼女が階段を転げ落ちる。一階まで到達したとき、彼女がお腹を抱えて苦しみだした。足元から血が流れていることは二階からでも分かる。


「莉奈!」

 蒼真と芦名が彼女に近づいた。彼らは先日、宇宙船を目撃した少年の家がこの近所にあることを知り、もう少し詳しい話を聞くためにたまたまここを通りがかったのだ。莉奈の苦しむ姿を見て二人は驚きと心配の表情を浮かべた。

「莉菜、どうしたんだ」。

「赤ちゃん、赤ちゃんが……」

 莉奈は言葉を絞り出し苦痛の表情から彼女の体に何が起こっているかが分かる。蒼真は階上の雅之を睨みつけた。


「俺は悪くない。悪いのはその女だ」

 雅之は怒りに目を見開き仁王立ちになる。その足元に麻袋が落ちる。そこから霧のような白い煙が立ち上り彼を包み込んでいく。


 夜の街に一匹の白く長い首の怪獣が出現した。怪獣ヴァイオレンは怒り狂うかのように咆哮しその声を月に向かってぶつける。そして自分の足元にある家々を踏みつぶしていく。家々からは炎が上がり人々が逃げ惑う。


 そのヴァイオレンの目の前に青い光の柱が現れた。その柱が消えたときネイビージャイアントがヴァイオレンの前に立ちはだかる。ヴァイオレンがネイビージャイアントを認識するや否や、怒りに任せて突進してくる。ネイビージャイアントはそれを受け止めるが、勢いを止められずあとずさりしていく。それでもなんとか前進を止めるネイビージャイアント。しかし、今度はヴァイオレンの尾が彼の首に巻きつく。ネイビージャイアントは苦しみながらも、なんとか両手で尾をほどこうとする。


 その様子を見たヴァイオレンはネイビージャイアントの両肩を持ち、そのまま持ち上げて投げ飛ばす。地面に叩きつけられるネイビージャイアント、痛みでしばらく動けない。ヴァイオレンはネイビージャイアントに近寄り、その長い尾で何度も何度も打ち付ける。


 気を失いかけたネイビージャイアントはかろうじて体を回転させて尾の攻撃をかわす。尾が地面を叩きつけると地響きと共に周りの民家が崩れる。かろうじて立ち上がったネイビージャイアントは飛び上がりヴァイオレンの後方から飛び蹴りを喰らわせる。前のめりに倒れるヴァイオレン。ネイビージャイアントはその尾をつかみ、力任せにヴァイオレンを振り回す。宙を回転するヴァイオレン、その手を放すと、今度はヴァイオレンが地面に叩きつけられる。


 うつ伏せに倒れたヴァイオレンは尾を大きく振り上げる。そのとき、尾の付け根に赤い光が見える。ネイビージャイアントはすかさず左手を前に出し青い光線が赤い光線を捕えた。ヴァイオレンの伸びきった尻尾が地面に落ち、その地響きが再び街の建物を崩れさせる。しかしそこまでであった。落ちた尻尾はもう持ち上がることはなく、地面に横たわったままやがてその姿も消えていった。


 ×   ×   ×


「流産したんだって。莉菜かわいそう」

 病院の廊下は窓がなく、どこか暗い印象が漂っていた。幾人かの看護師が蒼真と美波の横を静かに通り抜けていく。蒼真が病室を覗き込むと、そこには莉奈がベッドに上体を起こした状態で座っていた。その表情には感情がなく、まるで魂が抜けたかのようだった。


 あの怪獣騒ぎのあと、蒼真は急いで彼女を病院に運び込んだ。緊急手術が行われたが残念ながらお腹の赤ちゃんは救えなかった。その後、蒼真と美波は何度かお見舞いに訪れたが、莉奈はほとんどしゃべることはなく、何を聞いても上の空で、目は宙を見つめていた。


「莉奈、気がふれたんじゃないか」

 美波も心配そうに眉を顰める。

「先生の話だと精神的にダメージが大きすぎて、外界からの情報を遮断しているんだって。ここにきてから先生や親にも口をきいていないみたいよ」

「そうなんだ」

「まぁ、旦那さんとお腹の子供が同時にいなくなったんだからそうなってもしょうがない気がするけど」

 美波も病室を覗き込みため息を吐いた。


「それにしてもひどい話よね。浮気しておいて、莉奈を階段から突き落とすなんて」

「そうだね」

 蒼真は山で見た雅之の表情を思い出した。確かに不愛想だったが彼の心にも何か深い悩みや葛藤が巣くっていたのかもしれない。ただそれ以上に莉奈の幸せそうな笑顔が思い起こされる。


「莉菜は幸せだったんだろうか?」

「そんな、こんなことになって幸せなはずないじゃない」

「でも以前会ったときは幸そうだったよ」

「幻想だったのかも」


 蒼真はその言葉に違和感を覚えた。幸せとはもしかしたら誰しもが幻想を見ているだけなのではないか。そしてその幻想が現実に変わったとき、人の心は壊れてしまうのかもしれない。そう考えると、今の自分はどうなのだろうか。


「でも、きっと莉奈もまた幸せになれると思う。そうでないと救われないもん」

 美波は頬を膨らませながら言った。

「そうだね」

 確かにその希望は自分も持ちたい。今度こそ莉奈の選択が正しいことを。蒼真は美波の言葉に頷くしかなかった。

《予告》

世界的権威森田教授がフレロビウム検知器開発のため帰国した。彼がさとみの元カレだと知りショックを受ける蒼真。そんな蒼真をネイビージャイアントと疑う森田が取った行動とは。次回ネイビージャイアント「見破られた正体」お楽しみに

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