布団の上で
家に帰ると部屋に一匹の猫がいた。
折りたたまれた布団のうえでくるりと丸まり眠っている。
ものすごく長い毛の黒猫だ。
パッと見では、布団にヒトの頭部が置かれているようにも見えた。
遠目でじっくり観察しても、丸まったその姿は『黒くて大きなマリモ』にしか思えない。
ひとまず部屋へはいり、荷物をおろしてテーブルの前へ座る。
部屋が狭いため、猫との距離は二メートルもない。
荷物のなかからコンビニで買った幕ノ内弁当とペットボトルの水をだしてテーブルへ並べる。
猫は起きて、首からうえだけをねじりこちらを一べつする。
それを横目に見ながら弁当を開く。
こちらが猫に興味がないことを確認すると、猫は気だるそうに大きなあくびをした。
猫はふたたびカラダを丸めて目をつぶる。
雑ではあるが手入れされた毛並みや安っぽい首輪をつけているところから見て野良ではないことは確かだ。
ヒトに慣れているということもよくわかる。
弁当にはいっているナゾの白身魚のフライをハシでつまんで猫に向けて振る。
気配を感じたのか、猫はこちらを見た。
警戒している感じではないが寄ってくる様子もない。
今度は斜めに切られた竹輪のイソベ揚げを振ってみる。
「すいやせんが、あっしは脂っこいものはちーっとばっかり苦手でしてねぇ……」
猫は起き上がり、こちらを向いて座りなおした。
「もしよろしければそっちの水をいただけますかぃ」
ペットボトルのラベルを確認する。
このミネラルウォーターは軟水だ。たぶんあげても大丈夫だろう。
ペットボトルのフタに水をいれて猫の足元へ差し出す。
座った体勢のまま首を伸ばし、顔を下に向け水をなめる。
猫の観察を中断して食事に戻る。
味になんて興味はない。腹にはいりさえすればいいのだ。
弁当を胃に押し込み終えると、一気に水で流し込む。
あとは眠るだけだが布団は見知らぬ猫に占拠されている。
そんなこちらの様子を察して、猫から話しかけてきた。
「お邪魔ならどきやすが」
「構わんよ」
「へぇ、ありがとうございやす」
眠ろうと思えば畳と腕マクラで眠れるのだ。
「そういえば、キミは、血統書とかなんかとかがついたお高い猫なんじゃないか」
「いえいえ、あっしはそんもんじゃぁございやせん」
猫が前足でカラになったフタをどけながら話をつづける。
「いまはこんなナリしてやすが、昔は野生を謳歌しとりやして。道を歩きゃああっしを知らねぇ奴なんかいねぇぐれぇのもんですぁ」
「ほぉ、大きく出たね」
ヒトに慣れていると感じたのは、飼われていたからではなく、たんなる図太さから来るものだったのか。
「いちおう、血統書はありやすがねぇ、ニセモンなんですぁ。野生のあっしを連れ帰った……『飼い主』ってやつですかぃ? そいつが紙を吐き出す機械でこしらえやがったもんで」
「そいつぁいけねぇなぁ」
いつのまにか、布団のうえ、猫の下にふっくらとした座布団が敷かれていた。
「『ブリーダー』をおっぱじめようってなことで『野良猫をつがえてガキを作らせうっぱらえば大儲けだ』なんて言ってやして。よくはわかりゃせんですがねぇ。あっしとしちゃぁ、屋根のある家で飯ももらえてそのうえ女もあてがわれるなんて、いたれりつくせりってやつですぁ」
前方には置き型のマイク、右側には太い筆文字で『黒猫家芽衣んくん』と縦書きされた紙が置かれていた。律儀に『くろねこやめいんくん』とふりがなまでふられている。
『芽衣ん』が名前なのだろうか?
「そうして今日の昼間に飼い主があっしのつがいになる雌猫を連れて来やしたが、これがまぁひっでぇひっでぇ。しかしあっしも大人だ。酸いも甘いもかみ分けた大人の猫だ。すこしぐらい器量が悪くても中身さえよけりゃ……なぁんて考えてたら中身はその二倍は酷い。そんでもって――」
帰ってきてから一言も話さないこちらに構わず、布団のうえの座布団に座った猫はこちらに向かってずっとひとりごとをつづけている。