第二章 光と闇の道標1
俺とフィアラは、これからの拠点を手に入れるため、レヴィジット邸跡の近くにある街に来ている。
なかなか大きな街で、でかい建物に囲まれた道を、たくさんの人間が歩いている。実に居心地が悪い。しかし、回りの人間は気にならないのか、フィアラは嬉しそうに辺りを見回している。
良家のお嬢さんともなると、屋敷の外に出してもらえる事は殆どないらしい。
買い物などは無論使用人が行くし、学問においては専属の教師が屋敷を訪れ、フィアラの家庭教師を担う。そう言った事情から、まともに外を出歩いたのは、今回が初めてだと言っていた。
「あ、神崎さん、この林檎美味しそうですよ」
「……お前、一体何しにここに来たんだ?」
いくら珍しいからと言って、はしゃぎ過ぎだ。いつ何時、ケルベロスがフィアラを狙っているかわからない。あいつらは夜行性だ。本格的に行動を開始するまで時間があるが、油断ならない。
街に入る前に注意はしておいたはずなのだが……。
「家を探しに来たんですよね?大丈夫です。今まで通ったところには、不動産屋はありませんでしたから」
フィアラはそう言いながら、色々な場所に目を向けている。
俺の注意など……まるで無視と言うわけだ。
「……仕方ない。家は俺が探す。その間、お前はこの街を自由に見て来い。これだけ人がいれば、ケルベロスは現れないはずだ。夜十時までに、ここに戻って来い。いいな?」
正直言って不安である。夕方で、それでも人はたくさんいる。ケルベロスが現れる可能性はこの上なく低い。しかし、万が一と言う事がある。
もしケルベロスが現れて、フィアラが殺されてしまったら、その時点で俺達は敗北確定だ。
とは言え、フィアラも自由時間ぐらい欲しいだろう。家なら俺が探せばいいし、場所と時間の約束もした。問題ないだろう……恐らく。
「本当ですか?ありがとうございます!」
俺に礼を言って、フィアラは走っていった。さて……適当に家を探すとしよう。
「ん……?」
歩き始めようと思ったとき、俺はちょっとした事を思い出した。
「あいつ……この街に来る直前まで、かなり疲れていたはずじゃ……」
本当に大きな街だと思います。
道は広いはずなのに、いつも誰かが、タイミングを見計らっているみたいに道の隙間をなくしている。でも、それはここが広い道だからで、狭い道にあまり人はいませんが。
この街は大きいから、多くても当然だと、神崎さんから聞きました。私が家でのうのうと暮らしている間に、皆さんは一生懸命に働いていたのですね。この街に来て、そんな事を思います。
この街に着くまで、意外と時間がかかりました。
それは、私が長時間歩いた経験がなくて、すぐに疲れてしまう私に、神崎さんがペースを合わせてくれていたからです。そのせいで、三日をかけて、ようやく街に来る事ができました。
本当は今日もくたくたなのですけれど、疲労よりも好奇心が勝ってしまって、神崎さんが自由時間をくれたときに、思わず走り出していました。
神崎さん、すみません。
そう、心の中で謝罪しているときでした。目的もなく街を歩いていると、稲妻の模様が入った黒い服を着た男の子……私よりも少し幼い感じの……と目が合いました(あ、眼鏡をかけてます。でも何となく聡明なタイプではないような……)。別に何かがあったわけではありません。ただ、何となく目が合ったんです。
「……よう」
対応にお困りになったのか、男の子は私に声をかけてきました。突然知らない人と目が合ったりしたら、困っても仕方ないですよね。
「あ、どうも。おはようございます」
今は夕方の六時。挨拶を間違っている事にも気づかず、私は頭を下げていました。ふとしたことで間違う……大丈夫です。よくあることです……多分。
何年も世の中を生きていたら、そういうことって、結構あるものです。今みたいに時間によって違う挨拶を間違えたり、間違えた文字を、もう一度同じように書いてしまったり。あ、勉強を教えてもらっているときに、自信満々で言った答が間違っていたなんて事もありましたっけ。
とにかく、結構あるんです。
向こうも気づかなかったのか、それともあえて突っ込まなかったのか……それはわかりませんが、男の子はそのまま言葉を繋ぎました。
「見ない顔だな。この街は初めてか?」
とりあえず、はいと答えておきました。
だって、本当に初めてですし……。
「そうか。この街はでかいからな。あんまり適当歩いてると迷っちまうぞ?」
確かにそうでした。
何の当てもなく歩いていたのは良いのですけれど、見たことの無い街で放浪していた私は、約束の場所がどこか、さっぱり分からなくなっていました。つまりは迷子……と言うわけです。
「あ……」
「あ……って、もうなってんのかよ!おいおい、一度迷っちまうとなかなか迷走状態から抜け出せねえぞ?」
まるで前から私を知っているかのように……慣れ親しんだ友達を話すように、この人は私と話している。人と関わるのが上手って言うか……。神崎さんとは対極に位置する方のようです。
あの人は冷静で、自分のことを話すことは滅多になくて……。世渡り下手……と言ったらわかりやすいでしょうか。
「ま、まあ、あれだ。こんなに人が多くちゃ場所を探しにくいだろ。ある程度人が減るまで、どっかで時間潰そうぜ。飯でもどうだ?」
ナンパ(……と言うのでしょうか?)をされているような感じもしましたが、きっと私の時間つぶしに付き合ってくれる気なのでしょう。そうだとしたら、優しい方です。
「あ……はい」
私の答を聞くと、彼は体の向きを百八十度変え、そのまま歩き出しました。
意外と早い足取りの彼に、私は慌ててついていく。
「……にしてもお前、何かボケッとしてて危なっかしいな。何でこの辺をうろうろしてたんだ?」
斜め後ろを歩いている私に、彼は顔だけを向ける。
ボケッとしている……。実は、私はよくそう言われます。今まで……数十回は言われました。
本を読みながら歩いていて、曲がり角に気付かないまま壁にぶつかったり、考え事をしながら屋敷を歩いていたら、危うく階段から転げ落ちそうになったり……。その度に言われました。
ボケッとしている……と。
「あの……実は一緒に来ている人がいまして……それで、今は別々に」
「……ふうん。ってことはもう会ったんだな」
「え……?」
後半で声が急に小さくなり、その部分が聞き取れませんでした。
「いや、何でもねえよ」
そう言って、彼は前を向く。何か、とても大切な事に繋がる言葉を聞き逃したような気がしますが、その後いくら聞いても、彼は答えてくれませんでした。
そのまましばらく歩き、ラーメン……と言う食べ物を扱っている店に案内されました。
「悪いな。あんまり金がねえんだ。ここで勘弁してくれ」
「い、いえ、元はと言えば私がいけないんですし……」
あれ……?ただ目があっただけですよね?私、何か悪い事しましたっけ……?
自分で言った事に疑問を覚えましたが、今更訂正するのも変なので、何も言いませんでした。
「……へえ、お前がレヴィジット家の嬢さんかよ。ま、何となく高貴な感じはしてたんだけどな」
店に入った後、私達はラーメンを食べながら、いろいろなことを話していました。例えば、それぞれの名前とか…………。ええっと、とにかく、いろいろです。
彼はレイト・アレクジールさん。年齢は十五歳。私よりも二つ年下で、でも身長は私と同じくらい。
私の屋敷で何があったのか。そのことを話さないように、気をつけながら、私達は楽しい会話を続けています。
「いえ、私なんかは全然高貴じゃないです。私のお母様に比べたら……」
「そ、そこまで神々しいオーラを放ってるのか?」
何かに焦るように、彼は聞いてきました。そこまでって……私も神々しく見えてたんですか?
「……ええ。高貴を形にしたような人で、でも高貴さのせいで優しさが失われているわけでもなくて……。それこそ神々しい雰囲気の人でした」
あの人は、私のよき母であり、憧れでした。私も、こんな人になりたい……そう思って、お母様の姿を見てきました。でも、その憧れはいなくなってしまった……。
私の言い回しに気付いたのか、彼の表情が変わりました。
「……でした?」
「亡くなったんです。三日前に」
何故か……?それを話してしまわないよう、三日前に亡くなったと言うところで、私は言葉を切りました。
迂闊に話してしまっては、レイトさんも巻き込んでしまうかもしれない。そうなると、彼の命まで危なくなってしまう。そう思ったから。
それが無駄だったと言う事に気づくのは、もうちょっとだけ後のこと。
「亡くなったって……親父さんは?」
「母と一緒に……」
普通、二人の人が同時に亡くなる事なんてないはずです。
でも、レイトさんはそれ以上聞いてはきませんでした。
「そうか……。じゃあ、俺と同じだな」
え……?と、私は首を傾げました。
今の言葉はつまり、私とレイトさんに、何かしらの共通点があるということ。突然だったからよくわからなかったけれど、話の流れから、何が共通しているか理解しました。
「俺も両親がいないんだよ。俺がまだ小さいときに、二人とも死んじまってな。もう十年になる」
私と同じように、何が原因で亡くなったのか、レイトさんは話しませんでした。
けど、言いたくないことを無理に聞くのも申し訳ないと思い、私は黙っていることにしました。
「……と、悪い。空気重くしちまったみてえだな」
「いえ、私も、嫌な事を思い出させてしまって……」
私達は、互いに頭を下げ合いました。
私は深く頭を下げたので、ラーメンの器に思い切り頭をぶつけてしまいました。ガツンと。
「痛っ!」
「おいおい、何やってんだよ。本当に天然だなお前」
レイトさんが笑いました。ははは……と。私も笑いました。
そのおかげで、場が少しだけ和みました。私のボケッとした性格が、幸いしたようです。
食事を終えて、私達は外に出ました。入ったときよりも、空が暗くなっていて、人も少なくなっています。
「九時半……か。思った以上に長話しちまったな」
神崎さんとの約束の時間まで、あと三十分。
レイトさんがいたおかげで、自由時間を楽しめました。
「じゃあ、連れとの約束の場所を探すとするか」
「え……いいんですか?」
私が問うと、レイトさんは今更か?と言いたげな顔をしました。
「いいも何も、今ここでお前を置いていったら、お前はずっと迷子じゃねえか。ここらの道を把握してないお前がいくら彷徨っても、まず帰れねえぜ」
いくら人が減っていると言っても、この辺りがどこなのか、私には全然わかりません。
下手に歩き回ったら、神崎さんと合流するどころか、約束の場所からどんどん離れていってしまう可能性も高いです……と言うより、確実にそうなりそうです。
「まあ、そういうこった。ほら、行くぜ」
「あ……はい!」
さっさと歩いていくレイトさんの背中を、私はあわてて追いかける。
「……で、何か覚えてないのかよ?その場所の特徴とか」
闇雲に探したところで、たどり着ける可能性は低いです。私は少し考えました。
神崎さんと別れたとき……確か近くに……ええっと、何だったのかな……あ、そうだ!
「林檎です。すぐ近くで、林檎を売っていました」
「林檎ねえ……この辺で林檎を売っているところと言えば……。よし、行くぞ!」
場所が思い浮かんだのか、レイトさんが走り出しました。は……速い!
私は慌てて追いました。しかし、彼は陸上選手さながらの足の速さで、一直線に走っていきます。私のために向かっているのに、私を置いていってどうするんですか!
私の心の叫びが通じたのか、かなり離れた場所で、レイトさんが足を止めました。
よかった……。もう少しで見失ってしまうところでした。
「わ、悪い。そういやお前、良家の嬢さんだったな。まともに走ったこともねえのか?」
「はあ……。あまり、屋敷から外に出る事がなかったので……」
今考えてみると、とても不健康な生活をしていたような気がします。
大切にされていたのは嬉しいですけれど、今度ばかりは困りました。
そんなことを考えながら、レイトさんと一緒に歩いていると、誰かが店じまいをしているのが目に付きました。その人が今片付けているのは……間違いなく林檎です。
「あ、ここです!」
「九時五十分か。良かったじゃねえか、間に合って」
レイトさんは、はははと笑っています。私が間に合ったのを、まるで自分のことのように喜んでくれている……。そんな彼の様子が、自分よりもしっかりした弟のように見えました。
「ほ、本当にありがとうございます!」
私は深々と頭を下げました。多分、九十度ぐらい。
「気にすんなって。別に大した事じゃ…………!」
突然レイトさんが怖い表情でどこかに目を向けました。
まるで……獲物を狙う狩人のように。
「あ、あの……」
「悪いな。俺、もう行くぜ」
どこに向かうのか、レイトさんが走り出しました。が、すぐに止まって、こちらに振り返りました。こちらを見たとき、レイトさんの目には、先程の狩る者の目はありません。
「またな、『聖血の封冥者』!」
「……え………」
程なくして、神崎さんが戻ってきました。