第一章 ここに始まる黙示録2
「ガアアアアアアアアッ!」
バチッ……バチバチバチッ!
真ん中の首の口の中で、光の珠が電気の走る音を立てて形成されていく。ケルベロスが冥界へ迷い込んできた者を焼き払い、無に帰する際に使われる技だ。
「ガアアアッ!」
左右の首が雄叫びを上げると、真ん中の首の口から、光の珠が放たれた。
カッ……ドオオオオオオオオオオオオオオオッ!
「あ……ああ!」
白い閃光が走り、爆発によって屋敷が丸々吹き飛んだ。
余程強力なダイナマイトでも使用しない限り、起こりえない自宅の消滅に、フィアラはただ悲鳴にならない悲鳴をあげているしかなかった。
この時、フィアラは勿論、俺もケルベロスですら気付かなかった。
爆発が起こる直前、レイディルがその姿を消していた事に。
「ちっ……!」
俺は跳躍で爆発を回避し、燃え盛る屋敷の跡に着地した。直後、瓦礫の中からケルベロスが姿を見せる。
「グルルルル……」
辺りを見回してみた。
屋敷の住人であろう者達の死体が、十は転がっている。その中の殆どに、ケルベロスに噛みつかれたり、体の一部を引きちぎられたりしている。
昨日は周りに死体が無かった為実行できなかったが、今なら……。
「……十分か」
俺は刀を左斜め下に構えた。今なら……「あれ」が実行できる。
オオオ……。
刀が怪しげな光を放ち、小さな光……魂が、宿っていた死体から次々と離脱してきた。そのまま魂は刀に宿り、一つ魂が宿っていく毎に、刀は光を増していく。
「ガ……」
その光に、ケルベロスが後退していく。己の武器に魂を宿らせる……。それは太古から伝わる、『冥界の黒狂犬ケルベロス』を打ち倒す手段だ。
「ガアアアアアアアッ!」
やけくそか、ケルベロスが突進する。だが、俺は跳躍で突撃をかわす。
刀を下に向け、そのまま……。
ズンッ!
「ギアアアアアアアアアアアッ!」
ケルベロスの背から腹を、鋭い刀が貫いた。魂を宿した刀に貫かれたケルベロスの傷口から、少し煙が発生する。
「冥界より出でる狂犬よ、『神威の邪砕靭』の名の元に、『光の黙示録』の舞台から滅する!」
刀を抜き、それと同時にケルベロスの背中から跳躍した。俺が上に掲げると、刀は長さを増していく。
冥界へ帰れ、『冥界の狂犬ケルベロス』……!
「うおおおおおおおおおっ!」
刀の刃が強く輝いた。その巨大な刃を、勢いよく振り下ろした。
ドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
「きゃあっ!」
とてつもなく強い衝撃と突風が、フィアラの立っている地面を揺らし、彼女の長くはない髪を引っ張るように揺らす。彼女の目の前では、ただ白い光が屋敷跡を包んでいた。
「……私の家、跡形もなくなってしまいましたね」
振り向くわけでもなく、フィアラは後ろに立つ俺に話しかける。フィアラの目の前には、屋敷で一緒に暮らしていた家族、使用人らの名が刻まれた小さな墓が、十数個並べられていた。
その中に、彼女の親友であるレイディルの墓もある。
「…………」
言葉がない。こういう時にかけるべき言葉を、俺は知らない。もう少し気の聞いた言葉を言えると良いのだが、俺はそこまで器用じゃない。
「……神崎さん」
「ん……?」
フィアラが俺のほうに振り返る。
「説明……してくれますよね?」
表情こそ暗いが、彼女の目からは光が失われていなかった。
真実を知ろうとする意志と、彼らの死を弔おうとする意志……。それらに満ち溢れた目は、真相へ迫るには十分だ。俺は彼女に、自分達の宿命を話すことにした。
「もうかなり昔……神話の時代の事だ。まだこの人間界と神界の関係が断たれていなかった頃、俺たち人間と、一人の神の戦いがあった」
世界がまだ成熟しきらぬ頃……人は徐々に、神々からの独立しつつあった。全ての神が人の成長を認め、彼らの独立を喜んだ。ただ一人……天使たちを司る神、神天使を除いては。
当時人は、天使達の管理下にあった。天使に木を伐採せよと言われれば、人は森の木を伐採した。殺し合えと言われれば、人々は殺し合った。そしてそれに逆らえば、天使達の強大な力によってこの世から消えていった。
人々の労働によって、天使達は安定した日々送っていた。それは、天使達の長である神天使も同じ事である。
ある日、神々全員が集結し、人々の今後についての会議が行われた。ほぼ全ての神は、人々の独立を認めたが、神天使だけは、決して同意しなかった。しかし、神天使の反論は、神々の意志を突き動かすには及ばず、近い内に、神界と人間界を繋ぐ扉が閉ざされる事となった。
己の立場が危うくなった神天使は、冥界の扉を開き、当時冥界に多数生息していた、『冥界の黒狂犬ケルベロス』の大群と、天使たちを率い、人々と神々に戦いを挑んだ。
この事態に対し、神々と人は同盟を結び、圧倒的な数を誇る神天使の軍と戦う決意をする。
数の差は神と人の連合軍一に対し、神天使軍二十。人と神は諦め始め、神天使は勝利を確信していた。しかしその状況は、冥界の王が、連合軍に味方したことによって覆される。
突如冥界から参戦した冥王は、天使達を遥かに凌ぐ神々をも遥かに凌ぐ力を見せ、次々に襲い掛かる天使達やケルベロス達を、傷一つ負わされること無く蹴散らした。
そしてついにただ一人となった神天使は、神々の手によって裁かれた。しかしその時、神天使は己の魂の半分をある一族の一人に。もう半分をある本に宿らせた。
魂がばらばらでは、神天使はその力を振るうことができない。神々は魂を宿された者に封印術を施し、本を二つにすることによって、神天使の覚醒を不可能なものにした。しかし、しばらく後、神々は重大な事に気づく。
宿された魂は、その者から子へ、その子から子へと、受け継がれてしまう事が判明した。しかも施した封印は、魂と共に受け継がれているものの、世代が進む毎に力を失っていく。これに対し神々は、人のある三つの一族にそれぞれの異名を与え、万が一、神天使が覚醒し、冥界の扉が開かれたとき、その名を継ぐものが覚醒するようにした。そしてその者達に、開かれた冥界の扉を閉じ、神天使を倒す使命を与えた。
人にあらん限りの備えをさせた神々は、神界へと帰り、人間界との関係を断ち切った。
巨大な屋敷が無くなり、平原と化した地には、そよ風が吹き続けていた。
「……それぞれの異名を継ぐ三人のうち、一人は俺。もう一人はお前だ。俺は『神威の邪砕靭』。お前は『聖血の封冥者』の名を継いでいる」
この時初めて、フィアラは自分が、何故『聖血の封冥者』と呼ばれたのかを理解したはずだ。つまり、彼女の継ぐ異名を、俺は呼んでいたわけだ。
「お前の宿命を証明するものが、その『光の黙示録』だ」
フィアラは自分が持っている光の黙示録を見つめた。彼女と同じ紋章が描かれたその本は、常に何かを求めているように見えた。
いや、事実求めているのだ。相対する……もう一つの本を。
「……どうやらわかっているようだな。そう、俺たちの手には『光の黙示録』があり、神天使の魂を半分宿した者の手には、『闇の黙示録』と呼ばれる本がある。これは、神天使のもう半分の魂を宿した本を、太古の人間が二つにしたものだ。この『光の黙示録』を敵の手から守る事も、俺達の使命のひとつだ。もし、『光の黙示録』と『闇の黙示録』が敵の手に渡り、魂を封印された本が一つに戻ったら、神天使は完全に覚醒し、太古に起きた惨劇が、現代で再現される事になる。それだけは……何としても避けなければならない」
『光の黙示録』には記されていないが、当時の戦いでも、数え切れないほどの命が散っていったはずだ。その戦いが現代で起きれば、世界人口の半数はその命を散らすだろう。すでに、百匹ほどのケルベロスがこの人間界に浸入してきている。一般に明かされてはいないが、それだけでも、今までの間に約三百人が犠牲となっている。実は、これでも少ないほうなのだ。
俺が覚醒した事によって、ケルベロス百匹のうち七十は、『光の黙示録』の舞台から滅している。この異常事態に、現在の警察や特殊部隊が役に立つはずも無く、ケルベロスの処理は、事実上、十六歳のガキである俺に任せきりになっている。
「……『聖血の封冥者』の役目は、開かれた冥界の扉を閉ざす事だ。それは『聖血の封冥者』以外では実行できない。お前が今まで、自分が覚醒している事に気付かなかったのは、覚醒した力が、目に見える力じゃなかったからだ。お前は冥界の扉を閉じる力を持ち、俺はお前を守る為の力を持った。つまり俺は、お前専属のガーディアンと言うわけだ」
『聖血の封冥者』は扉を閉じる為に冥界の扉へ向かい、『神威の邪砕靭』は『聖血の封冥者』を守る為に行動を共にする。それが宿命だ。
「フィアラ、『光の黙示録』はお前に預ける」
「え……でも、奪われてはいけないのでは……」
冥界の扉を閉ざせる分、フィアラには戦う力が無い。頼りない自分に、そんな大事な物を預けて良いのか、それが不安なのだろう。
「どちらにしても守らなければならないのは同じだ。なら、守るべきものが一つにまとまっていたほうが、俺にとってはやりやすい。それに『光の黙示録』は、お前が持ってはじめて意味を成すものだからな」
後半の言葉の意味は、フィアラには理解できなかっただろうが、自分が持っていたほうがいいと言う事を理解したフィアラは、人間界の運命そのものである『光の黙示録』を、責任を持って、自分が預かることを承諾した。
納得したフィアラが立ち上がろうとする。俺は手を差し伸べた。
言っておかなければならない……歓迎の言葉を言う奴を。
「よく来たな、フィアラ・レヴィジット。『光の黙示録』の舞台に……!」
眩いほどの笑顔で、フィアラは俺の手に自分の手を重ねた。
気が付くと、暗い空間に少女はいた。
自分にだけ、光が当たっていて、光の届く範囲以外は、真っ暗である。
「気が付いたかい?」
真っ暗である為、明確な距離はわからなかったが、自分から五メートルほど先を、突然光が照らした。その光で、背に翼を生やした少年が姿を見せる。
レイディルは思った。雰囲気こそ違うが、あの人に似ている……と。
「あ、あなたは一体……それに、ここはどこ?」
「僕はレミネス。そしてここは、君の生と死の狭間。本来なら、君はあの場で死んでいるところだったけれど、今回は僕が、君に選択肢を与える事にしたんだよ」
一瞬の間に、意味不明な言葉を次々と並べられてしまった。困惑する少女とは対照的に、レミネスと名乗る少年は、ずっと微笑を浮かべている。
困惑すると同時に、少女は自分がついさっきまでどういう状況に立たされていたのかを、徐々に思い出してきた。
確か、黒い三つ首の獣が……。
「君に与えられる選択肢は二つある」
レミネスがそういうと同時に、光が二人の間を照らした。照らされた狭い場所では、銃が一丁だけ、台の上に乗っていた。
「一つ、その銃を手にとって、自分の頭を撃ち、このまま冥界へ向かう事。そしてもう一つは……これから始まる喜劇に、その銃を君の力として使うこと。今すぐ決断してね」
正直言って、全く意味がわからなかった。
これから始まる悲劇とは一体何なのか……。しかも、この少年の言葉の意味が、とてつもなく深いことを少女は一瞬で読み、それが余計に少女を混乱させた。
「……一つ確認させて。あの時、私を助けてくれたのは、あなた?」
「うん、まあね。ほんの気まぐれだったけれど」
この言葉で、少女は決断した。この恩義、返さないわけにはいかない。
「ならこの銃、恩人であるあなたに尽くす力として使わせていただきます」
少女が銃を取る。少年は微笑を浮かべる。
「ようこそ、レイディル・ニアス。『闇の黙示録』の舞台に……」