第一章 ここに始まる黙示録1
気が付くと、俺はベッドの上で横になっていた。
見ず知らずの人間に、休んで行けと言われた後の記憶がない。気を失ってしまったか。……となると、ここはあの少女の家か。
「気分はどうですか?」
部屋のドアが開き、昨日の少女が顔を出した。俺のために用意したのか、パンと牛乳の乗ったトレイが、少女の両手を塞いでいる。昨日は時間が時間だったので、パジャマ姿であったが、今は黒が基調の服を着ている。ただ、赤い髪は、昨日と同じであった。
昨日は余裕がなかったから良く見ていなかったが、今見てみると、この少女は綺麗……と、言うのだろうか?うまく説明できないが、まあそういう感じだ。
「出血は止まりました。でも、まだ動いちゃだめですよ」
「……断ると言ったはずだ」
とりあえず、殺す気で少女を睨んでみた。俺は一般の人間とは違う。どこにでもいるような奴なら、これだけで、少なくとも一瞬は目を逸らす。まあ、簡単な人柄の調査と言ったところだ。
殺気は十分なはずだったが、少女は俺の目を、真っ直ぐ見返してきた。
どうやら、それなりに度胸は据わっているようだ。
「お節介だ……とでも言いたげですけれど、傷の深さや出血の量から見て、あのまま放っておいたら、あなたは確実に死んでしまっていました。自分の家の庭で人が死んでいて、平気でいられると思います?」
少女の意見に、俺は納得していた。
考えてみれば、ある日、知らない人間が、自分の家の庭で、血を流している。しかも、放っておいたら間違いなく死ぬ。そんな状況で、知った事かと言える人間が、一体何人いるだろうか。
ある者は自分の庭を気にして、またある者は周りの目を気にして、そいつを助けるだろう。
「助けてくれた事には礼を言う。だが、これ以上関わるな。それがお前の為だ」
殺意を込めたりはしなかったが、俺は少女を睨んでいた。仕方ない。昔からこうなのだ。
自慢じゃないが、俺は他人との付き合いが苦手だ。
と言うのも、どうやら俺自身が、他の連中には近づきがたい雰囲気を放っているらしく、相手から話しかけられることも少ない。こっちから話しかける事は全く無い。皆無だ。
俺が非社交的な事はともかく、さっき言った事は本当だ。
俺はこの少女に関わって欲しくないと思うし、それがこいつの為でもある。
「どうしてですか?」
言ってわかるのか、馬鹿が。心の中で悪態をついた。
少女は俺に対して、警戒心を抱いていない(……ような気がする)。相手は初対面の人間……しかも、立派な刃物を携えた、いかにも怪しそうなタイプだぞ。もう少しこう、「私はあなたを怪しく思っています」と言った態度をとっても、なんら不思議は無い。むしろ、警戒心を張らないほうが変であると言える。
「お前には関係のない話だ」
「それじゃあ、関わらない方がいい理由がわかりませんよ」
どうやら、俺が関わるなと言った理由を知りたいらしい。何故だ?
無知は罪と言う言葉があるが、知らないほうが良い事もある。少女の知りたがっている理由と言うのは、俺にとっては一種のプライベートと言える。
いや、ちょっと違う。どう違うかと言うと、この少女が知りたがっている理由は、プライベート……個人に関すること、自分だけに関係のあるさま……には当てはまらない。それの真相を知る者が俺ぐらいしかいないだけだ。
実際、俺が今関わっている問題は、知っている者こそ少ないが、世界規模といっても過言ではない。世の中の連中がのんきに時を過ごしている間に俺は……。
何てことだ。何がプライベートだ。全然違うではないか。
自分の間違いを恥じていると、少女が下を向いている俺の顔を覗き込んできた。
「説明できないことなんですか?」
「ああ。悪いができない」
話したところで、この少女を無駄に巻き込んでしまうだけだ。
一般人は一般人なりに、自分の時間を過ごしていれば良い。
「そう……ですか。きっと深刻な問題なんですね。わかりました、やめておきます」
微笑みながら、少女は追究をやめた。どうやら物分りは良いらしい。教えてもらえそうな事と教えてもらえなさそうな事。その二つを区別できている。
隠す事を面白がる奴は、相手の気持ちなどお構い無しに問い詰めてくる。非常に鬱陶しい。
「あなたの傷が治るまで、少なくとも一週間はかかります。それまでは、ここで安静にしていてください」
そう言うと、少女は部屋から出ようとした。しかし、ドアノブに手をかけると、俺のほうに振り返った。
「あ、申し遅れました。フィアラ・レヴィジットです。以後、よろしくお願いしますね」
微笑んで、少女……フィアラは部屋から出て行った。何をしに行ったのか……。
意外と答は単純だった。車椅子を押して、フィアラが部屋に入ってきたのだ。
「折角ですので、屋敷の中を案内致します。歩けないでしょうから、これに乗ってください」
正直どうでも良かったが、助けてもらった手前、無愛想に断るのも無礼だ。重い体を動かして、俺は何とか車椅子に乗った。自分の体に血が足りていないのがよく分かる。
フィアラはゆっくりと車椅子を押し始めた。いきなりスピードを出しては体に悪いと気を遣ったのだろう。
「フィアラ、ちょっといいか?」
「はい、何ですか?」
俺が話しかけると、フィアラはすぐに車椅子を押すのをやめた。顔を傾けて、俺が何かを言うのを待っている。そうしている間も、フィアラは微笑を絶やさない。
自分から話しかけたことに自分で驚きながら、俺は言うべきことを言った。
「……俺は神崎達哉。助けてくれた事、心から感謝している。その……ありがとう」
ありがとうの一言を言うのに、俺はかなり戸惑った。こんな言葉、今まで言ったことがなかったんだ。大目に見て欲しい。
「……はい!」
満面の笑みを浮かべて、フィアラは快く返事をしてくれた。一切曇りの無い笑顔だ。
フィアラといる間、負の感情が湧いてくることはなかった。不思議なものだ。他の奴らが近くにいると、一刻も早くその場から去りたくなるのだが……。
「あ、フィアラ!その人が例のお客さん?」
メイド服……と言うのか?そんな感じの服装をした少女が、こちらに走ってきた。
どうやら食事を運んでいる最中らしい。一切手が付けられていない料理の乗った台車が、少女の後ろに見えた。
「ええ、神崎さんです。神崎さん、私の昔からの友達で……」
「レイディル・ニアスよ。この屋敷の使用人をやってるわ。よろしくね!」
片手を腰に当て、もう一つの手で敬礼をし(堅い敬礼ではない。「よっ」って感じだ)、上半身をこちらに傾けた。こいつなりの自己紹介なのだろう。パアッ!と言う効果音が適切な笑顔だ。緑色の長い髪を、リボンで縛っている。
一目見て、こいつは使用人に向いていないと思った。
レイディルがフィアラに仕えている立場なのだろうが、そのフィアラに、レイディルは対等な立場で話している。使用人としては微妙なところだ。
ところで、レイディルからわかる通り、この屋敷には何人もの使用人がいる。
最初に俺が寝ていた部屋から出て、初めて気付いたのだが、この屋敷はかなりでかい。広すぎて目が回るほどだ。
つまりフィアラは、この屋敷を所有している者の娘……良家のお嬢さんというわけだ。
「レイディル、食事を運ばなくてもよろしいのですか?」
「あ、そうだった。昼食の時間だから、フィアラも早く来てね!」
ガラガラと音を立てて、台車はレイディルに引かれていった。数秒後に「ガシャアンッ!」と言う音が聞こえたのは、気のせいと言う事にしておく。
「む、昔から、元気な子でしたから……」
苦笑いをしながら、フィアラは何とかレイディルをフォローしようとする。あいつ……フィアラの友達じゃなかったら、確実に首だっただろうな。
レイディルの言った通り、少ししてからフィアラは昼食をとりに行った。
俺は行かなかった。行ったところで、向こうは得体の知れない俺と、気まずい時間を過ごすだけだ。と言うわけで、俺は自力で車椅子を走らせ、元いた部屋に戻った。
しばらくすると、昼食をとらなかった俺に気を遣い、フィアラが部屋になかなか豪勢な食事を運んできてくれた。
使用人以上に使用人らしい行動をとるフィアラは、とても良家のお嬢さんには見えなかった。とは言っても、白いワンピースを着て、話し方は上品で……。傍から見れば、お嬢さん以外の何者でもないわけだが。
「どうして来られなかったのですか?父上や母上は、不思議な方とお会いできるって、楽しみにしていましたのに」
父上や母上……か。いかにもお嬢さんらしい呼び方だ。
「お気を遣ってくださったのはうれしいのですけれど、夕食の際にはお会いになってくださいね」
そのフィアラの頼みは、決して叶えられなかった。
何故ならこの時、宿命の歯車は、新たな段階へ進んだからだ。
ドゴオッ!
「うわああああああああああああっ!」
「キャアアアアアアアアアアアッ!」
突如、何かの壊される音がして、その直後に屋敷の人間の悲鳴が聞こえてきた。玄関あたりからだろうか。
「皆……!一体何が……」
扉の方へ向かおうとしたフィアラの手を掴み、彼女の行動を制する。
俺の考えが正しければ、相手は危険度の高い招かれざる客だ。しかし、狙いは何だ?「奴ら」が俺個人を狙ってきた事は無い……。まさか、いるのか?この屋敷に「あれ」が。
「何するんですか!皆に何かが起こって……」
フィアラが俺にそう叫んだときだった。俺はフィアラの右手の甲に、模様が付けられている事に気づいた。
「……!」
まさか……彼女が「そう」なのか?もしそうだったとしたら、「奴ら」の狙いは……。
「おい、フィアラ。その手の紋章は……」
「今それに何の関係があるんですか!とにかく離してください!」
何の関係がだと……?大有りだ。
俺は手を離し、再度フィアラに問うた。
「答えろ、この紋章は何だ?いつからあった?」
部屋の外の様子を気にしながら、フィアラは答える。
「これが何なのか、私にもわかりません。生まれたときからあったらしいんですけれど……」
間違いない。俺は確信した。
何か作為的なものを感じるが……これは幸運だ。
「そうか……。こんな所にいるとはな……『聖血の封冥者』」
「え……?」
そのとき、俺達のいる部屋の扉が開き、誰かがその場に倒れた。レイディルだった。
「フィアラ…………」
「レイディル!大丈夫ですか?一体何が……」
倒れたレイディルに駆け寄り、血の流れる腕の傷口を押さえる。
出血は少ない。外傷はあるが、致命的な傷ではない。しかし、その様子に反し、レイディルは死に掛けの人間の様に衰弱している。
「内部破壊だな。狂犬どものやりそうな事だ」
俺はベッドの隣に置いてあった刀を取り、その刃を鞘から解放した。
「今すぐにここから離れろ。狂犬どもの狙いはお前だ」
今この屋敷を荒らしているのは、間違いなく、昨日も戦ったケルベロスだ。奴は決して一匹じゃない。現段階で数十匹はこの人間界をうろついている。
そして、ケルベロスの狙いは……間違いなくフィアラだ。
「待ってください!私が狙いって何ですか?それにあなた、その傷で動いては……」
先程からわけのわからない事だらけなのだろう。
狂犬とは何か?とか、自分が狙いとは?とか、何故レイディルが怪我を……?とか、数え切れないほど聞きたいことがあるだろう。
俺の見たところ、フィアラの頭脳は悪くない。だが、こう未知のことが多すぎては、冷静に状況を把握する事もできないのだろう。当然と言えば当然だ。
「説明している時間は無い。とにかく俺は今、お前に死なれるわけにはいかないんだ。早くここから離れろ!」
俺が突然叫んだ事に驚いたのか、フィアラは後ろに下がった。今にも泣きそうな顔をしている。
しかしその直後、フィアラの表情は一変した。彼女の目線は、俺の手の甲にある紋章に向けられている。そうだ。お前も、俺と同じような宿命を背負っているんだ。
「あなたは……一体……」
ドゴオオッ!
「ガアアアアアアアアッ!」
フィアラが小さな声で俺に問うたときだった。
部屋の扉を壁ごとぶち壊し、三つ首の黒い獣……ケルベロスが現れたのだ。
「きゃあああああっ!」
フィアラが悲鳴をあげた。その恐怖に、そのまま腰を抜かし、尻をついてしまう。
ケルベロスの全ての牙には、人間の血が付いている。恐らく、屋敷の人間は全滅だろう。
「ちっ!フィアラ、さっさと逃げろ!」
俺が叫ぶが、返事は無い。
「あ……ああ……」
獣の姿がよほど恐ろしかったのだろう。フィアラはまだ腰を抜かしている。こうなっては、逃げることもできそうに無い。仕方ない。今のうちに渡しておくか。
俺は刀の刃を、フィアラの頭上に向けた。
「!……神崎さん、何を……」
「受け取れ、『聖血の封冥者』」
お前がここで死ぬことは許されない。許されない理由があるんだ。
俺はフィアラの頭上で刀を振った。
バリバリバリバリ……ッ!
大きな音をたてながら、時空が切り裂かれていく。フィアラの上に、空間の穴が開いている。更なる未知の現象に、フィアラはただその切り裂かれた時空を見ていた。
時空の穴からフィアラの手に、一冊の本が落ちる。俺達の宿命の証が……。
「それは『光の黙示録』。お前を『聖血の封冥者』だと証明するものだ」
本の表紙には、フィアラの手の甲にある紋章と全く同じものが描かれている。
「疑問が絶えないのもわかる。だが、今はそれを持って、ここから離れてくれ。その本とお前はどちらも欠けてはならない存在だ。後からいくらでも説明はしてやる。だから……今はここから逃げろ!」
フィアラは無言のまま頷き、立ち上がり、窓から外へ出て行った。
それを確認し、俺は刀をケルベロスに向けた。
「わざわざ待っていてくれるとは、珍しくお人好しな狂犬だ。……来い!」