第八章 役目終えし者の願い2
俺は『仮面児』に刀を向けている。『仮面児』はそれを意に介していないかのように微笑を絶やさない。そんな状態がどのぐらい続いただろう。
一分かもしれない。数十分かもしれない。本当はどのぐらいなのか、俺にはわからなかった。
「冥界で、父さんと母さんの挨拶ぐらいはしてきたかい?」
「残念ながら、そんな余裕はなかった。お前のおかげでな」
冥界にいる間、死んだ父さんや母さんに会おうと言う発想は、不思議と浮かばなかった。
そんな事を簡単に思いついたら、皆そうしてしまうと、冥界自体が、そう思わせないように機能していたのかもしれない。
得体の知れないものは……どこにでも転がっているものだ。
「だろうね。仮にできても、向こうがそれを望まなかっただろうし……」
そのことについては、俺も同感だった。
俺たちに宿命の事を黙っていた両親は、あわせる顔がないとでも言って、俺を避けただろう。確証はないが、そんな気がする。
「それにしても、君は変わったね。力が目覚める前は、とても気が弱かったのに」
「……人は変わる。良くも悪くもな。いつもそう言っていたのは、お前だろう?」
力が目覚める以前から、神崎祐は他とは違う、かけ離れたなにかがあった。
それが何なのか、今になっても分からない。けど間違いなく、神崎祐は、他の一般人からは突出した、人間を越えた人間だった。
それを本人も自覚していた。あいつのやけに落ち着いた性格は、そのせいなのかもしれない。
「確かにそうだったよ。覚えていたんだね。僕の言葉を」
「憎い敵の言葉だ。誰が忘れるか」
できれば、平和な日常を過ごしていたかった。当たり前に慣れてしまった人は、何か特別なものを求めるが、それは間違いだ。力が目覚めた時に気付いた。
普通な日常が、俺たちから見ればどれだけうらやましい事か……。
「憎い敵か……もう少し、いい覚え方をしてほしかったよ」
『仮面児』がため息をついて、目を閉じた時だった。
「レミネス様―っ!」
レイディルの叫ぶ声が、俺達のずれた時間軸を元に戻した。
目を向けると、レイディルの手には『光の黙示録』が握られていた。奪われてしまったか……!
しかし、当然ながら、レイトやフィアラに対する怒りはなかった。
怒る事など、誰ができるだろうか。
「……どうやら、君の本当の敵が現れるようだね」
「『仮面児』……奴を復活させれば、お前の体が……」
魂は完全復活しても、体までは蘇らない。となれば、『神天使』は当然誰かの体を奪おうとするだろう。まず狙われるのは、一番近くにいる『仮面児』だ。
それを知っての上か、レイディルが俺達のところまで来て、『光の黙示録』を『仮面児』に手渡した。
「レミネス様……」
「わかっているよ。今までご苦労だったね」
『仮面児』の微笑みに、レイディルは満面の笑みを返した。
銃を捨て、レイディルが後ろを向く。彼女の目線の先には……。
「レイディル……まさか……」
「君の思っている通りだよ。彼女は彼を許す。己の望みを叶えてもらうことを条件に……ね」
一瞬見えた……レイディルの目に憎しみはなかった。大役を果たした後の、幸せそうな光だけが、レイディルの目に宿っていた。
『仮面児』に『光の黙示録』を渡した後、レイディルが銃を捨てた。
自分の役目は終わったと言うように、自分の武器を手放したのだ。 それと同時に、本当のレイディルが、何かから解放されるような感じがした。
レイディルがこちらを向いた。恨みとか、そういう負の感情が全て消え去ったレイディルの姿は、十年前のレイゼが、生きたまま成長した姿にも思えた。
俺に向かって微笑みながら、レイディルがこっちへ戻ってくる。
驚いた。初めてなんだ。レイディルが、俺に向かって微笑んだのは……。
「レイディル……お前……」
俺はいまいち状況がわからない。
困っている俺に対して、レイディルはただ微笑みを見せている。
「レイト君……その……ごめんね」
「えっ……何……が?」
突然謝られても、俺には何に対する謝罪なのかわからない。そんな自分が、情けなく思えた。
「本当はね、最初から許してたんだ。あなたの事」
口調の変化があまりに突然なので、傍から見れば、軽く演技をしているようにも取られるかもしれないが、間違いなく、こっちが本当のレイディルだ。
そのことは、長くレイディルと一緒にいたフィアラが、一番よく分かっているだろう。
「あの事件の後、お父さんから詳しい話を聞いて、すぐにおかしいと思ったの。あなたの両親は、大鎌を使う仕事なんてやってないでしょ?前に姉さんから、あなたの両親は不動産屋で共働きをしているって聞いたから、それぐらいは知ってるの。不動産屋で働いているような人が、自分の家に大鎌なんて置いているわけがないのよ」
事件の起きた瞬間には、そんな事を考えられなかったはずだ。俺がレイゼを殺したとだけ聞いて、俺を恨んでいただろう。
しかし、冷静になって聞いてみると、何かがおかしいと言う事に気づいたのだ。
「そのことが、何か深い事情があったんじゃないか、本人の意思じゃないんじゃないか。そんな風に、私の考えを変えさせたの。父さんと母さんが、あなたを恨むのはわかるわ。どういう事情であれ、姉さんを殺した事には変わりないもの。でも私は、あなたを恨めなかった。仕方ないと思える事情があるのなら、あなたを恨むのは筋違いだもの。それを確かめる為に、あなたに本当のことを聞こう聞こうと思っている内に、両親が引っ越す事に決めちゃって、結局聞けずじまいだった」
正直、聞かれなくてよかったと思う。
当時の俺が何を聞かれても、説明のしようがなかった。俺が『黙示録』について知ったのは、事件の三年ぐらいあとのことだ。事件当時の俺が説明を求められても、分からないとしか言いようがなかった。
もしそんな俺の態度を見たら、レイディルも俺が何の理由もなくレイゼを殺したのだと思っただろう……考えるだけでも恐ろしい。
「本当のことを知ったのは、つい最近。レミネス様が、私を助けてくれた時。まさかと思って、レミネス様に聞いてみたら、あなたの事を教えてくれたわ。と言っても、あなたが『神威の邪砕靭』と『命狩の執行人』、その内のどっちなのかは、わからなかったけど」
思えば、本格的に『黙示録』が動き出したのは、最近だ。
『邪砕靭』たちに会うまで、俺は昼に学校へ通い、夜にケルベロスを狩る……こういった生活を、十年近く続けていた。
その時間に比べて、あいつらに会ってからは、事態の進展が驚くほどに早かった。
「お前……『仮面児』についていなくていいのか?お前はあいつを……」
「いいのよ。私の役目は……もう終わったわ。後は、あなたに願いを一つかなえてもらうだけ」
願い……?レイディルが、俺に……?
気が付くと、レイディルの目は潤んでいた。
「レイト君……私を殺して」
「な……っ!」
今、レイディルは言った。間違いなく、俺に「殺して」と。
「レイディル、どういうつもりですか!殺してだなんて……」
さっきまで黙って俺達の様子を見ていたフィアラが、大声を上げた。
まさか……レイディルは……。
信じたくないことだが、考えれば考えるほど、確信は深まっていった。彼女はこう思っている。昔に生き別れた、自分の姉に会いに行きたい……と。
「フィアラ……私はあなたを殺そうとしたわ。それは誰よりも、私自身が許せないことなの」
「そんな……っ!あなたは神崎祐さんのために……それに、今まであなたが撃った弾は、一回も私にあたってなんていません!」
そうだ。
今までレイディルがフィアラに放った弾数は二発。その両方は、フィアラに直撃せず、髪をかすめただけだった。最初から、フィアラを殺す気がなかった証拠だ。
「あなたはもう戦わないんですよね?だったら、今のあなたは昔と同じ、私の友達です!」
「気持ちは嬉しいけど、ダメなのよ。もう、私自身が、あなたを殺そうとした罪悪感に耐えられないから……。それに、今私は、姉さんに会いたい……そう、強く願っているから」
「レイゼだけじゃなくて、お前まで俺が殺さなくちゃいけないのかよ……。お前までいなくなったら、俺は将来……誰に……償った事を伝えればいいんだよ……」
情けねえ。泣いてるぜ、俺。けどダメだ。いくら情けないと思っても……止まらねえ……。
情けなくて俯いていると、暖かい手が俺の頬に伸びてきて、優しく顔を上げさせた。
「大丈夫よ、レイト君。私を姉さんに合わせてくれることが、私と姉さんへの、償いになるから……」
畜生……涙が止まらねえ……。こんな時に、男が泣いてどうするんだよ!
女が死ぬ決断をしてるんだぞ……泣きたいのは向こうだろ!泣きたいのを必死で我慢してるんだ、男が堂々と答えなくてどうするんだ!
「だから……だからお願い。姉さんに会わせて」
レイディルが俺の鎌を持って、自分の胸に近づける。近い……振れば斬れる距離だ。
おい俺、いつまで泣いてるんだ!十分に泣いただろ。十分休んだだろ。振れるだろ!
「……少し痛むぜ?」
「大丈夫よ。覚悟はもう……できているから」
悪い、フィアラ。俺はお前より、レイディルの願いに答えたい。
俺の手が震えている。レイディルの手も震えていた。その手を強く握って、俺が鎌を振るのを待っている。これ以上待たせるほうが、レイディルにとって酷だ。
「うああああああああああああああああああああああああっ!」
ザンッ!
思い切り大鎌を振った。傷口から大量の血が噴き出し、俺の顔に、服に、返り血が飛ぶ。
俺が初めて……自分の意志をもって、人の命を狩る瞬間だった。
「あり……が……とう」
糸の切れた操り人形のように、レイディルは倒れた。
「レイディル……いやあああああああああああああああああああっ!」
フィアラが必死で流れる血を止めようとする。しかしレイディルの血は、流れる事を望んでいるように、地を赤く染めていった。
「レイディル……レイディルッ!」
レイディルがレイゼに会いに行ったとわかってからも、フィアラはレイディルの名を呼び続けている。
「………………………」
その様子が、ひどく痛々しかった。
「レイディル、レイディル!レイディルーッ!」
「もうやめろっ!もう……死んだ」
死んだ……。その言葉が、俺の中で響いた。
遠くで、フィアラの泣く声が聞こえる。レイディル……姉には会えたか?
フィアラの後ろで、レイトが地面に鎌を投げつけた。無理もない。フィアラの感覚と同じかそれ以上に、レイディルはあいつにとって、特別な存在だった。
その人を斬った武器で、それ以上戦おうと思えるはずがない。
「あれが……レイディルの願いか」
「そう……そしてあれが、『慈愛の銃撃手』の、最期の姿だよ」
一番遅れて『黙示録』の舞台に上がった者が、一番早く『黙示録』の舞台を去った。『黙示録』にとって、俺たちなど、こまの一つに過ぎないと言うのか……。
「さあ、今度は僕が、『黙示録』に逆らう番だね」
「……『仮面児』?」
『仮面児』が『闇の黙示録』を懐から出してくる。
「待て!『神天使』を復活させるな!」
「光と闇に別れし『黙示録』よ……かつての姿にもどれ!」
ブアアアアアアアアアアアアアアアア……ッ!
二つの『黙示録』が共鳴し、互いが強い光を放った。
未来と記す光と、過去を記す闇……その二つが一つになる時、それに記されるのは全てか……それとも……。それを知るには、これから始まることを乗り越えなければならない。
――我、長き封印を破り、今こそ真の姿現さん……!――
『神天使』の声が響く。巨大な影が、『仮面児』の上に現れる。
――我が魂を知る者よ、その体を我に捧げ、我が力となれ!――
『神天使』が『仮面児』に手を伸ばす。まずい……奴が体を手にしてしまっては……!
俺は焦っていた。しかし、あくまで落ち着いている『仮面児』の手には、光が灯っていた。
カッ!
『仮面児』が手を掲げると同時に光が激しく輝き、『仮面児』に乗り移ろうとしていた『神天使』を下がらせた。あれは……光系の……。
――『神術の仮面児』よ……主たる我に逆らうか……!――
「誰が君を主と認めたのかな?そんな記憶……僕にはないけどね」
『仮面児』は微笑んでいた。間違いない。俺は確信した。
『仮面児』は逆らったのだ。『黙示録』に定められた未来に。
あいつはもう敵ではない。『神術の仮面児』ですらない。
あいつは神崎祐だ。帰ってきたのだ。十年の時を経て、俺の兄が……!
「兄さん……」
「ボケッとしていちゃだめだよ、達哉。これからが大変なんだからね」
――神に逆らうとは愚かな下級生物よ……。かくなる上は、その体、力ずくで奪わん!――