第七章 罪悪の定義2
「あの、レミネス様。この名は……」
「勿論、君の事だよ。今さっき、僕が勝手につけた」
僕は今、宿命の輪廻を示す相関図を書いている。昔から文字の綺麗さには自信があった。こういうものを書くのは好きだよ。
さて……『神威の邪砕靭』から『神術の仮面児』へ、兄弟と言う事で。『神威の邪砕靭』と『神術の仮面児』の両方から、祖父と孫の関係という事で、『永劫の真冥王』へ。それから『神術の仮面児』から、主従関係を示して『慈愛の銃撃手』……つまりはレイディルへ。ここからがややこしい。『慈愛の銃撃手』から旧友という事で『聖血の封冥者』、恨む相手という事で『命狩の執行人』、そして姉妹としてレイゼ・ニアスの三人へ。レイゼ・ニアスから幼き恋愛という事で『命狩の執行人』へ繋がって、彼に関係する事は全部繋がった。最後に、『聖血の封冥者』から『神威の邪砕靭』へ……どう言う繋がりなのかは、あえて伏せておくことにするよ。達哉に感謝してもらわないとね。
とりあえず、いびつな形ではあるけれど、宿命の輪廻は完成した。それぞれの関係を繋げることで一周し、始点に帰ってくる。これが、『黙示録』の舞台を宿命の輪廻と呼ぶ由縁さ。
「私の名を、わざわざ考えてくださったのですか?」
「まあ、ほんの気まぐれでね」
今考えると、僕は気まぐれという言葉を、その場凌ぎに使うことが多い。ちゃんとした理由があるくせに、それを言えないから嘘をつく。やれやれ……僕も人間だね。
何にせよ、レイディルの異名は考える必要があった。彼女はもう、『黙示録』の舞台に足を踏み入れ、この宿命の輪廻に巻き込まれているのだから。
なのに、彼女だけ異名がないなんて、可哀そうだからね。
「レミネス様、『封冥者』たちを迎え撃つ準備は、いつごろ始めるのですか?」
「う〜ん……正直に言うとね、僕は準備なんて必要ないと思うんだ」
実際は、少し違う。正確に言うと、準備をしたくない……だ。
「しかしレミネス様、彼らを甘く見るのは……」
「わかっているよ。さあ、彼らにばれないよう、冥界の狂犬を集めよう」
そういう事情か……。俺やフィアラよりも、遥かに深い事情だ。
全てを話し終わり、レイトは紅茶の入ったカップを見つめていた。いや、俯いたら、たまたまそこにティーカップがあっただけだろう。
ともあれ、これで宿命の輪廻は繋がった。大量にある謎のうちの一つが解けた。
「俺のことはもういいだろ?これからどうするんだ?」
昔のことを話して辛くなったのか、レイトはう俯いたまま話を変えた。
俺たちも、本人が嫌がる話を無理矢理展開させるつもりはない。少々強引なレイトの振りにのることにしよう。それが最善のはずだ。
「人間界のほうでは、『仮面児』が俺たちを迎え撃つ準備をしているはずだ。こっちも、それなりの策を練ってから、ここを出たほうがいいだろう」
はずだと言いつつも、俺は今『仮面児』がどうしているかを確信していた。当然といえば当然。本人の口から聞いたのだからな。
「より確実に『仮面児』とレイディル、そして『背徳の神天使』を倒すために……『永劫の真冥王』ゼヴィル、あんたの力を借りたい」
かつての戦いの情勢を一気に覆した『真冥王』の力。本人が言うように、多少の衰えはあるかもしれないが、俺たちにとって大きな力になることは間違いない。
この戦いを早く終わらせる為には、ゼヴィルの力が必要不可欠だ。
「頼む、ゼヴィル。あんたの力を貸してくれ」
少しの静寂が訪れた。
何故だ……迷っているのか?ゼヴィル……。
「…………すまないが、その頼み、聞き入れるわけにはいかん」
驚いた。まさか断られるとは思っていなかった。ゼヴィルは戦うことを望んでいないのか……。
とは言え、こちらも「はい、そうですか」と諦めるわけにはいかない。
「何故だ、ゼヴィル!あんたの力で、一体どれだけの命が助かると思っている!」
俺たちを迎え撃つ為に、『仮面児』はケルベロスを集めている。しかし、集まる間にも、何人もの人間が犠牲になっているだろう。
それに、中には『仮面児』の指示を聞かないケルベロスもいるはずだ。『仮面児』を無視して、人狩りをするかもしれない。それが何匹いるかも分からない。
ゼヴィルの力があれば、世界全土に散ったケルベロスを、一気に掃討できるはずだ。
「そうだぞ、オッサン!俺たち二人だけじゃ、『封冥者』を守れないかもしれない。もしもの時のために、オッサンの力が必要なんだよ!」
「…………………………………………」
俺達が何を言っても、ゼヴィルは黙っている。腹を立てた俺は、思い切り机を叩いていた。
「あんたは『永劫の真冥王』だろう!他を圧倒できる力を持ちながら、何故それを振るわない?この『黙示録』の舞台とあんたは、決して無関係じゃないはずだ」
力を持つ者が力を振るわないのは罪悪だ。救えるかもしれない何かを、見殺しにする。
力の使い方を誤れば、それが罪悪になることは少なくない。しかし、ゼヴィルはそんな過ちを犯すほど愚かな人物ではないはずだ。
何をっている……ゼヴィル。
「勝手なことを言ってすまない。しかし私は既に老いた。今や『黙示録』を揺るがすほどの力を持ってはいない。仮に持っていたとしても、力を持つ者がその力を振るうのは罪悪。協力することはできん」
それが『永劫の真冥王』の論理か……要するに「弱い者虐めはしない」と言ったところだ。恐らく、娘である母さんの考えを敬ったのだろう。
いくら力が必要とは言え、本人が望まない事を強引にさせるのは気が引ける。仕方ない……俺たちだけの力で、何とかするしかないのか。
「……そうか。悪かった」
レイトが俺を呼ぶが、それはそれを無視し、部屋を出た。
少し……庭で冷静になろう。
達哉君が部屋を出ると、部屋は静寂に包まれた。口を開くことさえ躊躇するほどの、重い雰囲気が紅茶を冷ましていく……。
「……あの、私……神崎さんのところに行ってきます」
フィアラ君が席を立ち、達哉君と同じく部屋を出て行った。
「……君は追わなくてもいいのかね?」
「ああ。二人の邪魔をしたくねえから。それに、そんな余裕もねえしな」
特に理由はない。しかし、私は紅茶を入れなおす事にした。
冥界の住人のほうが、人間界の正しい論理を知っている……笑えないな。まったく笑えない。
確かに、力を持っているからといって、ただそれを振るえば良いと言うものではない。力の使いどころを選ばぬものには、更なる力を持った者によって裁きが下る。そのはずだった。
しかし、今の人間界は違う。親しいようでいて、腹の中では何を思っているのか、見当がつかない。自分の首を狙っているかもしれない。本当に親しく思っているのかもしれない。人間という生き物は、その複数ある候補のうち、一番悪いものを「こいつの本性だ」と思ってしまった。
だから人と人の関係は、常に殺伐としている。何の関係もない者同士が相手の時は特にそうだ。
友と友……そういった関係にあるのならば、本当に親しく思っている可能性のほうが高いだろう。しかし、社会という世界に出てみると、無関係者と無関係者の間には、常に火花が散っている。
それを恐れ、社会を捨てるものもいる。それを変えようと、社会に挑む者もいる。社会の基本構造が固まった瞬間から、人の心には冥界の闇よりも深い闇が生まれてしまった。
人間界の人間よりも、冥界の住人の方が、本来の人間らしい心を持っていると言っても、過言ではない。そんな状態になってしまっている。
なら、人間界に住む人は、本当に人と呼べるのだろうか。
「大丈夫ですよ。神崎さん」
「!……フィアラ。一体何が大丈夫なんだ?」
俺の考えをまるで聞いていたかのごとく、フィアラは俺を励ました。
まさか……顔に出ていたのか?
「今、神崎さんが何を考えているのか……大体はわかります。色々なことを考えて、人間界を救う事に、意味があるのか……そういう疑問にたどり着いていますよね?」
まさにその通りだった。
俺たちが必死になってこの世界を救ったとしよう。人々は何も知らぬまま、他人を警戒し、他人を恐れ、他人に嫉妬し、他人を憎み、他人を渇望し……終わりのない負の感情の螺旋が渦巻き続ける。
そんな薄汚れた世界を救ったところで、何にもならないのかもしれない。
「神崎さんまで、暗い感情に流されちゃだめですよ」
暗い顔をしていたのだろう。だからこそ、フィアラは俺にこれ以上のない笑顔で接していた。
今まで勘違いをしていたが、フィアラは決して現実を知らないわけではない。むしろ、他との関わる事を恐れて、他人を拒絶していた俺なんぞよりも、今の人間界の状況をよく分かっている。
しかし、現実を知っても、現実を恨むことはしなかった。現実に沈むことはなかった。知っているからこそ、それを変えるために、まずは自分が努力する……そういう結論に至ったのだ。
フィアラは本当の意味で、人間界の希望なのかもしれない。
「ほんの少しでも、何かを変えようとしている人がいれば、その何かは変わります。それは……人間界全体も、例外ではないと思うんです。だから……」
そこから先はわかっていた。
だから聞く必要はなかった。だから俺は、フィアラを抱きしめていた。
「すまない。少し……迷ってしまった。お前の言うとおりだ。世界は変えられる。変えよう……俺たちで……変えようと思ってくれる皆で……!」
「……はい!」
フィアラは笑顔だった。多分俺も……笑顔だ。
今の人間界よりも遥かに澄んだ風が、フィアラの髪を揺らした。
「フィアラ、この戦いが終わったら……」
「さて……そろそろ、『邪砕靭』とフィアラの様子を見てくるぜ」
「うむ……。しかし、庭には出るな。庭に出る扉の前で、彼らが戻ってくるのを待て」
へえ……わかってんじゃねえか。このオッサン。
色々複雑な事があるとは言え、オッサンは『邪砕靭』の爺さんだ。あいつと同じように、そういう系統の物事には鈍いんじゃないかと思ってたけど、そうじゃないみたいだ。
「わかってるよ。上手くいくといいけどな。あの二人」
軽い調子でオッサンに言ってから、俺は部屋を出た。確か庭は、この廊下を……こっちか。
庭へ行く為に廊下を歩いていると、『邪砕靭』達と出くわした。何だ、もう戻ってきたのかよ。ったく、わかってねえなぁ、『邪砕靭』は。
「レイト、すぐにここを出る。準備はいいか?」
「あ?それは問題ねえけど、オッサンはどうするんだよ」
『邪砕靭』の顔には、笑みが浮かんでいた。発明の天才が、世界を動かすほどの発明をひらめいたような感じの笑みだ……。怪しい。
「大丈夫だ。力を振るってはくれなくても、別の方法がある」
「…………?」
『邪砕靭』とフィアラが互いに目を向け、互いに微笑んだ。
何だ、結構進んでんじゃねえか。心配いらねえな。こりゃ。
「レイト、フィアラをつれて、先に行っていてくれ。俺はゼヴィルと話してくる」
「お、おお」
『邪砕靭』と分かれてからも、フィアラは微笑を絶やさなかった。
扉を開けて、達哉君が入ってきた。
先ほどとはどう見ても違う……何かを決意したような、曇りの一切ない目をしている。どれ、少し試してみるとしようか。
「何用かな?言っておくが、私はどうあっても戦うつもりはないぞ」
「ああ、わかっている。戦ってもらうのは諦めた。代わりに……ひとつ頼みがある」
準備は万端だ。すぐにこの宿命の輪廻を断ち切ってやる。
俺とフィアラとレイト、そしてゼヴィル。これだけの戦力が揃えば、勝てる。
「お、おい『邪砕靭』。ひょっとしてオッサン、来てくれるのか?」
「……ああ」
答えると、レイトは「すげえー」とでも言いたげな顔をした。そしてその直後、「どうやって?」と言いたげな表情に変わる。
「一体どんな説得をしたんだよ?聞かせてくれ、な?」
「ゼヴィル、冥界の扉を開けてくれ」
「……よかろう」
レイトを無視して、俺はゼヴィルに頼んだ。ゼヴィルは冥界の王だ。扉を開くぐらいの事は、造作もない。と言っても、これは前々からわかっていたことで、さっき頼んだ事とは違うわけだが。
ゼヴィルが中指と親指を勢いよくこすり合わせ、そのまま人差し指に当てた。つまりは指パッチンというわけだ。高くて強い音が、辺りに響く。
空間にひびが入った。少しずつひびは広がっていき、やがて、音を立てて割れた。
扉は開いた。この先に、『仮面児』がいる。
「さあ、道は開けた。『黙示録』の終焉は近い」
「行くぞ……俺達の宿命を終わらせるんだ!」
性にあわないと思いつつ、俺は叫んでいた。