第五章 『永劫の真冥王』2
「なるほど。では君達が、かつての神界、人間界、そして冥界。それら三つの世界を全て巻き込んだ戦いから続く、宿命を継ぐ者達……と言うわけか」
俺達はゼヴィルの住まう館の応接間で、これまでの事を説明した。
と言っても、ゼヴィル本人もかつての戦いに関わっていた人物だ。説明する事は殆どなかった。あるとすれば、俺達が宿命を継ぐ者であることを伝えたぐらいか。
むしろ、こちらから聞かなければいけないことがたくさんある。
「……今度はこっちが質問をしてもいいか?」
「うむ……構わんよ」
こうやって向き合っているだけで、押しつぶされそうなほどのオーラだ。さっきはただレイディルを気絶させただけなので、力の程はわからない。一体、かつての戦いではどれほどの力を見せ付けたのか……。
一方、気絶させられたレイディルはと言うと、この館内の一室で眠っており、未だに目を覚ましていない。
殺してしまったのかと心配したが、息はしていたので、大丈夫だろう……恐らく。
「……当時、あんたが既に冥王となっていたのなら、当然ケルベロスも、あんたの管理下にあったはずだ。なら何故、ケルベロスは『神天使』と手を組み、人と神に戦いを挑んだ?あんたなら、簡単に止められたはずだ」
はじめから不思議に思っていた。
『神天使』は無論、神界に住まう者だ。対し、ケルベロスは冥界の狂犬……。この相対する二つの存在が、手を組む事ができたのは何故か……。
「その頃、私は新米冥王でね。死人の統治などに追われて、ケルベロスのことにまで手が回らなかったのだ。そのせいで、君達生きた者達に、大きな被害を与えてしまった。申し訳なく思っている」
冥界とは物騒なところで、ある冥王が全体の統治をしていても、多くの者達は隙あらば、冥王の地位を奪わんと、常に機会をうかがっている。かつての戦いが起こる少し前まで、ゼヴィルもそのうちの一人だったというわけだ。
そして前の冥王と戦い、その地位を奪ったのだ。
「次辺りの問いに先に答えておくと、私が人と神の連合軍に協力したのは、その罪滅ぼしだ」
つまり、ケルベロスが冥界から出てしまった事に責任を感じ、協力を申し出た……というところか。
己を最優先するものが多いと聞く、冥界の住人にしては、責任感の強い……。もしかしたら、俺の冥界に対する考えは、間違っているのかもしれない。
いきなり冥王が協力すると言ってきて、当時の神や人は、どれほど驚いた事だろう。
きっと何処かの漫画みたいに、目が飛び出すほど驚いたに違いない。
「ところで、君は神崎達哉と言ったね?」
「?……ああ、そうだが……」
ゼヴィルが立ち上がり、後ろにある棚をあさりだした。何かを探しているようだ。
「君の母親は、この者ではないかね?」
ゼヴィルは俺に、一枚の写真を差し出した。
受け取った写真に写っていたのは、俺の母、神崎だった。隣にいるのは……ゼヴィル?
「!……何故、こんなものを?」
どこかで知り合ったのか?しかし、ここは冥界……。
「神崎と結婚してからは、彼に合わせて名を変えたようだが……彼女の本名はレーマイン・ヴァディルガ。……私の娘だよ」
「な……何っ?」
冥界と言うのは、何も死人だけが集まる世界ではない。
冥界で生まれ、冥界で育つ者もいる。中には、冥界から人間界に移住する者もいるそうだ。
母さんも、そのうちの一人だと言うのか……。
「とんだじゃじゃ馬でね。一昔前に、親子喧嘩をやらかして、そのときに出て行ってしまったのだよ。心配していたのだが、人間界で幸せに過ごしていると聞いて安心した。しかし……まさかその相手が、太古の宿命を背負う者だとは、思わなかったがね」
親子喧嘩だと……?
あんたが本気で親子喧嘩などしたら、母さんは即死だぞ。
「戦いの力における才能は凄まじかったが、根は争いを好まぬ子だった。やろうと思えば、私をも超えられたものを、彼女はそれを選ばなかった。平和に生きたい……いつもそう言っていたよ」
『永劫の真冥王』をも超えられた……?
母さん……あなたがもし争いを好んでいたら、今頃の冥王は母さんだったと言うのか?
言われて見れば、母さんは大人しい性格で、一見父さんに尽くしている様に見えるが、実際は、俺たち一家の指揮官的存在だった。何だかんだ言って、本当は父さんを尻に敷いていたようだ。
「少し前、冥界に帰ってきたようだから不思議に思っていたのだ。思ったとおり、宿命の輪廻に巻き込まれ、命を落としてしまったようだな」
心の中に、何か重い感情が渦巻くのを感じた。
実際に止めをさしたのは『神術の仮面児』である。だが、俺は『仮面児』を殺す勢いで刀を振り、結果として母さんを斬ってしまった。あのときの罪悪感は、今でも覚えている。
ショックが強すぎた為、頭の中が真っ白になっていくのだ。それだけではない。俺は、俺自身が母さんを斬ってしまった直後、父さんと母さんが殺されるのを、目の前で目撃した。
元々受けていたショックがさらに増し、俺は気を失った。
「君の力が目覚めた際に、何があったのかは想像がつく。突然自分の中に強大な力が生まれれば、自分で抑えることができなくなり、破壊衝動にかられる。それは、止めようがないことだ」
「…………」
ゼヴィルが俺を慰めようとしているのはわかる。しかし、ゼヴィル本人は納得できるのだろうか?
太古からの宿命の輪廻……そんなもののせいで愛する娘を失ったことに、ゼヴィルは納得しているのだろうか。それはもう昔の事だと、割り切れているのだろうか。
「勿論、私は彼女の死を知り、それまで味わった事のない絶望に襲われたよ。その時は、何事もどうでもよくなり、冥王の座など、塵ほどの価値もないことを実感したものだ」
俺の疑問を察したのか、それとも話を続けているだけなのか。ゼヴィルは悲しそうに語っていた。
娘を失った……それだけではない。
いくら悲しんでいても、いずれは皆、その者の死を乗り越え、忘れていく。ゼヴィルは、自分もそれと同じ状態なりかけている事を、何よりも悲しんでいるのだ。
俺も、似たようなものなのかもしれない。
「さて……そろそろあのお嬢さんも目を覚ますだろう。それまで、老いぼれのティータイムに付き合ってくれたまえ」
ゼヴィルが紅茶を差し出した。
ティーカップに入れられた紅茶は、心の何かを溶かすように、小さく揺れていた。
「…………」
「おっ、起きたか。大丈夫か?」
私はベッドに横になっていた。目を開けるとほぼ同時に、『命狩の執行人』が声をかけてくる。
記憶を辿って、さっきまでも状況を思い出す。
『神威の邪砕靭』達と戦っていて、そこに『永劫の真冥王』がきて……。意識が途切れたのは、その直後だ。
「……動けるか?」
それを確認する為に、上半身を起こしてみた。起きられた。痛みもない。何も問題ない。けどそれは、『真冥王』にそれほど手加減されたと言う事だ。気分良くはない。
起き上がったとき、フィアラが横で、頭だけをベッドに乗せて、眠っているのに気付いた。
「フィアラはここにきてから、ずっとお前のそばにいたんだ。いくら大丈夫だって言っても、落ち着かなくてよ」
彼女らしいと思った。
普段はボケッとしているけれど、身近な人に何かが起こると、落ち着きがなくなる。大した事なくても、その人のことが心配で、勝手に混乱する。
そのせいで他のことに頭が回らなくなり、色々なところで失敗してしまう。
なのだ。
今時、他人のことで精一杯になれる人が、一体何にいるだろう……。
「……馬鹿ね」
銃は取られていなかった。きっと『執行人』さんは取ろうと思っただろうけど、フィアラが「人のものを勝手に触っちゃだめです」とか言って、彼を止めたのだろう。
彼女は子供のような心のまま、この歳まで生きてきた。だから純粋でいられる。
けど、純粋であるからこそ、物事を適当に受け止める事ができず、心の負担を自分だけで背負ってしまう。
それに、ふらふらしているように見えて、実は頑固だったりもする。実に困った性格だ。
「フィアラが寝ている間に、私を殺しておかなくていいの?後々邪魔になるわよ」
「フン、その気があるなら、最初からやってるぜ。敵とは言え、一般人を殺す趣味はねえんだ」
『執行人』が鼻で笑う。
眼鏡をかけているけど、光が反射していない……伊達眼鏡?
一般人を殺す趣味はない……か。彼もフィアラも、私を敵としてみていない。事件に巻き込まれた被害者として、私と接している。
「甘いわね。どうなっても知らないわよ?」
「同じ台詞何度も言わせるな。お前、そんなに殺されたいのか?」
「……………」
何故だろう、ちゃんと否定できない。
私は、レミネス様に恩を返さなければならない。そのために、まだ死ぬわけにはいかないのに……。
「……お前、親は?」
突然の問いだった。
「?……どうして、そんなことを?」
「いや、その……何だ。まあ、気になっただけだ。で、どうなんだよ?」
何故気になったのか……とは聞かなかった。
人間は、何となく何かをすることがある。特に理由もないのに、何故か、何となく、何かをするのだ。彼の問いも、それと同じだろう。
「生きているわ。二人ともね。田舎で暮らしているはずよ」
昔からあまり両親のことが好きじゃなかった。
別に虐待されていたわけじゃないし、可愛がられていなかったわけでもない。それなりに幸せだったし、それなりに不幸な事もあった。家庭としては一般的なものだ。
私は都会に憧れていた。だから、田舎でのんびりと暮らしている両親が好きじゃなかったし、そこから抜け出せない自分が情けなかった。田舎の暮らしに満足して、ゆったりと過ごしている両親……。独立する力が無くて、そこに居ることを強いられていた私。一刻も早く都会に行きたいと、いつもそう思っていた。
そんなある日の事だった。小学二年生になった私は、田舎の暮らしから逃げたくて、ありったけのお小遣いをもって、都会にむかった。
交通機関を利用し、途中でご飯を食べる……。そうこうしている間に、都会につくことはできたけど、私の小さな財布は空になっていた。遠くまで来てしまった。帰ることもできない。迷子になってしまった私は、大声で泣きながら、都会の住宅街を放浪し続けた。
しばらく歩いていると、とても大きな家が目に付いた。
そして、その家の前に、ワンピースを着た女の子がいることに気付いた。
きっとこの大きな家に住んでいる子なんだろうな。女の子が悪いわけじゃないのに、私は彼女を睨んだ。けれど、その子は目を逸らさず、それどことか、手に持っていたボールを差し出して、こう言った。
「一緒に遊ぼ!」
その子こそ、フィアラ・レヴィジットだった。
私達は、しばらく一緒に遊んだ。暗くなってきて、迎えの人が来た。そのおかげで、両親に連絡を取ってもらえて、私は帰ることができた。
八年後、レヴィジット家の使用人として、私はフィアラと再会した。彼女は私を覚えていた。
「あ……!」
フィアラは全然変わっていなかった。相変わらずボケッとしていたし、八年前のものと全く同じデザインのワンピースを着ていた。
私達は友達として、一緒に日々を過ごした。
「お前はまだ、幸せなほうだ」
「え……?」
『執行人』は、かすかに笑っていた。ただの笑みじゃなくて、どこか悲しみを帯びた……。
「お前は『帰っても』、迎えてくれる人がいるだろ?いくら自分が心に傷を負っていても、それを包んでくれる人がいるだろ。癒してくれる人がいるだろ。俺は……違うんだ」
今にも泣き出しそうな口調だ。
前に、宿命を継ぐ者が力に目覚めた時、大きすぎる力を抑えきれずに、その者は暴走してしまうと、レミネス様に聞いたことがある。レミネス様はその際、自分の両親を、自分の手で殺してしまったと言っていた。
「俺にはもう、『帰っても』で迎えてくれる人がいない……。殺しちまったんだ、自分の手で。親父も、母さんも……その場に居合わせた、俺の好きだった人も……ッ!」
違う……。レミネス様は、対立してはいるけれど、『神威の邪砕靭』……神崎達哉と言う弟がいる。本来の自分を知ってくれている人がいる。けど、彼は違う。
彼は本来の自分を知っている人を、全て失ってしまった。近くにいてくれる人がいない。本当の自分を知っている人がいない。『帰っても』、迎えてくれる人がいない。彼は……力が目覚めた時に、何もかも失ってしまった。
きっと、これまでの時を、孤独と戦いながら過ごしていたのだろう。
現在に至るまでの間に、友達は何人もできたと思う。けれど、本当の自分をさらせるほど、これ以上ないほどに信頼できる友達とは出会えなかったのだろう。
冥界の扉が開いてから十年、彼はずっと、孤独と戦い続けていたのだ。
「――――てるんだ」
「え……?」
彼が何かを呟いたけど、聞き取れなかった。
もしかしたら、本人にさえ聞こえなかったのかもしれない。それぐらい小さな声だった。
「いや、何でもねえ。何でもねえよ……」
何でもない……何でも……。彼はしばらくの間、同じことを呟き続けた。