line9.恋焦がれる
帰り道、俺は自転車にまたがるとゆっくりとペダルを踏み付ける。そしてのろのろと川沿いの道を進んだ。
「みおさん……」
秋風に紛れて彼女の名を呟く。まさか美紀夫が双子だったなんて。おまけにあんな可愛らしい人だなんて。馬鹿らしいかもしれないが、運命だと思った。美紀夫が俺のクラスに転校してきた事、そして仲良くゲームで遊ぶようになった事、今日偶然にも乗り込んだ電車でみおに出会ったのも運命のように感じられた。そう関連付けてしまう事で、俺は顔がにやけるのを止めなかった。
「礼二兄ちゃん、何かあったの? 随分顔がにやけているけど」
自分の部屋に入るなり中学三年生の弟、考二が俺の顔を見て鋭く察した。孝二は兄弟の中でも中間ポジションを保ち、上と下双方の態度に対応してくる。人の顔色を伺うタイプだった。それにしても俺は顔に出やすいタイプなのか? 俺は頬を当てながら「何でもねぇよ」と鞄を置いた。
「勉強中だったか。悪いな、邪魔して」
「ううん。もうじき晩ご飯だからそろそろ切り上げようと思っていたし、丁度いいよ」
そう言いながらも孝二は机の上から辞書を取り出し、パラパラと捲り出す。これだから自分の部屋は居心地が悪い。真面目に勉学に励まない俺への当て付けかのように思え、一先携帯電話を取り出すと、弟の邪魔にならないよう静かに退散した。すると廊下で小学四年生の弟と三年生の妹が、俺の手にしていた携帯電話に鋭く目を付けた。
「あ! 礼ちゃんがまた隠れてゲームしようとしてる」
「ずるい! 俺にもやらせろよ」
二人に携帯ゲームをしている所を見られてから、事あるごとに自分達にも触らせろとせがんでくる。小学生で携帯電話を手にしようとは生意気だ。俺は群がる二人に対し、携帯電話を高く掲げて自分の部屋を離れた。
まったく、うるさい弟達だ。この家にプライバシーなんてあったもんじゃない。よく孝二はこんな状況で勉強できるものだ。いや、俺が舐められているだけなのか? 下の兄弟たちを適当にあしらいながら、リビングへと向かう。
「ほらほら、そろそろ晩ご飯の時間だろ。席につけ席に」
俺の家の晩ご飯は比較的早い。何故ならこの後兄弟で順番にお風呂に入らなければならないからだ。なので部活動も美紀夫の家に遊びに行くこともなく、夕方に帰ってきた今日の俺は、珍しくみんなで食卓に着いた。
「礼ちゃん、いるなら手伝って」
母親が背の高い俺を見つけて手招きする。俺は面倒くさそうに立ち上がって、母親が注いだカレーをスプーンと共に運んでやる。俺の家のカレーには、必ずと言っていいほどスナップエンドウが入っている。母親がベランダの一角で栽培しているからだ。
ふと時刻を確認する。午後六時過ぎ。みおはもう寮に帰っているだろう。寮って事は、ちゃんと食事も出ているよな。そう言えば何処の女子校なのだろう。後で美紀夫に聞いてみるか。
「礼二退けよ! テレビが見えねぇじゃんか」
俺を呼び捨てにするのは生意気盛りの小学二年生の弟。俺は「はいはい」と口でいいつつ、睨みつけてやる。ああ、俺も早く兄貴のように一人暮らしとかしてみたいなぁ。そしたら、ゲームだろうがオナニーだろうが何でもやりたい放題出来るのに。
「礼兄ちゃん。さっきからにやついてて、キモイよ」
どこでそんな言葉を覚えたのか、真正面に座る小学一年生の妹が毒つく。それに便乗して周りの兄弟達が「キモイキモイ」とはやし立てるので、俺は急いでカレーを平らげると、わざわざ電話をかけるために外に出た。
しかし留守番電話サービスに接続されただけで、美紀夫とは繋がらなかった。
翌朝、俺は夏から続けているスーパーの品出しアルバイトをしていた。緑色のくたびれたエプロンをつけ、何箱もあるダンボールの中から商品を取り出し、綺麗に陳列していく。流石に毎日は困難な為、今は週に三日程手伝いに来ていた。
「礼ちゃん、ここの商品、出してもらっていいかしら」
俺にこのアルバイトを紹介してくれた雅美おばさんが手招きした。家も近所で、お母さんとも仲が良いので昔からかなりお世話になっている。俺が未だにこのアルバイトを続けられているのも、実は雅美おばさんの御陰だったりもする。もともと短期募集で採用されたのだが、上に継続出来るよう話を通してくれたのだった。
「この箱全部ですか? 」
「上の棚に出す商品だけでいいわ、お願いね」
雅美おばさんは女性の中でも背が低い。だが、見かけによらず力持ちだった。なんせ男の俺と同じ箱数の品出しを、毎日やってのけるから凄い。俺が上の商品を出している間、雅美おばさんは背の高い俺がやりにくい下の商品を補充していく。雅美おばさんと組んだ日は、決まって早めに終わるのだった。
「それにしても礼ちゃんが来てくれて本当助かるわ。私一人だったら、一々台を持ってこなくちゃいけないもの」
そう言って慣れた手つきで商品を並べていく。雅美おばさんの息子達は、皆社会人になり家を出ていってしまった。だから俺の事を息子のように慕ってくれるのだろう。小さいながらも、しっかりとした背中からは母親の強さを感じる。
「ふあ……」
思わず欠伸がでた。昨日は美紀夫の姉、みおのせいですっかり寝不足だった。ドキドキして眠れないとか、小学生じゃあるまいし。俺は短い髪を掻きむしりながら、昨日から美紀夫と連絡がつかない事も気になっていた。あの後も何度か、美紀夫に姉のみおの事を問いただそうと電話したのだが、繋がらなかった。メールも送ったのだが、未だに返信はない。いつもはすぐ返信をよこす癖に。
もしかしてあいつ、携帯の電源を切ってまで新作ゲームをクリアしているのか?
「礼ちゃん、どうかしたの? 」
俺の手が止まっていたのか、雅美おばさんが下から心配そうに声をかけた。
「あ……いえ、大丈夫です。すぐ終わります」
美紀夫の顔を思い浮かべると、否応が無しにみおが出てくる。くそっ、こんな風に誰かに焦がれるのは初めての経験だった。俺は顔が赤くなっていやしないかと、汗を拭うふりをして誤魔化した。