line8.美紀夫の分身、みお
テストも終り、部活も美紀夫の家に遊びに行く予定もなくなった俺は、一人M町とは反対方面の電車に乗り込んだ。美紀夫に触発され、俺も中古のゲームショップで何か買おうと思ったのだ。何て単純なのだろう。
「お、新刊も出ているな」
書店で漫画を何冊か買い、ついでに古本屋で立ち読みしてからゲームを買う。合計三千円程の買い物。スーパーの時給が八百円だから、四時間ほどの労働賃金がこれで消えていった事になる。
「ちぇ、もっと遊ぶ金が欲しいぜ」
今頃美紀夫は金の出し惜しみをすることなく、新作ゲームを買っているに違いない。一人駅の切符券売機で軽くなった財布を覗き、なんだか物悲しくなった。何だよ、ぼんぼんの美紀夫と比べたってしょうがないじゃないか。
午後四時十五分発の快速特急に急いで乗り込む。この時間は比較的空いている時間帯だと踏んでいたが、どうやらそうではないらしい。俺は前の車両に移動しつつ空いている席を探す。М町まで二十分程だが、いろいろ歩き回ったので少し座りたい。そんな心情を悟られたのか、一人の人物と目が合った。列車の構造上、仕方なく進行方向とは逆向きに座っている。
「あれ? 美紀夫じゃないか」
前の座席で目元から上の部分しか見えていないが、間違いなく美紀夫だ。なんだ、美紀夫の奴もこっちに来ていたのか。おまけに美紀夫の隣の席はまだ空いている。
ラッキー、美紀夫の隣に座らせてもらおう。俺は他の人に席を取られまいと慌てて声をかけた。
「美紀夫! お前もこっちに来ていたなんて奇遇……」
すぐ側の通路まで来て、俺は美紀夫の髪の長さに目を疑った。前髪と同じくまっすぐで、綺麗な黒のロングヘアー。薄手のグレーのジャケットに、秋らしい茶色の小綺麗なロングスカートをはいている。ジャケットから覗く白のブラウスからは、胸の膨らみが確認出来た。
女だ。美紀夫の顔をした女性が座っている。俺も驚いたが、話しかけられた女性も当然驚く。
「あ……す、すみませんっ! 俺……」
俺は困惑してどうしたらいいのかわからなくなった。美紀夫だが、美紀夫じゃない人が座っている。どういう事だ? 俺があたふたしながら通路に突っ立っていると、女性は俺の仕草が可笑しかったのか、笑い出した。
「もしかして美紀夫のお友達? 」女性はわざわざ席を立つと、窓際の方へ座りなおした。「私はみお。美紀夫の双子の姉です」
「ふ、双子!? 」
電車が発車したので、とりあえずみおの隣に腰をかけた。俺が隣に来た途端、みおの表情が強ばったので、つられて俺も緊張する。隣のみおからは、何かつけているのか花のようなとても良い匂いがした。
「ごめんね、なんだか紛らわしくて」
みおが申し訳なさそうに、黒のバッグを抱きしめた。
「いえいえ、そんな事ないですっ! 」
俺も全力で否定する。美紀夫が双子だったとは初耳だ。俺はじっくりと美紀夫にそっくりなみおの顔を見た。長いまつげはマスカラでも付けているのか、美紀夫よりボリューミーで、くるくるしている。うっすら化粧も施しているらしく、頬がファンデーションか何かでキラキラしていた。少しぷっくらとした唇もいやらしく輝き、俺は思わず生唾を飲んだ。
「美紀夫にこんな綺麗なお姉さんがいたなんて……知らなかったです」
ふふ、と少し照れくさそうにみおは微笑んだ。
「美紀夫は私の事、少し毛嫌いしているから。顔が同じ事にコンプレックを抱いているみたいなのよ」
美紀夫と同じ顔。だが、ワントーン上の可憐な声をしたこの人からは美紀夫を感じられない。美紀夫のもう一人の分身、みおなのだ。男女の双子でもここまで似るものなのかと、俺は驚きを隠せずにいた。
「いや……それにしてもよく似ていますね」
美紀夫の女バージョンがいたら、さぞ可愛いだろうと思った事がある。美紀夫の女装姿さえ想像したこともあった。しかし、まさか実在していたとは。前に座っているスーツの中年男性が、先程から意味深くみおの顔を伺っている。それ程までにみおが可憐だというのか。
「そうなのよ。中学まではよく間違えられていたから、気にしないで」
そう言って長い髪の毛を手で弄る。その仕草に俺はドキっとして目を逸らした。おいおい、美紀夫の女バージョンなんて反則じゃないか。手汗を握りながら、俺はチラッとみおの胸元を見た。標準のCカップくらいだろうか。ふと美紀夫の部屋で見つけたブラジャーの事を思い出した。確かあのブラジャーはCの70だったはず。そうか、あのブラジャーはこの人のだったのか! 思わず下半身が反応しそうになったので、俺は慌てて漫画の入った袋を抱き寄せた。
「俺、よく美紀夫の家に遊びに行きますけど、一度も会った事ないですよね? 」
そうなのだ。美紀夫の家に一番出入りしている筈の俺ですら、会った事がなかった。
「私、今女子高の寮に住んでいるから。美紀夫とは違う学校に行ったのよ」
「そうだったんですか。美紀夫も早く教えてくれればよかったのになぁ」
こんなに可愛い双子の姉を隠していたなんて。美紀夫の奴、明日問い詰めてやる。
「あなた、美紀夫と凄く仲がいいのね。もしかして礼二君かしら」
「えっ! 俺の事知っているんですか? 」
心臓が縮み上がる程驚いた。冷や汗が頬をつたう。どう転んでも美紀夫が俺の事良く言っている筈がなかった。
「ええ、一番遊ぶゲーム仲間だって聞いていたわ」
「そ……そうですか」
「あとスケベだって」
「スケっ……! 」
確かにその通りなのだが、初対面の女性にそう思われていたのは心外だ。
「お、男はみんなスケベなんですよ。現に美紀夫だって……」
美紀夫だってあなたのブラジャーやパンティーを盗んでいる。そう出そうになった言葉を慌てて飲み込んだ。この事は絶対に知らない方がいい。
「美紀夫がどうかしたの? 」
「あ……えと、あいつもかなりマニアックというか何というか」
駄目だ、墓穴を掘ってどうする。
「へぇ。男の子って楽しそうね」
みおは俺の心情を悟ってか、とぼけた様に視線を逸らした。
「そ、そうですね、割と。あははは」
俺も苦笑いをして話を逸らそうとする。
「…………」
「…………」
そしてお互いに沈黙してしまった。やがてみおは俺の話し相手に飽きたのか、窓の外を眺め始めた。まずい、何か話題を提供しなくては。
「み、みおさんも、埼玉から引っ越して来たんですよね? 」
「ええ、そうよ」
「だったらここ、田舎すぎてつまらなくないですか? 」
窓から見える景色だって、殆どが田んぼだった。あれ? 前にも同じような質問を美紀夫にもしたような気がする。
「そう? 海が見えるなんて素敵だと思うけど」
そう言ってみおが遠くを指した。沈む夕日を歓迎するかのように、水面がキラキラと反射していて眩しい。
「海、好きなんですか? 」
「見るのはね。私、泳げないから」
恥ずかしそうに照れ笑いをする。やっぱり可愛い。可愛すぎる。俺のクラスの女子や及川だってこの子には敵わないと思った。それ程までにみおが魅力的に見えたのだ。
「降りる駅、ここじゃない? 」
みおが不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。現実に戻された俺は慌てて荷物を手に席を立つ。
「もう着いたのか。隣、ありがとうございました」
「いえいえ。美紀夫によろしくね」
俺が電車から降りた後も、みおは窓越しに手を振っていてくれた。俺も慌てて振り返す。それを断ち切るかのように電車は予定時刻に出発した。俺は電車が見えなくなるまで、手を振り続けた。これが俺とみおとの、最初の出会いだった。